【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第140号
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○「心の支えとなった本16選」(12)

山本周五郎『赤ひげ診療譚』(新潮文庫)
教養教育院教授 石川榮作

平成5年3月に教養部が廃止されるに伴って、同年4月には総合科学部と教養部が合併し、それ以降は総合科学部教員として全学共通教育のドイツ語のみならず、学部教育のさまざまな専門科目も担当するようになった。これを機会に自分のレパートリーをできるだけ広くしようと努めた。まさに諸科学の融合をめざす「総合科学」のおかげで、これまで手つかずにいた分野にも手を広げていき、新しい自分に出会うこともできた。総合科学部教員としてさまざまな授業に携わることでもって育てられたと言ってもよいであろう。前回ここで取り上げた三島由紀夫『潮騒』とともに、非常勤講師として出講していた看護学校で「作文指導」の教科書に選んだのが、山本周五郎の『赤ひげ診療譚』(新潮文庫)であり、この小説からもいろいろなことを学び取った。まさに「心の支えとなった本」の1冊である。

この『赤ひげ診療譚』(1958年)は、江戸時代に幕府によって貧民のために設置された小石川養生所の医長新出去定 (にいできょじょう) こと「赤ひげ」先生とともに、そこに勤める若い医師保本登を中心としたものである。小説全体は8つの診療譚から成り立っているが、それらはそれぞれ独立しているように見えながら、全体としては若い医師保本登の内面的成長過程を描くことにもつながっており、「人間形成」という点でも注目すべき作品であり、とりわけ看護学校の教科書としては最適の小説であろう。

まず第一話「狂女おゆみ」では、主人公保本登が3年間の長崎遊学を終えて江戸に戻って来た場面から語り始められている。彼は幕府の表御番医天野源伯から才能を認められ、長崎遊学の便宜を取り計らってもらっただけではなく、将来は幕府の御目見医の席も約束されていたが、しかし、いざ江戸に戻って来てみると、その約束されていた席とはほど遠い貧民のための小石川養生所に医員見習として勤務する羽目となった。おまけに天野源伯の娘ちぐさは別の男性と結婚しており、婚約者に裏切られたことも重なって、保本登は小石川養生所では禁止されていた酒を飲むなど、ことごとく反抗的な態度を取っていくのである。そのような折り、小石川養生所内に特別に建てられた屋敷に収容されていた狂女おゆみから色仕掛けにあって、登はかんざしでもってあやうく殺されかけるが、赤ひげに助けられただけではなく、その恥ずかしい失敗を内密にしておいてくれたことから、だんだんと登は赤ひげを見直し始めるのである。

そのあと第二話「駆け込み訴え」では、困った貧民のために赤ひげが医者というよりは人間として取った心温かい行動にも、登は心動かされていく。第三話「むじな長屋」の患者佐八からは、他人のために尽くすことの尊さとともに、女性を愛することの意味を悟らされるかたちとなり、また第四話「三度目の正直」の患者猪之(いの)の行動からは、積極的に愛する立場に立つことの大切さを悟って、医者としても、また人間としても成長していくきっかけをつかむのである。

さらに保本登の内面的成長にとって大切なのは、第五話「徒労に賭ける」である。ここでは患者中心というよりは、医者の苦労話が取り上げられており、幕府から予算削減の通達を受けた赤ひげの苦悩が展開されている。しかし、赤ひげはそれにもめげずに、「おれは自分の一生を徒労に打ち込んでもいいと信じている」と口にする。そのように決意を新たにする赤ひげを見て、登も内面的に成長していくが、ここでは特に登は、赤ひげが以前に自分に長崎で学んだ筆記や図録を見せるように命じたのも、その知識を独り占めにしようとしたのではなく、「どんなものからも学ぶ」という謙虚な気持ちだったことを知り、自分の軽薄さを恥じるが、この謙虚な反省は、登が今や医者としても、人間としても内面的に大きく成長していることのあかしである。

続く第六話「鶯ばか」では、患者十兵衛の病状に関して赤ひげとは異なる診断をすることで登はまさに「医者」として自立していることがほのめかされ、また第七話「おくめ殺し」では、長屋で起こった騒動の証人となることを依頼されていることから、「人間」としても信頼されていることが見て取れる。

このような登の内面的成長過程を締め括るのが、第八話「氷の下の芽」である。ここにはひどい親の食い物になるのを避けるために、わざと白痴を装ってきたおえいという少女が登場するが、この少女の話から登は一つの信念に到達するのである。「おえいは十歳という歳で自分の身を護る決心をした。そしてやがて子供を産むだろうが、このきびしい世間の風雪の中で立派に育ててみせると言った。赤ひげの生き方も同様だ。徒労と見られることをかさねてゆくところに、人間の希望が実るのではないか。温床でならどんな芽も育つが、氷の下でも育てる情熱があってこそ、人間の生きがいがあるのではないか」このような信念をつかんだときに、登は当初希望していた御目見医にあがる話を受けるが、しかし、それを拒否する。登は冒頭でも赤ひげに抵抗し、最後でも抵抗しているかたちであるが、ここでは信念に基づいた決意でもって抵抗しているので、一回り大きく成長していると言える。さらに登は最初は婚約者ちぐさに裏切られたことで、女性に不信感を抱いていたが、最後にはさまざまな病人に出会い、彼らの病気のうしろに隠されている過酷な人生模様を知ることで、人間的にも大きく成長し、そのちぐさを許す気持ちになるとともに、その妹まさをを妻に迎えることを決意するに至る。ここにも登の成長のあとが窺えよう。

非常勤の看護学校での授業のためにこの小説を繰り返し読むたびに、私もいろいろと内面的に感化されていったように思う。徳島大学に勤めてもう早や39年になるが、「新年」を迎えるたびに、この保本登の上記の「信念」を思い出して、さらに信念を堅固なものにしてきた。私の大学での教育もまた徒労と思われるところが多かったように見えるが、しかし、「教養」というものは「強要」して得られるものではなく、それをめざして努力を重ねていくところに希望の芽が出てくるのではないか。温床でならどんな芽もすくすくと育つであろうが、氷の下でこそ育った芽は、美しいだけではなく、とにかく強いのである! 目に見える実用的な効果を追求することも大切であるが、また目に見えぬものを求めて黙々と努力を重ねていくこともさらに重要である。そのようなことを考えさせてくれた作品であり、いつも私を励ましてくれた作品である。さらにこの小説は黒澤明監督の映画『赤ひげ』の原作ともなっており、このすばらしい映画との出会いともなった作品である。両者はまさに私の内面を支えてくれた作品であり、私の内面的成長にもなくてはならないもので、まさに「心の支えとなった本」であると言ってよいであろう。


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