【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第116号
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○「知的感動ライブラリー」(88)

山田洋次監督映画『十五才 学校Ⅳ』
総合科学部教授 石川榮作

山田洋次監督の映画『十五才 学校Ⅳ』は、平成10 (1998) 年の『学校Ⅲ』に引き続いて、2年後の平成12 (2000) 年に製作され、公開されたものである。今回の主人公は学校が面白くなくて、6か月前から学校に通っていない15才の中学生である。山田洋次監督は「学校」シリーズの第1作目『学校』では若者から孫のいる老人までもが通う夜間中学を、第2作目『学校Ⅱ』では養護高等学校を、第3作目『学校Ⅲ』では失業した中高年の通う職業訓練校を舞台にしてきましたが、4作目で初めて義務教育である中学校の教育問題に取り組むのである。ところが、学校は冒頭と最後以外にはほとんど出てこないと言ってもよいほどで、ストーリーの大半は少年がヒッチハイクで出かけた旅の途上で展開されて、これまでのものとはまたがらりと異なった映画である。それでもやはりこの映画は「学校」を描いたものと言える。15才の少年は冒険の旅で何を体得するのか。目的地として辿り着いた屋久島では、樹齢7000年の縄文杉は主人公の15才の少年に何を語りかけるのだろうか。この映画の展開を順に辿りながら、現代の義務教育の学校に必要なもの、問題点などについて考えてみることにしよう。


この映画の主人公は横浜郊外に住む中学3年生の川島大介(金井勇太)である。15才で、いろいろな点で反抗期にあたる年齢でもある。学校が嫌でたまらず、制服を着て教室にいるだけで嫌になってくる。型にはまった先生のしゃべり方も嫌である。なぜ学校に行かなくてはならないのだ。大人になっても役に立ちそうにないものをなぜ勉強しなくてはならないのだ。お父さんにそう言ったら、いきなり殴られたという少年である。そうして学校に行かなくなってから、もう半年になる頃、以前から興味を抱いていた鹿児島県・屋久島の樹齢7000年の縄文杉の幹に自分の手で触ってみたら、元気が出るかもしれないと思って、両親にはただ「冒険の旅に出ます。心配しないでください」という内容の置き手紙を残して、一人ヒッチハイクの旅に出かけるのである。

まず最初に乗せてもらったのは、小型のワゴン車であったが、東名高速を走っているうちに運転手(笹野高史)から行き先をいろいろと問い詰められたうえ、大阪のお祖父さんの見舞いに行くというのが嘘だと分かると、「お前の親は何を考えているんだ、息子がこうやってフラフラ出歩いても平気なのか。・・・お前は何才だ? まだ中学生じゃないのか、学校はどうなっているのだ」と、長々と説教される有様で、大介少年は怒ってすぐに車から降りてしまった。

その頃、大介の自宅では母親(秋野暢子)が置き手紙で息子の家出を知り、心配そうに父親(小林稔侍)の会社に電話をかけて相談するが、父親は息子のことについてはすべて母親に任せているようで、仕事を理由にそれから逃れようとするばかりである。大介にはかわいい妹の舞(児玉真菜)がいるが、妹だけは日頃兄のことを理解してくれているようである。それだけにこのたび兄が家出したことを、両親の電話のやりとりから知ると、妹は心配でならない。

さて、小型のワゴン車から降りた大介は、夜の東名高速道路のサービスエリアで、大阪方面に行く車を探していたところ、通りすがりの宮本という男(梅垣義明)の紹介で、大阪まで行く大型トラックに乗せてもらえることになった。実はその男もその大型トラックに乗せてもらっており、サービスエリアで休憩をとっていたところだったのである。大型トラックの運転手は佐々木康(赤井英和)という名前で、一見厳(いか)つい風貌の男であったが、大阪弁をしゃべって、心は善良そうで、たいへんやさしく接してくれた。宮本という男は明け方に静岡県のある町でトラックから降りたが、去り行く彼の後ろ姿を見送りながら、佐々木運転手が語ってくれたところによると、その男の勤めていた運送会社は倒産し、彼は失業の身になってしまったようである。家には中学3年生を頭に3人の子供がいて、おまけに嫁さんには逃げられて、年取ったお祖父さんと暮らしているという。このような話を聞いて、大介も世の中にはうまくいっていない家庭が多くあるということに気づいたのであろうか。その頃、自宅では息子が屋久島をめざして冒険の旅に出たことを母親が突き止めるが、父親は自分の息子にそんな冒険ができるはずがないと、相変わらず息子の悪口を言う。そのように息子を罵るばかりの父親に向かって、妹の舞はどうして兄を理解してやろうとしないのか、と叫ぶ。社会が大きく変貌していく中、どの家庭にもいろいろと問題はあるようである。

大介が乗せてもらった大型トラックは、静岡県の掛川市に着いて、トラックの積荷を倉庫に運ぶ作業が始まった。大介はトラックに乗せてもらっている以上、手伝わなければならないと思って手伝うが、たいへんきつい作業であった。このような体験ももちろん初めてであった。しかし、すがすがしい気分になったことも確かである。作業のあと、コーヒーを入れてくれた佐々木運転手と話す会話も弾み、運転手は高校時代には家出をしたり、友だちと大喧嘩をしたりして顔に傷を負ったことなども話してくれた。大介は自分と同じように家出をしたことのあるこの男の人にいっそう親しみを感じていくのだった。やがてトラックは大阪に着いて、佐々木運転手は九州方面に行くトラックの運転手を見つけてくれたばかりではなく、掛川市でのアルバイト代としてお金までくれたのである。その運転手が「思いっ切り羽伸ばして、いい旅をせえよ」と別れを告げて、自分のトラックに戻ろうとするとき、さらに振り向いて「にいちゃん、15才か、いいなあ」と青春を懐かしんで口にする場面は、とても印象的な場面である。大介はこの佐々木運転手に会って、日頃学校では体験できないような貴重なことを経験したと言えよう。

その佐々木運転手に紹介してもらった次の大型トラック運転手は、女性運転手(麻実れい)で宮崎まで帰るということであった。最初はその女性運転手は何も話さずに不機嫌そうな顔をしていたので、大介は大阪弁の佐々木運転手がなつかしく思い出されたが、そのうち女性運転手はラーメン屋に立ち寄ったときから徐々に口をきいてくれるようになり、これから宮崎県まではまだかなりの距離があるので、大介のことをいろいろと話してくれるようにと頼むのであった。実はあとで明らかになることであるが、宮崎県の彼女の実家にはひきこもりの息子がいたのである。大介が家出をして旅に出たと知って、他人事だとは思えなかったのであろう。話していくうちに、その女性はたいへんやさしい人だと分かっていった。トラックが広島県を走っている頃には、大介の家族もさぞかし心配しているだろうと思って、携帯電話を差し出して、自宅に電話をさせたほどである。自宅での両親の対応は相変わらずである。トラックが関門海峡を渡るときには、大介は眠っていたが、女性運転手が起こしてくれた。関門海峡大橋を走るトラックからの眺めも貴重な映像だと言えよう。大介とともに観客も九州に渡ったという実感を追体験させてくれる。宮崎県に入ったところで、砂浜海岸で休憩するが、大介は海を眺めながら、自分を見つめ直しているのであろうか。女性運転手と一緒に砂浜をかけっこする頃には、まるで母子のような感じさえ与える。大介は自分の悩みを真剣に聞いてくれる母親のような女性に初めて出会ったと言ってもよいであろう。トラックはやっとのことで目的地の宮崎県日向市に着いた。

運送会社にトラックを置いてから自家用車に乗り換えた女性運転手こと大庭(おおば)すみれは、大介を自宅へと案内しようとする。大介はそのまま鹿児島へさらにヒッチハイクで行こうとするものの、今からだと鹿児島に着くのは真夜中になると言って、すみれは最初からそのつもりであったように、大介を自宅に案内するのである。その途中、学校帰りの中校生の娘薫(真柄佳奈子)と出会い、一緒に車に乗せて帰る。薫は勉強は苦手のようだが、明るい娘で、家では手伝いも自ら進んでする、よく気のきく女の子である。その家にはお婆さん(桜むつ子)もいるが、痴呆症が進行しているようで、食事のときには大介を見て、「あんた誰ね」という質問を何度も繰り返すのである。その家にはもう一人、いつも自分の部屋に閉じこもりの青年登(大沢龍太郎)がいた。すみれに案内されて大介が彼の部屋に入って行くと、彼はジグゾーパズルに熱中していた。壁には時代劇映画のポスターが貼ってあり、母のすみれによると、息子は時代劇映画にも夢中だという。食事のときにも皆と一緒に食べずに、一人自分の部屋でジグゾーパズルをしながら、食事をするのであった。その夜は大介が登の部屋に布団を敷いて一緒に寝ることになったが、大介と登とは気が合って、家族とは全然口をきかない登も、その夜はいろいろと大介と一緒に話したようである。

翌朝、すみれは自家用車で大介を屋久島行きのフェリーが出る鹿児島港まで連れて行くことになった。お婆さんはデイケアの車に乗って出かけると、薫も学校へ出かけようとして、大介に別れを告げる。これからすみれと一緒に鹿児島まで行こうとする大介は、登にも別れを告げようとするが、部屋の中からは何の返事もない。母すみれによると、登はいつも昼過ぎまで寝ているという。仕方なしに車に乗って出かけようとしたところ、家の前の踏切で列車の通過を待っているうちに、登が後を追っかけるように走って来た。ハアハア息を切らしながら、登は大介にジグゾーバズルを土産にあげた。大介はお礼にと思って被っていた帽子を彼にあげると、登は母の前で初めて「もろうた」と言葉を発した。初めて登の言葉を聞いた母すみれの目には涙がこぼれた。車が去って行く間、登はずっと手を振っていた。音楽も流れて感動的なシーンの一つである。そのあと大介は,昨夜登が自分に話してくれたことを、母すみれに話す。「お父さんに会いたいけど、お母さんがかわいそうだから会わない」と登が話したというのであるが、すみれはそのことをもちろん初めて聞いたのである。そのあと大介が登からもらったジグゾーパズルを見ていると、その裏には詩が書かれているのに気がつき、すみれに要求されて声に出して読んでみた。


  大介君へ

草原のど真ん中の一本道を

あてもなく浪人が歩いている

ほとんどの奴が馬に乗っても

浪人は草原を突っ切る

早く着くことなんか目的じゃないんだ

雲より遅くてじゅうぶんさ

この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ

葉っぱに残る朝露

流れる雲

小鳥の小さなつぶやきを聞き逃したくない

だから浪人は立ち止まる

そしてまた歩きはじめる

  日向国(ひゅうがのくに)浪人 大庭登


すみれに要求されて、大介はもう一度その詩を朗読した。途中ですみれは泣き出してしまい、「あの子はそんなこと考えちょったと。おばさん全然気がつかんかった」と言うなり、車を止めてから道端に出て、涙をぬぐうのであった。この登の詩を大介が朗読する場面が、この映画でも最初のクライマックスと言えようか。映画のテーマの点でも注目したい場面である。

車はフェリー乗り場に着いて、大介は屋久島行きのフェリーに乗り込むことになった。大介はこのすみれ家族と出会い、ともに一夜を過ごしたことで、心もほぐれて、今ではもう横浜に帰って行ってもよいような気分になっていたが、すみれが切符を購入してくれたことなどで後には引き返せなかった。大介が船に乗り込もうとするとき、すみれは母のように大介を抱きしめる場面もまた、感動的である。このような人と人との触れ合いといったようなものは、大介がこれまで学校や自宅で体験できなかったことである。この人と人との触れ合いは、これから向かう屋久島でも体験することになるのである。

大介が屋久島に着いたときには、ひどい大雨で、なんとかその夜は安い民宿に泊めてもらった。翌朝は晴れて、朝の温泉に入っていると、近くでテントを張っていた登山者のお姉さん・金井真知子(高田聖子)と知り合う。大介はそのお姉さんから聞いて、縄文杉のところまでは往復で10時間もかかることを初めて知った。登山口で大介は再度その姉さんと出会ったことから、一緒に登山することになった。

大介にとって初めての登山はかなりしんどいものであった。お姉さんに励まされながら険しい山道を登っても登っても縄文杉はまだまだ先である。やっと大杉が見えたので、着いたかと思うと、それは樹齢1000年の杉で、樹齢1000年の杉ではまだ一人前ではなく、「子杉」に過ぎないという。見晴らしのよいところで休憩しているときに、大介はお姉さんから学校のことを聞かれて、不登校の理由などを話すが、どうして勉強しなければならないのか、この話題となったとき、お姉さんは大介を諭すように言い聞かせる。「学校に行く、行かないは、君の自由だけど、でもねえ、人間は一人前にならなくちゃならないのよ。どんな方法であれ、一人前になる努力をしなくちゃならないのよ」ここで初めて大介はお姉さんの口から「一人前になる」という言葉を聞いて、「一人前ってどういうこと?」と問い返す。そのときお姉さんが答えたのは、「親杉に聞いて見たら」ということであった。その親杉の縄文杉はもっともっと先であった。休憩で元気を取り戻して、また山道を登り始めて、やっと有名なウィルソン株に辿り着いたときには、大介はくたくたであった。それでもまたそこで元気を取り戻して、さらに山道を登って行くと、やっと縄文杉に辿り着いた。そのときには大介は息も切れ切れであったが、樹齢7000年の縄文杉を目の前にして、それを見上げたときには、心の中で「やったあ」と感激の声を上げた。ついに目標を達成したのである。7000年の縄文杉と15才の少年の対面であるが、縄文杉は一体その少年に何を語ったのだろうか。「一人前になるにはまだまだ7000年もかかるぞ」と言ったのだろうか。一緒に登山したお姉さんが言ったように、「しかし、一人前になるよう、少しでも空に向かって高く高く伸びるよう、努力することが大切なのだ」と語りかけてきたのだろうか。そのあたりは映画では明らかにされていないが、観客にとっても縄文杉に辿り着いて、感動の場面である。

その夜に、大介は山小屋でお姉さんの携帯電話を借りて横浜の家に電話したら、妹舞が出たので、彼女に今屋久島に来ていることを話して、お母さんには心配しないようにと伝えてほしいと言ってから、姉さんのそばに戻った。山小屋のふとんの中でそばのお姉さんと妹の話をしているうち、大介は妹に比べると、自分は憎らしくて、バカで、顔もこんなににきびだらけだと自分を卑下するような言葉を口にする。そこでお姉さんは大介を諭してこう言う。「私は君のにきびをかわいいと思っているよ。話をすると、君は賢いと分かるし、性格もいいし、すてきな15才だよ。まず君はありのままの自分を好きにならなくちゃ。一人前になるというのは、そこから始まるんじゃないかな」これまでの学校では誰も教えてくれなかった、勇気づけられる言葉である。大介はこの屋久島で登山者のお姉さんと知り合いになり、一緒にきつい山道を登って、夢のようにあこがれていた縄文杉にも会えて、さらにこのお姉さんの言葉から何かを掴み取ったようである。この縄文杉のそばの山小屋が今の大介にとっては「学校」なのである。教室の中だけが「学校」なのではない。教室の外にも大切なことを教えてくれる「学校」があることを大介はしっかりと学んだのである。

翌朝、元気に目を覚ますと、お姉さんはさらに上に向かって登山を続けることになったが、大介は下山することにした。別れのときにも、お姉さんから「一人前になりなさいよ・・・おーい、頑張れ!」と大きな声で勇気づけられて、大介は下山を始めた。しかし、上りに比べれば、下りはうんと楽だと思い込んでいたのが、間違いだった。30分も歩かないうちに、足首が痛み、膝がガクガクしてきて、思うように進めない。そのうえ雲行きも怪しくなり、遠くで雷の音も聞こえてきた。雨が降り始めた頃、もうすぐウィルソン株に辿り着くはずなのに、なかなかそこには辿り着かない。道を間違えたようで、引っ返すことにした。そのうち雨が激しくなったので、雨具を身に着けてから、歩き続けたが、ますます深い森の中に迷い込んだようで、大声で助けを求めた。しかし、返答はない。引き返そうとしたところで、ついには坂道を転がり落ちてしまった。谷間に落ちて死ぬかと思うほどの恐怖に襲われた。助けを求めても、自分の谺(こだま)が聞こえてくるばかりである。このあたりは観客もドキドキハラハラさせられる場面である。谷間の小川の中を進んでいるうちに、川岸でうつ伏せになってしまった。もはやこれまでかと思ったとき、上の方から人の声が聞こえてきた。見上げると、橋の下に辿り着いていたようで、その橋の上を登山者が歩いている。このとき大介は「助かった」と思った。

疲れ果てて、大介は村のベンチにうずくまっていると、声を掛けてきた老人がいた。この老人畑鉄男(丹波哲郎)はシベリア出征の元軍人で「バイカルの鉄」と呼ばれていたが、この故郷屋久島で一人暮らしをしていた。大介はこの老人の家に泊めてもらうことになった。その夜はカラオケにも連れて行ってもらい、「バイカルの鉄」が「カチューチャ」を歌ったあと、一緒に踊るなどして、楽しいひとときを過ごしたのであった。しかし、翌日、その老人はふとんに臥せったままで、大介は一度は帰ろうとしたものの、当分その老人の世話をすることにした。そのうち老人は小便をもらしてしまったが、このことは老人にとっては大きな恥であり、包丁で割腹して死にたいほどであった。大介に向かって台所から包丁を持って来いと催促するので、大介はそれを冷蔵庫に隠してしまう。そのあと大介は薬局に出かけて、おむつを調達してくる。その薬局のおかみさん(余貴美子)が博多にいる老人の息子畑満男(前田吟)に連絡したので、息子は翌日救急車を呼んで戻って来た。父に町立病院に入院することを勧めると、老父は最初拒否していたものの、最後にはあきらめてそれに従うことにした。ところが、老父を担架に乗せようとして、ふとんをはがしたとき、息子は「うあ、臭(くさ)か!」と口にしてしまう。小便をしていることに気づくと、「みっともないなあ」と叫んでしまう。ふとんを片付け戸締まりを済ませてから、息子は町立病院に向かおうとする前、洗濯やふとん干しなどいろいろと世話してくれた大介にお金を渡してお礼を述べるが、それに対して大介は怒りをぶちまけながらこう答える。「僕はこんなものがほしくてお祖父さんのそばにいたんじゃないんです。お祖父さんはね、おしっこもらしたとき、恥ずかしいと言って、泣いていたんですよ。それを、あんなに大きい声で、知らない人の前で臭いなんて言ったりして。自分だって子供の頃、おむつしてたんだろ。あのお祖父さんにだっこしてもらって大きくなったんだろ。その息子にあんなひどいこと言われて、お祖父さんがどんなに悲しかったか。大人のくせにそんなことも分からないのか。それでも一人前なのか、おじさんは」と泣きながら言ったあと、別れを告げ、お金を突っ返してから、その家を去って行くのである。大介は一人暮らしの老人の悩みを理解するまでに成長していることが、この台詞から読み取ることができよう。息子は突っ返されたお金を見ながら、考え込んでいるようである。現代の高齢化社会の問題として、この場面はいろいろと考えさせられる場面であると言えよう。

大介はフェリーに乗って、離れていく屋久島を眺めながら、「僕の冒険はこれで終わった」と宣言すると、次の瞬間スクリーンに映し出されるのは横浜の自宅であり、大介は自分の部屋の中にいる。お父さんが会社から戻って、息子の部屋に入って行くと、息子は父に椅子を差し出す。まず息子が心配をかけたことを詫びる。最初は大いに説教してやろうと構えていた父も、息子の変化に気づいて、たった一言「旅はどうだったんだ」と尋ねると、息子は「おもしろかった」と答える。父は「そうか、おもしろかったか。よかったな。話はあとで聞くから」と、涙ぐんでいる。部屋の外では母親が心配そうに父子のやりとりを見守っていたが、これで父子の確執は解けたようである。台詞の少ない場面であるが、感動的な場面であり、この映画の見どころであることは言うまでもない。

翌朝、大介は学校へ妹と一緒に出かける。久し振りに見る町は、なぜか少し小さく見えた。うちの屋根やモノレールもなんだか低くなったような気がした。そのように感じる兄を見て、妹も兄の背丈が少し大きくなったのを感じた。学校への道を歩きながら、大介は日向の登がプレゼントしてくれた詩を朗読する。「早く着くことなんか目的じゃないんだ。雲より遅くてじゅうぶんさ」これからの学校生活もこの精神で送りたいという決意の表明である。教室に入ると、クラスメイトたちは驚いた顔をするが、隣の席の泉ちゃん(皆川香澄)は大喜びである。担任の黒井先生(中村梅雀)は出席をとるが、川島大介と呼ばれたとき、大介は低い声ではあったものの、「はい」と答える。大介にとっては今日から「学校」という冒険が始まるのである。ほほえましいエンディングシーンである。


以上のように、『十五才 学校Ⅳ』にはいわゆる「学校」という場所は冒頭と最後以外にはほとんどと言ってもよいくらい出てこない。主人公の母親が心配して学校の先生や生徒たちに相談する場面などでほんの少しスクリーンに教室が映し出されるだけである。しかし、それでもこの映画はやはり「学校」をテーマとしている。山田洋次監督は「学校」を描かずして「学校」を描いたと言える。

主人公大介の不登校の理由から、まず現代の義務教育あるいは家庭での問題点があぶり出されてくる。「人間は個性的でなくちゃいけないっていうから、じゃ僕は僕のやり方でいこうとすると、なんでお前はみんなと同じことができないのだと叱られる。あれをやっちゃいけない、これもやっちゃいけないと言いながら、これをやれと言う。」このような管理教育から大介は学校に行くのが嫌になって、6か月後には自由を求めて屋久島の縄文杉までヒッチハイクで行くという冒険の旅に出たのである。15才の大介にとってはその旅の途上でいろいろな人たちと出会った場所が「学校」であった。とりわけ日向の国ではひきこもりの青年登と知り合い、大介は教わるだけではなく、逆に登の心を開かせるきっかけともなったのである。この映画のすべてはその登の詩に凝縮されていると言えよう。樹齢7000年の縄文杉も「君はまだ15才の少年だ。一人前になるには7000年もかかるだろう。しかし、大切なのは、一人前になろうと日々努力することだ。少しでもいいから上に伸びようと努力することだ」と語ったのかもしれない。これは登山者のお姉さんから教わったことと同じと思ってよいだろう。早く一人前になろうとして、急ぐ必要はない。君は君のペースで歩けばいい。君がありのままの君でいることの方が何よりも大切なのだから。大介は今回の冒険でこのようなことを学び取ったに違いない。学校に戻って、今度は「学校」という新しい冒険が始まるのである。

このような内容の映画『十五才 学校Ⅳ』を、是非、この機会に鑑賞していただきたいものである。横浜から鹿児島県の屋久島までの旅を楽しめると同時に、新しい自分に出会うきっかけを与えてくれることもありえよう。現代の義務教育あるいは家庭において今最も必要なのは、生徒あるいは子供を徹底的に管理する教育ではなく、「冒険の旅」のように自由奔放な雰囲気の中で真の意味での「人間力」を養成する教育体制なのかもしれない。このようなことをも考えさせてくれる映画である。十五才、大学生なら誰もが経験してきた年齢である。急ぐ必要はない。じっくりと一歩一歩を踏みしめながら、自分の道を歩んでもらいたいものである


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