整理番号 | 図 名 | English Title | |
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徳 | 40 | 勝浦郡分間郡図(題簽) | Katsuura gun bunken gun zu |
縦(mm) | 横(mm) | 阿波国文庫印 | 不忍文庫印 | 体裁 | 和暦 | 西暦 | 様式 | 彩色 | 閲覧制限 | 高精細画像 |
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1287 | 1905 | × | × | B | 文化10年 | 1813 | 手書 | 彩色 | 原資料の閲覧不可 | ◎ |
料紙種類 | 数量・形態 | 分間(縮尺) | 表装・箱情報 | 保存状態 |
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楮系 | 1鋪・折り畳み | 絵図面2分1丁(約18,000分の1) | 題簽 | 一部虫損 |
画 像 |
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備 考 |
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徳4・徳5・徳7の分間村図と同系統の分間郡図.絵図余白に分間および凡例(10種類)の表記あり.
Edited surveying map of Katsuura county |
解 説 |
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徳島藩では享和2年(1802)-天保2年(1831)にかけて,実測結果にもとづく絵図を作成した。その中心となったのは,測量方の岡崎三蔵らであった。三蔵らが用いた測量方法は「紅毛流規矩(きく)術」と呼ばれ,磁石や矢倉を用いて地点間の距離や方位,高低を測り, 縮図を作成した.三蔵らは阿波国内580余の村々を測量し,各村ごとに分間(縮尺)2寸1丁(約 1800分の1)の村図を作成し,村図をもとに2分1丁(約18,000分の1)の郡図,8厘1丁(約45,000分の1)の国図を編集した.本図はそうした分間郡図の1枚で,勝浦郡(現在は小松島市,勝浦町,上勝町および徳島市の一部)を示している.本図は,それまでの見取絵図に特有の絵画的な表現を排し,山地と平地を色分けするとともに,正確な村界が引かれていて,「絵図」から「地図」への過渡的役割を果たしている. 本画像データ(高精細)は公益財団法人図書館振興財団2021年度振興助成事業により公開した. |
参考文献 |
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羽田野正隆(1970):阿波・淡路両国全図の成立と地図史上の意義(要旨),人文地理22-4. 川村博忠(1992):『近世絵図と測量術』古今書院. 羽山久男(1993):徳島藩の分間村絵図・郡図について,『徳島地理学会論文集 1993年』. 平井松午(1994):阿波の古地図を読む,徳島建設文化研究会編『阿波の絵図』同会発行. 羽山久男(1996):徳島藩の分間郡図について,史窓(徳島地方史研究会),26. |