【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第179号
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○巻頭エッセイ(30)

知っているつもりの物語
理工学部教授 片山真一

『赤毛のアン』と『あしながおじさん』といえば、一昔前の少年少女用の文学全集には必ず入っている物語でした。今では、誰しも親しむ作品とは言えないかも知れませんが、両者共に孤児院で育った主人公が、新しい仲間を得て、家族を育んでいく物語です。

まず赤毛のアンの紹介から始めましょう。『赤毛のアン』は、カナダのL.M. モンゴメリが1908年に発表した長編小説で、実は、九編からなる長編小説シリーズの第一作にあたります。続編の中では、主人公のアンは、仲違いしていたギルバートと和解して、紆余曲折の末に結婚し、子供達も生まれて成長してゆきます。私が個人的に印象に残っているのは第三作の『アンの愛情』ですが、その中では、成長した主人公アンの大学生活が描かれています。19世末から20世紀初頭にかけてのカナダの大学生の勉学や恋模様が描写されていますが、主人公がパティの家と呼ぶ老婦人の家を同級生達で借りて暮らす楽しげなシェアハウスの生活が印象に残っています。私が40年程昔に読んだ頃は、シェアハウスという仕組みや、家財をCompletely Furnishedで借りるという欧米での借家の仕組みが新鮮で驚いたものです。現在の学生諸君が彼女達の学生生活と今の学生生活を比較しながら読むときっと思いがけない発見(もしくは今も昔と変わらない普遍性)があると思います。『赤毛のアン』なら知っていると思い込まず、続編も是非手にとってみてください。

一方の『あしながおじさん』は、アメリカのジーン・ウェブスターが、1912年に発表した小説です。この作品も孤児院で育った主人公(ジェルーシャ・アボット)が、「憂鬱な水曜日」という作文で孤児院の評議員の資産家に作家の才能を認められて、毎月その資産家の紳士に手紙を書くという条件で援助を受けて大学へ進学した所から本格的に物語が始まります。その書簡集の形で綴られる物語で、20世紀初頭のアメリカの女子学生の勉学や社会常識、学生寮での生活が生き生きとユーモアを交えて描かれています。ところで、この作品にも『続あしながおじさん』(1915)という続編があるのをご存じでしょうか。続編の主人公は、ジュディーの友人のサニー・マックブライトで、前作と同じく、主人公から、ジュディー宛の書簡集の形で書かれています。ジュディーから自分の育った孤児院の院長を新たに任されたサニーが、孤児院での数々の出来事の中で自立したキャリアウーマンに成長する姿が描かれますが、北アメリカでも20世紀初頭は、女性が自立して生活することは、難しかったことが解ります。

さて自分では,良く知っているつもりで,本当の所は分かってないことは色々あります。上で挙げた2作品については、小説だけで無くアニメや映像も含めることにすれば、実は諸君が全く知らないというわけではないでしょう。一度続編を含めてしっかり読んでみると子供の頃とは別の味わい方ができると思います。

ついでに,諸君が子供の頃に映画を見たりしたことがある可能性の高い『三銃士』(A・デュマ)にも触れておきましょう。19世紀のフランスを舞台にフランスの片田舎ガスコーニュ出身の主人公ダルタニャンがアトス・ポルトス・アラミスの三銃士とともに様々な困難を剣と度胸で切り抜ける明るい冒険物語に思えます。しかし、所謂『三銃士』は、長編の『ダルタニアン物語』の前半の部分にしかすぎず、全体を通して読むとまったく明るくはありません。さらに児童文学に入れるには、道徳的にも無理が多い作品です。なんてたって主人公の恋人コンスタンツェは、ボナーシュ夫人なわけだし、そもそも妖女ミレディーとも色々と関係を持つし。気になった諸君は一度、大人向けの完全版を読むことをお勧めします。最後に、思い出した事を一言。今年のラグビーワールドカップで脚光を浴びた「One for all, all for one」という成句が(もちろんフランス語ですが)誓いの言葉としてこの作品に出てきますよ。


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