【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第177号
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○巻頭エッセイ(28)

「長井長義を、ご存知ですか?」
総合科学部教授 依岡隆児

その人は、エフェドリンの発見者で、日本の薬学の基礎を作った人です。明治期の初めにベルリン大学に国費留学し、同大学の著名なホフマン教授のもとで化学を学び、その助手も務めました。帰国後は東京帝国大学の薬学部の創設に関わり、東京帝国大学教授、衛生局東京試験所長、大日本製薬会社製薬長などを歴任するなど、産官学にわたって活躍しました。また薬剤師養成と医薬分業を主張したことでも知られています。一方で、ドイツ人の妻テレーゼとともに、教育や国際交流にも尽力しました。独逸学協会学校校長、日独協会理事長を務め、日本女子大学創設に関わり女子教育にも力を入れ、ドイツから独逸国赤十字第一等名誉章を授与されています。

「その人」とは、長井長義のことなのですが、皆さんはこの人のことをご存じですか?残念ながら、知っている人は少ないのではないでしょうか?ところが、彼はわが徳島大学とも浅からぬ関係があった人なのです。徳島藩の医家の出で、後に製藍改良の実験により阿波藍の優秀性を証明するなど、地域に貢献したばかりか、徳島大学薬学部の創設にも深く関わりました。長井長義博士胸像は日本薬学会により1954年に徳島公園に建立されましたが、1973年に徳島大学薬学部開設50周年を記念して、同学部内に移設されました。さらに、本学の長井長義資料委員会が関連書籍を出版していますし、企画展「第5回特別展 徳島の偉人 長井長義展示会」(2013年)が徳島大学ガレリア新蔵展示室で開催されたこともあります。2011年には評伝映画「こころざし~舎密を愛した男」も制作されました(附属図書館本館1階視聴覚コーナーと同分館2階視聴覚コーナーにDVDあり)。

孫の貞義の寄付により、徳島大学に長井記念ホールが建設されたことは、蔵本キャンパスの学生なら、ひょっとしたらご存知かもしれません。しかし、実は長井長義は常三島キャンパスとも深いつながりがあったのです。生家が、現在の中常三島町2丁目、徳島大学理工学部東側にありました。そこには今、記念のプレートと石柱が立ち、家の前の通りは「長井長義通り」と名づけられています。さらに徳島大学工学部の前身の徳島高等工業学校には、長井の遺志を継いで製薬化学部が置かれていました。本学薬学部のルーツはここ常三島だったのです。

エッセイ エッセイ

私は日本とドイツの文化交流について研究しておりますので、長井長義が日独交流の「懸け橋」として活躍したことに、かねてより関心を抱いておりました。ドイツで長井の回顧展が開催されたことを知り、ベルリンの日独センターを訪れ、そのときの日独二カ国語併記の図録を手にいれました。一方、わが附属図書館に所蔵されている長井長義関連文献は決して多いとはいえず、その顕彰についても不十分であることを残念に感じておりました。かくいう私も、彼の生家が徳島大学常三島キャンパスの目と鼻の先にあり、それにちなんで「長井長義通り」という通りまであったとは、うかつにも、最近まで知りませんでした。

そんなとき、徳島大学名誉教授の渋谷雅之先生の『阿波の偉人伝 長井長義』(阿波銀行、2016年。とくしま出版文化賞受賞)を読み、あらためてその功績と徳島との関係を思い知らされました。この本に、私はさっそく一文を寄せましたので、ご覧ください。 ⇒ My Recommendations

こうした顕彰の努力にもかかわらず、長井長義が地元でさほど知られていないのはなぜでしょうか。大学、特に図書館こそ、こうしたことをもっと積極的に知らせるべきではないのか。そういう思いにかられました。図書館に関連図書をただそろえていくばかりでなく、積極的にその意義づけをしていくことも大切なのです。そう思った私は、彼の功績や関連図書・資料を調べる道しるべとなる「パスファインダー」を作成することにしました。ささやかな試みではありますが、附属図書館に関わる身で、自分にできることなのではないかと思って作った次第です。現在、本館My Recommendationsコーナーに置いていますので、手に取っていただければ幸いです。



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