【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第176号
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○巻頭エッセイ(27)

青春小説
理工学部教授 片山真一

暑かった夏も漸く過ぎ、稲穂が実り始める今日この頃です。周りをしっかり見渡して初秋の風情を感じて欲しい所ですが、一方では、手元に目を落とす読書の季節も始まります。

この季節に、学生諸君が自発的には読まないタイプの小説を紹介したいと思います。主人公が様々な体験を通して内面的に成長する過程を描く小説は、ドイツ語のBildungsroman(ビルドゥングスロマーン)を翻訳して、一般には教養小説と(内容から青春小説とも)呼ばれています。現代小説では、もう少し屈折していて、このような古典的な青春物語の分野は、少年コミック誌にしか残されていないとも感じています。ところが時代小説の世界では、普遍的なこの形の小説がまだまだあります。舞台の設定が現代では無いことが功を奏するのか、素直で優れた作品が今でも生み出されています。吉川英治の「宮本武蔵」(今や古典)は、今でも屈指の青春小説ですが、ここで紹介したいのは、藤沢周平の作品群です。

「蝉しぐれ」と「立花登青春手控え」と「用心棒日月抄シリーズ」は、いずれも優れた青春小説です。藤沢周平と言う作家を同時代の作家として、当初は文庫で名前と作品を知り、次第に作風が変化する様を単行本で追いかけて、亡くなるまでを味わったことは、私にとって非常に幸運なことだったと思います。

「蝉しぐれ」については、前半の青春小説としての部分、風景描写、剣で戦う場面の描写、どれも良く磨かれていてバランスのとれた作品になっています。現代の小説では、筋立てや人物の心理描写ばかりにスポットが当たり、心象風景としての風景の描写が脚光を浴びることは少なくなったように思います。その点、藤沢周平の作品の風景描写は、日本の湿気のある気候を色濃く反映して、繊細で優しいものです。この作品でも主人公の住む普請組の組屋敷裏の、きれいな小川の流れで主人公が顔を洗う場面で次のような風景描写があります。

「いちめんの青い田圃は早朝の日差しを受けて赤らんでいるが、はるか遠くの青黒い村落の森と接するあたりには,まだ夜の名残の霧が残っていた。じっと動かない霧も朝の光を受けてかすかに赤らんで見える。そしてこの早い時刻に、もう田圃を見回っている人間がいた。黒い人影は、膝の上のあたりまで稲に埋もれながら,ゆっくり遠ざかっていく。」

蝉の声を聴きながら、この風景を眺めていた主人公の一瞬の放心を破るのが、蛇に指先をかまれた隣の家の少女ふくがあげた悲鳴です。このようにしてこの物語は動き始めます。

次の「立花登青春手控え」は、東北から親戚を頼って江戸に出てきた若者が、牢医者として罪人と真摯に向き合いながら成長していく姿を描いています。最近某国営放送で再ドラマ化していたので題名に覚えのある人も居るかもしれません。主人公が医者であると言う設定からか、主人公は剣術では無く柔術の達人であって、むやみに人を傷つけないことも作品全体の印象の清々しさを増しています。

最後の「用心棒日月抄」は、私が就職浪人中にアルバイトで生活をしていた頃、主人公の姿に自分を重ね合わせながら読んだ思い入れのある小説です。しかし学生諸君は、まだそこまで鬱屈していない(実際まだ鬱屈しなくても良い)と思いますので、深く共感できるとは限りません。またどの作品でも主人公は、武芸の達人で爽やかな青年で、さらに女性にもてるのです。私にとっては、主人公の不遇には共感はして読み始めても、その点で最後は自分とは重ねられなくなるのが残念でした。


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