【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第172号
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○巻頭エッセイ(23)

わたしの本箱(1)
総合科学部准教授 富塚昌輝

いま、わたしの手もとに一冊の本がある。


タイトルは『嫁入り支度に 教師三昧』(以下では『教師三昧』と省略する)。作者は、言文一致を推進したことで名高い文学者の山田美妙。この本は、春陽堂という出版社が企画した「新作十二番」というシリーズ物の一冊として、明治二十三(一八九〇)年十月に出版されたものである。


この本が刊行された時代は、活版・洋装の本が定着しはじめた時期に当たり、小説本などでは粗製濫造のいかにも貧弱な造本などもしばしば見られた。「新作十二番」は、そうした流れに逆らって木版和装の凝った造本を売りにしたシリーズ企画で、


『教師三昧』も口絵に空摺からずりを用いるなどひと手間かかった造りの一冊である。


作者の美妙が「殆んど書き倦きた束髪のふしだら」と跋文に書いている通り、この小説は、当時新聞などで話題となっていた女学生の醜聞に想を得た作品である。主人公の猿狭志保子は、高等女学校を卒業した後に教師となる。そこで悪友と出会い、次第に授業の準備はそっちのけ、化粧やウィンクの習練に熱を入れはじめ、ついには親にも言えない秘密を抱えるほどに堕落してしまう。とどのつまりは、志保子の醜聞が新聞にすっぱ抜かれ、以後志保子は淪落の境涯をおくる。本書はそんな内容の小説である。


わたしの手もとにある本には、「共益貸本社印」との印が捺してある。また、見返しには貸本規則の書かれた紙が貼付されていて、この本がかつては貸本として流通していたことが知られる。賃料は、当初は十五日で三銭、後に改訂して五日で三銭。規則には「落丁楽書紛失及通常外ノ毀損ヲ生シタルトキハ相当ノ償金ヲ申受ベキ事」とあって、本を壊したり落書きしたりしたら弁償しなければならない旨が記されている。


さて、前置きがずいぶん長くなったが、この本をエッセイの話題に選んだ理由は、わたしの持っている本がめちゃくちゃ落書きされた本であるというただその一事による。小説の内容が内容ということもあって、およそ下劣な落書きばかりである。それでも、かつてこの本を手にした読者たちがどんな風にこの小説を愉しんだか、その微笑ましい一齣が、落書きを通して浮かび上がってくるように思われるので、すこし紹介してみたい


例えば、主人公の志保子の家に同僚で悪友の羽田富江から手紙がたびたび届くようになる、という場面がある。その欄外には、「富江さんの書状実に怪むべし」と落書きされている。どうやらこの読者は、富江の手紙が男と逢い引きするための連絡手段とされていることに感づき、たまらず落書きしてしまったのであろう。面白いことに、そのすぐ横には別人の手で「ヒヤヒヤ」(同意を示す言葉)との落書きがあり、落書きを介してコミュニケーションが発生しているのである。


また、志保子と恋人の忠二が連れ立って学校を後にした場面には、「一間ノ中 志保子/忠二サンアイタカッタ。(後略)」と落書きされている。細かい紹介はできないが、この落書きは欄外に細字でびっしりと書き込まれている。これを書いた読者は、二人が学校を出た後どこかにしけ込んで、およそこんなやり取りが行われたのだろうと想像を膨らませ、ついには創作まではじめてしまったのである。


ひとり静かに黙読して自分と作品との内密な対話にひたるのも良いし、作品の自立性を尊重して濫りに足したり引いたりしないという読書もまた良い。ただ、落書きした読者たちのように、他人の読み方に耳を傾けておしゃべりするような読書も、作品の空白部から新しい物語を創りはじめる奔放な読書も、またたいへん愉快ではないだろうか。


断っておくが、みんなの共有物である本に落書きをすることは厳に慎むべきことである。〈楽書き・書き込み大歓迎〉の回し読みや図書館があったら面白いかなと夢想しはするが…。


いたずら者の読者たちが「相当ノ償金」を支払ったのかどうか、わたしは知らない。


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