【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第164号
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○巻頭エッセイ(16)

寺田寅彦の「不思議」
総合科学部教授 依岡隆児

お隣の高知県で県立と市立の図書館が合併して、先ごろ「オーテピア高知図書館」としてオープンしました。目抜き通りの一角にあり、一般の人にとっても利用しやすい。お盆休みに帰省したときに立ち寄ってみたのですが、木をふんだんに使った広くて清潔な館内は、観光客も立ち寄りにぎわっていました。木の香りに包まれ、森の中にいるような爽快さが感じられました。

その一角に寺田寅彦の銅像も建てられました。寅彦は高知で幼少年時代を過ごし、当地についてたくさんのエッセイを残していますが、ここは彼の通った学校(現・追手前高校)を臨む場所なのです。寺田寅彦記念館友の会を中心に広く寄付を募って建立しました。その題字に「ねえ君、不思議だと思いませんか」という言葉が刻まれています。これは寅彦の口癖だったことで知られている言葉です。

科学者としての寅彦は幼少時代を過ごした高知で、自然の不思議さを数多く体験しています。有名なエッセイ「化物の進化」にはそうした自然への畏怖の念がよく表れています。これは、幼い頃に近所の老人から聞いた怪談は今の科学からみれば迷信かもしれないが、そのときの自然に対する「ゾッとする」感覚は忘れないでいたい。百年後の科学は現代の科学を迷信と笑っているかもしれないのだから、という内容です。科学が進歩したあまり自然をすべてわかったつもりになっている自分たち科学者への自省とも読めるでしょう。

東大や理化学研究所を中心に活躍しましたが、一方で生涯、自然に対する「不思議」の念を失うことはありませんでした。身の丈の科学と呼ばれるように寅彦は身の周りに不思議を発見しては、それを好んで題材としました。金平糖の角や蚊取り線香の煙の渦など誰もが知っているのに科学的に取り上げることのなかったことを研究テーマに選んでいます。

他方で寅彦は文筆家としても高く評価されています。夏目漱石の一番弟子で、俳人でもあった。「どんぐり」「竜舌蘭」など数々の名作を残し、近代日本の随筆ジャンルを切り開きました。科学者であり文筆家。彼はまさに「二刀流」の人だったのです。その道一筋を称揚する伝統のある日本で、彼はあっちこっち脇道にそれ寄り道をしながら、飄々と生きていたように見えます。しかも科学者としても文学者としても一流だった。なぜそういうことが可能だったのでしょうか。

それは、彼が雑なもの、異なるものからたくさんの刺激を受けてきたためだと私は思います。研究所で茶話会を開いたり若い研究者たちと好んで雑談したりしている。クリエイティブな仕事をするときに一種のコーヒーブレイクを設けて異分野交流を行うのは今でこそ、企業や大学でも取り入れられていますが、寅彦はこうした狭い分野を超えた交流がいかに知的感性的にひとを活性化するかを知っていたのです。文学についても、科学的な見方が彼の創作にプラスになることもあったはずです。

その際に彼が拠り所にしたのが「不思議」と感じる感性です。それはともすれば自分の方法を絶対視し狭い専門の中にこもりたがる自分の見方を相対化し、彼を世界に向かってオープンにしました。むろんそんなことしていたら、どっちつかずの中途半端なことになると言われます。実際、寅彦も日記などを読むと、職場ではエッセイを書くことを批判されて肩身の狭い思いをしていたことがわかります。しかし彼は文学も科学も両方ともやめなかった。おそらく彼の中ではそれぞれが互いを必要としていたためでしょう。

高知の新しい図書館の前に寺田寅彦の「不思議」の言葉が掲げられたことにも、私は深い因果を感じます。図書館こそ、そうした「不思議」に出会える場所ではないでしょうか。本を読みふけり不思議の念にとらわれ世界の探求に思いを馳せる少年の姿が見えるようです。私には、彼が時代をこえて、「ねえ君、不思議だと思いませんか」と道行く人に語りかけているように思えます。


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