【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第163号
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○巻頭エッセイ(15)

著作と著者
総合科学部教授 葭森健介

私たちは本を読みながらどんな人がこの本を書いたのだろうかと想像する。スマートでかっこいい人?かっぷくがよくおおらかな人?テレビに出ているような作家ならばすぐにわかる。しかし、まだ研究者がマスメディアに登場しない時代、新書版の著者の姿は想像するしかなかった。

私が高校一年生の時の地理と国語の授業だったと思うが岩波新書の中尾佐助著『栽培植物と農耕の起源』と中公新書上山春平編『照葉樹林文化』の内容を紹介され、読むように勧められた。上山春平という学者の名前はその時から脳裏に刻み込まれていた。どんな人だろう?こんなすごいことを気付く先生はさぞ立派でかっこいい先生、きっと近寄りがたい先生だろうと想像していた。ところが大学院の修士を修了しようという春に、自分のイメージした人柄と実際が違っていたことがわかった。

当時、京都大学の人文科学研究所の助手は試験で採用されていた。試験は午前に連続で英語、漢文、小論文の筆記、午後に面接があり、筆記試験中にお茶やコーヒーが出てくるというこれまで経験したことのない試験だった。隣は顔なじみで若手でも名前の知られている優秀な研究会の先輩でどう見ても奇跡が起こらない限り私に勝ち目のないことは納得していた。ただ経験を積むにはよい機会と言うことで臨んでいたのだった。結果は予想通りだったが、面接の時に思いがけないことが起こった。面接官の一人の優しそうな先生が私の小論文の答案を読んで感心され、「なかなか面白い。あなたの言いたいことはこういうことですね」と私が言い足りなかった点まで要約して下さり、「私ならこう考えますが、あなたはどう思いますか?」と問い返して下さった。あの先生は誰だったのだろう?と思いつつ先輩が助手をしている部屋を尋ねた時、先の先生が風呂敷包みを抱えて部屋に入ってこられた。先輩が恭しく応対されるのであの先生は?と聞いた所あの上山春平先生だった。あの上山先生に評価してもらったという自信は研究者として踏み出したばかりの私にとって、その後の研究人生を歩む上での糧となった。

採用試験には落ちたものの、博士課程に進学した私は人文科学研究所の「中国貴族制の研究」研究班の班員に加えてもらった。研究班には上山先生も加わっておられた。上山先生は私のような若い研究者の発表や発言にも聞き入り、私が始めて出会った時と同じく、否定するのでなく、その意味をかみしめて、ご自身の意見を述べられた。あの『照葉樹林文化』はその様な懐の深い先生だから様々な意見を取り入れ一つの論として組み上げられたのだと納得した。ある時NHKの番組で先生が特攻隊の隊員として人間魚雷回天に乗ったことを知った。番組でハッチを閉められて発射寸前になったが見張りが敵艦を見失ったため、生き残ったのだと紹介されていた。あの奥深い人間性には極限をみたという体験があったのかとも思った。

著者の人間性とその著作とは無関係ではない。本を知ることは人間を知ることでもある。また、著者の人間性を知れば、その著作への理解も深まる。上山先生には研究者としての人間性を教えられた。上山先生を思うと、総合科学を突き詰める上ではまだまだ、教育者としてもまだまだと思いつつ、定年退職を目の前に迎えようとしている。


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