【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第160号
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○巻頭エッセイ(12)

文才について
総合科学部 葭森健介

私が彼女の文才に気付かされたのは、彼女が留学先の大学から送ってきた現地に住む日本人が手作りで発行している新聞を読んだ時のことである。彼女の記事は「笑いのつぼ」「赤い色」についての記事だった。「笑いのつぼ」は中国人の学生と一緒に映画を見に行った時に起こる笑いのタイミング、それが日本人とは異なっているという話である。「赤い色」は彼女が留学生宿舎で絵を描いているのを見た同室の東欧から来た留学生と「赤い色」という言葉で連想する色の違いで話がかみ合わなかったとエピソードを紹介したものである。どちらも軽妙なタッチで描かれており、引き込まれる文章であった。しかし、一番感心したのは、何げない所から文化の違いということを引き出した観察眼である。

彼女は帰国後、残留孤児をテーマに卒業論文を書き、貿易商社に就職した。その傍ら仕事の合間に日本エディタースクールに通い、編集や文筆についての基礎を学んだ。その後郷里の愛媛に戻り、出版の仕事に携わり、ノンフィクションライターとしての経験を積んだ。そして満を持して2007年に出版した著作が翌年に大宅壮一ノンフィクション文学賞他の文学賞を受賞した。彼女の名前は城戸久枝、徳島大学の卒業生である。

よい文章を書くにはどうしたらよいかとよく聞かれる。作文の指導の本も多く出ているのだがそれは悪文にならないための指導書であり、人を感動させる優れた文章を書くための指導書とは言えない。人を感動させるためにはそれなりの内容が必要である。そのためには書くべき内容を探しだすための観察眼が求められる。城戸さんは学部生の時にすでにその観察力が光っていたのである。

筋の通った文章を書くには論理、理性が必要である。「風が吹けば桶屋が儲かる」風の文章では読者は納得しない。悪文とは書いている本人が頭の中で書きたいことが整理されていないことに起因する事が多い。感銘を受ける文章は書いた人間の感性に惹かれるからである。すなわち、文才には理性と感性の両方が必要である。理性は人から教えられ、練習して身につくものである。彼女がエディタースクールに通い、そこで身につけたのはその技術であろう。しかし、感性は人に教えられて身につくものではない。

バーチャルな世界に浸っていると、身の回りの現実に対する感性が奪われかねない。彼女を見ていて思うのは様々な経験や体験が人間の感性を鋭敏にすると言うことである。処女作『あの戦争から遠く離れて』が店頭に並ぶ前に私の手元に送られてきた。内容に引き込まれ、その日のうちに一気に読み上げ、真夜中に彼女へ絶賛のメールを送った。それは、文章のテクニックでなく、父の人生と自分の留学経験を通じて得られた感性あふれる内容だったからである。

感性を磨くことは本をより深く理解する一助にもなる。読み手の感性が磨かれれば、著者の感性に向き合い、著者に対する共感や反発も生まれ、より深い理解を生むことになろう。学生諸君、ゲームばかりしないでいろんな人と出会い、いろんな経験を積んで感性を磨いて欲しい!


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