【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第159号
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○巻頭エッセイ(11)

江戸時代の地図考証家・森 幸安の科学的まなざし-徳島・洲本城下絵図展から
総合科学部 平井松午

徳島大学本部(新蔵地区)にある日亜会館1階のガレリア新蔵展示室で、第23回特別展「古地図でたどる徳島藩の城下町-徳島・洲本-」が開催されています。会期は4月2日(月)~6月22日(金)で、江戸時代の徳島城下町・洲本城下町を描く約30点の城下絵図が、原本・複製図・パネル・プリント版などで紹介されています。併設展として、ガレリア新蔵ギャラリーフロアで、「Film Cycleプロジェクト:カラー化古写真でみる昭和の徳島」も開催されています。

今回展示の城下絵図原本としては、徳島大学附属図書館が所蔵する寛永4年(1627)の「隠密偵察記付図(徳島城)」、享保12年(1727)頃の「(徳島)御城下絵図」、明治2~3年(1869~70)頃の「洲本御山下画図」の3点が展示されています。これらの城下絵図は、昨年(2017年)7月のメールマガジン「すだち」No.150で紹介した徳島大学附属図書館近世古地図・絵図コレクションの一部です。これらの城下絵図についてはWebサイト「近世古地図・絵図コレクション高精細デジタルアーカイブ」でも閲覧することができますが、原本の展示はこれまであまり行われていません。Web上で絵図の記載文字などを拡大して読むことはできますが、Web画面からでは伝わりにくい絵図の全体構成(絵図仕立て・法量)や質感(紙質・彩色・筆遣いなど)は、やはり原本を見ることで実感することができます。

皆さんの中には、絵画や陶器が好きで各地の博物館・美術館などを訪れ、作品を実見することで作品の味わいや作者の作風に思いをめぐらす方も多いのではないでしょうか。絵図についても同じです。どのような背景・目的の下に絵図が作成されたのか、誰が作成したのか、その目的を達成するためにどの様な描き方がなされているのか、そういったことを考えるだけでも知的興味は高まります。

今回の城下絵図展では、18世紀中頃に大坂を中心に活躍した森 幸安(1701-?)が描いた徳島・洲本の絵図5点(国立公文書館蔵)も展示しています。幸安は元香具商人で、40歳を過ぎてから約400点にものぼるオリジナルな日本図や各地の国図(68州図)・城下町図を作成した民間の地図考証家です。彼が作成した「日本分野図」は、日本で初めて緯線・経線が記載された日本図として知られています。伊能忠敬(1745-1818)が活躍した約50年も前のことです。

幸安が作成した地図は、城下町図→地域図(日本68州図)→日本図→世界図→天文図に分類され、そのコンセプトはまさに体系的・巨視的で、収集した絵図・資料を自分なりに考証した上で地図に仕立てています。幸安は、様々な伝手を使って各地の国絵図・国図や城下絵図を「模写」していますが、単なる模写図ではなく、それらの緯度や地勢についても考証を加え、独自の分類・凡例にもとづいてカラフルな図面に仕立てています。例えば、享保12年(1727)頃の「(徳島)御城下絵図」(徳大所蔵)もしくはその系統絵図の写しとみられる渡辺吉賢旧蔵「阿州徳島図」(大阪歴史博物館蔵)をベースに幸安が作成した徳島城下図は「徳島之地図」と名付けられ、跋文に地図の入手経緯や緯度・地勢などが記述されています。そこには、古代ローマ時代に活躍したプトレマイオス(トレミー)と同様に、地域の地理的位置や地勢を地球(あるいは世界)の中で客観的に把握しようとする科学的姿勢を読み取ることができます。それゆえ幸安は、絵図ではなく「地図」の名称を用いたといえます。


特別展「古地図でたどる徳島藩の城下町-徳島・洲本-」が開かれているガレリア新蔵(日亜会館1階)は、常三島キャンパスや蔵本キャンパスとは別の新蔵地区(徳島市新蔵町2丁目8番地)にあります。新蔵地区には徳島大学事務局(本部)や留学生宿舎、放送大学徳島学習センターなどが置かれていますが、ここでは一般の授業は行われていないため、学生の皆さんにはあまり馴染みがない場所かもしれません。江戸時代には上級藩士の屋敷が建ち並んだ「徳島」地区の一角にあります。この機会に一度、ガレリア新蔵を訪問されてはいかがでしょうか。


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