【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第153号
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○巻頭エッセイ(5)

本屋さんと研究者―O氏の思い出
総合科学部 葭森健介

私たち文系特に文献学の研究者にとって書物は研究の資源である。理系にとっての実験材料や実験器具のようなものであり、自分の書斎、大学の図書館はまさに実験室に当たる。

どんな書物を集め,蔵書とするかが研究の基本である。どの様に本をそろえるのかは我々にとって死活問題だ。特に中国語の書籍、漢籍は普通の書店にはおいていない。中国書籍専門の書店は大学を回って注文を取ったり、販売したり、またそこの先生方の本の出版も請け負ったりしていた。O氏とM氏は私が大学院に所属していた頃、こうした研究室に出入りしていた本屋さんである。年齢もさほど離れていなかったので、院生達は彼らとよく研究室でお茶を飲んだり、雑談して、書籍についての様々な情報を交換していた。

徳島大学総合科学部の第1期生が出版業界に就職したいと言い出した。たまたま彼が就活、私が学会出張で東京に行く機会が重なったので、O氏に彼に対して出版業界へ就職することについてアドバイスをしてもらった。その時私はO氏との関係について彼にこう話した。「私たち研究者と本屋との関係は、料理人と魚屋の関係みたいなもの、よい材料を仕入れてもらわないとうまい料理は作れない。腐った魚を平気で持ってくるような魚屋が信用できないように、よい書籍を見極め、適切に提供してくれる本屋や出版社でなければ信用できない」。O氏はこういった「研究室に行くのは楽しかった,でも怖かった」と。O氏も本を売るだけでなく、なぜこの本を買うのか、この本にはどの様な評価がされているのかを聞いてきた。また、研究者についてもどの研究者の本がどういう理由で読まれるのかという質問も浴びせかけた。つまり、本を販売しつつ研究者を観察していたのである。そしてそれは将来どの先生の本を出版するのかの判断材料にしていたからだと聞かされた。O氏のライバルだったM氏も同じだった。ある時こっそり私に「○○先生はこんな本を買ったのだが、あれはあの先生の研究に役立たないと思うのだけど・・・」とささやいた。研究者も本屋さんに実力を評価されているのだった。私たちと本屋さんとの間にはこうした緊張関係がある。また別の機会に書きたいが、O氏より上の世代の中国関係の本屋さんの知識教養には圧倒される。私は魯迅を支えた内山書店の奥さんを初め、多くの本屋さんに育ててもらった。

O氏は二十数年前、働き盛りの時に急逝してしまい、私はライバルの一人を失った。葬式には出られなかったが長文の弔電を送り、死を悼んだ。最近、本を扱う人間に彼のようなプロ根性が失われていっているように感じられて悲しい思いをする。本は単なるモノでは無い。よい書物には書いた人間の重みがある。書籍に携わる人間にもそれぞれの立場でそれを受け止めるだけの努力と精進が必要である。


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