【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第151号
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○巻頭エッセイ(3)

書物を保存するという事
総合科学部 葭森健介

かつては蔵書が文化人としてのステータスであった。したがって私も大学院に進学した頃から、生活費を切り詰めても本を買い込むという習慣が身についた。当時は院生でも古本屋を回り、希少価値のある本を探し回ったものである。その結果、私のような者でも中国の明末から清初(17世紀)に木版で刷られた汲古閣本正史『十七史』や日本では当時ほとんど手に入らなかった清朝末期光緒年間の甘氏刊本の『建康実録』を所有している。

日本では江戸時代になり、平和が訪れると大名は書物を集め、その質や量を競い合っていた。有名な大名家の蔵書には加賀前田家の尊経閣、尾張徳川家の蓬左文庫などがある。蓬左文庫には徳川家康の蔵書いわゆる「駿河御譲本」を含む書籍が伝えられ、国宝や重要文化財となっているものもある。私は幸運にも同文庫の漢籍目録を作成していた杉浦豊治先生の授業を傍聴していたおかげで、書庫を案内して頂く機会を得た。その時国宝級の漢籍数点をガラス越しではなく、手袋をはめて手に取って見せてもらい、鎌倉時代の本の重みを味わった。また、書庫の書棚は本の保存に適した桜の木で作られているという説明も伺い、江戸時代の武士たちがいかに蔵書を大切に扱ってきたのかをうかがい知ることができた。

実は徳島藩にも「阿波国文庫」という優れた蔵書があった。日本の東洋史研究の基礎を作った先駆者の一人内藤湖南は明治42年(1909年)夏徳島を訪れ、当時旧制徳島中学に保管されていた阿波国文庫と阿波藩の藩儒であった那波家に所蔵されていた漢籍を調査した。彼は京都に戻りこの阿波国文庫が尊経閣に匹敵する価値ある蔵書とたたえた文章を残している。しかし、尊経閣や蓬左文庫が現在なお保存され、研究者に公開されているのに対し、阿波国文庫は惜しいことに散逸してしまっている。また、那波家の書籍も戦災で焼失してしまった。勿論、書物を集めるということも大切であるがこれをいかに保存し、後世に伝えて行くことも重要である。

最近書籍の電子化が進むと共に紙媒体の書籍の意味も低下した。しかし、テキスト学を行う場合、紙質、字体なども重要な情報であり、電子化したからといって元の本が不必要になるというわけではない。ましてや大学図書館の蔵書はその大学の文化に対する見識を示すバロメーターである。京大の人文研の書庫や東大の東文研の書庫は同じ大学の先生でさえ簡単には入れない。私は外国からの研究者を案内するという名目で書庫に入れてもらったが、木製の棚に帙に入った線装の本が積まれている様子は壮観である。

徳島大学の図書館は学習図書館という機能が重視されているようである。ともすると本は消耗品と考えられる傾向があるが、やはり書籍を大切に扱うという精神が欠けては大学としての品位が問われることになろう。


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