【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第141号
メールマガジン「すだち」第141号本文へ戻る


○「心の支えとなった本16選」(13)

三光長治『ワーグナー』(新潮文庫)
教養教育院教授 石川榮作

平成5年4月以降は総合科学部教員となって、全学共通教育のドイツ語のみならず、そのほかのさまざまな授業も担当することになったことは、前回でも述べたが、当時の専門授業で最も楽しみであり、また最もやりがいのある授業が、ドイツ・オペラ講読の授業であった。これは最初は欧米地域研究コースの5、6名の学生を想定したものであったが、これまでにないオペラ講読が評判に評判を呼んだのか、毎年20名から30名受講のクラスに膨れ上がっていった。モーツァルトの歌劇『魔笛』やベートーヴェンの歌劇『フィデリオ』から始まって、最後にはワーグナーの作品から歌劇『さまよえるオランダ人』と歌劇『ローエングリン』そして楽劇『ニーベルングの指環』四部作を取り扱った。2年がかりで8単位まで取れる授業なので、とりわけワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』四部作は半期ごとに1作ずつ講読していき、2年間で四部作すべてを講読することができるという授業である。これを数年続けていく間に、私も予習を兼ねてすべての作品の対訳プリントを完成させることができた。1作品につきA4用紙100枚前後の対訳である。対訳ができると、それを使って徳島大学大学開放実践センターの公開講座を担当するだけではなく、のちには九州大学文学部、岡山大学文学部、東北大学文学部からもワーグナー『ニーベルングの指環』に関する集中講義の依頼を受けて、その「対訳」で「大役」を果たすこともできた。これらの授業の準備をしていくにあたって、ワーグナーの生涯とその作品全体を把握するためにたいへん役に立ち、また挫折したときなどの私の心を支えてくれたのが、標題の三光長治(さんこう ながはる)『ワーグナー』(新潮文庫)である。

この著書『ワーグナー』は新潮文庫カラー版「作曲家の生涯」シリーズの1つであり、そこにはワーグナーに関係するカラー写真もたくさん掲載されているので、著者のお名前のとおり、たいへん「参考」になった本である。ワーグナーの生涯を読んでいくうちに、それがビジュアル的にも理解できるので、何度も何度も繰り返して読んだ本である。私のワーグナーに関する知識はこの著書によるところが大であると言ってもよいであろう。それ以外にも興味深い記述があちこちにちりばめられていて、本当に魅力にあふれた本であるが、とりわけいつまでも印象的に私の心に残っているのは、ワーグナーと13という数字の関連を述べた箇所(11-12ページ)である。

ワーグナーはドイツのライプツィヒで1813年5月22日に生まれ、イタリアのヴェネチアで1883年2月13日に亡くなっている。ワーグナー自らが建てたバイロイト祝祭劇場の開場した日は、1876年8月13日であり、彼がバイロイトで最後の日を過ごしたのは、1882年9月13日である。『タンホイザー』の完成したのが、1844年4月13日であれば、パリでの『タンホイザー』公演がスキャンダルのうちに幕を下ろしたのが、1861年3月13日で、長い空白ののちパリで再上演されたのが、1895年5月13日である。ここまで13の数字が並ぶと、ワーグナーもその数字をかなり意識していたのかもしれない。Richard Wagnerという名前のアルファベットの字数を数えても、13となり、彼が生まれた1813年にしても、1と8と1と3をすべて足し算すると、これまたちゃんと13である。ついでに言えば、彼が祖国から追放され、異郷で亡命生活を送った期間も13年間であった。著者の三光長治氏はこのように興味深いことを書き込んでいるのだが、それが13ページに書かれていていればなお興味深いところである。ただ実際には11ページから12ページにかけてであった。ずっとのちに日本ワーグナー協会の例会等で三光長治先生と知り合いになることにも恵まれて、このことを伝えたこともあったが、ワーグナー生誕200年目の2013年にこの本が平凡社から再発行されたときには、この13のエピソードは13ページに記述されている。三光先生から献本をいただいたときに、最初に目を通したのがこの13ページであった。たいへんうれしい気がした。もちろん上記の13のエピソードは偶然の部分も多いことと思う。よく考えてみると、この「心の支えとなった本16選」シリーズも13回目となっているが、これも単なる偶然であるものの、何らかの糸で結ばれているのかもしれないと思わざるを得ない。

このワーグナーと私との結び付きについて、もっと感動したのは、講談社学術文庫として著書『ジークフリート伝説――ワーグナー「指環」の源流――』を執筆しているときのことである。ワーグナーの手によって1886年に始められたバイロイト祝祭劇場での音楽祭は、第二次世界大戦後には一時中断を余儀なくされていたが、それが戦後1951年7月に復活して、楽劇『ニーベルングの指環』四部作のうち最初の『ラインの黄金』が演奏された日に、私は生まれたことが分かったのである。ドイツと日本では時差はあるものの、何か目に見えない糸でワーグナーと結ばれているように思われて、感動したことであった。それ以来、この楽劇『ニーベルングの指環』四部作は私のライフワークとなっている作品である。

標題の三光長治『ワーグナー』は私にとってこのような思い出の著書ともなっているが、この本からはワーグナーの偉大さをも読み取ることができた。ワーグナーの生涯は旅から旅の連続であったが、そのような日々の中でもかなりの書物を読み、たくさんの著作を遺すとともに、名作のオペラをもたくさん創作しているのである。天才としか言いようがない。本書75ページにも書かれているように、アメリカの賢人エマーソンは「偉人とは、不動の集中力を備えた人物のことだ」と定義を下したようであるが、その集中力によってオペラ界でその巨匠としての不動の地位を勝ち得たワーグナーこそ「偉人」と言ってよいであろう。この巨匠の位置には私はとても到達できそうにないが、しかし、一歩でもいいからそれに近づきたいと思うものである。このような絶え間ない努力を重ねていくように励まされたという点でも、標題の著書は私の「心を支えてくれた本」である。今後ともこの「三光」先生の著書を大いに「参考」にさせていただきたいと思っている。そして三光先生の境地にまで辿り着くような努力を重ねていきたいと思っている。大学生となって最初に読んだとき、まったく面識のなかった著者と、のちに同じドイツ語教員・ワーグナー研究者として知り合いになれたとは、なんとうれしいことであろうか。本書は、私にとっては、私のワーグナー研究の出発点で心の支えとなってくれた感謝の書物でもある。


メールマガジン「すだち」第141号本文へ戻る