【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第139号
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○「心の支えとなった本16選」(11)

三島由紀夫『潮騒』(新潮文庫)
教養教育院教授 石川榮作

徳島大学附属図書館ではときどき生協書籍部と連携して「新入生にすすめる私のこの一冊」というパンフレットを作成し、入学時に配布している。徳島大学教職員100名が1冊ずつ選書して解説を加えた100冊の案内書である。これまでに私も何度か執筆依頼を受けたが、そのたびに選んでいるのが、標題の三島由紀夫『潮騒』(新潮文庫)である。この作品は大学生のときにも、また大学院生の濫読時代にも読んで感銘を受け、また徳島大学教養部時代にも当時注目を浴びたユニークな授業「名著講読」の中でも取り上げ、学生と一緒に講読するとともに、さらには非常勤講師として出講していた看護学校でも「作文指導」の教材として使用したものである。映画化も何度かなされているが、その映画がテレビで放送されるたびに、この本を本棚から取り出しては繰り返し読んできて、今では日本現代文学の中ではお気に入りのベスト10に入る作品である。

この作品の内容は、伊勢海に浮かぶ小さな歌島で展開される若い男女の恋愛物語であるが、しかし、それは単なる恋愛物語ではない。この作品はギリシア文学のロンゴス『ダフニスとクロエー』(2世紀後半~3世紀前半)を下敷きにしており、冒頭部分の「歌島は人口千四百、周囲一里に充たない小島である」という表現は、ロンゴスの「レスボス島にあるミュティレーネーは、大きく、しかも美しい町である」(松平千秋訳、岩波文庫)をまねたものである。登場人物にしても、主人公の新治と初江(ダフニスとクロエー)は言うまでもなく、その二人とは対照的な存在の安夫や千代子のモデルと推定される人物も容易に認められる。エーゲ海に浮かぶレスボス島で繰り広げられる若い男女二人の牧歌風の恋物語を、三島由紀夫は三重県の伊勢海に浮かぶ小島での新治と初江の恋物語に書き直したのであるが、そこには素材とした作品に由来する古代ギリシアの牧歌風な雰囲気が漂っている。私が『潮騒』に魅せられる最大の理由は、この作品が古代ギリシア文学の雰囲気にふさわしく、人間と自然の調和をテーマとした作品であり、国と時代を超越した人間生活の永遠のテーマを取り扱った作品だからである。

人間と自然との融合、つまり、この人間と自然とが一体になるということは、「一体」どういうことか。この人間と自然の調和を示す表現は、作品の随所に織り込まれている。とりわけよく分かる箇所は、初江が自分に好意を寄せていることを本人の口から聞き知った新治が、翌日、燈台長官舎へ行く途中で八代神社に敬虔な祈りを捧げる場面であろう。「若者は彼をとりまくこの豊饒(ほうじょう)な自然と、彼自身との無上の調和を感じた。彼の深く吸う息は、自然のつくりなす目に見えぬものの一部が、若者の体の深みにまで滲(し)み入るように思われ、彼の聴く潮騒は、海の巨(おお)きな潮(うしお)の流れが、彼の胎内の若々しい血潮の流れと調べを合わせているように思われた。新治は日々の生活に、別に音楽を必要としなかったが、自然がそのまま音楽の必要を充たしていたからに相違ない」(39ページ)新治が自然と一体になって生活していることがよく見て取れる場面である。

このように『潮騒』の舞台となっている小島は、当時29歳の作者三島にとって一つのアルカディア(理想郷)であったに違いない。そのことを作者は新治が初江に向かって歌島について語る言葉の中で明らかにしている。「どんな時世になっても、あんまり悪い習慣は、この島まで来んうちに消えてしまう。海がなァ、島に要るまっすぐな善(え)えもんだけを送ってよこし、島に残っとるまっすぐな善えもんを護ってくれるんや」(47ページ) 若い二人の恋はこのアルカディアとも言うべき小島で育(はぐく)まれ、海という自然によって護られながら、幾多の困難を乗り越えたのちに、より高い真実の愛へと辿り着くのである。この作品における海という自然は、言い換えれば、神である。数々の試練を乗り越えて真実の愛に到達した二人は、最後の場面で八代神社に詣でて、自らの願いを叶えてくれたこの海の神に感謝の念を捧げたのち、燈台にも昇って夜の海を遠くまで眺める。八代神社と燈台は、作者によって冒頭部分で明らかにされているように、歌島で眺めの最も美しい二つの場所である。この二つの場所が作品の最終場面となっているのも、決して意味のないことではない。困難な冒険を乗り切って初江の愛を獲得した新治は、八代神社で「神の加護を感じた」(173ページ)ばかりか、燈台の上でも同様に神の恩寵を感じるのであり、その場面は次のように語られている。「今にして新治は思うのであった。あのような辛苦にもかかわらず、結局一つの道徳の中でかれらは自由であり、神々の加護は一度でもかれらの身を離れたためしはなかったことを。つまり闇に包まれているこの小さな島が、かれらの幸福を守り、かれらの恋を成就させてくれたということを」(178ページ)このように神に護られたこの小島を、今や若い二人もまた、力を合わせて護ってゆこうと、決意を新たにするのである。八代神社と燈台は、要するに、自然の神の象徴であり、歌島の「美」とは自然に護られた「美」なのである。

このように人間生活と自然の神秘的な美との完全な調和を描いた『潮騒』は、私にとっても一つのアルカディアである。情報化社会の中でコンピューターに操られ、必要以上に多忙な日々を強いられている現代にこそ、この作品に描かれている人間と自然が一つに溶け合った調和的世界が必要なのではないか。増え続ける情報の洪水の中で自らを失わずに、文学作品に浸る時間もまた大切なのではあるまいか。多忙な毎日だからこそ、文学や音楽を楽しむ喜び、心のゆとりを持ちたいものである。三島由紀夫『潮騒』はこのようなことを思い起こさせてくれる作品であり、私にとっては今でも「心の支えとなっている本」の一つである。


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