【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第138号
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○「心の支えとなった本16選」(10)

手塚富雄『いきいきと生きよ――ゲーテに学ぶ――』(講談社現代新書)
教養教育院教授 石川榮作

昭和53年4月に徳島大学の教員となってからコツコツと努力を重ねて、13年後の平成3年1月には文学博士の学位を取得することができた。A4用紙365枚の博士論文(ドイツ中世英雄叙事詩としての『ニーベルンゲンの歌』)で、1年後にはそれに加筆修正を加えて、初めての著書(『ニーベルンゲンの歌』――構成と内容――郁文堂)を刊行することもできた。この博士論文と初めての著書が大きな弾みとなって、研究生活も軌道に乗ってきたようであった。こうして充実した毎日を送っている頃、手にして読んだのが、標題の手塚富雄『いきいきと生きよ――ゲーテに学ぶ――』である。これは前回紹介したエッカーマン『ゲーテとの対話』と内容的に重なる部分も多いが、しかし、この手塚富雄氏の著書は、かつてのドイツ語の教員であり、またたいへん優れたドイツ文学者でもあった著者がゲーテの言葉に受け応えをしていくというかたちで書かれており、たいへん身近に感ぜられて、文章も平易のうえ簡潔明瞭で、エッカーマンの著書よりもさらにいっそうの感銘を受けたものである。コツコツと努力することがコツである私の教員生活を支えてくれた本であり、まさに「心の支えとなった本」であることは言うまでもない。

冒頭の第一章「不断の実行」は前回のエッカーマンの場合と同じく、「大作を狙うな!」(11ページ)と言いながらも、「いつかはゴールに達するというような歩き方ではだめだ。一歩一歩がゴールであり、一歩が一歩としての価値をもたなくてはならない」(12ページ)ということを説いており、私の日頃の信念とぴったりと合致している記述でもあり、それだけ余計に感動したものである。

ゲーテはこのように一歩一歩を大切にする人であったが、しかし、「彼はがむしゃらに仕事をするのではなく、計画を立てて行い、またその結果に対する整理、整頓を忘れない」(30ページ)人でもあったとして、「仕事そのものの過程を楽しんだ」(同箇所)ことを、次の章「生きているあいだは」で述べている。このことを簡潔に言い表しているのが、同箇所で引用されている「われわれが旅行をするのは、着くためではなく、旅行するためである」という名言であろう。この名言に出会ってからは、私も仕事そのもののプロセスを大いに楽しむことを心掛けるようになったと思う。旅行にしても、目的地までの旅行そのものを楽しむことにした。読書にしても、本を最初から最後まで読むのが目的ではなく、1ページ1ページの記述を味読することを楽しむようになった。ようやく濫読から抜け出して精読に移行した時期であると言ってよいであろうか。あるいは「心のゆとり」ができたとでも言うべきであろうか。本書の第一章の冒頭には「こころが開いているときだけが、この世は美しい」という文言も引用されている。まさに「心のゆとりこそ創造の源である」と自分に言い聞かせるようになったのも、この頃のことである。まさに「生きているあいだは、いきいきとしていなさい」(28ページ)ということを教えられた本である。

しかし、人生は順境ばかりではない。順境のときが続くと、そのうち必ず逆境のときもやってくる。逆境の中で迷うこともある。ただゲーテはその「迷い」も負の記号で捉えるのではなく、「迷うから有望なのだ」(42ページ)と積極的な意味で捉える。その「迷い」ということを能動的な意味で掴んだ最も有名なゲーテの言葉は、『ファウスト』第一部の「天上の序曲」にある「人間は努力するかぎり迷うものである」(44ページ)と紹介されている。これは現在では私の信念の一つとなっているもので、授業の中で学生に向かってもよく口にする。努力するかぎり、迷うもので、迷いながらも努力を続けていれば、「未知」の「道」も必ずや開けてくるものである。ゲーテの言葉は常に私を勇気づけてくれ、人生を前向きに「いきいきと生きる」エネルギーを与えてくれる。その意味においてもやはりこの本は「心の支えとなった本」である。

本書はそのほかにもいろいろと勇気づけられることが多いが、その中でも最後から2番目の「批評について」では大いに励まされたものである。「批評家のはしくれになるよりは、自分が成長することが何よりである」(155ページ)という著者自身の言葉も読み取られる。私も博士論文を公刊してから、その後も数冊の著書を出版してきたが、好意的に評価してくれる批評もあれば、また逆に酷評もある。そのようなとき自分に向けられた酷評をあまり気にしないようになったのも、本書のおかげである。本書には、「何事にせよ、取るに足りない評語は笑殺するくらいの度胸がほしい。自分のすることに自分が納得していることが、いちばん大事なことである」(157ページ)という記述もある。もちろん自分に対する酷評を真の「紳士」として「真摯」(しんし)に受け止め、謙虚に反省することも大切であるが、しかし、無茶苦茶な酷評はあまり気にしない勇気も必要である。「自分が非生産的だから、外界のことが気になるのである。・・・自信のあるものは、つまらぬことにはかかわりあわない」(158ページ)ともある。「心は広く開けたままであれ!」ということであろうか。本書の最後の章「目ざすべきこと」では、「自分の仕事に興味がもてれば、人のことを気にしているひまはなくなる」(175ページ)とも述べられている。このように本書は「人間が自分の仕事にたいして愛情とよろこびをもつこと」(136-7ページ)の大切さを教えてくれ、「自分を充実させて、常に生産的であれ!」(157ページ)という力強いメッセージを与えてくれる。本書はその意味において、順境にあっても、また逆境にあっても、どんな場合にもいつも「心の支えとなった本」の一つである。


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