【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第134号
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○「心の支えとなった本16選」(6)

相良守峯訳『ニーベルンゲンの歌』(岩波文庫)
総合科学部教授 石川榮作

昭和49年3月に福岡市の私立大学を卒業すると、その4月からは同じ福岡市にある国立大学の大学院文学研究科 (独文学専攻) に進学した。大学時代にドイツ中世文学に魅せられていた私は、それらの作品をもっと勉強して、将来はドイツ語教員となってその研究を一生の仕事にしたいと思ったからである。そこの大学院授業ではちょうど独文学講読として、中世文学作品の『パルツィヴァール』のほかに『ニーベルンゲンの歌』も取り上げられていたので、私は迷わず修士論文のテーマには13世紀の初頭に現在のオーストリア地方で成立した『ニーベルンゲンの歌』を選んだ。中世ドイツ語は文法書を買って独学で学びながら、その講読の授業に加わった。悪戦苦闘の毎日であったが、なんとか2年後には修士論文を書き上げた。このドイツ中世英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』研究でいつも自分の傍らに置いて参照したのは、標題の相良守峯訳(岩波文庫)である。私の読書人生で何度も繰り返して読んだ本であり、現在の私の教員生活があるのもこの本のおかげであると言っても決して過言ではあるまい。これまでは決して平坦な道のりではなく、坂道や崖の多い道のりで、まさにその崖は「命がけ」であったが、その険しい道を進む中でも「心の支えとなった」最も重要な本である。

このドイツ中世英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』のまず第一の魅力は、13世紀初頭の騎士文化が最盛期を迎えた時期に成立した作品でありながら、5、6世紀の古代ゲルマンの英雄精神が溌剌と展開されている点にあると言えよう。従って、作品の至るところには、古代ゲルマン的な要素と中世騎士的な要素とが混在している。たとえば、主人公の英雄ジークフリート像の中には、一人で冒険の旅に出た折りに竜を退治して「不死身の英雄」となった人物であると同時に、一方では伴の者を連れずには外出は許されなかった「クサンテンの王子」であるという二重像が見出されるのである。しかし、それは矛盾と考えるよりは、当時の作品の特徴として捉えると、全体が古代ゲルマン的なものと中世騎士的なものの対立あるいは融合によって成り立っていることがよく分かり、この二つの要素が混在しているという点でもたいへん貴重な作品である。

第二の魅力としては、その古代ゲルマン的な要素と中世騎士的な要素とがあるときは対立しながら、またあるときは融合しながら、物語が展開されていく中で、前編と後編とがそれぞれ求婚の旅と招待の旅という点で均整を保ちながら、作品全体において悲劇の二重構造が認められるという点である。これは、ブロックハウス版の写本Bの原典を読んでいく際に、標題の相良守峯訳(岩波文庫)を何度も何度も読んでいるうちに気がついたものである。博士論文がまだまさに「白紙論文」に近い状態だった頃、夜中の12時まで博士論文の構想を練っていても、なかなか考えはまとまらない。その夜はあきらめて、焼酎を飲み始めたところ、とっさに前編と後編には二重構造が認められるのではないかと思ったのである。マックス・ウェーバーの言葉に「思いつきとは、突然生まれるのではなく、考え悩みながら苦労を続けている中から生まれるものである」という言葉が思い出された瞬間であった。その夜は徹夜して、全体の悲劇の二重構造を図式化して、それが私の博士論文の要(かなめ)となった。その博士論文は平成2年に完成し、翌年3月に文学博士号を取得することができた。その博士論文は一部手直しの上、平成4年に郁文堂から公刊し、それをさらに一般読者向けに書きなおしたものを平成4年に講談社学術文庫として出版することもできた。これらもすべて、標題の相良守峯訳(岩波文庫)を何度も味読していたおかげであることは言うまでもない。

このドイツ中世英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の第三の魅力は、これを題材としてその後もまことに数多くの作品が作られているということであろう。16世紀の韻文版『不死身のザイフリート』や靴屋の親方ハンス・ザックスの戯曲『不死身のゾイフリート』(1557年)および17、18世紀の民衆本『不死身のジークフリート』をはじめとして、その後においてもドイツ・ロマン派の詩人たちの作品やヘッベルの悲劇『ニーベルンゲン』三部作(1860年)などがあるほか、ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』四部作(1876年初演) も作られた。このワーグナーの作品がさらに後世に影響を与えて、そこからさまざまな作品が生まれ、20世紀には映画が普及すると、映画化まで実現されるのである。これらの現代作品に触れる際に必ず引き合いに出されるのが『ニーベルンゲンの歌』であり、その意味においてもたいへん重要な作品であることが容易に理解されよう。

このような三つの魅力があるドイツ中世英雄叙事詩の傑作『ニーベルンゲンの歌』は、これまでわが国ではだいたい標題の相良守峯訳(岩波文庫)で長年親しまれてきたが、それは昭和30年に刊行され、昭和50年に改版されたものでもあることから、このあたりで新しい翻訳、それも自分自身による翻訳がほしいと思うようになった。『ニーベルンゲンの歌』の写本は完本・断片を含めて三十数種類あるが、ドイツ語のテクストで入手できるのは、写本Bと写本Cである。両者の違いは写本Bが原典に最も近いものと見なされ、ところどころ矛盾も見出されるのに対して、写本Cは原典成立後に改作されたもので、矛盾点などが修正されていて、完成度も高くなっていると言える。クリームヒルトの復讐についても、写本Bは中立的な態度を取っているのに対して、写本Cはそれを擁護する立場を取っているなどの違いがある。相良守峯訳(岩波文庫)は写本Bを底本としているので、新しい翻訳は是非とも写本Cを底本としたものにしたいということで、私は写本Cの翻訳に取り掛かった。学部長の職務を務めている頃であったが、多忙な時期にこそ多くの仕事ができるものである。集中力を働かせて、学部長の重責からくるストレスを逆にこの翻訳に打ち込むことで取り除いていったと言ってもよいであろう。それだけに平成23 (2011年) 4月に石川栄作訳『ニーベルンゲンの歌』前編・後編 (ちくま文庫) が刊行されたときには喜びもひとしおであったことは、言うまでもない。このような貴重な仕事ができたのも、相良守峯訳(岩波文庫)をかなり読み込んでいたからである。その意味でもこの相良守峯訳(岩波文庫)は私の「心の支えとなった本」の中でも特別な本であると言ってもよいであろう。


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