【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第133号
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○「心の支えとなった本16選」(5)

吉川英治『宮本武蔵』(中央公論社)
総合科学部教授 石川榮作

大学時代に専門科目ではなく、一般教養の本を読んで、自己形成の面で大きな影響を受けた本を挙げよと言われたならば、私は何よりもまず吉川英治『宮本武蔵』(中央公論社)を挙げたい。この吉川英治『宮本武蔵』については、中学時代の理科の時間に先生がよく話題にされていた本であり、またその頃、内田吐夢監督映画の公開や、ようやく普及し始めたテレビの番組で『宮本武蔵』が上映されて、大きな感動を得ていたので、いつかその原作を読んでやろうと思っていたのである。まったく自由な時間ができた大学時代こそ、また心の成長期にもあたり、この本を読むにふさわしい時期だったと思う。この本は大学時代のみならず、大学院時代にも、また徳島大学に着任してからも数回読んでいる。とりわけ昭和53年に徳島大学教養部に赴任してきたときには、私の着任を祝福してくれるかのように、当時福島町にあった映画館で、内田吐夢監督の『宮本武蔵』五部作が一挙に上映されていた。2日間、続けて観劇したが、感激の2日間であったことは言うまでもない。そのときにも原作を読んだことはもちろんである。のちに教養部の公開講座でも「ドイツ中世騎士物語と吉川英治『宮本武蔵』」というテーマでこの作品を取り扱い、そのときにも集中的に読んで講義の準備をしたことがある。『宮本武蔵』の各種映画とテレビ番組とともに、私の心を支えてくれた本である。

私がこの本に関心を持つのは、この本が特に主人公宮本武蔵の内面的成長過程を描いた教養小説だからである。慶長5(1600)年9月の関ヶ原の合戦のあと、故郷作州宮本村に戻って悪蔵(あくぞう)ぶりを尽していた武蔵(たけぞう)を立ち直らせるきっかけを与えたのは、七宝寺(しっぽうじ)に滞在していた沢庵和尚(たくあんおしょう)である。沢庵和尚に捕らえられて、七宝寺の千年杉に吊された武蔵は、沢庵和尚から本当の強さというものを教えられる。今日までの彼の振舞は、無知から来ている生命知らずの蛮勇で、人間の勇気ではない。怖いものの怖さを知っているのが人間の勇気であり、生命(いのち)を惜しみいたわるのが、真の人間というものであることを教え諭されるのである。この沢庵和尚の計らいで武蔵は、のちに姫路城の天守閣に幽閉されて、万巻(ばんかん、まんがん)の書物を読むことで、野獣から人間に生まれ変わり、幽閉から3年後、名前も宮本武藏(むさし)と改め、剣の道に生きる決意をする。剣を魂と見て、常に磨き、どこまで自分を人間として高められるか。これから武蔵の剣の修行が始まるのである。

このような男としての修行の道を歩む武蔵によりいっそう深い愛情を抱いていくのが、七宝寺で孤児として育ったお通である。武蔵は3年間姫路の花田橋のたもとで待ち続けていたお通を振り切って、一人で修行の旅に出かけて行くが、お通はお通で女として武蔵への恋の道に生きるのである。ドイツ中世の騎士物語では女性への愛が騎士としての修行の励みとなるのに対して、日本の武士道では女性への愛が修行の妨げとなって、まったく対照的である点がおもしろい。日本の「武士」はまことに「ぶしつけ」なのである。しかし、「ぶしつけ」な武蔵は剣の道とお通との愛の挟間で苦悩し、その苦悩の中で心を磨いていくのであり、そのあたりが感動的で、調和的な人間の確立をめざすべき人間としての「生きる力」を与えてくれる。

武蔵はこうして数年間剣の修行を重ねたのち、剣の名門である京の吉岡道場や、槍で有名な奈良の宝蔵院を訪れて、自分の腕を試そうとするが、これらの一連の修行ではあまりにも強過ぎて、逆に弱くなることを諭される。武蔵が最も大きな影響を受けたのは、遊郭(くるわ)の吉野太夫からであろう。吉岡伝七郎との決闘を終えて、遊郭に戻った武蔵は、吉野太夫から琵琶の美しい音色は弦のゆるみから生まれ出てくることを譬(たと)えにして、人間にもそのような「ゆるみ」が必要であることを教え諭されるのである。今の武蔵のように弦が頑(かたく)なに張りつめていたら、そのうち切れてしまうというのである。心にゆとりがほしいということであろうか。しかし、武門の習い、武蔵はさらに吉岡一門との壮絶な戦いをしなければならない。

その一乗寺下り松の決闘で名目人の13歳の少年を斬ったことから、武蔵は剣の道に迷いを覚えて、下総(しもうさ)の法典ヶ原にやって来て、土地を開墾し田畑を拡げて、米を作ることで、「鍬(くわ)も剣なり、剣も鍬なり」の境地に達し、将軍家御指南役に推挙されるまでに至るが、やはり一乗寺下り松で年端もゆかぬ少年を切り捨てたことで、栄達の門は閉ざされてしまう。

武蔵はまた放浪の旅に出て、さまざまな苦難を乗り越えて、文武二天の境地、すなわち、一人の人間が自然と融合調和して、天地の宇宙とともに呼吸するという、安心と立命の境地に辿り着く。その境地に辿り着いて、そののち武蔵は京の本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)のもとに身を寄せて、茶器を作ったり、庭仕事をしたりして、これまでとはまったく異なって、のんびりとした平凡な日常生活を送っていたものの、小倉藩主に召し抱えられた佐々木小次郎から決闘の果たし状を受け取って、その闘いに応じざるをえなくなった。小次郎の「力と技の剣」と武蔵の「精神(こころ)の剣」との闘いであるが、その巌流島の決闘で勝利を収めても、武蔵は虚しい気持ちにとらわれる。「所詮、剣は武器か」と、武蔵はこれまでの自分の日々を省みるのである。精神的には理想の境地に達していながら、武門の道に生きる限り、虚しさを感じる現実にぶつかってしまうのである。

吉川英治『宮本武蔵』はこの「剣はやはり武器でしかないのか」の疑問で終わってしまうが、しかし、その武蔵の苦悩の中に人間としての成長があるのであり、決して後退を意味してはいない。人間誰しも修行には到達点がないということがそこにはほのめかされているのである。人間の完成というものはありえない。それは完全な姿の神にも近い存在である。しかし、人間はその完成に向けて努力する過程で、内面的に成長するものであり、その努力するということにこそ、人間として生きていくことの意味があるのではないか。吉川英治『宮本武蔵』はこのようなことを考えさせてくれる作品であり、私の内面的成長にはなくてはならない名著である。そのほかにも、自然と溶け合い、自然と一つになって人生を楽しむことや、本当の厳しさの中には「やさしさ」がなければならないということをも、この本から学び取った。その意味でも「心の支えとなった」最も重要な作品であると言ってもよいであろう。


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