【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第131号
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○M課長の図書館俳句散歩道 (俳人の名言)

いよいよ師走,とうとう「年の暮れ」の月になりました。今年1年を振り返ってどんな年でしたか? 来年を迎える前にいろいろと考える月にしてはいかがでしょうか?

12月12日の「漢字の日」に「今年の漢字」として京都清水寺で,巨大な和紙に漢字一字が揮毫されます。

ちなみに12月12日を「漢字の日」としたのは,日本漢字能力検定協会が1995(平成7)年に制定したのはご存知でしたか?

「1(いい)2(じ)1(いち)2(じ)」=「いい字1字」の語呂合わせです。

1995年 の漢字は「震」で,兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)発生した年でした。

そして昨年2014年の漢字は「税」で,17年ぶりの消費税増税の年でした。

皆さんにとっての今年を反映させる「あなたの漢字」を考えてみてください。

ふりかえる あなたの漢字 年の暮れ


今回は,時代を超えて語り継がれる俳人の名言にふれて,その人生観や俳句の理念を紹介します。


○ 松尾芭蕉

新しみは俳諧の花なり,古きは花なくて木立もの古りたる心地せらる


作品の新しい味わいは,俳諧の花というべきものである。古い姿は,木立が花もつけずに古色を帯びているもののように見える。

「あたらしみ」は,味わいや趣がこれまでにないさまのことです。句の姿,趣向,心,ことばを問わず,いろいろな意味でのオリジナリティを言います。


芭蕉自身は俳論のようなものは書いていません。この言葉が書かれている「三冊子」は,芭蕉と親しく接して教えも受けた伊賀上野の服部土芳の随聞録だと伝えられています。


古池や かわず飛び込む 水の音


和歌では蛙はその鳴き声が詠まれるものとされていましたが,芭蕉はそのような約束ごとやきまりではなく,池に飛び込む音を句にしました。そこに俳諧としての独創があるとされています。

俳諧は考えるものではなく感じるものですが,芭蕉の「物我一如」,心が物に入ってそこから顕れ出た情感から,彼は蛙そのものの心境に「新しみ」をとらえていると思います。


○ 与謝蕪村

俳諧は俗語を用いて俗を離るるをたっとぶ


安永6年(1777)「春泥句集」の序にある言葉です。庶民の文芸として発展してきた俳諧は, 特別な言葉でなく日頃使っている日常語を用います。それが大衆に広がる俳諧という文学の強みですが,現実をそのまま詠むのでなく現実性を離れて表現することが大切です。

現実を離れた世界とは,想像力を働かせた人間の深い夢の世界だと思います。


蕪村の「月並俳句帖」から俗を離れた句を紹介します。


ちりて後 おもかげに立つ ぼたん哉


散ってしまった花に,別れた人の面影をみています。面影が見えるのを「立つ」と表現しているのは,俗語を用いて俗を離れている蕪村の俳人としての表現の力です。

いっしょにいた時より,愛しく感じるその気持ちは,儚い恋だったのでしょうか?


涼しさや  鐘をはなるゝ かねの声

「涼しさ」は夏の季語です。 早朝のさわやかな大気の中, 時を告げる鐘の音が,鐘を離れて彼方へ響き渡っていきます。 音を視覚的にとらえた斬新さは,画人として俳人としての蕪村ならではの素晴らしい句だと思います。


○ 小林一茶

金がないから何もできないという人間は,金があっても何もできない人間である


お金がなくても,すること,すべきことはたくさんあると思います。境遇や現実をうけいれることのできない人は,お金があってもその気持ちがなければ何もできないのではないでしょうか?

同じ様に,時間がないという理由で何もしない人は,時間があっても何もしません。

時間もお金も「ある」のではなく「作り出す」ものです。


軽妙諧謔な俳句を詠んだ一茶ですが, 実は私生活が不幸続きであったことはすでに前号までに紹介していますので,読んでみてください。


世の中は 地獄の上の 花見かな


一茶にとって世の中そのものが地獄でした。それでもけなげに生きているものは,つかの間の桜を楽しむ花見客のように儚く哀しく映っています。


こうした風刺の句の他,ユーモアと小さき動物や子供を見つめる優しい視線に溢れた句もたくさんあります。


われと来て 遊べや親の ない雀

やれ打つな 蝿が手をすり 足をする

陽炎や 縁からころり 寝ぼけ猫

猫の子の ちょいとおさえる 木の葉かな

雪とけて 村いっぱいの こどもかな


○ 正岡子規

如何なる時も平気で生きて居る


明治35年6月2日,新聞「日本」には次のように掲載されています。

「余は,今まで禅宗の悟りといふ事を誤解して居た。悟りということは如何なる時も平気で死ぬ事かと思って居たのは間違ひで,悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居ることであった」

「病状六尺」は,子規が病床での様々な感想を,死の二日前まで綴った凄絶な随筆集で,明治35年5月5日から子規が亡くなる前々日の9月17日まで新聞『日本』に127回に亘って連載されました。


5月5日

病牀六尺,これがわが世界である。しかもこの六尺の病牀が余には広過ぎるのである。僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが,蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚しい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛,煩悶,号泣,麻痺剤,僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ,それでも生きて居ればいいたい事はいいたいもので,毎日見るものは新聞雑誌に限って居れど,それさえ読めないで苦しんで居る時も多いが,読めば腹の立つ事,癪にさわる事,たまには何となく嬉しくて為に病苦を忘るる様な事が無いでもない。


6月20日

「誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか」


7月26日

「病気の境涯に処しては,病気を楽むということにならなければ生きて居ても何の面白味もない」


9月17日

俳病の夢みるならんほととぎす 拷問などに誰がかけたか


脊椎カリエスという難病と闘いながら「俳句の革新」を成し遂げた彼の強靭な精神に対し,「敬服」という言葉しかみつかりません。


○ 種田山頭火

濁れる水の流れつつ澄む


自由律俳人として,山頭火の句は名言のような句が生まれます。


全国を放浪しその生涯を四国で終えた,山頭火が死の1か月前に詠んだ句です。

酒に溺れ,自殺を試みたこともある「濁った」人生であった彼が,四国を旅しながらなぜ「澄んだ」と思える境地に達したのでしょうか?


うれしいこともかなしいことも草しげる

おちついて死ねそうな草萌ゆる


年の暮れが近づいています

一茶の俳句から,年の暮れと新年の初夢の俳句を紹介します。


うつくしや 年暮れきりし 夜の空

初夢に ふるさとをみて 涙かな


人間の心は,はかり知れない奥行きをもっているということを,一茶はいつも教えてくれます。


今年も図書館をたくさんご利用いただきありがとうございました。

皆さんの今年への感謝と来年の夢にそえて


夢紡ぐ 書架が誘う 年の暮れ


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