【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第131号
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○「心の支えとなった本16選」(3)

手塚富雄『ドイツ文学案内』(岩波文庫)
総合科学部教授 石川榮作

高知市内での高校生活を終えると、私は土佐藩をいわば「脱藩」して九州の大学へ進んだ。ドイツ語を専攻して、何もかも吸収 (九州) してやろうと、希望に燃えて福岡市で大学生活を始めた。何もかもが新鮮で、ドイツ語の学習のみならず、とりわけ高校時代には読む機会のなかった夏目漱石や三島由紀夫などの作品をはじめ、比較的読みやすい話題の小説や推理小説なども含めて、実にいろいろな本を読んでいった。私の本格的な読書はまったく自由となった大学生活に始まると言ってよいであろう。

その大学時代に専門科目との関連で繰り返し読んで大きな影響を受けたのが、手塚富雄 『ドイツ文学案内』(岩波文庫)である。現在でも入手できるが、神品芳夫氏によって増補されて、手塚富雄・神品芳夫共著のかたちで『増補ドイツ文学案内』となっている。本書は単なるドイツ文学の諸作品を紹介したものではなく、取り上げた作品についてその味や香りの一端でも伝えるような書き方(15ページ)で読者を直接の味読へ誘ってくれる、魅力にあふれた好著である。

まず冒頭でドイツ文学の最高峰に位置するゲーテが考えた「世界文学」についての記述があるが、ここからすでにこの本に惹きつけられる。それによると、「ゲーテのいった世界文学ということは、要約すれば、世界の各国がそれぞれ自分自身の文学をもった上で、それらが世界的に接触しあい交流し、そのことによって相互に生産的に刺激しあう状態の成立を望んでいったものである。それによれば、世界の諸文学との交渉は、けっして静的な受容だけにとどまらず、動的な参与と協力ということになるのである。つまり、他国の文学に触れることによって、われわれの文学は、おのれをいよいよ豊かに生気あるものに育てしっかりしたものになることによって、ふたたび他に貢献しようとするのである。つまり、そこでは他と交渉する際の主体的な立場が重んじられる。このような態度を自覚的にとるならば、われわれは、他国のどんな文学に接しても、そこにわれわれ自身のはたらきによる、われわれ自身のための価値を発見し、さらには創り出すことができ、それによってつねに、自分と他とのかかわりあう場において生産行為にたずさわっていることになるだろう。」(14ページ)ここを初めて読んだときには、まったく感動してしまった。新しいことを教えられたというよりも、以前からおぼろげに考えていたことが簡潔明瞭に表現されていたので、それが自分の信念としてはっきりとかたちあるものになったので感動したと言ってもよいであろう。世界文学という点においてのみならず、社会生活における人と人との関係もこのゲーテの唱える「生産的に刺激しあう状態」でなければならないのではないか。自分が将来社会に出て、人々に刺激を与え、それによって社会に貢献するということを欲するならば、そのためにはまずは自分自身を作り上げねばならない。自己形成に努めなければならない。大学生当時、そのように思って、なおいっそう読書に励むとともに、できるだけ多くの人と接して、常に新しい自分を見つける努力をしていったことを今でもよく覚えている。その頃、学び始めたドイツ語で、“Ich bin nicht mehr, was ich war.“ (今日の自分は昨日の自分ではない) などと、ゲーテ風の格言を口に唱えて、日々いろいろなことに挑戦していったものである。このゲーテの考えた世界文学との関係で、ドイツ文学をはじめとする外国文学のみならず、日本文学にもなおいっそう関心をもって、幅広い読書を通して辿り着いた “Wer fremde Sprachen nicht kennt, weiß nichts von der eigenen.“ (外国語を知らない者は、自国語については何も知らない)というゲーテの『箴言(しんげん)と省察(せいさつ)』中の格言は、今では私の最も大きな信念のうちの一つとなっている。

この『ドイツ文学案内』はこのように私の「人間形成」あるいは「自己形成」という意識への大きなきっかけとなったのであるが、本書をさらに読み進めていけば、なおいっそう「生産的な活動」への意欲を掻き立てられる。ドイツ文学が8世紀末に生まれた頃から、中世を経て、近代・現代までの主な作品が紹介されているが、とりわけ詳しくまた感動的に書かれているのは、やはりゲーテの箇所であろう。自然の触れ合いとヘルダーの導きによって、若きゲーテは「外的教養を追いかける文学愛好者としてではなく、自己の内部の力を信頼して発生しようとする独立の詩人となる基礎」(66-67ページ) を築き上げたのち、自らの恋愛体験での苦悩などを基にして「人間的な過失をより高い人間性によって救っていく」(83ページ)というゲーテ独自の文学世界を展開していくのである。この根本思想がより高いところで結実するのが、ゲーテの最高傑作『ファウスト』である。そこには「人間は努力するかぎり迷うものである」とか「よい人間というものは、曇った衝動の中にあっても、正しい道を自覚しているものだ」(102ページ)といった名言がちりばめられているだけではなく、男性的な原理と女性的な原理との真の結合が、高い人間性を実現するとの信念に基づいて、「永遠に女性的なるもの、われらを引きて昇らしむ」(111ページ)の境地に辿り着くのである。「より高い人間性」を追求していって、苦悩の末に調和的なより高い人間性に辿り着くところにゲーテの魅力があると言えよう。

この手塚富雄『ドイツ文学案内』はやがて大学4年生になって同じ福岡市にある国立大学の大学院文学研究科 (独文学専攻) を受験する折りにも繰り返し読んで、ドイツ文学史の知識を得たばかりではなく、それより何よりも「生産的な活動」への大きな刺激を受けた本である。本書は知識よりも感動を得た本であると言ってよいであろう。今、パラパラと本をめくって、自分で棒線を付けている「一つのことをよりよく知り行うということは、百のことに中途半端であるよりも高い教養をあたえるのである」(100ページ)という名言に出くわしても、新たな「感動」とともに「生産的な活動」への強い意欲を掻き立てられる。私も本書に書かれている「個人の一般的教養をめざすという立場を越え、社会に属する人間として有能な存在となり、それによって人間性を完成する」(100ページ)ということをめざして、日々努力を重ねていきたいと思っている。このような信念を与えてくれたという意味で、この手塚富雄『ドイツ文学案内』は私の「心の支えとなった本」の一つである。


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