【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第130号
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○「心の支えとなった本16選」(2)

松下幸之助『道をひらく』(PHP研究所)
総合科学部教授 石川榮作

前回でも述べたように、私の読書体験は高校生活に始まったと言えるが、高校時代に「心の支えとなった本」としてもう一冊挙げねばならないのが、松下幸之助の『道をひらく』(PHP研究所)である。現在もPHP研究所から発行されている機関誌「PHP」(Peace平和、Happiness 幸福、Prosperity繁栄)は、当時私の愛読書の一つであったが、その影響でこの標題の本にも出会うことができた。高校生活ももう終わりに近づいた頃だったと思う。これから新しい道を拓いていかなければならない時期でもあり、『道をひらく』という表題にも強く惹きつけられた。「まえがき」によると、機関誌「PHP」の裏表紙に連載されてきた短文の中から121篇を選んでまとめたものである。これまた細切れの時間を利用して読める本であるが、1篇2ページの短文には松下電器を創業させた松下幸之助の並々ならぬ苦労からにじみ出た人生のエッセンスが凝縮されていて、短いながらも読み応えがある。高校時代、大学時代、大学院時代そして大学教員時代を通じて、節目の折り折りに手に取って読んできた本である。私にとっては「聖書」のようなものと言ってもよいであろう。

本書を読むと、まず「聖書」のように心を洗われたような気持ちになる。素直な心にさせられる。謙虚な気持ちにさせられる。「学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である」(217ページ)という精神で、「謙虚に素直に学ぶ」(同箇所)ところから、「はじめて新しい知恵も生まれてくる」(同箇所) のである。この「素直な心」と「謙虚な気持ち」の中にこそ日常生活のエネルギーとなる偉大な力が潜んでいることを教えられるのである。

冒頭に収録されている「運命を切りひらくために」は、これまでに何度読んで、またそれに何度励まされてきたことだろうか。「他人の道に心を奪われ、思案に暮れて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならない。心を定め、懸命に歩まねばならない。それがたとえ遠い道のように思われても、休まず歩む姿からは必ず新しい道がひらけてくる。深い喜びも生まれてくる」(11ページ) この言葉から私は、他人の輝かしい功績に目を奪われないで、自分は自分なりに分相応の目標を定めて、自らの道を切り拓くために、一歩一歩絶えず歩み続けることの大切さを教えられた。

その自らの道を切り拓いていくためには、地道な努力と強靱(きょうじん)な忍耐を必要とする。本書を読みながら、中学3年生のときのことを思い浮かべた。中学3年の時の秋の陸上大会は、自分の通う中学校のグラウンドで開催されることになり、その年は例年以上に練習を積んだ。そのために夏休みの練習のときに無理をし過ぎて足首を痛めてしまったが、そのとき休むことによってではなく、逆に黙々と泣きながら走り続けることによってリハビリを続けて、足首の痛みを取り除いたことがあった。このことが大きな自信となって、その後の人生においても私の心を支えてくれている。

しかし、本書は一方では、「窮屈はいけない」(134-5ページ)と説いている。若いうちはそのように身体に鞭打って、心身を鍛えるのも結構であるが、だんだん年をとってくると、そうはいかなくなる。ずっとのちになって本書のこの部分を読むと、そのような反省も促された。また「身体を窮屈にするのもいけないが、心が窮屈になるのはなおいけない」(134ページ)という言葉は、特に最近になって共感を覚えずにはいられない。長く大学教育に携わっていると、いつまでも昔ながらのやり方ではやっていけないと思うようになる。「ものには見方がいろいろあって、一つの見方がいつも必ずしも正しいとは限らない。時と場合に応じて自在に変えねばならない」(135ページ)が、そのとき「心が窮屈ではこの自由自在を失う」(同箇所)のである。社会は時とともに刻々と変化していく。私たちはその社会の変化に順応していかなければならない。時代の流れに身を任せろと言っているのではない。時代の流れにあった「新しいものの見方を生み出してゆかねばならない」(135ページ)のである。そのためには心が窮屈ではいけない。柔軟な心を持ち合わせていなければならない。同様のことが本書の別の箇所「見方を変える」(166-7ページ)でも述べられている。「我々はもっと自在でありたい。自在にものの見方を変える心の広さを持ちたい」(167ページ)というのである。

総合科学部長を務めているときには、地域の人たちと出会う機会が多かったが、若いときに大変な苦労をした末に会社を立ち上げて、今では国際交流のボランティア活動にすべてのものを捧げておられるお年寄りの方にもお会いできたが、その人は次のようなことをモットーにされているとのことであった。「小川の水も大きな河の流れも、すべて悠然と構えているのが、太平洋であり、何事にも大きな心で対応すること」ということを人生の指針とされているのである。そのとき私は、駄洒落ではないが、「とっさ」に故郷の「土佐」から見る広い太平洋を思い浮かべた。太平洋のように悠然と構えて、すべてを広く包み込む「包容力」が、どのような社会であれ、「長(ちょう)」のつく重要な役職に就く者には是非とも必要であると思った。

このような境地に辿り着くことができたのも、高校時代に出会った松下幸之助『道をひらく』が、順境の時にも、また逆境の時にも、「心の支え」となったからであることは確かである。この本を開けば、道は拓かれ、心もまた大きく広く開かれていく。そのような好著であり、そのことは50年以上経った現在でも、書店でも駅のキオスクでもそれを購入することができることからも明らかである。私も本書を心の支えの「聖書」として、これからも節目の折り折りに手に取って読んでいきたいと思っている。


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