【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第129号
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○「心の支えとなった本16選」(1)

堀秀彦編『格言の花束』(社会思想社・現代教養文庫)
総合科学部教授 石川榮作

定年退職を目の前に控えて、これまで読んできた本の中でも特に心の支えとなった本を読むことが多くなった。8年前より書き続けてきた「知的感動ライブラリー」も100回を数えて、前回で予定の100回という当初からの目標を達成したので、今回からは16回にわたって「心の支えとなった本16選」と題して、私のこれまでの読書生活を振り返りながら16冊の本を紹介することにしたい。16冊としたのは、大学の半期の講義回数と同じくしたためである。半期の講義のつもりで講読していただき、学生の皆さんにとっても「読書と人間形成」という点で何らかの参考になるなら幸いである。


まず私の読書体験を振り返ってみるに、小学校と中学校時代にはほとんど読書といったものは体験していないと言わなければならない。私は高知県の西端の田舎町で生い育ち、中学校生活を終えるまでは海、川、山といった自然の中でのびのびと遊んで暮らしたまさに「腕白少年」で、日本文学全集や世界文学全集といった本らしきものは読んだことがなかったのである。ただ映画は幼少の頃から大好きで、昼寝の時間になると保育園がいやでたまらず、そこを抜け出してよく映画館へ行ったものである。その映画館と親戚であるという相棒がいて、彼と一緒に行けば無料で観ることができたのである。今から思うと、駄洒落ではないが、観無料だから感無量である。また小学校と中学校時代にはPTA主催で年に数回その映画館貸し切りで映画鑑賞会が行われたが、それがたいへん楽しみで毎回ワクワクしていたことを覚えている。娯楽性の多い映画が辛うじて私の少年時代における文化との接点であったようである。

このような無教養で粗野な私が読書を始めたのは、高校生になってからである。高校はかなり離れた高知市内にあったので、寮生活を送ることになり、そこで上級生のみならず同級生が読書に耽(ふけ)っているのを見て、大いに刺激を受けたのである。高知市内には、私が生い育った田舎町とは違って、比較的大きな書店もいくつかあったので、日曜日などには中心街へ出かけて、本屋に入るのが大きな楽しみとなった。おもしろそうなものを手に取って、気に入った本を買うようになった。しかし、当時は田舎者である私は、県庁所在地にあるいわば「小都市」の高校の授業についていくのが精一杯で、分厚い文学全集のようなものに触れる時間的なゆとりはなかった。簡単に読める本に限られたが、読書に喜びを覚えるようになっただけでも、幸いと言うべきであろう。

そうして読書に興味を抱いて手に取ったのが、現在も入手可能と思われる堀 秀彦編『格言の花束』(社会思想社・現代教養文庫)である。世界の有名人たちの格言集だから、細切れの時間を利用して読めるのが利点である。しかし、読み始めたら、おもしろくなって、止められなかったのを覚えている。それまで田舎でのんびりと過ごしてきただけに、読書をすることは、何もかもが新しいことばかりで、本当に新鮮な体験だったのである。有名人たちの格言は、どれも鋭くて、ヒントを与えてくれたり、勇気を与えてくれたりした。学ぶことの喜びと、努力することの喜びを教えてくれたという点で、本書は今でも「心の支え」となっている本である。

今、読み返しても、新たに感動することが多い。「怠け者は、長針も短針もない時計だ。仮りに動き出したとしても、止まっているときと同様に役に立たない」(ウィリアム・クーパー,93ページ)という格言は、ユーモアのうちにも、努力することの大切さを述べている。「一番忙しい人間が、一番たくさんの時間を持つ」(アレクサンドル・ビネ,190ページ)は、高校生当時にはそれほど気にも留めなかったが、大学教員となり、それも長く40年近く勤めて定年退職を前にした今、最も真実を言い当てている格言だと思う。平成19年度から20年度までは附属図書館長を務め、続いて平成21年度から24年度までは学部長を務めたが、あの最も多忙な激務の時期にこそたくさんの本を読み、数多くの研究成果をあげることができた。暇になってから読書してやろうと思っても駄目である。忙しいときほど、時間を大切に使い、集中するものなので、多くの本を読んだり、たくさんの原稿を書いたりして、さまざまな研究成果をまとめることができたのである。「学校で学んだことを一切忘れてしまったときになおも残っているもの、それこそ教育だ」(アインシュタイン,195ページ)も、学ぶことの虚しさを述べているのではなく、一生懸命に学ぶことの中から、長い年月を経て、はじめて本物の教養が身につくことを説いている。高校生当時は気の遠くなるような気もしたが、学ぶことへの意欲を掴み取ることができた格言である。

しかし、私がこの本で最も大きな影響を受け、また現在でも人生の指針となっているのが、ゲーテの「警告」(Erinnerung)という詩(32ページ)である。「(君は)さらに遠くへ行こうとするのか。/見よ、よきものはかく身近にあるのを。/ただ幸福の掴み方を学べばよいのだ。/幸福はいつも目の前にあるのだから」(Willst du immer weiter schweifen?/ Sieh, das Gluck liegt so nah,/ Lerne nur da Gluck ergreifen,/ Denn das Gluck ist immer da.) 当時はドイツ語が分からなかったが,今ドイツ語の原文を読んでみると、このゲーテの格言にはむずかしい単語は一つも使われていないことが分かる。やさしい言葉が使われていて、やさしい文章の中に奥深い真実を言い表している。だからこそゲーテは偉大なのであろう。表題の「警告」(Erinnerung)という単語にしても、「内面化」(inner) して、「獲得する」(er-)こと、つまり、「よく心にとどめて自らの内面とする」ことを意味している。この言葉は普通「思い出」の意味でよく使われるが、ここでは「警告」というより「教訓」と訳した方がよいかもしれない。このゲーテの言葉は私にとって、高校時代から現在まで、いつまでも忘れられない「教訓=思い出」となっている。幸福は手の届かない遠いところではなく、平凡な日常生活の中にあるものなのである。私たちはそれをあまりにも遠くかけ離れたところに探し求めてはいないだろうか。仕事の合間に飲む一杯のコーヒーの中にも、喜びと憩(いこ)いに満ちあふれた幸福はあるものである。何事においても幸福を掴む方法を会得(えとく)すればよいのである。「私たちは身近にあるものを、あまりにも遠くかけ離れたところで探している」(無名氏,32ページ)という格言も、また同じようなことを言っている。

このように本書は、読書に目覚め始めた青春時代に、勉学への意欲を掻き立てられただけではなく、私自身ののちの人生観・幸福観の指針の礎となったという点で、「心の支えとなった16冊の本」の中でもまず何よりも最初に挙げねばならない本である。のちに大学生となったとき、この本の格言に大きな影響を受けて、「宇宙は広い。しかし、愛は宇宙よりももっと広い」などと口にしたものだから、学生寮の同級生からは渾名(あだな)で「先生」と呼ばれるようになった。現在でもオペラの授業などで、「恋は神秘的で、気高い、宇宙の、全世界の鼓動」(ヴェルディ『椿姫』第一幕)などと言っているものだから、相変わらず「先生」と呼ばれている。


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