【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第128号
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○M課長の図書館俳句散歩道 (季語と歳時記)

今回は,俳句にとってまさに,骨格となる「季語」について紹介します。

俳句にとって「季語」は最も重要な要素にもかかわらず,単なるルールとしてとらえている人も多いかもしれません。

もともと俳句が季節の言葉を必要とするのは,俳句の先祖である連歌・俳諧の発句が季の詞を必要としたもので,その発句の主題となる季節の言葉が季題です。

俳句には,肌で感じたり心で味わうことを表現するため,季節感のある季語が重要です。


例えば,自然の美しい景物を指す語として「雪月花」があります。四季の自然美の代表的なものである冬の雪,秋の月,春の花は,四季おりおりの風雅な眺めを明瞭に感じることができます。

春夏秋冬,四季の循環が明瞭であり,暑さ寒さがはっきりしている日本だからこそ俳句という「季節の文学」が栄えてきたのかもしれません。

高浜虚子は,「季は一句の中に揺るがぬ存在でなければならぬ 只季がまじっていればいいといふが如きそんな軽薄なものではない。季は句の生命を支配する重要さをもっている」 と述べています。


春は花 夏ほととぎす 秋は月  冬雪さえて すずしかりけり    道元


春は桜の花,夏のほとどきす,秋の月,冬は雪がつめたく冴えて四季はおのずとめぐる。

思えばなんとすがすがしいことか。


曹洞宗の開祖である道元禅師が,永平寺の夜空を眺めて詠われました。「すずし」は精神が快く清らかな気持ちをあらわします。四季の景物を並べて推移する自然のさまを観想すれば清くすみきった境地が得られる禅の神髄を説いています。


花,ほととぎす,月,雪の俳句を紹介します


四方より 花吹き入れて 鳰の波        松尾芭蕉


元禄3年47歳の作。琵琶湖の周りは,いま山も湖岸もみな花盛りで,四方から吹き入れてくる花吹雪で,洒落堂から一望する湖面はまさに絢爛たる眺めである。

「鳰」は「鳰の海」の意で,琵琶湖の雅語です。


木隠れて 茶摘みも聞くや ほととぎす     松尾芭蕉


元禄7年4月,芭蕉が最後の旅に出る前に江戸芭蕉庵で詠んだ句。茶畑の中に見え隠れしている茶摘み女たちも,そのあたりを横切るホトトギスの鳴き声を聞いていることだろう。


谺して 山ほととぎす ほしいまヽ     杉田久女


この句は,杉田久女の代表句とも言われる句です。

深緑の季節,久女は,福岡県南部の大分県との県境の古くから修験者たちが修行した「英彦山」に登りました。少し険しい谷伝いの山道で,突然谷間から大きな鳥の鳴声が聞こえてきたそうです。「谺して山ほととぎす」は,その時すぐに思い浮かんだそうですが,下五の結びの言葉がどうしても思いつきません。もう一度英彦山にただ一人で登った彼女の足下の谷間からほととぎすの鳴き音が聞こえてきました。

彼女は「ほととぎすは惜しみなく,ほしいままに,谷から谷へと鳴いています。実に,自由に。高らかに谺して」と述べています。実際の自然の景の中にわが身を置くことにより,ほととぎすの鳴声の「真の写生」の言葉として「ほしいまま」の結句が生まれた瞬間です。


月はやし こずえは雨を 持ちながら    松尾芭蕉


芭蕉44歳の時,禅の師匠である仏頂を鹿島・根本寺にたずねる紀行文「鹿島紀行」にあります。むら雲の間を,月が走るように渡っていく。だが,梢には先ほどまでの雨の名残があって,それがしずくとなってこぼれてくる。雨後の月の清爽さが伝わってきます。


いざさらば 雪見にころぶ 所まで     松尾芭蕉


「いざさらば」の句は,笈の小文の旅で名古屋の弟子の家を出立する際に詠まれました。

折りよく雪が降りだしました。さあ,それではみんなで雪見に出るとしよう。道ですべって転んだらなお一興。転ぶ所まででかけよう。

芭蕉のウィットにとんだほほえましい句ですが,彼の俳諧理念である「軽み」である日常身辺のさりげない事象の描写から,人生への深みに入っていく哲学的な意味を感じる句でもあります。


季語の辞典ともいえる「歳時記」について紹介します。

カラスやリンゴは季語ですか?こういった疑問に答えてくれるのが「歳時記」です。


「季語」を春,夏,秋,冬,新年の5つの季節に配列し,時候,天文,地理,行事,生活,動物,植物の7つに分類,解説と例句を加えた書物です。


1 時候


時候の季語は,季語自身から姿が見えてこないので,まず季節を感じて詠みます。例えば

暮れ遅しや暮れなずむ,遅日は春 暮れ早し,短日といえば冬を感じます。


門を出れば 我も行人 秋の暮      与謝蕪村


この句は,芭蕉の「此道や行人なしに秋の暮」に倣ったともいわれています。

真実かどうかはわかりませんが,夕暮れといえば秋を感じます。清少納言の枕草紙に,「春はあけぼの,夏は夜,秋は夕暮れ,冬はつとめて」とあり,新古今集には,寂連,西行,定家の有名な「三夕」の和歌によって「秋の暮」のもつ本意は,寂しさとなりました。この本意こそが,日本人が連綿として育み培ってきた美意識です。


2 天文


「空・日・月・星・風・雨・雷」は天体現象の7つです。そのうち月といえば秋,雷といえば夏の季語になります。春の場合は「春の月」のように季語そのものを使う方法の他に春の代表的な背景季語として「朧月」の季語を使う方法があります。夏の雨としては,「梅雨」や「五月雨」,冬の風としては,「木枯」が代表的季語になります。


秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる   藤原敏行


立秋の頃に詠んだとされる『古今和歌集』の秋歌です。風の音に秋の存在を感じる趣のある和歌ですが,まさにこの感性は四季の流れに住む日本人としての美しい感性です。


東風(こち)は春,南風(はえ)は夏,西風は(せいふう)秋,北風は冬の季語です。

また,冬の強い季節風(北風)がヒューヒューと笛のような音を発することをいう虎落笛(もがりぶえ)といい冬の風の代表的季語になっています。


虎落笛 子供遊べる 声消えて      高浜虚子


3 地理


地理に分類される季語は,山・川・海などの自然に関するものです。

例えば。春水,瀧,刈田,枯野は四季それぞれの季語です。


遠山に 日の当たりたる 枯野かな    高浜虚子


これは,ただの写生句でなく,枯野の題詠で,「静寂枯淡の心境を詠ったもの」であるとの彼自身の解説があります。


ユニークな山の擬人法として,春の「山笑う」夏の「山滴る」秋の「山装う」冬の「山眠る」があります。山が笑うとはいったいどういうことでしょうか。これは,のどかで明るい春の山を形容する言葉です。


故郷や どちらを見ても 山笑ふ    正岡子規


病床の子規が,故郷松山の春を想って詠んだ句です。自分の生まれ育った故郷を想う時,懐かしさで胸がいっぱいになります。自分自身の目と心を通して感じる自然を詠うことが大切です。


4 行事


水取りや こもりの僧の 沓の音    松尾芭蕉


「お水取り」は春の行事です。東大寺二月堂のお水取りに松尾芭蕉も参加しています。二月堂の南側には芭蕉の句碑があるそうです。


しづしづと 馬の 足掻きや 賀茂祭   高浜虚子


草の雨 祭の車 過ぎてのち       与謝蕪村


白髪に かけてもそよぐ 葵かな     小林一茶


「葵祭」は夏の行事です。5月の葵祭は正式には賀茂祭と呼ばれ,優雅な王朝行列が京都御所から下鴨神社を経て上賀茂神社へ向かう,京都三大祭りの一つです。


地蔵会や ちか道を行く 祭り客      与謝蕪村 


大樹下の夜店明るや地蔵盆         杉田久女 


地蔵盆は,子供たちの縁日で全国の地蔵堂で行われますがが,特に京都は盛んで,各町内に祀られているお地蔵さんを囲んで,西瓜やお菓子などをいただきます。子供たちにとって夏の終りの楽しい行事ですが季語は秋です


八人の 子供むつまし クリスマス   (明治29年)

子供がちに クリスマスの人 集ひけり (明治30年)

クリスマスに 小き会堂の あはれなる (明治30年)

会堂に 国旗立てたり クリスマス   (明治31年)

贈り物の 数を盡して クリスマス   (明治32年)


「クリスマス」はもちろん冬の行事。紹介した句は全て正岡子規の句です。明治のクリスマスの様子がわかります。


日本ではクリスマスが始まったのは,戦国時代16世紀中ごろのようです。

諸々の記録によれば,1567年,織田信長と松永久秀との堺での戦いの際,ルイスフロイスの仲介でクリスマス休戦したそうです。 


5 生活


おらが世や そこらの草も 餅になる    小林一茶


草餅は,春の生活の季語です。

一茶「七番日記」に所収。「月をめで花にかなしむは雲の上人のことにして」と前書きがあります。庶民の中にあった一茶にとって句を創ることは,わびさびといった風雅なものでなく,まさに庶民として生きる自分への賛歌だと感じます。

「そこらの草」の措辞にたくましさが溢れています。


松島の 闇を見ている 納涼かな      正岡子規


納涼は「すずみ」で夏の生活の季語です。夏の暑さを避けて戸外や水辺の涼しい場所で過ごすことを「納涼」といいますが,まさに涼しさを身近な場所で納める庶民的は消夏法です。涼を求めて高原や海辺へ行く「逃暑」は対語です。京都の川床は,ぜいたくな納涼です。


大辞典小辞典あり秋灯           山口青邨


秋灯は,「あきともし」とよみます。秋の生活の季語です。秋の夜の燈火は,春の明るく華やいだ感じと違って,静かな思索の時をもたらしてくれます。


とっぷりと うしろ暮れいし 焚火かな   松本たかし


焚火といえば,「かきねのかきねの曲り角」ではじまる唱歌「たきび」が浮かびます。

冬の生活の季語です。最近では,あまり見かけなくなりましたが,寒い冬,戸外で働く人たちが暖をとるために焚火が必要でした。そして,誰とでも親しくなれる団らんの場でもありました。

松本たかしは,東京都の出身の俳人で,高浜虚子に師事し,俳誌「笛」を創刊・主宰しました。


6 動物


天よりも かがやくものは 蝶の翅     山口誓子


日本に生息する蝶は,紋白蝶,黄蝶,アゲハ蝶などおよそ250種類といわれます。

古くは季節がはっきりしておらず,中世ごろから姿をはじめて目にする春の季節の季語として定まってきました。

それぞれに飛び交う姿にはどこか夢の世界に誘われる思いがします。


蟻の道 雲の峯より つづきけん      小林一茶


空にはもくもくと湧き上がる入道雲。足元には,どこから始まりどこまで続くのかわからないほどの長い蟻の行列。小さな蟻と大きな雲,黒い蟻と白い雲,対比による大胆な視覚表現が,一茶の持ち味でもあります。蟻は夏の季語です。


ぴいと啼く 尻声悲し 夜の鹿        松尾芭蕉


鹿といえば,温和な動物で日本中に住んでいます。年中みられる鹿ですが,交尾期が秋で

牡鹿が牝鹿を呼ぶためにピーと高く強い声で鳴きます。この声は哀愁があり慈しみを感じることから秋の季語とされました。


小嶋かと 見れば汐吹く 鯨かな      正岡子規


クジラは魚へんに京と書きます。「京」には大きいという意味合いがあるので,この字があてられたようです

捕鯨は,クジラが近海に回遊してくる冬を中心に行なわれていたため,冬の季語とされました。


7 植物


庭芝に 小みちまわりぬ 花つつじ    芥川龍之介


躑躅は庭園を彩るにはなくてはならない花で春の季語です。また山野に咲く山躑躅にもたくさんの種類があります。


蓮の香や 水を離るる 茎一寸       与謝蕪村


蓮は仏教の世界では蓮華と呼ばれ極楽の象徴というべき大切な花で夏の季語です


山くれて 紅葉の朱を うばひけり     与謝蕪村


秋も深まるころ,落葉樹の葉が緑から赤や黄色に変わります。

草紅葉 初紅葉 薄紅葉 柿紅葉 銀杏紅葉 さまざまな紅葉を目にした時,秋の美しさをひときわ感じることができます。もちろん紅葉は秋の季語です。


火のけなき 家つんとして 寒椿       小林一茶


寒椿 力を入れて 赤を咲く         正岡子規


冬,花が少ない時期に目を楽しませてくれる「ツバキ」は,日本原産で多くの品種があります。一般的によく見られるツバキは「ヤブツバキ」で,古くから茶の花としても親しまれてきました。俳句の季語に使われますが,「ツバキ」は春の季語で,「寒椿」が冬の季語になります。



まずは,図書館で「歳時記」を手にとってみませんか。パラパラとページをめくりながら,自然と人間を結ぶキーワードを調べてみてください。そして,その言葉の持つ「本意」に触れ感じた瞬間,きっとあなたの心に小さな揺れがおこります。その揺れから見えてくるものこそ,あなた自身が感じる小さな喜びだと思います。


歳時記の 季語の力や 秋高し


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