【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第128号
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○「知的感動ライブラリー」(100)

山田洋次監督『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』
総合科学部教授 石川榮作

1 山田洋次監督の寅さん映画シリーズ

この山田洋次監督の映画『男はつらいよ』寅さんシリーズは全部で48作あり、第1作目が製作・公開されたのは、1969(昭和44)年である。私は翌年学生になってから見始めたが、それ以来、1995(平成7)年の最後の第48作目に至るまで、封切日に必ず観に出かけるという、文字どおりの寅さんファンであった。いつまで経っても成長のない主人公の寅さんではあるが、しかし、逆境にあるときなど、このシリーズを見て、多くの人が不思議にもまた頑張ろうという気持ちになったのではあるまいか。私もとりわけ「つらい」修業時代にあたる大学院生のときには、気晴らしともなって、大いに元気をもらったものである。そこでここでは私が最も「つらい」大学院生1年目の1974(昭和49)年に公開された第13作目『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』(8月3日封切り)を紹介することにしよう。


2 映画『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』のあらすじと見どころ

この寅さん映画のマドンナは吉永小百合であり、その2年前に製作・公開された『男はつらいよ 柴又慕情』(昭和47年松竹)の続編とも言うべきものである。すなわち、前作で寅さん(渥美清)は親友2人とともに金沢市へ旅行に来ていた歌子(吉永小百合)と知り合い、いつものように恋をしてしまい、いいところまではいくものの、最後には歌子が愛知県多治見市で陶芸をしている彼氏のところへお嫁に行くことになって、見事にふられてしまうが、その後の歌子と寅さんが島根県津和野で再会することになって新たな話が展開していくのが第13作目である。

寅さん映画の最初の楽しみはやはり冒頭で寅さんがどのような夢を見るかであろう。今回の夢は寅さんがついに嫁さんをもらって故郷柴又に帰るが、おいちゃん(松村達雄)とおばちゃん(三崎千恵子)はふとした流行病(はやりやまい)で亡くなってしまって、嗚咽(おえつ)とともに義理の弟博(前田吟)にすがりついたあと、妹のさくら(倍賞千恵子)にも抱きついて、さくらがやさしくその手をはずそうとするが、なかなか離れない。京成電車の中で夢から目覚めると、寅さんがとなりの老人と老婆にしがみついているというものである。この冒頭の夢はいずれも葛飾柴又への郷愁と結びついていて、毎回楽しみである。

従って、次の舞台は決まって柴又のだんご屋「とらや」であるが、そこで寅さんがまた隣のタコ社長をはじめ、おいちゃんやおばちゃんとどんな喧嘩をして、その喧嘩がもとでまたそのだんご屋をどのようにして出て行くか、そのあたりがまたおもしろいものである。今回のタコ社長やおいちゃんとの喧嘩の原因は、久し振りに帰って来た寅さんが今夜は重大発表があると言って、皆に期待をもたせておきながらも、その晩の夕食の席ではおそまつな発表に終わってしまったことにある。その寅さんが旅先での女性との出会いを語る場面が、これまた毎回の楽しみなのであるが、今回の話は、寅さんが旅館の番頭として働いている島根県温泉津(ゆのつ)でのことである。寅さんはその町に住むお絹さん(高田敏江)という35、6歳の女性と知り合うが、お絹さんの旦那は3年ほど前に上方に出稼ぎに行ったきり行方知れずで、お絹さんは2人の子供を抱えて焼物をして暮らしているという設定である。寅さんはもう惚れたハレたの歳ではないので、ここらあたりで所帯を持とうと思って、皆の了承を得るために戻って来たのであったが、まだ具体的な話は全然進んでいなかったので、またもや皆ががっかりして、とりわけ「早い話がいつもの岡惚れなんだろう」と口にしたタコ社長と、寅さんは喧嘩してしまい、それがきっかけでもはや収拾のつかぬ大騒ぎとなるのである。いつもなら寅さんは前の晩の喧嘩で翌日また旅に出かけるのであるが、今回はそのお絹さんとやらと会うために、さくらはタコ社長とともに、寅さんの案内で島根県温泉津へ出かけるものの、お絹さんと出会うなり、旦那が昨日戻って来たということを聞かされるのである。寅さんはその晩はタコ社長と酒を飲みに出かけてから、翌朝、さくらが目覚める前に、寅さんは置き手紙を残してまた1人旅に出かけるのである。

そうして寅さんが辿り着いたのは、同じ島根県の津和野である。人気(ひとけ)のない昼下がりの食堂で寅さんがうどんを食べているところに、事務服を着た1人の女性が入って来て、地元の図書館主催の文化講演会のポスターを店の前に貼らしてほしいという。どこか聞き覚えの声に寅さんが女性を見上げると、2年前に知り合った歌子ではないか。2人はびっくりする。しかし、歌子は確か愛知県多治見市の陶器を作る彼氏のもとに嫁いで行ったはずである。事情を聞くと、旦那は昨年の秋、実家のあるこの津和野で病気療養のところ、その甲斐もなく、ついに亡くなってしまい、歌子は彼の墓もこの地元にあるので、ここの図書館に勤めているという。2人で旦那の墓参りを済ませたあと、「寅さんに会えてうれしかったわ」と言う歌子のそばに寅さんはもう2、3日この町に泊って、淋しそうにしている彼女を慰めてやりたいところであったが、歌子から「そんなことさせちゃ悪いわ、寅さん旅の途中なんでしょう」と言われたあと、いつものように「もし何かあったら葛飾柴又のとらやに訪ねてきな」と言い残して、そのままバスに乗って旅に出たのであった。

寅さんはこのあと山口へ行って、広島、呉、三原、尾道、それからとって返して下関、小倉、博多と旅して回る予定であったが、歌子のことが気になって10日後にはまたとらやに帰って来たのであった。寅さんは少しやつれていて、顔色もよくない。さくらたちが心配して聞くと、歌子がこの世にたった1人の夫と死に別れて、意地悪婆ァの姑(しゅうとめ)と陰険な小姑(こじゅうとめ)に挟まれて、不幸せな日々を過ごしているのに、自分はその歌子ちゃんを津和野に残して来ちゃったと後悔するのである。寅さんが休むために二階に上がって行ったあとで、例によってとらやの人たちがあれこれと噂する。おばちゃんが、寅さんのやつれた様子は「恋やつれだ」と言えば、タコ社長は「税金やつれ」、博は「労働やつれ」、おいちゃんとおばちゃんは「だんごやつれ」、そしてさくらはお兄ちゃんのことを心配して「寅やつれ」ということになって、一同大笑いである。こういうところがこの映画のおもしろさである。ところが、二階でそのような会話を耳にした寅さんは、「他人の不幸を嘲笑(あざわら)うような家庭で飯なんか食えるか」と怒って、いつものようにカバンをぶらさげて出て行こうとする。とらやから少し出たところで、歌子から電話がかかってきて、さくらに呼び戻される。歌子はもう柴又駅まで来ているというのである。あわてて出迎えの準備に取り掛かるが、そのとき寅さんはまたいつものように、間違っても「夫」とか「彼」とか、「ダーリン」とか「旦那」とか、そのような言葉は一切口ばしらないことと皆に言い聞かせた上、「そうだ、さくら、お前の亭主は死んだことにしろ」などと馬鹿げたことを言う。馬鹿げてはいるが、それだけに歌子を慰めてあげたいという気持ちが伝わってきて、こういう場面が寅さん映画の見どころである。

こうして寅さんは歌子と再会して、歌子はこのとらやに当分の間、滞在することになる。東京には父が住んでいて、歌子は帰る家があるはずだが、しかし、その父高見(宮口精二)は小説家で気難しく、父娘(おやこ)の関係がうまくいっていない。2年前の結婚のときも父は猛反対し、昨年婿が亡くなったときも、「仕事中なので行けない。葬儀が終わったら、すぐに戻って来い」と葉書を寄こしてきただけだという。さくらは「でも、それはお父様の性格で、心の中では歌子さんのことを思っているわ」と慰めるが、それに対して歌子は「だけどね、いくら心の中で思っていても、それが相手に伝わらなければ、それは愛情と言えるかしら。私、父に会いたいとは思わない」と答える。父娘の関係は冷え切っているとしか言いようがない。

そこでさくらはある日のこと、歌子の父を訪問する。父娘の関係を修復させるためというよりは、お父さんが娘のことを心配しているだろうと察しての訪問である。こういうところがさくらのやさしさである。歌子さんは津和野の生活を切り上げて、こちらで何かいい仕事を見つけるために戻って来て、今「とらや」にいると知らせるのである。おみやげのだんごを渡して、さくらは仕事のお邪魔をしたと言って、すぐさま帰って行くが、歌子の父高見はあとから追いかけて来て、「駅まで送りましょう」と言う。このあたりから根はやさしい父親であることが窺われる。

翌日、さっそく歌子は東京都庁へ出かけて、仕事探しを始める。そのあとでは親友のマリとみどりにも喫茶店で会う。2年前一緒に金沢へ旅行した仲良しである。夕方にはとらやに帰って、夕食の手伝いをしている。寅さんがたたき売りの仕事からくたくたになって帰って来ると、さくらは今夜はハンバーグだと言う。寅さんが「俺ァ横文字のものは嫌いだよ。食いたくないや」とは言うものの、エプロンをつけた歌子が出迎えて、寅さんのためにハンバーグを作ったと言うと、寅さんは「うん、大好き、ハンバーグ。今晩あたり、洋食食いたいと思っていたんだ」と答える。このあたりが寅さん映画のおもしろいところで、見どころである。そのあと夕食も終わって、茶の間でおしゃべりをしながら、楽しいひとときを過ごす。昼間喫茶店で久し振りに会った友人マリとみどりの話がきっかけで、話題は幸福論である。歌子は「あのね、寅さん、私も幸せよ、寅さんみたいな友達がいて」と、今の気持ちを素直に答える。津和野で寅さんに出会わなければ、新しい生活を始めるために東京に帰って来る決心もつかなかったのである。寅さんは放浪の旅を続けるちっぽけな存在に過ぎないが、しかし、何かに迷っている人のためには大きな存在なのである。

島根県温泉津のお絹さんにとっても、寅さんはそのような大きな存在であり、翌日、手紙が届いて、それによると、今では親子3人で幸せに暮らしているという。小説家の娘である歌子に手伝ってもらって、寅さんはその返事を書く。他人に手助けしてもらっての返事だが、そこには寅さんの真心がこもっているのは、言うまでもない。

このように寅さんは困っている人にとっては大きな存在だが、しかし、肝心なところでは頼りにならないときがあることも事実である。それをよく知っているのが、妹のさくらであり、今回の歌子の場合も、さくらは兄がいては話づらいところもあるだろうと慮(おもんぱか)って、その夜は細かい心遣いから歌子を自宅に招待したのである。そういうところもまたさくらのやさしさである。

その夜は歌子はさくらの家で、博も加わって楽しいひとときを過ごす。歌子は真剣に相談に乗ってくれるさくらと博に向かって、これから自分は施設で働く決意をしたことを伝える。さくらが「お父さんに相談したら、なんとおっしゃるかしら」に続いて、「お兄ちゃんに相談したら、なんて言うかしら」と尋ねると、歌子は「この間、相談したの・・・全部やめちゃえって・・・毎日とらやで、ブラブラして花を摘んだり、歌を歌ったりして暮らしなさいって」言われたことを話す。博が「アハハハ、なるほど」と言ったあと、さくらが「馬鹿ねえ」と兄の考えにあきれかえっているところも実におもしろい。このようなところも見どころである。

どうしようもない兄であるが、しかし、その軽はずみな寅さんの行動がよい結果をもたらすことも多い。翌日、寅さんが歌子の父親を訪問したのもその例である。歌子と父親が仲直りするよう、あれこれと考えているときに、突然寅さんが勝手な行動をとると、すべてがぶちこわしになる恐れがある。そうとも知らずに寅さんは、頑固親爺(おやじ)に一発ぶちかましてやろうと思って、その家に乗り込んで行くのである。小説を執筆中だからといって、長い間待たされるが、その間に寅さんはナポレオンを一瓶空けてしまったようである。やっと親爺が書斎から出て来て、寅さんは「歌子ちゃんの前に両手をついて、私が悪うございました、どうぞお許しください」と謝るように説き伏せようとするが、親爺は「そんなこと言えるか。謝るのは私じゃなくて、歌子の方なんだ」と、これまた意地を張る。とても話し合える相手ではないとあきらめて、帰ろうとするが、寅さんはそのとき家が全然掃除されていないのに気づいて、「これじゃいい作品は生まれないよ」と口にする。ときには寅さんもいいことを言うものだと感動する場面である。

とらやに帰ると、寅さんはさくらやおばちゃん・おいちゃんからひどく叱られる。喧嘩になりかけたところに、歌子の父親がひょっこりやって来た。「歌子はおりますか」との問いかけに、さくらが「今お風呂屋さんにいってらっしゃいますけど、もうお帰りになります」と言うので、そこで待つことにした。煙草(たばこ)を一本くわえて待っているところへ、歌子が戻って来る。父親はちらっと娘の姿を見てから、口を開いて言う。「もっと早く来たかったんだが、父さん、仕事があってな。(懐から封筒を取り出して)昼間、寅次郎さんに言づてすればよかったんだが、つい気がつかなくて。何かの足しにしなさい。それから、(持って来た風呂敷包みを指して)暑くなるから、父さんよく分からんのだが、お前のタンス開けてな、適当なもの包んであるから。まあ、元気そうでなりよりだ。それじゃ、私はこれで」帰りかけた父親に向かって、歌子は思わず声を出して、「お父さん、長い間、心配かけて、ごめんなさい」と言えば、父親は「いや、なにも君が謝ることはない。謝るのは多分私の方だろう。私は口ベタだから、なんというか、誤解されることが多くてな。私は君が自分の道を自分の信ずる道を選んで、その道をまっすぐに進んで行ってくれたことを、うれしく・・・私は・・・本当にうれしく・・・」と、最後には言葉を途切らせて、懐からしわくちゃのハンカチを出して、顔を覆ってしまう。この映画で最も感動的な場面である。歌子も「私、もっと早く、お父さんに会いに行けばよかったのにね・・・ごめんなさい」と、あとは嗚咽(おえつ)で言葉にならない。とらやの皆さんはうれしくなって涙を流す。寅さんも泣いているようであるが、肩を震わせながら、じっと嗚咽をこらえている。こうして歌子は父とともに家へ帰って行くのである。

こうなると、もはや寅さんの役目はない。カバンを持って、また旅に出かけるのであるが、その前に歌子の家に立ち寄る。歌子は大島の施設に行く決意をしたことを寅さんに伝える。寅さんは若い歌子の将来の妨げになってはいけないと思って、自ら身を引く決意をして、旅立って行くのである。

やがて夏が来て、高見はとらやを訪問し、寅次郎のことを尋ねると、放浪の旅に出ているという。とらやには大島の歌子から手紙が届いていて、元気で施設の仕事に励んでいるようである。一方、寅さんの方は島根県の浜辺でお絹さんが旦那と子供たちと一緒に海水浴をしているのに出くわして、再会を喜び合っているところで、この映画はエンディングとなる。


3 寅さん映画の魅力

以上のように、寅さん映画は、どうしようもない寅さんが旅先で恋をして、最後にはその恋の相手の幸せを願って、自ら身を引いて、また旅に出かけるという決まり切ったパターンの映画であるが、葛飾柴又のとらやで繰り広げられる喧嘩や、茶の間での楽しい会話などに言い知れない魅力がある。なんでもない平凡な庶民の生活の中にこそ幸せがあることを教えてくれる映画である。この点で思い出すのが、寅さん映画第8作目の『男はつらいよ 寅次郎恋歌』(1971年)において博の父(志村喬)が寅さんに言い聞かせる「リンドウの花」のエピソードである。大学教授であった博の父は、妻を亡くして、今は1人で暮らしているが、そこにやって来た寅さんに向かって、信州の安曇野(あずみの)を旅していたときのことを話して聞かせるのである。「バスに乗り遅れて、田舎の畑道を1人で歩いているうちに、日が暮れちまってね、暗い夜道を心細く歩いていると、ポツンと一軒の農家が建っているんだ。リンドウの花が庭いっぱいに咲いていてね、あけっ放した縁側から、灯りのついた茶の間で、家族が食事をしているのが見える。・・・わたしゃね、今でもその情景をありありと思い出すことができる。庭一面に咲いたリンドウの花、あかあかと灯りのついた茶の間、にぎやかに食事をする家族たち。私はそのとき、それが本当の人間の生活ってものじゃないかと、ふとそう思ったら、急に涙が出てきちゃったね」この話に感化された寅さんは、地道な暮らしをしようと決心して、故郷柴又へ帰って行くのである。しかし、そこでまた恋をしてしまって、ふられたかたちでまた旅に出て行くことになるのであるが、この博の父が語る話には静かな感動を覚えずにはいられない。「幸福は心がけ次第では平凡な日常生活の中にこそある」という私の幸福観も、この寅さん映画の影響と言ってもよいであろう。そのほかにいろいろな慰めや励ましとなった台詞(せりふ)も多く、寅さん映画の魅力は尽きるところがない。また寅さんの旅先でいろいろなものに出会うことができるのも、もう一つの魅力である。何年経っても成長のない寅さんであるが、しかし、他人に喜びと幸せを与えてやまない。不思議な魅力にあふれたシリーズ映画である。是非、お薦めしたいものである。今回紹介した作品のみならず、48作シリーズのほかの作品もご鑑賞いただきたいものである。


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