【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第127号
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○「知的感動ライブラリー」(99)

広末涼子出演の映画『鉄道員(ぽっぽや)』
総合科学部教授 石川榮作

1 映画『鉄道員(ぽっぽや)』の製作

映画『鉄道員(ぽっぽや)』(東映)は1999 (平成11) 年に製作・公開されたものである。原作は浅田次郎の短編小説『鉄道員(ぽっぽや)』である。この短編小説は「小説すばる」1995 (平成7) 年11月号に掲載され、2年後にほかの短編集とともに収録されて、集英社から出版された。第117回直木賞受賞作であり、それが映画化されたこともあって、140万部発行のベストセラーとなっている。その映画の方も、高倉健主演ということの上に、とりわけ若者の間に人気の高い広末涼子が出演しているということも加わって、たいへんな好評を博した。そしてこの映画は第23回日本アカデミー賞(2000年3月)の最優秀作品賞、最優秀主演男優賞などをはじめとして、主要部分をほぼ独占した。北海道のJRローカル線の廃止とともに定年退職を目の前に控えた1人の鉄道員(ぽっぽや)を主人公に据えて、彼の鉄道員(ぽっぽや)としての誇りと家族に対する熱い想いを描いた作品である。以下、映画のあらすじを順に辿りながら、その魅力を探っていくことにしよう。ただ原作でも映画でも北海道の方言が使われているが、ここでは標準語で書くことをお断りしておく。


2 映画『鉄道員(ぽっぽや)』のあらすじと見どころ

この映画の舞台は、映画製作当時(1999年)の北海道のローカル線、幌舞(ほろまい)線の終着駅、幌舞の町である。主人公の佐藤乙松(高倉健)は蒸気機関車のカマ焚きから始めて、そのあと機関士見習い・機関士の経歴を経て、1976(昭和51)年からはその幌舞駅の駅長を務めている。45年間の長きにわたり鉄道員(ぽっぽや)一筋に生きてきて、この3月には定年を迎えようとしている。17年前には生まれてまもなく長女雪子が熱を出してそのまま亡くなった上、2年前には妻静枝(大竹しのぶ)も病気で他界してしまい、今や幌舞駅構内にある宿舎でやもめ暮らしをしている。寂しいはずだが、じっとそれに耐えながら、父の姿にあこがれてなった鉄道員(ぽっぽや)としての自分の仕事に誇りを持って、零下20度の冬でも、毎日赤い旗を手に持って幌舞駅のホームに立っている。雪の降っている日に生まれたことから雪子と名付けた愛娘(まなむすめ)ユッコの命日である1月5日には、同僚たちがそれを覚えてくれていて供え物を持ってきてくれる。よき同僚や親切な回りの人たちに支えられて、職務を全うしているが、しかし、幌舞線も彼の定年退職と同時に近く廃止されることになっていることだけが寂しくてたまらない。この幌舞は、昔は炭鉱町として大いに栄えて、賑やかな町であったが、時とともにさびれていって、今では1日に4本の単行気動車が往復するだけである。それでもこれまで廃止とならなかったのは、これまでの実績によるものだが、それも過疎化が一段と進む今となってはもはや通用しない。あと数か月で廃止となることが決まっているのである。そのような佐藤乙松にとっては現職最後で、また幌舞線にとっても最後の新年を迎えて数日経った日に、乙松の機関士の頃から親しくしている同僚杉浦仙次(小林稔侍)――幌舞線のターミナル駅である美寄(びよろ)駅の駅長を務めている――が訪問して来て、2人でお酒を酌み交わしながら、昔のことを回想していくのである。

その親友杉浦仙次がやって来ることになっていた日の昼間、幌舞駅のホームに赤いマフラーをした幼い女子(山田さくや)が遊びに来た。小さな腕には昔ながらの古ぼけた人形を抱えている。乙松が話しかけると、今度小学1年生になるのだという。正月でおじいさん・おばあさんの家に遊びに来ているのだろうと乙松は推測する。女の子は鉄道に興味を持っているようで、ホームの上でピーと笛を吹く仕草や、敬礼などで駅長の真似(まね)をして見せてから、よちよちと走って帰って行った。

その日の午後、同僚の杉浦仙次が6分遅れの気動車で幌舞駅に降り立った。乙松は仙次を出迎える。2人は互いに「乙(おと)ちゃん」「仙(せん)ちゃん」と呼び合っている仲である。よき同僚であるばかりか、家族ぐるみの付き合いもしている。妻の明子(田中好子)から預かったおせち料理の入った重箱を渡してから、仙次が乙松の宿舎に上がって、乙松の妻静枝の仏壇の前にすわると、スクリーンでは乙松の妻静枝が病院で亡くなったときのことが回想されるのである。

その回想場面はこの映画ではことごとく白黒で展開されるのであるが、その回想によると、美寄町の病院で臨終の際に静枝のそばにいたのは、仙次とその妻の明子だけであった。乙松は駅長としての勤務があるので、すぐに駆けつけることはできなかった。その日の最終の気動車で駆けつけるが、すでに静枝は息を引き取ったあとであった。いくら勤務だとはいえ、妻の臨終にも立ち会えず、また亡くなった妻を前にして涙ひとつ流さない乙松に対して、仙次の妻明子が「どうして泣かないの? 泣いてあげてよ」と悲しみをぶちまけても、乙松はじっと涙をこらえ、悲しみに耐えながら、鉄道員(ぽっぽや)だから仕方ないということを一言口にするだけである。妻のことを誰よりも大切に想いながらも、自分の気持ちを伝えることのできない不器用な夫を高倉健が見事に演じ切っている。このあたりが高倉健の魅力であろうか。回想が終わって、仏壇の前で仙次がつぶやくように、鉄道員(ぽっぽや)は「拳固(げんこ)の代わりに旗を振り、涙の代わりに笛を吹き鳴らし、喚(わめ)く代わりに裏声を絞らなければならない」のである。この台詞(せりふ)は、言葉の前後の入れ替えはあるにしても、ほぼ原作どおりであり、鉄道員(ぽっぽや)の苦労とはそういうものだったのである。この回想場面が、見どころの一つであることは、言うまでもあるまい。

夕方となって新聞配達人(板東英二)から夕刊を受け取って、乙松が駅舎に入ると、公衆電話機のそばに古ぼけた人形が置いてあった。あの少女が忘れていったものと思われる。乙松が事務机にすわろうとしたところへ、仙次は徳利を持って来て、お屠蘇(とそ)ならいいだろうと言いながら、お酒を勧めるが、乙松は「駄目、駄目! 最終(気動車)を出すまで駄目!」ときっぱり断る。このあたりからも鉄道員(ぽっぽや)一筋に生きてきたことが見て取れる。乙松は駅の日誌に拾得物として人形を書き入れた。

最終気動車が出てから、乙松はやっと宿舎の食卓に腰を下ろして、仙次と新年の祝杯をあげ、重箱のごちそうを食べながら、いろいろな話をする。そのあと仙次は、自分が来年定年退職を迎えたら、トマムのリゾートホテルに横滑りで再就職することになっていることを話して、乙松も一緒に来ないかと誘うのである。しかし、鉄道のことしか分からない乙松は、鉄道関係以外の再就職にはまったく興味を示さない。JR北海道の札幌本社で事務職を務めている仙次の息子秀男(吉岡秀隆)の話になって、秀男が幌舞線存続の努力をしてくれたことに乙松は感謝を示す。一方、秀男の方も幌舞線で高校に通ったことから、乙松駅長には特別の感謝の念を抱いているようである。仙次の息子の話となったところで、スクリーンには乙松の長女雪子が生まれたときのことが2人の回想として白黒で展開される。

その日は外で雪が舞っており、長年子宝に恵まれなかった乙松夫婦にもやっと子供が生まれるということで、乙松は仙次とともに病院の椅子にすわったり、立ち上がったり、とにかく落ち着かない様子である。ようやくおぎゃあという赤ちゃんの泣き声が聞こえて来て、2人は大喜びである。部屋の中から仙次の妻明子が出て来て、女の子だという。乙松にとっては駅長昇進とともに、この上なくうれしいことであった。雪が降っていたことから、名前は雪子と名付け、ユッコと呼ぶことにした。ところが、生後まもなくして雪子はひどい熱を出してしまった。静枝は雪子を抱いて気動車に乗って美幌町の病院へ行った。乙松は駅長としての任務から離れるわけにもいかずに、ただ妻子の乗った気動車が出るのを見送ることしかできなかった。心配しながら、駅舎で待っていたら、静枝から電話連絡があり、雪子は息を引き取ってしまったという。「そんなことってあるかあ」と叫ぶ乙松の声から、乙松がいかに雪子を可愛がっていたかが分かる。やがて静枝が子供を毛布に包んで、気動車で戻って来る場面などは、あわれでならない。そのときにも乙松は赤い旗を振って、その妻子の乗った6分遅れの気動車を出迎えた。静枝から「死んだ子まで旗振って、出迎えるの?」と言われながらも、乙松は「自分は鉄道員(ぽっぽや)だから仕方あるまい」と答えるしかない。口ベタで自分の想いをうまく伝えられない不器用な男である。

そのような過去の自分を思い出しながら、乙松は仙次とお酒を酌み交わす。そのうち再び定年退職後の話になるが、仙次はかなり酔いが回ってきたようで、寝込んでしまい、頬っぺたをたたいても起きそうにない。そのように虚(うつ)ろになった仙次の顔を見て、乙松は蒸気機関車に一緒に乗っていて、カマ焚きをしているときに仙次がガス中毒で倒れたことなどを思い出す。2人は苦楽を共にしてきた仲のよい同僚であり、思い出は尽きなく、国鉄時代に組合で合理化闘争が長引いたとき、集団就職の列車を止めることに反対し通したときのことなどの思い出も脳裏に蘇ってきた。鉄道員(ぽっぽや)にできることは、集団就職の少年少女たちが東京へ出かけるために列車を出してやることだけだと、当時の乙松は仲間たちに呼びかける。この集団就職の少年少女たちが戦後日本の高度経済成長を支えてきたことを考えると、この場面は戦後の日本の歴史を描いているとも言えよう。乙松と仙次が運転席にすわりながら、警笛を高く鳴り響かせることで、少年少女たちを励まそうとしている場面は、特に注目したい場面である。

そのようなことを回想しているうちに、仙次はお酒に酔い潰(つぶ)れて眠ってしまったので、乙松は1人でお酒を飲んでいると、そこに赤いマフラーをした1人の女の子(谷口紗耶香)がやって来た。どうやら駅に忘れた人形を取りに来たようである。乙松はその人形を置き忘れていった昼間の女の子のお姉さんだと思い、年齢を尋ねると、12歳で、今度中学生になるという。お正月で天神様近くの佐藤家のおじいちゃんのところに来ているらしい。その女の子はトイレに行きたくなったが、トイレは駅舎の外にあったので、怖いから乙松について来てほしいとせがむ。乙松はやさしくそのトイレの前まで連れて行って、女の子がトイレに入っている間、昔、雪子に人形を買ってあげたことを思い出す。女の子がトイレから出て来ると、駅舎に戻って乙松は温かい飲み物を差し出す。うれしいそうに女の子はそれを飲んだあと、駅長さんに目をつぶっていてと言ってから、突然キスをすると、急いで帰って行った。人形はまた置き忘れたようである。夜の11時であった。眼が覚めた仙次からは、「夢を見てたんじゃないか」と言われるほど、不思議な出来事であった。

ふとんを敷きながら、2人はまた昔の回想に耽(ふけ)る。九州の筑豊からここに臨時炭鉱夫としてやって来ていた吉岡肇(志村けん)という男のことである。彼の妻は下の女の子を連れて逃げ出し、自分は小学生の息子敏行(松崎駿司)1人を連れてこの幌舞に来ていたのだが、生活は苦しく息子の面倒も十分に見ることができない。あるとき駅前のだるま食堂で酔っぱらってほかの臨時炭鉱夫らと喧嘩してしまった。そのとき仙次と乙松がその男の手助けをして、親子2人を家まで送って行ったこともある。ところが、炭鉱事故が起きてしまい、九州から来たその男吉岡は死んでしまい、息子の敏行1人があとに残された。乙松と静枝は自分たちに子供がいなかったので、敏行を引き取ろうとしたが、突然静枝が倒れてしまい、病院通いをしなければならなくなったので、その敏行はだるま食堂のおばさん加藤ムネ(奈良岡朋子)が引き取ることになった。やがて大きく成長すると、敏行(安藤政信)はイタリア料理を学ぶためにボローニヤのレストラン修業に出かけることになった。この九州から来た男吉岡とその息子敏行のエピソードは、原作にただ1行だけある「炭鉱事故」を敷衍(ふえん)して挿入されたもので、この映画のオリジナルである。しかし、息子敏行にイタリア修業に行かせるという設定で、これもまたなんでも外国に出かける風潮があった戦後の日本の人々の世相を反映したものと言えよう。

このようなさまざまな過去のことを回想した翌朝、乙松と仙次は雪に覆われたところにある静枝と雪子の墓参りに出かけたが、仙次が墓石の雪を掻き分けてみると、そこには乙松の文字も刻み込まれていた。それによって仙次は乙松の本心をついに理解したのであった。この墓参りのエピソードも原作にはないものである。

墓参りから駅前に戻ると、そこで2人はちょうどだるま食堂のおばさんムネと息子敏行に出会う。敏行はイタリア修行から戻って来ていて、今や美寄町にイタリア料理店を開店することになったという。その店の名前もイタリア語で「機関車」を意味する「ロコモティーバー」とすることで、乙松ら鉄道員(ぽっぽや)へ感謝の気持ちを示しているようである。だるま食堂の義理の母ムネも駅前にあるそのだるま食堂を畳んで、敏行について行くことにしたという。これらすべてが近く幌舞線が廃止されることに伴うものであることは、言うまでもない。

仙次が気動車に乗って美幌町へ帰って行ったあとで、札幌本社に勤務している秀男から乙松のところに電話があり、幌舞線の廃止は予定より早くなって、この3月をもって廃止になることが正式に決まった旨の知らせがあった。乙松は最後まで任務を全うする気持ちを新たにするのであった。この電話で相手側の秀男と話しているときの高倉健の演技も、鉄道員(ぽっぽや)としての誇りを窺うことができて、見どころであると言ってもよいであろう。

そのあと猛吹雪の中、乙松はホームに出て行くが、その瞬間、不思議にもあたりはおだやかな雪景色のホームである。乙松が気動車の手入れをしていると、そこに静枝が「テネシーワルツ」のメロディを口ずさみ、微笑みながら自分の目の前に現れた。これまでの回想は白黒の映像であったが、この場面ではカラー映像である。ということは、乙松の回想の中に出てきた静枝ではなく、現在の静枝である。静枝は赤いジャンパーを身に着けている。静枝はうれしそうである。17年目にしてやっと身ごもった、2か月半だと言うのである。静枝はうれしくて乙松に抱きつくが、乙松は勤務中だと言う。すると静枝は「あんたって人が分からなくなるよ。うれしいなら、うれしいと言ったらいいでしょう」と、うれしい表情を少しも見せない夫を責め立てる。「長いこと子供を産まなかった私を、これまで責めていたでしょう」と言う静枝に対して、乙松は「責めてねえよ」と答える。この場面での2人の会話もすばらしい。乙松は口ベタではあるが、妻のことを気遣っていることがその仕草からよく伝わってくる。2人が抱き合っているところを4匹の鹿が見ている場面などは、微笑ましいことこの上ない。大きな一つの見どころであることは、言うまでもない。

こうして不思議にもまた猛吹雪のホームから乙松が駅舎に戻って来ると、今度はベンチの上で赤いマフラーをした高校生(広末涼子)が駅長を待っていた。ここもカラー映像である。乙松はその高校生を、昨日やって来た2人の女の子のお姉さんだと思った。そして事務室に案内して、よく見ると、円妙寺の良枝ちゃんによく似ていたので、その娘さんかねと尋ねると、そうだと言う。高校生がオーバーを脱ぐと、セーラー服姿であり、しかもそれは昔の美寄高校の制服だったので、乙松は勉強もよくできて、生徒会長まで務めた良枝ちゃんにそっくりなのに驚いた。そうと分かれば、汁粉を御馳走せねばと思って、その準備に取り掛かる。その準備をしながらいろいろ話していると、彼女は鉄道に興味があると言うので、乙松は過去の鉄道の珍しいものを見せてあげて、「欲しいならどれでも持って帰りなさい」とやさしく答える。そのあと2人は汁粉を食べ、お茶を飲みながら楽しいひとときを過ごす。そのとき高校生がアルバムを見ていたので、乙松は幼くして亡くなった雪子のことについて話して聞かせる。隙間風が吹き込むこのような所に寝かせていたために風邪を引かせてしまったのだと、これも自分が鉄道員(ぽっぽや)だったせいだと、それだけが無念である。しかし、そのあと幌舞線廃止の話になったとき、乙松はいずれここに鉄道があったことも忘れられてしまうだろうが、自分は決して後悔していないことを口にする。それでもやはり寂しい気がしてくるが、しかし、「思い出が残る、楽しかった思い出が」と慰める高校生の言葉に乙松は救われた気持ちになる。すっかり話に夢中になっていたが、仕事の合図が聞こえて来たので、乙松はホームに出て行かなければならない。立ち上がると、乙松は風邪を引くといけないからと言って、タンスから妻静枝の赤いちゃんちゃんこを取り出し、それを高校生に着せてから、任務のためホームに出かけて行った。

そのときまた不思議にも乙松は病気の妻静枝を抱えてホームに停まっている気動車のところまで連れて行く。「鉄道員(ぽっぽや)しかできないあんたの面倒を見るのは私と思っていたけど、反対になってしまったね」と言ってから、静枝は気動車に乗り込む。乙松は座席に腰を下ろした静枝をじっと見つめているだけなので、静枝はピーと笛を吹く仕草をすると、乙松はハッとしたように笛を吹く。すると気動車は美寄町方面に向かって動き出した。最後の方は台詞のない場面であったが、夫婦の互いの気持ちが観客にもよく伝わる場面である。ここも大きな見どころであろう。

気動車を見送ってから、乙松がまた宿舎に戻って見ると、1人の女性が台所に立っていて、料理を作っている。ちらっと振り向いた瞬間、それはまた赤いちゃんちゃんこを着た妻静枝であった。しかし、次の瞬間、その女性は若い高校生の姿に変わった。彼女はこんな短い時間にお鍋の料理の準備をしたようで、乙松はびっくりしてしまう。「料理が上手だね」と言いながら、冷蔵庫の残り物でこんなに見事な料理をした高校生を褒める。食卓にはビールも用意されていて、まさに魔法にかけられているかのような気分である。高校生は「鉄道員(ぽっぽや)のお嫁さんになるのが夢だから、料理は早くしなければならない」と答える。乙松は胸がいっぱいになってきて、「自分は好き勝手なことばかりしてきたが、みんな自分によくしてくれるので幸せだ、もういつ死んでもよい」と口にしたあと、電話が鳴った。円妙寺の和尚(おしょう)さんからの電話であった。今年の供養はどうするのかとの問い合わせの電話であったように思われるが、乙松はいきなり孫を預かっていて、御馳走になっていることを伝えると、お和尚から「今年の正月には良枝も孫たちも戻って来ていない」ということを聞き知ったのであろう、乙松の頭は混乱してしまった。では、ここにいる娘は誰なのか。そのとき乙松は「こんなことってあるのかな」と首をかしげるが、ユッコが息を引き取ったという妻からの電話を受け取ったときにも、同じような言葉を吐いていることにも注目したい。乙松はこのときようやく娘のユッコが自分を迎えに来てくれたのを悟ったのである。このあたりからの展開がこの映画での最大のクライマックスである。

人形が置いてある机のそばで駅長の帽子を被り敬礼をする雪子に向かって、「なんでユッコが嘘をついた」と乙松が言えば、雪子は「怖がるといけないと思ったから」と答えてから、「ごめんなさい」と謝る。すると「怖がるわけがないじゃない。どこの世の中に自分の娘を怖がる親がいるもんかね」と言ってから、涙ながらに続けて言う。「ユッコは昨日から、育っていく姿をお父さんに見せに来てくれたんかい。・・・17年間育ってきたなりをお父さんに見せに来てくれたんかい」雪子はこれに対して、「だってお父さん、何もいいことなかったでしょ。あたしも何ひとつ親孝行もできずに死んでしまったでしょ。だから」と言えば、乙松は泣き崩れて、机の上の人形を見ながら、「この人形はやっぱりユッコの棺桶の中に入れたもんだよな」と言う。雪子は「うん、大事にしていたよ」と答える。「でもユッコが死んだときも、お父さんはホームで雪をはねていたんだぞ。この机で日誌に本日異常なしって、書いていたんだぞ」このように自分を責める父に向かって、雪子は「そりゃお父さん、鉄道員(ぽっぽや)だもん、仕方ないでしょ。そんなこと、ユッコは何とも思ってないよ」と答える。乙松は泣き崩れて雪子を抱きしめながら、「ごめんな」と言えば、雪子は「ありがとう、お父さん」と答える。そして最後に「ユッコは幸せだよ」と言って、微笑みながら父の帽子を机の上に置いて、その代わりに自分の人形を手に取って、父親の前から姿を消していくのである。感動の瞬間である。このあたりの高倉健と広末涼子の息の合った演技が、音楽も加わって、最大の盛り上がりを見せて、文句なしに見どころであろう。涙を催さずにはいられない名場面である。妻静枝の口ずさむ「テネシーワルツ」の声が聞こえて来る中で、乙松は日誌に「異常なし」と書き込む。

翌朝、雪搔きのラッセル車が幌舞駅に近づいて来たとき、ホームの上に乙松が赤い旗を左手に持ち、うつ伏せになって倒れていた。その間、妻静枝の「テネシーワルツ」が聞こえていた。静枝が呼び続けているのであろう。

その日、乙松の遺体は棺桶に入れられて、幌舞駅から美寄駅まで運転席に乗せられて運ばれることになったが、日頃と違って大勢の人たちがその気動車に乗り合わせた。何もかも鉄道員(ぽっぽや)と結びついた一生であった。その気動車の運転は親友の杉浦仙次が買って出た。気動車が幌舞駅から遠ざかって行くところで、この映画はエンディングとなる。


3 映画『鉄道員(ぽっぽや)』の特徴と魅力

以上のように、この映画は鉄道員(ぽっぽや)一筋に生きてきた不器用な1人の男の家族に対する熱い想いを描いた作品であるが、その第一の魅力は何と言っても高倉健のすばらしい演技にあると言えよう。主人公の佐藤乙松を実に見事に演じ切っている。とりわけ妻静枝への不器用な対応とともに秘められた熱い想い、そして愛娘ユッコへのやさしい父としての思いやりは、高倉健だからこそ演じることのできる適役ではあるまいか。映画の数か所で妻静枝のハミングで「テネシーワルツ」が流れてくるが、これは高倉健のかつての妻江利チエミの歌であり、高倉健の希望によってこの映画に取り入れられたという。妻静枝はすでに亡くなっている江利チエミだと思って、高倉健は乙松役を演じたのではあるまいか。このあたりも特徴の一つである。

この高倉健の演技とともに、妻静枝の大竹しのぶと娘雪子の広末涼子、そして同僚で親友の杉浦仙次を演じた小林稔侍の演技も見事である。これが第二の魅力である。とりわけユッコ役の広末涼子が終始その可愛らしい顔に浮かべる微笑みは、何とも言えない魅力である。当時、人気が頂点に達していた広末涼子の抜擢は大成功であったと思う。この映画はすべてがあの最後の父親と愛娘の対話にあり、それを期待に応えるように見事なユッコを演じている。

また乙松と仙次の回想の中では、昔の蒸気機関車をはじめ、さまざまな列車が出てきて、北海道の真っ白な景色の中を走り抜けて行く。とりわけ煙を吐いて、ボーと汽笛を鳴らしながら白い雪の平野を走る蒸気機関車は、この映画の特徴であり、見どころであることは、もはや言うまでもあるまい。この北海道の白い景色とSL機関車が第三の魅力である。

この北海道の白い雪景色の中にあって、それと対象的に効果をあげているのが赤い色である。この赤色が第四の特徴であり、また魅力でもある。乙松がホームで振る旗も赤色であれば、駅に3度姿を現すユッコのマフラーも赤色である。最後に微笑みながらホームに現れる妻静枝が身に着けているのも、赤いセーターである。またユッコが着ている美寄高校の制服であるセーラー服のネクタイも赤色である。さらに最終場面で乙松が風邪を引いてはいけなと思って、ユッコに差し出す妻静枝のちゃんちゃんこも赤っぽい桃色である。全体の白い景色の中でこの赤色が効果的な印象を与えていると言えよう。

白色と赤色がこの映画の特徴・魅力といえば、映画全体がカラー作品であるのに対して、昔を回想する場面だけは白黒で展開されているのも特徴の一つである。ところが、乙松が3人のユッコと会う場面はカラー映像であり、また妻静枝が迎えに来た場面もカラーで展開されている。白黒とカラーとが見事に使い分けられて、見事な効果をあげている。これが第五の特徴である。

さらに第六の魅力は、鉄道員(ぽっぽや)一筋に生き抜いてきた1人の男の物語が戦後日本の高度経済成長の歴史と結びつけられている点にもある。戦後日本が高度経済成長を遂げる上で重要な役割を果たした集団就職の少年少女を東京へ乗せて行ったのも、国鉄の列車であり、また北海道の石炭を運び出したのも、国鉄の列車である。そうしてかつては炭鉱町として大いに栄えた町が、その炭鉱の閉鎖に伴ってだんだんとさびれていってしまう。それと同時に鉄道のローカル線も次第に廃止されて、姿を消していった。それに伴って国鉄も民営化されてJRへと変化した。こうした時代の変遷の中で鉄道員(ぽっぽや)一筋に生き抜いてきた佐藤乙松は、1人の鉄道員(ぽっぽや)であると同時に、戦後の日本でがむしゃらに仕事に励んできた日本人の普遍的な姿を現しているのではなかろうか。九州の炭鉱を追われて北海道の炭鉱町にやって来た男吉岡肇が、まさにその炭鉱事故で亡くなってしまい、その息子敏行がその地元の人たちに育てられて、やがて外国のレストラン修業に出かけるのも、当時の世相を見事に描いていると思う。まさにこの吉岡親子は原作には登場しないだけに、この映画で描きたかったことが何であったが、よく理解できよう。このような時代背景のもとで仕事一筋に生きた乙松は、がむしゃらに仕事に励んだ日本の男たちの姿であり、それはまた映画一筋に生き抜いた俳優高倉健の姿でもあったと言えよう。昨年(2014年)11月に高倉健が亡くなって以降、テレビ等でこの俳優主演の映画がとりわけひんぱんに放送されているが、ここで紹介したこの映画もまた是非ともお薦めしたい映画である。


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