5月になりました。旧暦で皐月です。
皐月は、耕作を意味する古語「さ」から、稲作の月として「さつき」になりました。
早苗を植える月「早苗月(さなえづき)」が略され、「さつき」になったとする説もありますが、「早苗」の「さ」も耕作の「さ」が語源とされています。
「さ」は田植えや田の神を意味し、田植えの始めに行う祭りを「さおり」、田植えの終わりに田の神を送る祭りを「さなぶり」と言います。
漢字の「皐」は、「神に捧げる稲」の意味があるため、皐月が当てられました。
【風薫る】
「かぜかおる五月」は、まさに皐月を象徴するかのような季語です。語源は、漢語の「薫風」で、それを訓読みして和語化したもので、風が緑の香りを運ぶと見立てた日本人の豊かな生活感情を含んでいます。そして、青葉若葉を吹きわたる爽やかな初夏の風の意味にもなっています。
国なまり 故郷千里の 風薫る 正岡子規
明治26年の作。『寒山落木』巻二に所収。「風薫」との題で「松山会」と前書きがあります。子規はこの時代、日本新聞の記者として東京に居住していました。東京に住む愛媛県出身者の集まりに出席し、久しぶりに伊予弁の会話に故郷を懐かしみました。
風薫る 羽織は襟も つくろはず 松尾芭蕉
元禄4年6月1日。芭蕉は曾良や去来と詩仙堂を訪れます。そこで丈山の像を拝しましたが、羽織姿の襟もつくろはない着流しの姿に深い感銘を受けました。
詩仙堂は、江戸初期の文人であった石山丈山が京都洛北一乗寺に建てた庵です。
【青嵐】
風が「薫る」程度の風速から、もう少し強くなると「青嵐」になります。セイランと音読すると「晴嵐」と混同してしまうので、俳句では「あおあらし」と訓読することが多いとされています。
青嵐 定まる時や 苗の色 服部嵐雪
早苗の色鮮やかな初夏5月ごろから吹く、やや強い風で、嵐雪がこの句を作った元禄のころからよく使われるようになった季語です。
【燕】
燕は春半ば、南方から渡ってきて、人家の軒などに巣を作り雛を育てます。初燕をみれば春たけなわも近いとされています。
夕燕 我にはあすの あてはなき 小林一茶
夕暮れ時の空、ねぐらへ帰る燕の姿が見えます。自分には、家族の待つ暖かい家もなく、明日の当てもない暮らしが続くばかり。 文化四年(1807)二月の句。このころ、江戸での生活は最も窮迫しており、孤独と貧困の中で一瞬胸をよぎった感懐です。
【雀】
雀も春の季語です。一茶といえば、次の句は、はずせません
小さな命にさえ、愛情を注ぐ彼の優しさをさらりと表現した名句です。
雀の子 そこのけそこのけ お馬がとおる
われと来て 遊べや親の ない雀
【八十八夜】
八十八夜は立春から88日目にあたり、立春が2月4日の場合は5月2日になります。
「夏も近づく八十八夜」で始まる小学唱歌の歌詞にあるように立夏も間近く、農事、殊に種蒔に適した時の到来を意味する大切な日です。
「八十八夜の別れ霜」は言い古された諺ですが、立春の日から数えて88日目にあたるこのころから霜の心配がなくなるので、農家では種蒔きの目安とする節目になります。
霜なくて曇る八十八夜かな 正岡子規
【若葉】
5月の色といえば緑、特に若葉の新緑は、やわらかく瑞々しい。若葉が風にそよぎ、若葉が雨に濡れるさまなど、美しい風情があります。若葉に降る雨を「若葉雨」といいます。
あらたふと 青葉若葉の 日の光 松尾芭蕉
奥の細道の日光で詠まれた句です。「あらたふと」は「あら尊」の意味です。青葉若葉を越して降り注ぐ陽の光は、ああ、なんて尊いのだと感慨もあらたな芭蕉の心境です。
不二(ふじ)一つ うずみ残して 若葉かな 与謝蕪村
富士山遠望の景色です。若葉は富士だけを残し、あたり一帯を埋め尽くしています。
朝まだき 書読む窓の 若葉哉 正岡子規
若葉して 籠り勝ちなる 書斎かな 夏目漱石
【端午】
旧暦では午の月は5月にあたり、この午の月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、のちに5が重なるこの月の5日が端午の節句の日になり、「菖蒲の節句」とも呼ばれています。同じように、奇数の月番号と日番号が重なる3月3日(桃の節句)、7月7日(七夕)、9月9日(菊の節句)及び1月7日の「七草の節句」をあわせて「五節句」として年中の重要な行事となっています。
雨がちに 端午ちかづく 父子かな 石田波郷
雨降りの天気が続ていますが、端午の節句には晴れて天に舞うの鯉のぼりが見たいと願う父と子の微笑ましい心情を詠んだ句です。
波郷は、大正2年に愛媛県に生まれました。水原秋桜子に師事し、「馬酔木」に拠ったのち、「鶴」を創刊・主宰しました。結核を患いながら、昭和44年に亡くなるまで自己の生活を見つめる人間性に深く根ざした作風を追及しました。
【行く春】
過ぎ去ろうとする春、夏に移ろいゆく季節の中で、同じせつなさと美しい思い出の中で、行く春を惜しむ時に胸の痛みを感じます。
行く春を近江の人と惜しみける 松尾芭蕉
元禄3年3月47歳に詠んだ句です。「志賀唐崎に舟を浮かべて人々春の名残を言いけるに」と前書きがあります。琵琶湖のある近江の国の春の美しさを近江の人たちと過ごし、行く春を近江の人たちと惜しみました。
晩年の2年近くを大津に過ごした芭蕉はその時期に、藩士、医者、町人、豪商、住職、能役者など多様な人達との交流を楽しみました。芭蕉は大津湖南地方を訪れること8回におよび、近江の風景や人に深い愛着を抱いていました。
芭蕉が木曽義仲が眠る近江大津の義仲寺に葬られた経緯は、生前芭蕉が死後木曽殿と塚をならべてほしいと語ったことによるものです。
木曽殿と 背中合せの 寒さかな
さて、新入生の皆さん大学生活も少しは慣れてきましたか? また、在校生の皆さんは新しい学年で学生生活や青春を楽しんでいると思います。
五月の爽やかな季節、図書館にも是非、足を運んでください。
書をとれば 開くページに 風薫る
図書館の 窓にとびこむ 若葉かな