【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第123号
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○M課長の図書館俳句散歩道 (春 卯月の巻)

4月になりました。旧暦で卯月です。由来については,「初めて」「産まれる」の『う』が転じた説や「卯の花が咲く季節から」という説があります。

卯の花はウツギの花の別名です。ウツギは日本で広くみられる低木で初夏に小さな白い花をたくさん咲かせます。


卯の花を かざしに関の 晴着かな      曽良


「奥の細道」の芭蕉といっしょ旅をした,河合曽良の句です。「奥の細道」には,芭蕉は彼の句を十句ほど記載しています。「奥の細道」では,次のように紹介されています。


曽良は河合氏にして,惣五郎といへり。芭蕉の下葉に軒をならべて,よが薪水の労をたすく。このたび松島・象潟の眺ともにせんことを悦び,かつは羈旅の難をいたはらんと,旅立つ暁,髪を剃りて墨染にさまをかえ,惣五を改て宗悟とす。


江戸を旅立ち,不安で落ち着かない日々をすごしながらようやく白河の関にさしかかった時の心境を詠んでいます。


卯の花を花飾りにして,白河の関を越えるための晴れ着としよう。


これからまさに「みちのく」に足を踏み入れていく覚悟が感じられます。


彼は芭蕉と最終目的地である大垣の手前の山中温泉の地で腹の病で芭蕉と一緒に旅をすることが困難になりました。その時の別れの辛い気持ちを次のように詠んでいます。


行き行きて たふれ伏すとも 萩の原    曽良

今日よりや 書付消さん 笠の露      芭蕉


芭蕉の「奥の細道」の随行者としてその名は,彼が俳人であった以上に知られています。彼の著書「曽良旅日記」とあわせて,曽良の視点から「奥の細道」や芭蕉の人物をとらえてみた時,さらに二人が旅した道中やそこであったさまざまな思いについて深く考えさせられることと思います。


さまざまのこと思い出す桜かな       芭蕉


この句は,元禄元年(1688)芭蕉が,奥の細道の旅に出る一年前,故郷の伊賀の国に帰省した時に詠んだ45歳の時の句です。


文字どおり,ありきたりの言葉で表現した句ですが,言葉の飾りや技巧性はなく,ふと思い浮かんだ実感を平凡に詠んだことで,かえって胸にせまってくる何かがあります。その何かは,ひとりひとりこの句の読む側の心の中にあるのではないでしょうか?

あわせて次の句も紹介し,桜がもつ「いのち」のはかなさと出会いへの感謝について考えてみたいと思います


散る桜 残る桜も 散る桜         良寛



次に,春の気持良さをうたう代表的な季語である「暖か」「麗か」「長閑(のどか)」の,それぞれ語尾が「か」である季語を用いた俳句を紹介します


暖かや 背の子の言葉 聞き流し     中村汀女


気持ちの良い春の好日に,背におぶった子どもの声もゆっくりと流れていきます。

見守っていく子を思う親のあたたかい心づかいを感じる句です。


麗かや 松を離るゝ 鳶の笛       川端茅舎


松の木の枝に止まっていた鳶が,啼きながら枝を離れて飛んでゆきます。大きく広がる春の空に鳶の鳴き声が心にしみてきます。雄大な風景と鳶の声に心が奪われます。


やわらかな陽の光の中で,花が咲き一面が輝き,人の顔も和んできます。「暖か」「長閑」は心のくつろぎを主点としていますが,「麗らか」は,視覚を通した春の心地よさを主点に置いています。

漢字の「麗」という字は鹿の角がきれいに二本並んだ姿を表わしたもので,元来は「連なる」とか「並ぶ」ということを意味する文字であったそうですが,左右対称にすっきりと並んだ形はまさに,「すっきりと美しい様」を表現する文字としても使われるようになったといわれています。


川端 茅舎は,東京都出身の俳人。高浜虚子に師事して「ホトトギス」に拠っています。

当初画家を志望したこともあり,写生の中にも格調の高い句をたくさん詠んでいます。


「万葉集」の大伴家持の和歌を連想します。 

うらうらに 照れる春日に 雲雀あがり こころ悲しも 独りしおもへば  


長閑さや 浅間のけぶり 昼の月      小林一茶 


一茶57歳の時の俳句です。晴れた日に,なだらかな浅間山の姿とそこから立ち上る煙を見ていると実にのんびりした気分になります。「昼の月」を浅間山に配したことにより,さらにスケールの大きな風景が浮かびあがります。


「古今集」の紀友則の和歌を連想します。

久方の 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ   


囀や 二羽いるらしき 枝移り          水原秋櫻子


「囀り」という言葉は,あまり日常では使われませんが「さえずり」と読みます。

生物学的には,ライバルの雄に自分の縄張りを知らせるため,あるいは,雌の気を引くために,地鳴き(平時の鳴き声)とは異なる美しい旋律を奏でますが,囀りという言葉の響きからも春らしい季語です。


水原 秋桜子は,松根東洋城,高浜虚子に師事。短歌に学んだ明朗で叙情的な句風で「ホトトギス」に新風を吹き込みましたが,「客観写生」の理念に飽き足らなくなり同誌を離れました。

山口誓子,阿波野青畝,高野素十の3人とともに「ホトトギス」の「四S」(しエス)として知られています。


風船の 子の手離れて 松の上           高浜虚子


なぜ風船が春の季語なのでしょうか? 春になって暖かくなると子供が風船で遊ぶ姿が春の到来を実感させる他,春になると風船売りがやってくるからの説があります。


風船の ふわりふわりと 日永哉          正岡子規


明治29年3月の句です。子規庵での日永(ひなが)で長閑な一日,童心に戻って風船と遊んでいる彼の姿が風船のように浮かびます。

しかし,この前月不治の病とされる脊椎カリエスであることが判明し,手術を受けていたのです。



石鹸玉やブランコも春の季語です。いろいろと図書館にある「歳時記」で調べてみてください。また,なぜ春の季語になったのかも調べてみても面白いと思います。


新入生のみなさん ご入学おめでとうございます。


「新入生」や「入学」も春の季語です。


図書館をおおいにこれから利用してください。青春時代に図書館に通った日々は,必ずこれからの人生に役にたつはずです。いろいろな先人の知恵と経験に学び,あなたにとって「珠玉の1冊」見つけてください。

その中に散りばめられた言葉に,励まされ,勇気が湧いてくるに違いありません。


意志あるところに道は開ける       リンカーン


図書館へ 行く道君へ 春の風


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