【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第122号
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○M課長の図書館俳句散歩道 (弥生の巻)

新年からあわただしく時は過ぎ,年度末になりました。

旧暦三月は「弥生」と呼ばれています。「弥(いや)」は,「いよいよ」「ますます」などの意味で「生(おい)」は,「生い茂る」と使われるように草木が芽吹くことを意味することから木がだんだん芽吹く月であることが由来とされています。


弥生にも,さまざまな季語がありますが,まず「お雛さま」の俳句を紹介します。


草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家      芭蕉


「月日は百代の過客にして,行きかふ年もまた旅人なり」からはじまる,「奥の細道」の最初に記載されている俳句です。旅に出るため,芭蕉が住んでいる草の多い家を他の人にあけわたすことになったが,その家には雛人形で祝う女の子がいるらしい。

初めの案は「住み替わる代や 雛の家」でしたが,「ぞ」と変えたことで,いよいよ旅に立つ決意の強さを感じることができます。


雛祭る 都はづれや 桃の月        蕪村


「桃の月」とは,春の穏やかな日々のことですが,45歳頃結婚して,授かった「くの」という一人娘を思いながら作った句でしょうか? 蕪村は愛しい娘と「お雛さま」を,やさしく見ています。


てのひらに 飾つて見るや 市の雛     一茶


賑わう市で美しい雛を見かけ,そっと手に取った時の笑みが浮かびます。


どの句も,「雛祭り」の晴れやかさを感じる句です。


次に紹介する季語は,「遍路」です。


昨年平成26年は,弘法大師(空海)が四国の地を修行され開かれた四国霊場が開創1200年の大きな節目を迎え多くの方が八十八か所を巡礼しました。

「遍路」は春の季語です。他の季節,特に秋にも遍路を見ることがありますが,それは例えば「秋遍路」のように区別します。


道野辺に 阿波の遍路の 墓あはれ     虚子

              

成し遂げたい願いを秘めて「発願」の阿波巡礼に旅立ったお遍路さん,途中で病に倒れ身元不明のまま土葬され建てられた墓を見ると,あわれに思われる。


種田山頭火が四国遍路を歩いたのは昭和14年の秋でした。野宿をしたり,狭い安宿で雑魚寝をしたり,托鉢のつらさの中で,「おのれ」を見つめながら,飄々と歩き句をつくっています。旅の最後,そして終焉の地は松山の「一草庵」です。昭和15年眠るように「ころり往生」58歳の生涯でした。


水はみな瀧となり秋ふかし

落葉しいて寝るよりほかない山のうつくしさ

生きの身のいのちかなしく月澄みわたる


ころり寝ころべば青空


彼が旅の荷物入れとした「行李」の裏には「人生即遍路 山頭火」と墨跡があります。彼の著作「鉢の子」「草木塔」を是非おすすめします。


お遍路が 一列に行く  虹の中        風天


「風天」は俳号ですが,誰のことでしょうか? 

連想するのは,フーテンの寅さんこと「渥美清」さんです。

札所に向かうお遍路さんの白装束が,虹の中に消えていくように細い道を一列に並んでゆっくり歩いています。

清らかな祈りや願いを感じさせながら,絵をみるような情感にもつつまれます。


寅さんの他の俳句も是非味わってみてください。映画の1シーンのようです。


村の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ

いつも何か探しているようなひばり


続いて春を告げる「花鳥風月」の紹介します


春を告げる花は,蒲公英


たんぽぽや日はいつまでも大空に      汀女


中村汀女は,明治33年熊本に生まれ,俳句専門誌「ホトトギス」に投稿し,女性の日常を十七文字の世界で愛情豊かに詠んでいます。


春を告げる鳥は,うぐいす


うぐひすの啼くや小さき口明けて      蕪村


春を告げる風は,東風

東風吹かば においおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ   菅原道真


教科書でもおなじみのこの和歌がまず浮かびます。大宰府に左遷される彼の心情はいかばかりであったでしょうか? 


東風の船 博士をのせて 高浜へ     虚子


酒井黙禅は福岡県に生まれ,高浜虚子に師事しました。大正9年3月,38歳で松山赤十字病院長として赴任した折,虚子は,松山へ発つ黙禅に餞別句を贈りました。「高浜港」は,松山の海の玄関で,夏目漱石も明治28年松山中学に赴任では高浜港に着いた後,「坊ちゃん列車」で市内に向かいました。


春は「東風(こち)」夏は「南風(はえ)」秋は「金風(きんぷう)」冬は「西風(ならい)」「北風(あなじ)」と「風と季節」は俳句の季語としてみごとに,とけあっています。


春の月といえば,おぼろ月

「秋の月はさやけきを賞で,春の月は朧なるを賞づ」と昔から言われいます。

童謡唱歌の,菜の花畠に入日薄れ見わたす山の端霞ふかしではじまる「朧月夜」の2番の歌詞に,「蛙(かはづ)のなくねもかねの音も,さながら霞める朧月夜」とあります。


片寄する 琴に落ちけり 朧月      漱石


おぼろ月の光が,壁に立てかけた琴に映って淡く輝いています。春の幻想的な絵画をみる思いがします。


また他に春を告げる魚で,「春告魚」とよばれる「鰊」も季語です。北海道のソーラン節でよく知られていますが,他には「鰆」「イカナゴ」なども「春告魚」の異名で地方によっても異なるようです。


俳句と離れたお話しをします。

先月,徳島大学附属図書館におきまして,第25回学術講演会「伊能図の謎に迫る!」を開催しました。詳しくは,今月号の学術講演会の項目をご覧いただければと思います。伊能忠敬の測量により作成された「伊能図」は,全国的によく知られていますが当館所蔵の「伊能図」は,地名なども詳細に記載され美麗な仕様で作成されており専門家からも高く評価されています。

伊能忠敬が徳島城下に来たのが,文化5年(1808年)3月21日との記録があります。

今から約200年前の春のことですが,「伊能図」が「超高精細図」として時空をこえてよみがえります。


伊能図の 謎がとけたり 阿波の春


さて,最後にご紹介するのは,「卒業」と「別れ」です。卒業でキャンパスを去っていく皆さん,徳島大学での学生生活はいかがでしたでしょうか? まさに「別れを惜しむ」時になりました。


校塔に 鳩多き日や 卒業す      草田男


中村草田男は明治34年中国で生まれ,4歳の時母とともに中村家の本籍地・愛媛県に帰国し,2年後松山市に転居,その後小学校時代の大半を東京で過ごしました。

中学時代は再び松山に戻り,松山高等学校を経て大正14年東京帝国大学文学部に入学しました。昭和4年高浜虚子に師事し俳句を学んでいます。

東大俳句会に入門。水原秋桜子の勧めで「ホトトギス」に投句。大学時代に久しぶりに母校の青南小学校を訪ねた時の感慨を詠んだ句は,彼の代表する一句です。


降る雪や 明治は 遠くなりにけり


学校の校塔に多くの鳩が羽ばたいています。教師の草田男は,その風景に教え子たちの希望に満ちた未来を思い卒業を祝った輝かしい句です。


彼の俳句には,イメージからくる思想や表現力の豊かさを感じます。


卒業式の別れは切なく寂しいものですが,次の出あいと更に進むためのステップであり

行く手には,もちろん困難なこともありますが,希望を胸に進んでほしいと思います。


三木清の「人生論ノート」の中に,「希望について」の章に次の文があります。


人生は運命であるように,人生は希望である。

運命的な存在である人間にとつて生きていることは希望を持っていることである。


人間にはいろいろな力がありますが,その中の一つは「希望を持つこと」だと思います。


卒業や 君が座りし 閲覧室


別るるや 希望の空の 春を飛べ


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