【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第121号
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○「知的感動ライブラリー」(93)

ウェーバーの歌劇『魔弾の射手』
総合科学部教授 石川榮作

1.歌劇『魔弾の射手』の題材と成立過程

カルル・マリア・フォン・ウェーバーは1786年に北ドイツの小都市オイティンで生まれたが、その町の司教の楽団の楽長をしていた父は自らの劇団を組織したため、一家はヨーロッパ各地を歩き回る放浪の生活が始まった。ウェーバーはその旅先でいろいろな人からいろいろなことを学び、才能を発揮し始める。歌劇『魔弾の射手』の題材に初めて出会うのは、1810年、24歳のときにマンハイムに行ったときのことである。やがてハイデルベルクで法律を学んでいる学生アレクサンダー・フォン・ドゥーシュと知り合い、ある日、二人でノイブルクにある修道院までハイキングに出かけた折り、そこの図書館でヨハン・アウグスト・アーベルとフリードリヒ・ラウン共編の『妖怪物語』を見つけたのである。その中には『魔弾の射手』という民族伝説があり、ドゥーシュが台本を引き受けて、ウェーバーはオペラを作曲することにしたが、しかし、その仕事はなかなか簡単には進まなかった。その後、ウェーバーは生活のために転々と職場を変えていったので、二人の連絡は途絶えてしまった。

ウェーバーが二度目にその題材と出会うのが、1817年にドレスデン宮廷歌劇場の指揮者になったときである。この地の新聞の共同出版人であり、また弁護士でもあったフリードリヒ・キントと知り合い、その人の書斎で『妖怪物語』を見つけたのである。キントが台本を引き受けて、ウェーバーは作曲に取り掛かり、苦労の末、1821年5月13日に『魔弾の射手』を完成させた。初演は同年6月18日にベルリン王立歌劇場で行われた。当時のオペラ界はイタリア・オペラに圧倒されていた中にあって、このウェーバーの歌劇『魔弾の射手』は「ドイツの題材で台本もドイツ語、作曲もドイツ人による」オペラであったが、大成功を収めて、作曲家ウェーバーは一躍人気者となったのである。

この歌劇『魔弾の射手』は、その後、初演の翌年1月にドレスデンで上演されたが、そのとき9歳だったワーグナーはこのドイツ・ロマン的な作風のオペラを見てたいへん感激し、オペラ作曲家をめざすようになったとも言われている。ワーグナーにも影響を与えたという点においても注目すべき作品であり、「ドイツのドイツ人による、ドイツ人のためのオペラ」の最初の画期的な作品と言ってもよいであろう。以下、このオペラの展開を順に辿りながら、その見どころ・聴きどころなどを述べていくことにしよう。


2.第一幕のあらすじと見どころ・聴きどころ

ドイツ・ロマン派の作風に満ちあふれた感動的な序曲が終わると、第一幕の舞台は三十年戦争 (1618~1648年) 後のドイツ・ボヘミアの森の中である。

冒頭の第1場では農民たちの合唱が森の中に鳴り響き、裕福な農民キリアン(バリトン)を先頭にした行進曲が、まずは最初の聴きどころであろう。主人公の狩人マックス(テノール)は世襲護林官クーノー(バス)の娘アガーテ(ソプラノ)と恋仲にあるが、彼女と結婚するためには翌日の射撃大会で優勝しなければならない。ところが、狩人マックスはこのところスランプ状態に陥っていて、今日行われた予備競技では農民のキリアンに負けてしまい、農民たちからはあざけられたり、からかわれたりしている。このあたりの音楽もたいへんおもしろい。

第2場に入って、マックスは恋人アガーテの父クーノーから明日の射撃大会で失敗したら、娘を嫁にするわけにはいかないと言い渡されると、ますます不安になってくる。このように不安に駆られているマックスをうまく利用しようとしているのが、悪魔ザミエルに魂を売ってしまった狩人カスパール(バス)である。カスパールは自分に代わってマックスを次の悪魔ザミエルの魔弾の犠牲者にしようと企んでいるのである。

そのような中、世襲護林官クーノーが昔から今にまで続いているこの射撃大会の由来について語り始める。それによると、森の中にあるクーノーの家には先祖クーノーの肖像画が掛っているが、その先祖クーノーは領主の親衛射手を務めていて、あるとき猟犬が鹿を追い出したとき、その背中には一人の人間が鎖で縛られていた。昔、森の密猟者はこのように罰せられたのである。この密猟者の姿を見た領主は、あわれを催し、この罪人を傷つけないで鹿を撃った者は護林官に取り立てて、森の中にある家も差し上げようと約束したのである。先祖クーノーはそのような褒美よりも、むしろあわれみの心から、それを試みることにした。彼は鹿に狙いを定めて、弾丸を聖なる天使たちに委ねて放つと、鹿は倒れたが、その罪人は無事であったという。この話はまだその先があり、当時は今と同じように、(カスパールをほのめかしながら)意地の悪い敵がいて、先祖クーノーを妬んで、領主のところに行って、「あの射撃は魔法の仕業であって、クーノーが狙ったのではなく、魔法の弾丸が仕込んであった」と言ったのである。この「魔法の弾丸」という言葉を聞いて、農民のキリアンは祖母から聞いた話を思い出して、「6発は当たるが、7発目は悪魔のもので、悪魔の好きなところに弾丸を飛ばすことができる」と説明する。そこで護林官クーノーは、このようなことがあって当時の領主が作ったという規則を皆に教えた。すなわち、「クーノーの後継者となる者は、領主あるいはその代理人の命ずる方法に基づいて、難易いかなる方法によるにせよ、前もって射撃大会を通過すること」という規則である。また仕来たりによると、若い護林官は同日自分の選んだ娘と結婚することができるが、その娘は完全無欠で、処女の花嫁の花冠をつけて現れねばならないというのである。このようなことを話して、世襲護林官クーノーはマックスを励ます。ところが、その射撃大会は明日に控えているので、マックスは絶望的になって、「おお、この太陽が昇るのが僕には恐ろしい」を歌う。それに合わせてクーノーと農民たちはマックスを励ましながら、また邪悪なカスパールはマックスを誘惑しながら、それぞれの歌を歌うのであるが、この場の三重唱が農民たちの合唱も加わってすばらしく、文句なしに聴きどころであろう。

世襲護林官クーノーがカスパールと狩人たちとともに立ち去ると、第3場となり、キリアンを中心にして農民たちがボヘミア風のワルツを踊るが、この短いワルツも活気と躍動感にあふれていて魅力的である。

キリアンと農民たちが退場すると、マックスが一人だけの第4場となって、マックスは射撃大会を明日に控えての焦燥と不安を表わしたアリアを歌う。背後には狩猟の悪魔ザミエルの姿が見え隠れしているが、このマックスの天に見放された自分の不運を歌ったアリアも聴きどころの一つであろう。

そこへカスパールがやって来て、第5場となって、カスパールは絶望に沈み込んでいるマックスにワインをも勧めて誘惑しながら、虚無的なリートを三度にわたり歌うが、これもならず者のカスパールの性格をよく表わしていておもしろい。そのあとカスパールは、明日の射撃大会で幸運な射撃ができるように手伝ってやろうと言いながら、マックスに銃を渡して、真っ暗な空中を飛んでいる大きな鳥に向かって、撃ってみろと唆す。マックスは半信半疑で引き金を引いて、発射させると、やがて空から大きな鳥が落ちてきた。大きな犬鷲である。「どういう弾丸を使い、それをどこから入手したのか」と尋ねるマックスに、カスパールは「必ず命中すると言われている魔法の弾丸を用いれば、引き金を引くだけで、命中できるのだ。その弾丸は今夜手に入るのだ」と言って、今夜12時に狼谷に来いと誘うのである。アガーテのことを考えて是非とも射撃大会で優勝したいマックスは、カスパールと握手して、今夜12時に狼谷に行くことを約束して、立ち去って行く。

そこにカスパールが一人で残って、第6場となり、カスパールはアリア「黙ってろ、黙ってろ」を歌い、自分の身代わりの生贄(いけにえ)が見つかったことを喜び、ほくそ笑むところで、第一幕は終わるが、この最終場面のカスパールのアリアも聴きどころであることは、言うまでもない。このカスパールのような役はのちにワーグナーにおけるバスのドラマティックな悪役の先駆けとなるものである。ワーグナーがウェーバーから大きな影響を受けていることは、このようなところからも明らかである。


3.第二幕の見どころ・聴きどころ

第二幕の幕が上がると、第1場の舞台は世襲護林官クーノー家の玄関の間(ま)である。そこの娘アガーテ(ソプラノ)と従姉妹エンヒェン(ソプラノ)の二重唱によって第二幕が始まる。壁に掛っていた初代クーノーの肖像画が落ちてきて、アガーテは怪我をしていて、それが不吉なことだと思って、不安でたまらない。それに引き換え、エンヒェンは陽気で明るく、不吉なことも笑い飛ばしてしまう。この二人のコントラストが音楽でもって見事に描き出されている。この冒頭の第1場で次にエンヒェンが生き生きとした身振りで歌うアリエッタ「すらりとした若者がやって来たら」がまずは第二幕で最初の聴きどころであろう。エンヒェンの明るさと愛らしさに満ちあふれたすばらしい歌である。これに対してアガーテの方は、今日訪問した敬虔な老人からバラをもらったが、そのとき「何か分からない大きな危険に気をつけなさい」と警告されたので、余計に不安なのである。

エンヒェンが就寝のためにそこから去って、アガーテ一人になると、第2場である。ここでアガーテはバルコニーに出て星の明るい夜を見守りながら、情景とアリアを歌う。愛するマックスのことを想いながらかなり長い時間にわたって静かに歌うこのアリアは、ドイツ的ロマンティシズムを見事に発揮していると言える。文句なしに聴きどころであろう。

このあと第3場の展開となって、マックスが取り乱して荒々しく登場して来る。エンヒェンも、それに気付いたのか、寝室から出て来て寝間着姿でマックスの後ろに佇んでいる。アガーテはやっとやって来たマックスを出迎えて、二人は抱擁するが、マックスはすぐにまた出かけなければならないと言う。マックスはアガーテが怪我をしているのに気がついて事情を尋ねると、肖像画が落ちてきたことを知らせるが、それが7時頃のことであったことを知ると、マックスはその頃自分は大きな犬鷲を撃ち落としたことを話す。大きな鳥であることを聞いて、アガーテは「大きい鳥はいつも何か恐ろしいものを持っていると想像しないではいられない」と不安を打ち明ける。それに対して元から陽気なエンヒェンは、「私にとっては立派に見える」と答える。それでも不安なアガーテは、明日の射撃大会でマックスが不運にも負けてしまったら、自分は悲しみのあまり死んでしまいそうだと不安をぶちまける。そのアガーテの不安に対して、マックスは「それだからこそ僕はもう一度出かけなければならない」と言う。つまり、雄鹿を射止めたので、それを農民たちに盗まれないうちに取り込むために狼谷へ行かなければならないと、嘘を交えて、言うのである。「狼谷」と聞いて、アガーテは「まあこわい!あそこの恐ろしい谷間ですって?」と歌い始めて、それにエンヒェンとマックスが加わって、すばらしい三重唱となる。アガーテの不安、それを心配するエンヒェン、心配することはないと言うマックス。この三重唱が聴きどころであることは、言うまでもあるまい。胸騒ぎのするアガーテとエンヒェンが引き留める中、マックスはそれを振り切って走り去る。そのあと舞台転換が行われる。

舞台転換ののち、第4場の舞台は有名な「狼谷の場」である。カスパールは弾丸を作る準備で忙しくしている。目には見えない精霊たちが、若い花嫁の死を不吉にも予言する不気味な合唱をしている。

そこに狩猟の悪魔ザミエルが姿を現して、第5場となる。遥か遠くの方で時計が12時を打つ。マックスは悪魔ザミエルに向かって、まもなくここにやって来る猟師と引き換えに自分の延命を願い出る。その猟師の願いは魔法の弾丸であることを告げると、悪魔ザミエルは「6発は命中するが、7発目ははずれてしまう」と答える。これに対してカスパールは「7発目はあなたの思いどおりになるもので、その猟師の銃口から彼の花嫁の方に導いてください」と頼む。すると悪魔ザミエルは「わしは彼女には何の関わりも持っていない」と答えて、7発目の犠牲者はその猟師かお前かのいずれかだと言い残して、その場を去って行く。

そのあとマックスが谷間の岩の上に姿を現して、第6場である。マックスは谷間を覗き込んで、その恐ろしさに立ちすくんでしまうが、「心はたとえ恐れても、俺はやらねばならない!あらゆる恐怖にも負けはせぬ!」と、勇気を奮い立たせて、降りようとする。マックスの姿を見つけたカスパールは、とうとう身代わりが来たことを喜び、早くこちらに降りて来るようにと急かす。そのときマックスの母の霊が現れて、マックスは「俺に帰れ!と警告しているのだ」と言って、降りるのをためらっているが、しかし、アガーテの姿が彼の目の前に現れて、彼女のことを思うと、降りて行かなければならない。勇気を奮い起こして、マックスはカスパールのいるところに降り立った。二人は魔法の弾丸を作り始める。やがてカスパールは鋳造して、弾丸を型から外して、「ひとうつ!」と叫べば、こだまが「ひとうつ!」と繰り返す。「ふたあつ!」「みっつ!」「よっつ!」「いつつ!」と、カスパールが順に叫べば、こだまも順に繰り返す。このあたりが不気味で、見どころでもあり、また聴きどころでもあろう。目には見えない精霊たちの合唱にカスパールは、恐れおののきながら、「むっつ!」と叫べば、こだまが「むっつ!」と繰り返す。あとはいよいよ最後の1発のみであるが、このとき天はすっかり暗闇となり、雷雨がぶつかり合って、恐ろしい稲妻と雷鳴とを発する。大地は揺れているかのように見える。この最終場面の舞台が見どころであろう。カスパールが大地に投げ倒されて、悪魔ザミエルに助けを求めながら、「ななつ!」と叫べば、こだまが「ななつ!」と繰り返す。マックスも大声でザミエルの名前をあげると、ザミエルは「わしはここにいる!」と、姿を現わす。そのときマックスは十字を切って大地に倒れてしまう。時計が1時を打ち、突然静かになると、ザミエルは姿を消してしまう。ドキドキハラハラさせられる感動の最終場面である。


4.第三幕の見どころ・聴きどころ

射撃大会当日の晴れやかさを表すような生き生きとした音楽でもって第三幕の幕が開くと、第1場の舞台は森の情景である。三人の狩人とマックスにカスパールの台詞だけの短い展開であるが、昨夜と打って変わって、今日は狩り日和(びより)のようである。三人の狩人たちは昨夜の激しい雨の話を持ち出して、特に狼谷では悪魔どもが思いっきり騒いだという話をしている。そこへマックスがカスパールと一緒に登場する。7発の弾丸は二人で分けて、マックスが4発で、カスパールが3発としたが、マックスは自分の弾丸をすでに3発使ってしまい、あと1発しか残っていない。一方、カスパールの方もすでに2発使い、残っているのは1発のみである。マックスはカスパールにその残りの1発を自分に譲ってくれるようにと頼む。しかし、カスパールはそれを拒み、マックスの最後の弾丸が7発目となるように、自分の弾丸を使ってしまうことにする。こうしてカスパールはそこを立ち去りながら、狙いを定めて、自分の最後の弾丸を使ってしまうのである。

このあと舞台では舞台転換が行われて、第2場はアガーテの部屋である。アガーテは白の花嫁衣裳を着て、祭壇の前で美しい音楽の抒情性に満ちあふれたカヴァティーネを歌う。しかし、アガーテは不安でたまらず、悲しげに歌うが、この歌も聴きどころであることは、言うまでもない。

そこへエンヒェンも着飾って現れ、第3場となるが、とにかくアガーテは相変わらず悲しそうにしている。特に昨夜は不吉な夢を見たと言って、その夢の話をする。彼女によると、「自分が白い鳩となって枝から枝へと飛んでいたら、マックスが私を狙って、私は落ちてしまった。白い鳩は消えて、自分はまたアガーテとなったけど、大きな黒い猛禽(もうきん)が血液の中で転げ回っている」と言うのである。これに対してエンヒェンは、また陽気な性格を見せて、「あなたはずっと遅くまで白い花嫁衣裳を縫っていたから、白い鳩になったのよ。だいたいあなたは猛禽に弱いから、それで黒い鳥なのよ」と言って、アガーテの気をまぎらわせようとする。それでも「正夢があるってことも聞いたことがあるでしょう」と、相変わらずアガーテは不安がるので、エンヒェンは彼女を元気づけようと思って、ロマンツェを歌う。とりわけこのロマンツェ「昔亡くなった伯母さんが夢を見たの」は、観客もそのエンヒェンの話に引き込まれていって、興味深い歌である。怖い話かと思っていたら、最後には伯母が怪物に襲われた夢を見て、目覚めたら、そこに小犬のネロがいたというものである。この話にもアガーテは不満で、よそを向くので、エンヒェンは今度は「花嫁には涙はふさわしくない」と励ましながら、アリア「うち沈んだ眼は、可愛い人よ、愛らしい花嫁にはふさわしくありません」を歌う。このアリアももちろん聴きどころである。

エンヒェンはさっき町から届けてくれた花冠を部屋に忘れて来たので、それを取りに行こうとして、そこを立ち去ると、第4場の展開となって、田舎風のお祭りの服装をした花嫁の介添えのたちがやって来て、民謡風の美しい合唱を響かせる。四人の介添え娘のソロと合唱によって歌われるこの民謡風の歌は、素朴でありながら優雅さをも兼ね備えており、聴きどころであることは、言うまでもない。

そこへエンヒェンが紐(ひも)で結んだ丸い箱を持って戻って来て、その合唱に加わると、第5場の展開となってさらに盛り上がる。エンヒェンはあの先祖クーノーの肖像画がまた落ちてしまって、額縁がこなごなになったことをアガーテに話すものだから、アガーテはまた気がかりになってしまう。それでもエンヒェンは「物凄い夜だったのだから、驚くほどのことはない」と言って、アガーテを勇気づけ、戯れながら、アガーテの前に跪いて、丸い箱を彼女に差し出す。それを開けると、アガーテは驚き恐れて退いてしまう。それは銀色の葬式用の花冠だったからである。それでもエンヒェンは、「年取った目の不自由なおばあさんか、そうでなければ、箱に詰めた人が、入れ間違えたのよ」と言って、その場の騒ぎを収めようとする。そのときアガーテは信心深い隠者が意味ありげに白いバラを自分にくれたことを思い出して、その白いバラで花嫁の花冠を作ることを提案した。エンヒェンはすぐにそれをすばらしい思い付きだと思って、植木鉢からそのバラを取り出して、それを冠に編む。美しい合唱のうちに花嫁の介添えの娘たちとエンヒェンは、そこから去って行く。

ここで場面転換が行われて、次の第6場はロマンチックで美しい風景の場である。そのボヘミア地方の領主オットカール(バリトン)、世襲護林官クーノー、マックスとカスパールに、狩人たちや勢子たちが居並んでいる。そこでまず歌われるのが、有名な「狩人の合唱」であり、ウェーバーのオペラの醍醐味をたっぷりと味わわせてくれる、最も注目すべき聴きどころであることは、言うまでもない。この合唱のあと、領主オットカールの掛け声で、今日の大事なイベントである世襲護林官クーノー家の婿選びの話となる。その花婿の候補者であるマックスは、射撃の準備に取り掛かり、カスパールが悪いことを企んでいるかたわらで、領主オットカールが的と定めた枝の上の白い鳩に狙いを定めて、引き金を引こうとする。その瞬間、白い鳩が止まっている木々の間からアガーテが介添えの娘たちと一緒に姿を現して、大声で「撃たないで!鳩は私です」と叫ぶ。しかし、マックスの銃の引き金は引かれて、大きな銃声とともにアガーテは地面に倒れてしまう。緊張感に包まれた瞬間である。ここからフィナーレが始まって、このウェーバーの最大の見どころ・聴きどころであろう。

廷臣たち、狩人たち、そしてのちにやって来た農夫たちが合唱でマックスが自分の花嫁を撃った恐ろしい運命を歌い上げるが、そのあとアガーテは深い失神から目覚め、生きていることを喜ぶ。マックスの最後の弾丸は、アガーテではなく、カスパールに当たったようで、カスパールは赤い血に染まって倒れている。カスパールの背後に悪魔ザミエルが現れて、カスパールは天を呪い、悪魔ザミエルを呪って、息を引き取る。世襲護林官クーノーが合唱とともに、「あれは以前から悪人であった!天の裁きが彼に命中させたのだ!」と歌い上げれば、領主オットカールもまた「取り去れ!化け物を狼谷に投げ込め!」と命ずる。倒れたカスパールの遺体が数人の狩人たちによって運び去られる。

領主オットカールはマックスに向かって、「この謎を解けるのはお前だけだ」と言って、説明を求める。マックスは正直に魔法の弾丸を使ったことを打ち明ける。すると領主オットカールは立腹して、マックスを「永久にこの地から追放する。二度とこの国に戻ってはならぬ」ということともに、アガーテとの結婚は許さないことをも言い渡す。アガーテやエンヒェン、それに狩人や農民たちが、合唱で慈悲を願い出るが、領主オットカールの怒りは解けずに、マックスに立ち去るように命ずる。

そのとき隠者(バス)が姿を現す。一同はうやうやしく後ろに退き、つつましく敬礼する。領主オットカールさえもが帽子を脱ぐ。「一つの過失が(厳しい追放という)そのような贖罪に値しますかな」という隠者の問いかけに、領主オットカールはすべての裁決をこの聖なる隠者に委ねることとした。隠者はそこに居並ぶ一同の者の前で、「二人の気高い心の幸せを一つの弾丸の行方にかけることは、正しいことではない」ということを説いた上で、「今後はこのような射撃大会の仕来たりは一切行わないこと」を提唱したあと、厳しい目でマックスを睨みながら、「この男は重い罪を犯したが、常日頃はいつも純粋で誠実であったので、それに免じて一年の試しの期間を恵んであげてほしい。その間、わしの知っているままの男でいたら、そのときアガーテとの結婚を許してはどうだろうか」と提案するのである。領主オットカールもまた、この信心深い隠者の提案はより高い人がこの隠者の口を介して語らせた言葉だと解して、それに満足して、マックスには一年の猶予を与えることにした。マックスは常に正義と義務とを尊ぶことを誓い、アガーテは領主オットカールに心からの感謝の念を捧げると、領主オットカールと隠者は「星の上におられる方は恵みにあふれているので、赦すことは領主の名誉となるのだ!」と神を褒め称え、世襲護林官クーノーは若い花婿・花嫁を戒め、エンヒェンはアガーテに一年後の婚礼の祝福の言葉を贈る。この最終場面における六重唱はとりわけ圧巻である。最高の聴きどころであると言ってもよいであろう。最後に隠者の「罪なき者の保護者であるお方の方に目を向けよ!」の掛け声に合わせて、一同が合唱して第三幕の幕は降りる。オペラの醍醐味を味わわせてくれる感動のフィナーレである。


5.ワーグナーへの影響

以上のように、このウェーバーの歌劇『魔弾の射手』はボヘミア(当時はドイツの一部であった)の森を舞台として、その「森の民衆」である狩人や農民の生活を題材とした作品であり、まさに「ドイツ的」と呼んでもよい、「ドイツのドイツ人による、ドイツ人のためのオペラ」の最初の作品と言ってもよいであろう。このウェーバーの作品によってドイツ・ロマン派の真のオペラが始まるのであり、それはのちのワーグナーなどによって受け継がれていくこととなる。この作品は確かに、形式の点で言えば、伝統的なジングシュピール(歌芝居)のかたちで作曲されているが、しかし、オーケストラ処理の点では、まったく革新的なものが多く見られ、とりわけ「狼谷の場」や「マックスの心理描写」ではのちのワーグナーにおける「ライトモティーフ」の先駆けとなるものを見出すことができよう。そういう意味でもこのウェーバーの歌劇『魔弾の射手』はドイツ・ロマン派オペラの隆盛を導き出す、注目すべき作品であると評価することができよう。また特に第二幕に見られるアガーテとエンヒェンの絶妙なコントラストもまた魅力的である。とりわけエンヒェンの陽気さには強く惹かれるものがある。それだけに不安と焦燥に駆られるばかりのアガーテが際立ってくる。さらに農民たちや狩人たちの合唱もすばらしく、とにかく全三幕を通して観客をグイグイと引き込んでいく魅力にあふれた、ドイツ・ロマン派の誕生を如実に表しているオペラである。是非、この機会に鑑賞していただければ幸いである。たちまちドイツ・ロマン派オペラに魅せられることは間違いないであろう。


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