【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第120号
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○教員の寄贈著書コーナー

石川栄作編訳『ジークフリート伝説集』(同学社)の紹介
総合科学部教授 石川栄作
ジークフリート伝説集

昨年(2014年)12月に拙訳『ジークフリート伝説集』が同学社より刊行された。本翻訳集は2011年4月にちくま文庫として筑摩書房より出版された『ニーベルンゲンの歌』(前編・後編)の姉妹編とも言うべきもので、併せて読めば、ニーベルンゲン伝説あるいはジークフリート伝説の全貌を俯瞰(ふかん)できるものと確信している。

ニーベルンゲン伝説とは5、6世紀の古代ゲルマン民族移動時代にライン河畔フランケンの領土で生成した英雄伝説であり、その中心にいるのが英雄ジークフリートで、ニーベルゲン伝説の中でもとりわけこの英雄のエピソードを取り扱った部分をジークフリート伝説と呼んでいる。冒険の旅の途中、とある山中で竜を退治した折り、竜の血を浴びて「不死身の肌」となったものの、菩提樹の葉が落ちた両肩の間だけは竜の血がつかずに、そこが唯一の急所となって、そこを狙われて暗殺されてしまう悲劇の英雄であると言えば、思い出す人もおられることであろう。この伝統的なジークフリート伝説が定着したのは、13世紀初頭に現在のオーストリア地方で成立したドイツ中世英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』であるが、しかし、今回の翻訳集はその伝統的な伝説とは裏返しの関係にある作品を中心にしているのが特徴である。以下、本伝説集に掲載の5作品について、簡単にそれぞれの解説をしておこう。

まず最初に掲載したのは、アイスランド共和国で最も有力な政治家であり、また優れた歴史家・詩人でもあったスノリ・ストルルソン(1179-1241)の『散文エッダ』(1222-25年頃)の中から、ニーベルンゲン伝説及びジークフリート伝説に関する部分を訳出したものである。スノリの『散文エッダ』は第一部「ギルヴィのまどわし」、第二部「詩人の語法」及び第三部「韻律一覧」から成る。つまり、第一部で北欧神話を概観したあと、第二部では北欧詩人の独特な手法である難解なケンニング(一つの名詞を複数の単語で婉曲に表現する隠喩的用法)を解説し、最後の第三部で自らの詩を用いて詩作の見本を示すという三部構成を成していて、当時の若いスカルド詩人たちにとっては格好の詩学書となっている。ここに訳出したのは、その第二部の一部であり、内容的には当時の北欧第一次伝承である『ヴォルスンガ・サガ』や『歌謡エッダ』と同じものであり、それらの要約版とも言える貴重なものである。ただ『ヴォルスンガ・サガ』や『歌謡エッダ』では主人公シグルズ(ジークフリート)の冒険がすべて北欧の主神オーディンと結び付けられていたが、スノリの関心は北欧に伝わる英雄歌謡を文学的に再現することではなく、当時の若いスカルド詩人たちのための詩学書を書くことに向けられていたので、そのあたりは割愛されたものと思われる。いずれにしても当時の英雄伝説がスノリの近辺にも存在していたことを推定させるもので、スノリの『散文エッダ』は貴重な作品と言えよう。

二つ目の作品として掲載したのは、1250年頃にノルウェーで編纂されたと言われている『ティードレクス・サガ』のうち英雄ジグルト(ジークフリート)の物語に関する部分である。第一次伝承の『ヴォルスンガ・サガ』や『歌謡エッダ』は古い伝説相を伝えていて北欧神話化されていたのに対して、この第二次伝承の『ティードレクス・サガ』は比較的新しい伝説相を伝えていて、その後に低地ドイツで新たに生成した伝説の特徴を如実に示している。13世紀初頭のドイツ中世英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』と内容がかなり似通っているところが特徴である。『ニーベルンゲンの歌』の以前の英雄物語を推定させ、また『ニーベルンゲンの歌』の生成過程を考察するためにも貴重な作品である。

三つ目の作品は、16世紀に韻文で書かれた『不死身のザイフリート』 である。作品全体は179詩節の韻文で構成され、1詩節は8行から成るが、翻訳にあたっては1詩節4行の体裁をとった。この作品は言語・形式的には統一されているものの、内容的には締まりのない編集を示しており、そのため物語は通常冒頭部分(1-15詩節)、主要部分(16-172詩節)そして結末部分(173-179詩節)の三つに分けられ、その主要部分ではこれまで見られなかった新しい英雄像が展開されている。すなわち、主人公ザイフリート(ジークフリート)が竜と戦うのは、ここでは竜に誘拐されたクリームヒルト姫を救い出すためのものとなっている。竜は人間の至福を脅かす悪魔の竜として描かれており、主人公の英雄はこれに立ち向かうキリスト教的救出者なのである。またその英雄は姫と旧知の関係であったとされることによって、そのミンネ(愛)を求める騎士でもあり、竜との戦う前には巨人とも戦わねばならず、後期中世的なミンネ・ロマーンの傾向を強めていて、主人公の英雄の行動は至るところでミンネ(愛)とキリスト教的な神への信仰によって決定づけられている。その姫を悪竜から救い出すと、めでたく彼女と結婚し、「名高い高貴な国王」とほめ称えられるが、まさにそれが妬みを引き起こして暗殺されてしまう。ただその暗殺もこれまで伝統的な伝承では財宝獲得に結び付けられていたが、この作品では主人公は財宝を不要だと思って自らライン河に沈めてしまうほどであり、財宝と暗殺とが結び付けられていない。その点でこの作品は伝統的な作品と裏返しの関係にあると言える。いずれにしてもこの作品は後期中世的な冒険ロマーンであり、貴重な作品である。

この韻文版『不死身のザイフリート』はのちに散文で民衆本にまとめられて、印刷によってさらに広くドイツの津々浦々に普及していくこととなる。本翻訳書に四つ目の作品として掲載したのが、1726年版の民衆本『不死身のジークフリート』である。韻文から散文に書き改められる際に、登場人物名などは当時の表記に改められているが、中で語られている物語自体は大筋において韻文版と同じである。ただ韻文版において散見された矛盾などは辻妻が合うように修正されているほか、随所に新しいエピソードを挿入することによって民衆本に特有な「読んで楽しい」作品となっている。その新しい顕著なエピソードが、最後の方でジークフリートとフローリグンダ姫とが結婚式を挙げる際に織り込まれている二人の臆病者の滑稽な決闘である。この臆病者たちの決闘は騎士競技のパロディであり、騎士ロマーンが戯画化されている。まさにこの滑稽さが民衆本の特色であるが、伝統的なニーベルンゲン伝説の不屈の英雄ハーゲン(この作品ではハーゲンヴァルト)は、まさにこの臆病者の一人によって最期を遂げることになっている。その意味でも民衆本は伝統的なニーベルンゲン伝説あるいはジークフリート伝説とは裏返しの関係となっている。こうして民衆本『不死身のジークフリート』は、ドイツ古来の伝説を素材としながらも、16世紀の韻文版『不死身のザイフリート』とはまったく異なって、従来の悲劇性をまったく感じさせることもなく、むしろ反対にところどころで滑稽なユーモアさえ感じさせながら、いわば民衆本に特有の「読んで楽しい」タイプの物語として民衆の間に広く普及していったのである。

最後に五つ目の作品として掲載したのが、ドイツ・ロマン派の詩人ルートヴィヒ・ティーク(1773-1853)の二つのバラード風の詩(ロマンツェ)である。最初の『若き日のジークフリート』は従来の素材を忠実に保存したにとどまっており、ロマンツェの特徴はあまり出ていないが、その後に掲載の『竜殺しのジークフリート』はティークのロマンツェとしての特徴がよく出ている。このロマンツェは内容面から「鍛冶屋でのジークフリート」、「竜との戦い」及び「小鳥たちの声」に分けられるが、鍛冶屋奉公と竜退治の部分は一つ目のロマンツェを約二倍に敷衍(ふえん)したもので、「小鳥たちの声」はここで新たに付け加えられたものである。ティークはここでは北欧の素材を用いながらも、ただそれらを伝統的に踏襲しただけではなく、巧みに聴覚的・視覚的な自然描写を織り込むことによって、自らのロマンツェとしての世界を展開させたのである。まさにこのティークの「小鳥たちの声」はリヒャルト・ワーグナーにも影響を与えて、やがて楽劇『ニーベルングの指環』四部作の第三作目『ジークフリート』第二幕において「森のロマン主義」が展開されることになるのである。その意味においてもこのティークのロマンツェは貴重な作品と言えよう。

以上の5つの作品を収録しているが、それぞれの翻訳のあとにはそれぞれの作品解説を付け加えている。ただそれでも5、6世紀から現代に至るまでのニーベルンゲン伝説あるいはジークフリート伝説の変遷を理解するには不十分だと思い、巻末には補説として新たに書き下ろした「英雄ジークフリート像の変遷」を付け加えている。5、6世紀における英雄ジークフリート像の原型から始まって、北欧第一次伝承及び第二次伝承のジークフリート像、13世紀初頭のドイツ中世英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』におけるジークフリート像、16世紀の韻文版『不死身のザイフリート』や18世紀の民衆本『不死身のジークフリート』におけるジークフリート像、そしてドイツ・ロマン派詩人たちにおけるジークフリート像、19世紀の悲劇作家ヘッベルと作曲家ワーグナーにおけるそれぞれのジークフリート像、そして最後には現代におけるジークフリート像をコンパクトに分かりやすくまとめている。振り返ってみれば、これは私の40年以上にも及ぶニーベルンゲン伝説あるいはジークフリート伝説の研究成果の要約版とも言えよう。それぞれの作品の翻訳もそれなりに価値があると思われるが、それ以上に巻末のこの補説は本翻訳書の目玉となるものではないかと自負している。本翻訳書をお読みになって、ドイツ中世英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』やワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』四部作をよりよく理解するための一助となるならば、訳者としては望外の喜びである。


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