【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第119号
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○「知的感動ライブラリー」(91)

映画『忠臣蔵』(1958年大映)
総合科学部教授 石川榮作

元禄14 (1701) 年3月14日に江戸城松の廊下で浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)へ刃傷(にんじょう)に及んだ事件をきっかけとして、のちに大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が切腹して果てた主君の無念を晴らすために翌年12月14日に吉良邸に討ち入ったという史実をもとにして、これまで実にたくさんの映画が製作されてきた。その数は実にたくさんあり、数え切れないほどである。戦後の映画全盛期時代の作品に限って挙げてみても、松竹映画では1954(昭和29)年の『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』(大曾根辰夫監督)、東映映画では1956(昭和31)年の『赤穂浪士』(松田定次監督)に続いて1959(昭和34年)の『忠臣蔵 桜花の巻・菊花の巻』(松田定次監督)、大映映画では1958(昭和33)年の『忠臣蔵』(渡辺邦男監督)、東宝映画では1962(昭和37)年の『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』(稲垣浩監督)などがあり、映画各社はその後もオーソドックスな「忠臣蔵」とともに、異色的な作品をも製作している。これにテレビドラマ化を含めたら、かなりの数にのぼるであろう。これらの作品を収集して、互いに比較しながら、各作品の特徴を調べていくのが、私の趣味の一つであるが、これらたくさんある「赤穂浪士」あるいは「忠臣蔵」物語の中で私が最も好きで、また一般的に最高傑作とも評価されているのが、渡辺邦男監督による大映映画の『忠臣蔵』(1958年)である。長谷川一夫が大石内蔵助を演じ、浅野内匠頭は市川雷蔵が演じるほか、当時の大映スターが勢揃いするという超豪華配役によって感動の物語が展開されているところに大きな魅力がある。とりわけ鶴田浩二が演じる岡野金右衛門と若尾文子演じる大工の娘お鈴との悲恋物語には涙を流さずにはいられない。以下、この赤穂浪士物語の決定版とも言うべき大映映画『忠臣蔵』のストーリーを順に辿りながら、この映画ならではの特徴や見どころなどを指摘していくことにしよう。


1.江戸城松の廊下での刃傷事件

映画は雷が鳴り響く荒れた天候の中、江戸から赤穂に向けて早駕籠(はやかご)が駆けて行く場面から始まる。冒頭からすでに何か江戸で事件が起こったことが見て取れる。やがて赤穂城の城代家老大石内蔵助(長谷川一夫) のもとに江戸からの早駕籠が到着して、手紙を手にした大石内蔵助はひどく驚き、そのあと彼の主君である浅野内匠頭(市川雷蔵)の最近の出来事がスクリーン上で展開されていく。

時は元禄14(1701)年3月、播州赤穂城主浅野内匠頭は江戸城下向の勅使接待役を務めることになり、接待指南役の吉良上野介(滝沢修)に何事につけ指示を求めるが、常に「田舎大名め」と愚弄されながら、嘘の指示ばかりで意地の悪い仕打ちを受け続ける。それでも家臣の堀部安兵衛(ほりべやすべえ、林成年)らの機転によって浅野内匠頭は度重なる窮地を切り抜ける。一晩での畳替えや衝立(ついたて)の交換などの有名なエピソードが展開されるこのあたりがたいていは見どころであるが、この映画では展開が早過ぎて、物足りなさを感じるかもしれない。しかし、吉良上野介の意地悪さが巧みに表現されていて、それだけに浅野内匠頭の辛さがいっそうよく分かってくる。彼の怒りが頂点に達するのが、3月14日、江戸城松の廊下においてである。その日の式服についても、烏帽子大紋(えぼしだいもん)を着用すべきところ、吉良上野介の企みによって浅野内匠頭は別の長上下(ながかみしも)の衣装を身に着けていたが、このときもまた臣下の片岡源五右衛門(香川良介)の用心深い心配りにより、失策をしないで済んだものの、そのあと松の廊下にさしかかったところで、浅野内匠頭は吉良上野介からひどい罵りの言葉を吐きかけられて、ついに刃傷に及んでしまったのである。吉良上野介はただ眉間(みけん)に傷を負っただけで、命に別状はなかった。あまりにも有名な見どころの場面である。

この刃傷事件の処分について、大目付役の多門伝八郎(おかどでんぱちろう、黒川弥太郎)や老中の土屋相模守(根上淳)は喧嘩両成敗の立場を取り、内匠頭に同情的だったが、吉良贔屓(びいき)の柳沢出羽守吉保(清水将夫)に押し切られて、五代将軍徳川綱吉の上意に従って、浅野内匠頭は即日切腹という処分を申し渡され、一方吉良の方は何のお咎めもなかった。浅野内匠頭が田村右京太夫(春本富士夫)邸の庭先で切腹する場面は、どの映画でもあわれを催し、最大の見どころである。この映画でも市川雷蔵が演ずる浅野内匠頭の切腹前の辞世を詠む場面などは、特に注目に値しよう。「風さそふ花よりもなほ我はまた 春の名残りをいかにとかせむ」という辞世は、「風に吹かれて散っていく花も名残り惜しいけれども、私のこの想いはもっと名残り惜しい、この春の名残りをどのようにして伝えたらよいのだろうか」と解釈することができよう。このような辞世を詠んでから、浅野内匠頭が桜の咲く庭先で切腹して果てるまでのこの場面が前半の最大の見どころであることは言うまでもない。


2.赤穂城明け渡しと山科での別れ

江戸からの早駕籠でこの悲報が赤穂城を護る城代家老大石内蔵助のもとに届けられた。この映画の冒頭に戻って、これからこの映画本来の物語が展開されていくのである。赤穂城では家臣たちの間では、籠城のうえ討ち死にすべきだ、あるいは城を明け渡すべきだなど、さまざまな意見が飛び交ったが、大石内蔵助は最初は城を枕に討ち死にすることから、次には主君のあとを追って殉死すべく切腹する方向へと家来たちを導きながら、最後には志の堅い武士のみとなったところで、初めて切腹を取り止めて自分の本心である仇討ちの意図を打ち明ける。その同志の中には大石内蔵助の元服前の若き嫡男大石主税(ちから、川口浩)と、同じく元服前の矢頭右衛門七(やとうえもしち、梅若正二)もいた。しかし、大石内蔵助は順序としてまず浅野家再興の策を立てて、赤穂城受け取りの脇坂淡路守(菅原謙二)を介してその嘆願書を幕府に出すことにした。ただその嘆願書も柳沢出羽守吉保によって一蹴(いっしゅう)されて、のちに浅野家再興の願いは虚しく受け入れられない結果となるのである。こうして赤穂城の武士たちは城を明け渡して、各地に散って行き、仇討ちの機会を待つこととなるのである。

赤穂浪士たちの仇討ちを恐れた吉良上野介の息子、越後米沢藩主の上杉綱憲(船越英二)は、家老千坂兵部(ちさかひょうぶ、小沢栄太郎)に命じて、父の身辺の警護に当たらせた。また千坂兵部は各方面に間者(かんじゃ)を放ち、京の山科(やましな)に移り住んでから浅野家再興の願いのために江戸に入った大石内蔵助をはじめ、赤穂浪士たちの動きを見張らせた。女間者おるい(京マチ子)もその一人であり、この映画では彼女が大石内蔵助の動きを探りながら、のちに大石の主君に寄せる一途な気持ちに心打たれることで、ストーリーに深みを与えるという、たいへん重要な役割を果たしているところが特徴である。

大石内蔵助は江戸に入って、主君浅野内匠頭の後室瑤泉院(ようぜんいん、山本富士子)を訪れるが、仇討ちの心の内は秘めておいた。江戸に集まっている赤穂浪士たちの中でも特に急進的とも言うべき堀部安兵衛らは、できれば少人数でも仇討ちを決行すべきだと主張したが、大石内蔵助は不当な処分をした幕府に反省を促すような大義の仇討ちを実行するためには、浅野家再興の願い出に対する回答を待ってからにするべきだと家来たちを説き伏せて、まずは一旦京の山科に帰って行くのであった。

それから半年後、大石内蔵助は京の祇園一力茶屋でたくさんの遊女たちと戯れる毎日を過ごしていた。遊蕩三昧(ゆうとうざんまい)に耽るその大石内蔵助の姿を見て、浪人関根弥次郎(高松英郎)は腰ぬけの犬侍となってしまった大石を罵るが、その遊女屋の浮橋太夫(小暮実千代)は大石の心のうちを察して彼をかばったりする。ところが、大石はそこにやって来た堀部安兵衛らから浅野家再興の夢が叶わなかったこと伝え聞くと、突然浮橋太夫らを身請けすると言って、山科の家に連れて帰る。そこで待っていた妻りく(淡島千景)に離縁を申し渡す。この場面でめずらしく内蔵助の母おたか(東山千栄子)が登場して、息子のふがいなさをなじることになっている。この点もこの映画の特徴というべきであろうか。いずれにしても妻りくは義理の母とともに幼い子供たちを連れて実家に戻って行くことにするが、嫡男の主税だけは父内蔵助のもとにとどまる。大石の母おたかは怒りを露わにして主君の位牌をここに置いておくわけにはいかないと言って、仏壇の中を覗き見たとき、仏壇に息子内蔵助の新しい位牌が置かれているのを見つけて、息子の本心を悟り、嫁のりくと一緒に喜び泣くのであった。内蔵助の本心を悟った母おたかと妻りくは、主税以外の子供を連れて、山科の地を去って行くのであるが、この家族が離れ離れになる有名な「山科の別れ」の場面では、あわれを感じずにはいられない。このあたりは文句なし見どころの一つであろう。

千坂兵部の間者おるいはもう一人の間者山岡平八郎(千葉敏郎)から大石内蔵助を暗殺するようにという指令を受けて、彼のもとに出かけて行くが、彼の清らかに澄んだ心に打たれて、懐刀で切りつけることはできなかった。間者山岡は外に出て来た大石内蔵助に斬りかかるが、主税たちに倒されてしまった。吉良上野介側がこうして刺客を送ってくる中、浅野家再興の夢も断たれた今、もはや機は熟したと言うべきであろう。京にいる仲間たちとともに、大石内蔵助は最初から江戸に入って仇討の準備を進めている同志のもとに向かうことになるのである。


3.江戸に集結する赤穂浪士たち

京にいる赤穂浪士たちはこうして5班に分かれて江戸に向かうのであるが、大石内蔵助の一行が江戸に向かう途中で有名なエピソードとなっているのが、近衛家用人垣見五郎兵衛(かきみごろうべえ、二代目中村雁治郎)との対面である。大石内蔵助はその垣見五郎兵衛になりすまして江戸に向かっているが、その途中の宿屋に本物の垣見五郎兵衛がやって来たのである。手形を見せるように要求された大石内蔵助は窮地に立たされるが、主君が切腹した折りの短刀を見せる。それによってこの人物が赤穂の大石内蔵助だと悟った垣見五郎兵衛は、主君の仇討ちにすべてを賭ける純粋な気持ちに心打たれて、自らを偽者であると詫びてから、さらには本物の手形を大石に渡してしまうのである。このとき大石内蔵助が口にする言葉は、映画のテーマの点でも重要なものである。「いやいやよくよくのご事情があってのこととじゅうじゅうお察し申す。武士は相身互(あいみたが)い、落ちぶれてこそ人の情けは身にしみてありがたいもの」大石は垣見に向かってこのように言っているものの、自らの心の内を明らかにしている言葉である。この映画で最も重要な内蔵助の言葉とともに、この場面で垣見五郎兵衛が見せる「武士の情け」が見どころであろう。

こうして大石内蔵助は江戸に入ることができ、四十六人の赤穂浪士が集まったが、あと一人若い元服前の矢頭右衛門七がまだ到着していない。母を連れての道中で手間取っているようである。先に江戸に入っていた同志たちは、すでにうどん屋や小間物屋などに姿を変えて、仇討の機会を窺っていた。一方、吉良側の千坂兵部は赤穂浪士たちの動きを探るため、策略を弄することにした。その策略とは、吉良上野介が越後へ行くという噂を広めて、その行列を赤穂浪士たちに襲撃させて、彼らを一網打尽にするというものであった。堀部安兵衛をはじめとする血気にはやる浪士たちは、このときをおいて仇討ちの機会はないと主張して、その行列を襲おうとするが、大石内蔵助は吉良側の策略であることを察して、同志たちのはやる気持ちを抑えた。行列を陰から見た大石は、やはりその行列の中の駕籠が空(から)であることを見て取った。その場で大石らしき人物の姿を見つけた吉良側の武士清水一角(田崎潤)は、仲間を引き連れて彼に襲いかかるが、相手の威厳に圧倒されて、手が出せないまま、引き上げた。

やがて赤穂浪士四十七人目の矢頭右衛門七も、やっと到着した。彼は江戸に向かう途中の神奈川の宿屋で旅費に困って母をそこに人質として残して、ここまで駆けつけて来たという。それを聞いた大石は、彼の母親に自分の母の形見である羽織に添えて金子(きんす)を届けるよう手筈を整えた。大石の部下を思う気持ちがよく表現されている場面であり、このエピソードも見どころの一つであろう。


4.岡野金右衛門と大工の娘お鈴

こうして赤穂義士四十七人が揃ったが、しかし、肝心の吉良邸の絵図面が手に入っていない。絵図面は吉良邸を改築した大工政五郎(見明凡太朗)のもとにある。赤穂義士四十七人の一人岡野金右衛門(鶴田浩二)は、小間物屋の番頭に姿を変えて、その大工の娘お鈴(若尾文子)に近づき、その絵図面を手に入れる機会を窺っていたが、いつの間にかその二人の恋は本物になっていた。岡野は同志たちからその絵図面を手に入れるよう催促されるが、心から愛してしまったお鈴さん(岡野はおすうさんと呼んでいた)を裏切ることはできないと言って、ためらっていたのである。しかし、同志が四十七人揃った今、しかも自分の目の前で大石内蔵助が矢頭右衛門七の母親に見せたやさしい心に触れて、岡野金右衛門は何が何でも絵図面を手に入れることを決心したのである。彼はお鈴さんを呼び出してから、意を決して少しの間だけでもいいから絵図面を見せてほしいと頼む。このときお鈴は恋人が赤穂の浪人であることを察するが、恋人が自分に近づいたのは、自分を愛してくれているためなのか、それとも絵図面を手に入れるためだけなのかと問い質(ただ)す。岡野は今では心からお鈴(すう)さんのことを愛していることを告白すると、お鈴は家に帰って箪笥の中から絵図面を取り出して、恋人のもとに急ごうとするが、手の中に何かを隠しているところを父政五郎に見つけられてしまった。政五郎はそれが吉良邸の絵図面だと分かると、娘の恋人が赤穂の浪人であることを悟るものの、娘の恋心を大切に思い、外で待っていた岡野金右衛門に向かってこう言う。「この世でははかない縁(えにし)の二人だが、その代り来世ではきっと娘と添い遂げてやっておくんなさいよ」政五郎は吉良邸に出入りする人間でありながら、赤穂浪士と自分の娘のこの世では叶えられない恋を容認して、絵図面をそのまま持たせて帰らせるこの場面は、この映画の最も注目すべき特徴であり、見どころである。この二人の恋と父親のエピソードがこの映画の内容をより深いものにしていると言ってよいであろう。

このあと絵図面を大切に懐に抱いて岡野金右衛門が家に帰る途中、吉良側の武士清水一角に呼び止められたうえ、赤穂の回し者ではないかと疑われて、痛めつけられたりしてひどい仕打ちに合うが、じっと堪(こら)えているうち、お鈴がやって来たため、二人は夫婦ということで、岡野は難を逃れることができた。この場面も岡野とお鈴の絆の強さがひしひしと伝わってきて感動的である。お鈴という女性がこの映画の内容に深みを与えていると言えよう。

このお鈴と同様に、この映画でたいへん重要な役割を果たしている女性が、千坂兵部の間者おるいであるということは、すでに述べたとおりである。大石内蔵助がすでに江戸に来ていることを察した千坂兵部は、再び間者おるいを大石の宿屋に偵察のため行かせるが、しかし、おるいは吉良側が何の関係もない町人を疑って、拷問にかけている有様を見るにつけ、その無残な行為に嫌気がさす一方、赤穂側の主君を思う純粋な気持ちに心打たれて、内蔵助に吉良家茶会の日が12月14日であることを教えてしまうのである。しかし、その大石の宿屋から出てきたおるいは、吉良側の清水一角と赤穂浪人の大高源吾(品川隆二)が剣を抜き合っているところに出くわし、おるいが大高源吾をかばったため、清水一角は間違っておるいを斬ってしまった。それでもおるいは息を引き取る前、この宿屋には大石内蔵助はいないと嘘をついて、内蔵助を護ろうとするのである。大高源吾からこのおるいの最期のことを聞いた大石内蔵助は、悲痛な思いでおるいに感謝の念を捧げるのであった。このおるいにまつわる場面も感動的であり、このあたりも見どころの一つであろう。


5.吉良邸への討ち入り

このおるいのおかげで大石内蔵助は、12月14日に吉良邸で茶会があることを知り、その日は吉良上野介が屋敷にいることが確実となったので、吉良邸への討ち入りは当日の深夜になってから決行することに決め、同志たちに檄(げき)を飛ばした。同志たちの意気はいよいよとばかりに奮い立った。

ついに討ち入り決行の日となって、赤穂浪士の一人赤垣源蔵(勝新太郎)は実兄の塩山伊左衛門(竜崎一郎)宅を訪れるが、実兄は留守であった。塩山の妻まき(朝雲照代)も厄介者がやって来たと思って、仮病を使って面会しない。そのため源蔵は女中(若松和子)に実兄の着物を床の間に移してもらって、その前で酒を飲みながら、実兄の着物に向かって独り言をつぶやく。実兄の着物を前にしてさめざめと泣いていたことを、あとで伊左衛門が女中から聞くと、なぜ弟をもてなしてやらなかったのかと、妻を叱りつけたのである。これも有名なエピソードであり、勝新太郎演ずる赤垣源蔵の独特な演技が見どころである。

討ち入り決行のその日、大石内蔵助は暇乞(いとまご)いのために主君浅野内匠頭の後室瑤泉院を訪れたが、腰元たちの中に吉良側の間者がいるのを察して、あくまでも仇討ちの心の内は明かそうとせず、ただあるところに仕官が決まったと嘘をつくのみである。瑤泉院と彼女に仕えている戸田局(とだのつぼね、三益愛子)は、主君を思う忠義の心を失って、他家に仕官するつもりでいる内蔵助に失望してしまう。この三者間でのやりとりがどの「忠臣蔵」でも見どころであるが、この映画では特に素晴らしい場面に仕上がっていると思う。大石内蔵助は本心を打ち明けたいところであるが、じっとそれをこらえている。侍女戸田局から罵りの言葉を吐かれても、大石内蔵助は自らの信念を貫くことにおいて微動だにしない。そのような大石内蔵助を長谷川一夫が見事に演じきっている。内蔵助はこのたび江戸に来る途中でしたためた歌日記だと言って、巻物を主君の仏壇に置いたまま帰って行く。瑤泉院の住まいから出ると、外は雪が積もっている。その中を内蔵助は傘をさして帰って行く。南部坂の屋敷に住む瑤泉院を訪問するこの場面は有名なエピソードであり、この映画の最大の見どころと言ってもよいであろう。

このあと赤穂浪士のもう一人の勝田新左衛門(川崎敬三)のエピソードが続いて展開される。彼は実家に預けていた妻八重(浦路洋子)と子供に別れを告げに来たが、他家へ仕官するためだと聞いた八重の父大竹重兵衛は、主君の恩も忘れて、仇を討たない義理の息子に怒りを露わにして「今日限り離縁いたす」と言い渡して、彼を追い出すのであった。本懐を遂げるまでは、たとえ身内であっても、本心を打ち明けることができない赤穂浪士たちの心の内があわれでならない感動の場面である。

やがて夜が更けてきて、瑤泉院の住まいでは、内蔵助が主君の仏壇に置いていった巻物を盗もうとする者がいた。ちょうどそのとき侍女戸田局が見つけて、間者を取り押さえた。それは腰元の紅梅(こうばい、小野道子)であったが、吉良側の間者としてこの家に送られて来ていたのである。彼女が盗もうとした巻物を調べたところ、それは同志たちの名前を書き連ねた連判状であった。このとき初めて瑤泉院は内蔵助の本心を知り、「内蔵助、許してたもれ!」と歌舞伎調の口調で叫ぶ場面は圧巻である。山本富士子のややもすれば大袈裟とも言える演技は、それだけに魅力たっぷりで、この映画の最大の見どころであろう。

その頃、大石内蔵助を筆頭とする赤穂浪士四十七人は、そば屋の二階に集合していた。すでに全員が火消し装束を身に着けていた。この映画のクライマックスの始まりである。感動的な音楽も加わって、一同は雪の積もる江戸の町を走り抜けて、吉良邸にやって来る。大石は表門と裏門の二手に分けて、陣太鼓を打ち鳴らして、討ち入りの号令を与えると、赤穂浪士たちは二手から吉良邸に押し入った。あとは斬り合いのシーンが展開されるが、その中でも堀部安兵衛とその父堀部弥兵衛(荒木忍)が助け合いながら戦う場面が、ユーモアをもって展開されている。凄惨な戦いの中でもホッと一息つける場面である。東映映画なら、吉良上野介をやがて炭小屋に見つけ出して仇討を遂げるまで、もっと派手にチャンバラの場面が展開され、それがまた東映映画の魅力的な見せどころであり、特徴となっているところであるが、この大映映画ではチャンバラシーンが少し抑えられ気味のような気もする。吉良側の武士清水一角も比較的あっけなく倒され、吉良上野介も炭小屋に隠れているところを見つけ出されるまでは、スクリーンには一度も姿を見せることなく、あっさりと討ち取られてしまう。この討ち入りの場面が少し物足りないような気もする。しかし、それによってこの戦闘シーンの前後が際立たされる結果となっていて、映画全体がひきしまっているようにも感じられる。

この映画で真に感動的なのは、この討ち入り場面の前後であり、とりわけ討ち入り後には涙を流さずにはいられないシーンが続く。まずこの赤穂浪士たちの討ち入りの噂が江戸の町に流れると、大竹重兵衛は瓦版(かわらばん)を手に取って、婿の勝田新左衛門の名前を探し、名前を見つけたときの志村喬の喜び叫びながら涙ぐむ演技は、文句なしに見どころの一つであろう。赤穂浪人四十七士が上野介の首を掲げて、隊列を作り江戸の町を歩いて、主君の墓地のある高輪(たかなわ)に向かう途中で、大工の娘お鈴と岡野金右衛門とが出会い、別れを告げ合う場面も、あわれでならない。

赤穂浪士たちが両国橋にさしかかったところでは、多くの役人を伴った大目付多門伝八郎が、異様な装束をまとって府内に入ることはまかりならぬと言って、橋の上で行く手を阻むが、その隊列が大石内蔵助の率いる赤穂浪士であることを悟ると、一個人としてはその本懐を遂げたことに敬意を示すとともに、武士の情けにより主君の墓地へ行く道を教える。すなわち、この両国橋は江戸城大手に通ずる要害なので、武装して通ることはできないが、深川より永代橋を渡って、高輪に向かえば別にお咎めはないと言うのである。この最終場面における大目付多門伝八郎の登場もこの映画の特徴であろう。さらに向きを変えて主君の墓地に向かう赤穂浪士たちの前に、瑤泉院が戸田局とともに現れて、地面に頭をついて元の家臣たち一同に感謝の念を示す場面もまた感動的である。こうして赤穂浪士たちが永代橋を渡って主君の墓地のある高輪に向かうところで、エンディングとなる。


以上のように見てくると、この大映映画『忠臣蔵』はオーソドックスな筋の展開を見せていることが明らかである。オーソドックスでありながらも、吉良側の間者おるいや赤穂浪士岡野金右衛門の恋人お鈴という女性たちにとりわけ重要な役割を与えて、「赤穂浪士」あるいは「忠臣蔵」の男性的な物語にもう一つの女性の物語を付け加えることによって、さらに魅力的な仕上がりになっていると評価することができよう。浅野内匠頭の後室瑤泉院もまた義士物語の単なる飾りもので終わるのではなく、主人公大石内蔵助と同じレベルで重要な役割を果たしており、とりわけ山本富士子の見事な演技によって、映画全体が引き締まっている。要所要所で大石内蔵助に同情している大目付役の多門伝八郎が登場して「武士の情け」を見せるのもこの映画の特徴の一つである。当時の大映スターも勢揃いのかたちで一場面一場面を盛り立てており、「赤穂浪士」あるいは「忠臣蔵」物語の最高傑作と言っても決して過言ではあるまい。さらに斎藤一郎の音楽も感動的で、オペラ歌舞伎とでも呼びたいような醍醐味を味わわせてくれる。私がオペラ好きになったのも、このような日本の本格的な時代劇映画の影響のようである。是非、この機会にこの名画を鑑賞していただければ幸いである。また併せてその他の「赤穂浪士」あるいは「忠臣蔵」の映画・テレビドラマを鑑賞すれば、この大映映画『忠臣蔵』がもっともっとおもしろくなってひときわ輝いてくることであろう。


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