【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第118号
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○M課長の図書館俳句散歩道 (秋 霜月の巻)

「霜月」は,霜降り月の略とされておりますが,霜が降りる寒い11月となりました。

「霜」の季語は,初冬にあたりますが,陽暦の秋が9月から11月の観念から秋としております。


霜月の空也は骨に生きにける       子規


この句は明治29年雑誌「太陽」に載った冬の句です。

空也上人は諸国を遊行した後,京の市中などで庶民に念仏の教えを説き「市聖(いちのひじり)」と称されています。十世紀半ば,諸国遍歴途中に浄土寺を訪れ,三年間滞在したとされますが,空也上人像を本堂の厨子に安置する浄土寺は,四国霊場四十九番札所です。

上人がこの地を去る時に,「南無阿弥陀仏」の6文字の念仏を口から出している小さな像を寄進されたと伝えられており,京都の西国六波線密寺と国内に2体だけしかなく国の重要文化財に指定されています 

11月13日は,空也の忌日でこの日,京都の極楽院では念仏踊りが行われます。この日は空也が晩年に京から奥州へ旅立った日で,弟子たちにこの日を命日とするように命じたといわれています。「空也忌」は俳句の季語になっています。

「骨に生きる」とは,空也は死んでもその教えは今も生きているとの意味でしょうか?


  山茶花のここを書斎と定めたり      子規


明治28年の作。子規は山茶花が見える庭のある書斎を夢見ていたのでしょうか?それとも子規が俳句を創っている部屋には,山茶花が活けていたのでしょうか。


椿が春咲くのに対し,山茶花は初冬に庭を美しく飾る花です。椿とよく似ているので,姫椿・小椿ともいわれています。


童謡・唱歌「たき火」が聞こえてきそうな小春日和の情景が浮かんできます。小春日和も初冬の季語です。


  山茶花を旅人に見する伏見かな        西鶴


『日本永代蔵』,『世間胸算用』など浮世草子で有名な井原西鶴は大阪に生まれ,15歳頃から俳諧師を志し談林派を代表する俳諧師として名をなしています。


遠路はるばる伏見を訪ねてきた旅人に山茶花を見せた。


初冬の寒い日に,わざわざ逢いにきてくれた人に山茶花の花びらがやさしく人を迎え和ませてくれるほのぼのとした句です。


  旅人と我名よばれん初しぐれ       芭蕉


「時雨」は,晴れたり降ったり,断続して定めなく降る冬の雨です。「時雨」が降る天候に変わることを「時雨れる」といいますが,時間を感じさせる雨ともいえます。

「時雨」の語源は「過ぐる」とか「しは風,くるは狂」風にともない突然降り,また止むの意ともいわれています。


「時雨」には,その降り方によって片時雨・村時雨などともいわれ,夜の降る「時雨」を好んで「小夜しぐれ」といいます。四季それぞれ違った降り方をする日本の雨,その中で「時雨」は特に詩歌になじみの深い雨であり,京都の「北山時雨」は昔から名高いものです。まさに時雨のもつ閑寂さが愛されたゆえではないでしょうか。


その冬のはじめての「時雨」を「初時雨」といいます。


この句は,芭蕉44歳「笈の小文」の旅の冒頭の句です。貞享4年(1687年)(『奥のほそ道』の旅の2年前),芭蕉は深川を出発し,伊良湖崎,伊勢,故郷の伊賀上野を経て大和,吉野,須磨,明石へと旅をします。

『笈の小文』はこの旅のことを書いた紀行文です。「笈の小文」は,「旅で背負う箱に入れて持ち歩いた,懐紙に書いた短い文章」という意味です。


初時雨の降る季節となった。私は今日,その時雨にぬれながら旅立ち,「旅人」と呼ばれる境涯に身を置こう。


「旅人」であることに誇りをもち,楽しむような風情のある句です。


また,次のような意味にもとれますがいかがでしょうか?

「旅人」であることに覚悟を決めた。だがもう初しぐれの季節になってしまった。人生の晩年にさしかかった私であるが,旅をすることに決して後悔しない。


「奥の細道」の冒頭に

「月日は百代(永遠)の過客(旅人)にして行きかふ年もまた旅人なり」とあります。

人生を旅ととらえた芭蕉の心情をあらためて知る句でもあります。


芭蕉は生涯に次の紀行文を記しています


1 「野ざらし紀行」  貞享元年(1684)8月~翌年4月    

    亡母の墓参を兼ねた上方,東海紀行

2 「鹿島紀行」   貞享4年(1687)8月

    潮来の月見と鹿島神宮参詣

3 「笈の小文」   貞享4年(1687)11月~翌年4月    

    尾張,伊賀上野から京都に至る

4 「更科紀行」    貞享5年(1688)5月~8月

    京都から木曾街道を経て善光寺 尾張へ

5 「奥の細道」 元禄2年(1689)3月~翌年8月

    関東,東北地方を巡る

   (「奥の細道」の執筆は芭蕉最晩年の元禄7年4月)


芭蕉41歳『野ざらし紀行』の旅の冒頭の句


野ざらしを心に風のしむ身かな


旅人としてどこかで行き倒れ,白骨を野辺にさらそうとも覚悟しての旅ではあるが,秋風

の冷たさがことさら身にしみてくる。


芭蕉51歳 辞世句


旅に病んで夢は枯野をかけめぐる


病床にあっても旅へのあこがれと俳諧への思いに心打たれる絶唱の句。


41歳から51歳の10年間,旅への誘いとともに芭蕉はたくさんの名句と人生について

の思索を私たちに残してくれています。


忌日である陰暦10月12日(新暦で11月28日頃)は,時雨忌とも呼ばれています。


初時雨猿も小蓑を欲しげ也


山の中で初時雨が降りさっそく蓑を腰に巻いたが,寒さの中で樹上の猿たちも小蓑をほしそうに見えることだ


蕉門の発句・連句集「猿蓑」の冒頭に芭蕉が詠んだ句でそのまま句集名になっています。

俳諧七部集の内の一つで蕉門の最高峰の句集であるとされています。


芭蕉にとって,旅と夢が人生の「テーマ」ですが,その夢の中にみたもの,探したいもの

は何であったのでしょうか?


その手がかりが もしかしたら図書館の中にあるのかもしれません


図書館へ夢を探して初しぐれ


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