【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第118号
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○「知的感動ライブラリー」(90)

山田洋次監督『遥かなる山の呼び声』
総合科学部教授 石川榮作

山田洋次監督『遥かなる山の呼び声』は『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』(1977年松竹)が製作されてから3年後の1980年に製作、公開されたものである。北海道を舞台にしていることや、主人公を高倉健と倍賞千恵子の2人が演じている点でも共通しているが、最終場面には「黄色いハンカチ」が出てきて、観客の涙を誘う感動の場面が用意されている点でも共通している。後者の映画の続きが前者の映画の冒頭部分につながっていく内容になっているとも考えられよう。以下、この映画のあらすじを順に辿りながら、特徴・見どころなどを紹介することにしよう。


まずこの映画のストーリーは北海道東部の根釧(こんせん)原野にある中標津(なかしべつ)町を舞台として、その地方の雄大な牧場での美しい四季の映像を織り込みながら展開されていく。

北国の春は遅く、最初にスクリーン上に映し出されるのは、中標津町の酪農地帯の遅い春の風景である。主人公の風見民子(倍賞千恵子)は2年前に夫を失くして、女手一つで酪農を経営しながら、小学校に通う1人息子(吉岡秀隆)とともに暮らしている。ある春のひどい雨の夜、道に迷った1人の男(高倉健)が彼女の家の扉を叩き、牛小屋でも軒先でもいいから、今晩一晩泊めてほしいと願い出た。民子は男を母屋から離れたところにある物置小屋に泊めてあげることにした。息子に明かりと食事をもそこへ運ばせた。その夜はちょうど牛のお産の日であったが、男はそのお産を手伝い、翌朝、雨があがった中、礼を言って立ち去って行った。

やがて夏が来て、その中標津町の民子の家にあの男が再びやって来た。この牧場でしばらく働かせてもらえないかということであった。しかもお金はいくらでもいい、食べさせてもらえるだけでいいという。女手一つで酪農を営んでいる民子にとっては、人手不足の中ありがたい話であったが、こういうことは農協を通す必要があると思い、ためらってしまった。民子はこの男を警戒しながらも、結局はしぶしぶ雇い入れることにした。男は以前に泊めてもらった物置小屋で生活することになった。母に言われて息子が男のところへ行って名前を尋ねたところ、男は田島耕作という名前であった。男がそのとき坊やの名前を尋ねたところ、坊やの名前は武志といった。

翌朝から、田島耕作の牧場での仕事が始まった。田島は九州生まれだが、父と一緒に北海道へ出て来て、以前に牧場で働いたこともあるということで、テキパキと酪農の仕事をこなした。小川で馬を洗ったあと、そのときにはまだ男に対して警戒心を示していた武志と隣家の娘ひとみ(大竹恵)をその馬に乗せてあげたりして、家に帰った。その夜、民子は亡き夫の作業着を田島に差し出して、労働条件のことなどを話すが、田島はお金はいくらでもいいし、休みも要らないと答える。何か事情があることを察しながら、民子は田島がどうしてこういうところへやって来たのか、そのわけを尋ねるものの、田島は聞かないでほしいと言うだけであった。

翌日も田島は杭を打ちつけたりして、牧場の仕事に励んだ。そこへ車を乗りつけて来た男(ハナ肇)がいた。彼の名前は虻田(あぶた)太郎といい、北海(オホーツク)料理店を経営する男で、寡婦となった民子に好意を寄せて、五十嵐さんという人を通じて彼女に結婚を迫っていたが、民子にはまったくその気がなく、断りの返事をしていたのだった。その日も虻田は返事を考え直してくれるよう、強引に納屋の中で民子を口説こうとするが、民子が棒切れでもって力の限り抵抗するので近づくこともできなかった。納屋の外からそれを田島が眺めていたが、田島はその男が民子の親しい人だと思って、助けようともしなかった。民子はそのような鈍感な男の田島にあきれはててしまうのであった。

民子の夫誠二の3回忌の法事の日がやってきた。法要は亡き夫の実家で行われた。雨の降る中、法要が行われたあと、実家の居間に皆が集まった。民子の隣家の主婦で、何につけいろいろと手助けしてくれる福士房子(杉山とく子)も、その夫(小野泰次郎)とともに法要にきてくれていた。民子が息子の武志と一緒に実家の牛小屋を見に出かけると、民子の義兄が福士夫婦に民子の今後のことを聞いた。隣家の主婦房子はこの正月にも民子に牛飼いを止めるなら早い方がいいと言ってやったが、その話になると、民子は口を閉ざしたままであるという。牧場には夫誠二の思いがこもっているから、なんとしても護っていきたいのだろうということであった。とにかく民子はよく頑張っていると、房子は彼女を褒め称えながら答えるのであった。

こうして頑張り屋の民子がある日のこと自分の牧場で働いているところへ、またあの虻田太郎がやって来た。ゴルフへ行く途中と見えて、その服装をしているが、車の中から魚など多くのものを持ってきて、しきりに民子を口説こうとする。強引に抱きつこうとしたとき、民子が大きな声で助けを求めたので、田島がそこへ駆けつけて、虻田を納屋の外に放り出して、バケツの水をぶっかけて追い払った。ところが、しばらくしてから虻田太郎は2人の弟次郎(神田英郎)と三郎(粟津號)を連れて、ジープでやって来た。どうやらこの3人がこのあたりでよく知られている虻田3兄弟のようである。田島耕作はこの3人兄弟から喧嘩をふっかけられると、ここには子供(民子の息子武志)がいるのでと言って、3人を広い草地に誘って、そこで喧嘩に応じることにした。しかし、田島はいとも簡単に彼らを平伏させてしまった。

このありさまを遠くから眺めていた民子の息子武志は、自分の家に滞在しているこのおじさんがたいへん強い男の人であることを知って、このとき初めて男の世界へのあこがれを抱いたと言ってもよいであろう。おじさんからこの3人兄弟との喧嘩のことをお母さんに言ってはならぬぞと言われていたものの、武志はつい母にもらしてしまう。そのことを知った田島は、「約束を守らないと、男じゃないぞ」と言いながら、武志を教え諭すが、武志はそう言われれば言われるほど、おじさんにあこがれを強くしていったと言ってもよいであろう。

この強い男、田島耕作に惚れたのは、武志少年だけではなく、虻田太郎もまたそうであった。彼はこのときの喧嘩に負けてから男としての田島耕作に惚れてしまい、手打ちのしるしにその夜、田島を酒場に誘い出そうとして2人の弟と数人の女たちを連れてやって来た。しかし、田島がそれを断ったので、彼らはそのまま田島の寝起きしている物置小屋で手打ちの酒盛りをするのであった。その夜はにぎやかに騒いだようである。

このようにして田島はその土地の者たちともだんだんと馴染んでいったのであるが、そのようなある日のこと、民子はこれまでの重労働がかさなったためか、作業中にぎっくり腰で動けなくなった。草原で働いていた田島は、武志からそのことを聞いて、家に駆け戻り、民子の指示に従って、隣家の福士夫婦に連絡をつけると、隣家の夫婦は車でやって来て、民子を病院まで連れて行ってくれた。病院で診察を受けると、民子は2週間安静にする必要があり、そのまま入院することになった。

こうなると田島耕作はますます民子の家にはなくてはならない存在となり、武志と隣家の娘ひとみとその父と一緒に酪農の仕事をするのであった。

民子の義兄が病院に彼女を見舞った折り、義兄は民子に向かって、「もしかして弟誠二のことを思って、遺した土地を売っちゃいけないと思っているんじゃないかね」と尋ねるが、それに対して民子は、夫の病気が重くなったとき、夫からもしものことがあったら土地を売って町に出て暮らすように言われたことがあったことを打ち明ける。しかし、民子は町に出てアパート暮らしをするよりも、少し身体がつらくても牧場を護っていくことの方に生き甲斐を感じていることを口にするのであった。

こうして民子が病院に入っている間、牧場の仕事では田島耕作が貴重な存在となったが、幼い武志にとっても、母が家にいない今は、とりわけおじさんが父代わりの特別な存在であり、おじさんから馬に乗ることなども教えてもらうのであった。翌日には虻田3兄弟もそれぞれトラクターで駆けつけて来て、仕事の手伝いをしてくれた。このあたりは広々とした平野での作業で、微笑ましい場面である。

こうして母が入院中の間は隣家の娘ひとみが武志の面倒を見てくれていたが、ひとみが自分の家に帰って行った夜には、武志は寂しくなっておじさんの物置小屋にやって来て、その隣で寝ることにした。そのとき田島耕作は父のいない武志を励ます意図で、過去の自分の身の回りのことを話して聞かせる。それによると、田島の父は仕事が行き詰って、借金が返せなくなって、橋の下で首を括って死んだという。それまで父と兄と自分との3人暮らしであったが、父の自殺の知らせを受けて、兄とともにリヤカーで父の遺骸を引き取りに行った。その帰り道、町の人がいっぱいいる中を、自分は涙をこらえながら歩いたという。「人は我慢しなくちゃならないことがいっぱいあるんだ。だから母さんが入院したくらいで、泣くんじゃないぞ」と、田島は武志に言い聞かせるのである。この田島耕作の台詞は最終場面において彼が初めて流す涙と繋がっており、必要不可欠なものである。武志にとってはこのおじさんの影響を少なからず受けて、内面的に成長していると言ってもよいであろう。

2週間後に、民子が無事退院して、また家に戻ってきたとき、民子は息子がおじさんにすっかりなついている姿を見て、うれしく思うのであった。その頃、民子の従弟(いとこ)の勝男(武田鉄矢)が博多から新婚旅行の途中だと言って、新妻の佳代子(木ノ葉のこ)と2人で車に乗ってやって来た。この場面で渥美清が人工授精師として登場して、観客を楽しませてくれる。渥美清はどの映画に友情出演してもやはり寅さんである。彼の登場だけで笑いがこみあげてくる。その日の夜、勝男が風呂からあがったあとの団欒(だんらん)の時間には、民子が博多で過ごしていた頃の思い出に話が弾んだ。武志の母橋本民子は高校生の頃、とてもきれいで皆が注目する存在であったことを、勝男は誇らしく武志に語って聞かせるのであった。しかし、そのような民子は親の反対を押し切って駈落ちのような行動までとって、この北海道の牧場にやって来たのだという。幸せになれると信じていたのに、愛する夫誠二は2年前に亡くなってしまった。その夫の遺した牧場を今は女手一つで護っている。翌日、勝男は車に乗って、その従姉(いとこ)の民子の牧場を去って行くとき、「なんかかわいそうなんだよな、あの姉さん」と口にしながら、涙を流す。勝男新郎新婦の訪問が楽しい雰囲気をスクリーン上に映し出していたあとだけに、ジーンとくる場面である。この場面での勝男の涙も見逃してはなるまい。

夏が過ぎて、やがて秋がやってきた。武志は小学校から帰ってくると、カバンを放って、草原でおじさんと馬に乗って遊ぶ。武志だけではなく、母民子も今では田島耕作に好意を抱いて、一緒に馬に乗って楽しいひとときを過ごしている。微笑ましい牧場での風景である。その馬はユカという名前の雌馬で、田島耕作がその馬に乗って牧場を駆け回る場面は、音楽も添えられているうえ、高倉健の魅力がたっぷりと出ていて、見どころであることは言うまでもない。

この民子の牧場近くにある上武佐(かみむさ)駅に、耕作の兄駿一郎(鈴木瑞穂)が弟耕作を訪ねてやってくる。弟の好きなコーヒーの豆をみやげに持ってきて、久し振りに兄弟の再会を果たすが、兄は弟が容疑者で警察に追われている身であるから、勤めていた学校は辞めてしまったという。弟は兄に迷惑をかけたと思って謝るが、兄は塾を開いてぼちぼちやっているから心配するなと答える場面などは、子供の頃から不運続きの兄弟の絆がひしひしと感じられる。別れ際に、兄はいつまでこのような所にいるのかと尋ねると、弟はできれば何年でもここにいたいと答える。これまで人目を避けて北海道の各地を転々とさまよってきたが、耕作はこの民子の牧場ではそのようなことも忘れて、久し振りに安らぎを見出していることが読み取れる。この不運続きの兄弟が再会を果たした上武佐駅は、この映画製作ののち、その路線が廃止(1989年4月30日)となって、現在はなくなっているだけに、今では貴重な映像となっている。いろいろな意味でこの場面は見どころである。

その夜、民子が耕作の納屋にやって来て、耕作から兄のみやげであるコーヒーをごちそうになりながら、いろいろなことを話す。「仕事やめたいと思ったことありませんか」の耕作の質問に、民子は「病気になったらおしまいだから、・・・本当のこと、つらいわ。特に冬は寒くて、風は強いし」などと、つい本音をもらしてしまう。こういう本音をもらしてしまうのも、民子が今や耕作に対してこれまで以上に好意を抱いているあかしと理解できよう。民子の「いつまでいてくれるんですか」の質問に、「奥さん次第です」という耕作の返事は意味深長である。「武志、喜ぶわ」と答える民子は、自分のことともに息子のことをも忘れない。赤の他人であった3人が、より親しみを感じるようになった場面である。

この3人の絆は、このあと展開される草競馬でさらに深められる。この地方では毎年秋になると、草競馬が催されており、今年は民子の馬ユカ号で耕作が騎手となって、それに参加することになったのである。この催し物では、広い草原の中で家族が弁当を囲んで楽しいひとときを過ごしているさまや、祭り気分で屋台が出ている様子がスクリーンに描き出されて、田舎のよさがしみじみと伝わってくる。虻田3兄弟も差し入れを持ってきて、草競馬に参加する田島耕作を応援する。微笑ましい光景である。田島耕作はゼッケン3を身に着けて、ユカ号に乗って、馬を走らせる。最初はケツを走っていたが、だんだんと前に出てきて、最後には1着でゴールした。民子と武志は大喜びである。ところが、この草競馬で目を光らせていた2人の刑事たち(園田裕久と青木卓)がいた。草競馬が終わって、田島耕作が車の横で着替えているとき、刑事の1人が「あんた、函館の田島さんじゃないかね」と尋ねたのである。耕作は「いや、違います」と答えたところに、虻田3兄弟が「兄貴!」と叫びながら、駆けつけてきたので、その場はなんとか逃れることができたが、そのあと民子と武志とともに町の祭りを見物している折りにも、人ごみの中から2人の刑事の目が光っていた。その祭りの見物の途中、民子は武志と耕作の2人を残して、買い物に出かけて、耕作の服を買ってくる。家に帰って、耕作の納屋で試着してみると、ぴったりである。母屋に帰るとき、民子は耕作に向かって、「今夜から私の家に泊って。もう他人と思っていないから」と口にする。民子は今や耕作に心を開いていると言ってもよいであろう。しかし、それだけに耕作は複雑な心境となる。しかも今日の草競馬と祭りの会場では2人の刑事の目に見張られていた。もはやこれまでではないのか。納屋から外に出て、牧場を眺めると、美しい夕焼けである。しかし、美しい夕焼けだけに、今の耕作の心には悲哀の色もそこに交じっている。この美しくも、はかない夕陽の場面も、この映画の見どころであろう。

その夜、耕作は母屋に入って行くと、民子は「ふとんは2階に敷いてある」と言ったあと、今はすでに寝てしまった息子について「武志があんな大きな声を出して喜んだのは初めて」と口にして、耕作がこの家には必要不可欠な存在であることをほのめかすが、しかし、そのとき突然、耕作は「俺、やめさせてください。旅に出ます、明日にでも」と言い出す。突然のこの言葉に民子が、「私、何か気に障ることを言ったかしら」と尋ねるので、耕作はこれまでのことをついに告白する。それによると、耕作は人殺しで、警察に追われている身だという。今から2年前のこと、妻が金貸しに借金していたが、返済に困ってしまって、首を括って自殺した。その通夜の席に金貸しが押し掛けてきて、「事故死だったら、保険がおりたのに」と大声で叫んだので、耕作はその金貸しの男を殺してしまったというのである。「この2年間、人目を気にしていたが、この2か月間はそれを忘れていた。つい長くなってしまって」と告白する言葉の中には、この牧場での2か月間が耕作にとってはどんなに心の安らぎとなった日々であったかが読み取られる。民子は「武志にはどう説明すればいいの」と困り果ててしまう。結局、その夜はいつものように耕作は物置小屋で寝た。

ところが、深夜、耕作は母屋の戸をドンドンと叩く。牛のミーコの様子がおかしくて、苦しんでいるというのである。民子はすぐさま獣医(畑正憲)に連絡するが、その獣医は酒を飲んで酔っ払っていて、車にも乗れない。結局、獣医は馬に乗って、ヨタヨタと民子の家に駆けつける。酔っ払いの獣医は、酔い覚ましに「コーヒーがあればいいんだが」と言ったので、耕作は兄からもらったコーヒーを入れる。外では雨が降り出した。獣医は徹夜覚悟で牛の手術をすることにした。牛のミーコは民子にとってはよく働く牛で大切な存在である。それだけに民子は心配するが、手術に立ち合って服が血だらけになった耕作は、「見ない方がいい」と言いながら、民子を押しとどめる。そのとき民子は「行かないで、私寂しい」と、耕作に抱きつきながら、本音を吐いてしまう。女手一つでこの牧場を護ってきたが、もはや男手の耕作がこの家には必要であることを表現した求愛の言葉である。観客にとっては、なんとも切ない思いにさせられる場面である。この映画において重要な場面であることは、言うまでもない。

翌朝、雨は止んで、獣医は今はただ眠たいと言って、朝食も摂らないで、馬に乗って、家に帰って行く。この酔っ払いの獣医を演じる畑正憲の登場もこの映画の見どころでもあろう。

この獣医が帰って行ったあと、やがてパトカーがやって来る。耕作はカバンを提げて、民子に別れの挨拶をする。「ここで過ごしたことは、一生忘れません」と言ってから、到着のパトカーに向かう。武志はわけがさっぱり分らず、「おじさんはどこへ行くの」と叫ぶばかりである。民子は息子の武志にお金の入った封筒を差し出して、「これをおじさんに渡しておいで」と頼む。武志から封筒を受け取った耕作は、一礼をしてパトカーに乗り込む。耕作を乗せたパトカーはこの牧場を去って行く。

そして冬がきて、裁判所で田島耕作の犯罪について、「懲役2年以上、4年以下」という判決が出た。耕作が民子に告白したとおり、金貸しを殺した罪によるものである。その判決内容を傍聴席で耕作の兄駿一郎も聴いていた。出番が少ないながらも、兄駿一郎の存在もこの映画にはなくてはならない存在である。

最終場面は田島耕作が2人の護送員(下川辰平と笠井一彦)に付き添われて網走刑務所に移送される列車の中である。網走駅の一つ手前の駅で列車は停車するが、あの虻田太郎が列車の外から耕作を見つけて、民子とともに列車に乗り込んでくる。民子は直接耕作に話しかけることはできない。反対側の座席にすわって、あとから来た虻田と世間話をする。虻田は大きな声で民子に向かって言う。「奥さんは牛飼いを止めて、今は中漂別の町で働いているんだってねえ」この言葉に民子は「はい」と答える。虻田が続けて言うには、「ちょっと聞いたんだけど、息子さんと2人で、何年も先に帰って来る旦那を待っているという話、本当かね」うなずく民子に続けて、「えらいねえ。暮らしの方は心配ないのかい?」この言葉に民子は「虻田さんがいろいろと」と答える。それを受けて、虻田は「ああ、あの馬鹿が親切に面倒を見てくれているわけだ・・・そりゃ、よかった。本当によかった、よかった」と言いながら、泣き崩れてしまう。最初は悪役を演じていた虻田が、ここの最後になって9回裏で満塁ホームランを打つような、そのようなとりわけ重要な役割を演じている。このあたりからその場にぴったりの音楽も流れ始めて、山田洋次監督らしく観客を泣かせる場面である。しかし、クライマックスはやはりその次の瞬間であろう。田島耕作の目にはすでに涙があふれている。民子はそれを見て護送員越しに耕作にハンカチを渡す。黄色いハンカチである。耕作はそのハンカチで涙をふく。感動の場面である。父が自殺したときにも泣かなかった男の田島耕作が、今初めて民子の気持ちを虻田の言葉から知って、涙を流してしまう。この映画はこの田島耕作の涙のためにあると言ってもよいであろう。田島耕作を乗せた列車は網走駅に向かって走っているところで、この映画はエンディングとなる。山田洋次監督らしい感動のラストシーンである。


以上のように見てくると、この映画の続きは3年前に製作された『幸福の黄色いハンカチ』に繋がっていくと理解することができよう。この映画『遥かなる山の呼び声』を見てから、『幸福の黄色いハンカチ』を鑑賞すれば、ますますいっそう興味深いものとなるであろう。また倍賞千恵子が演ずる風見民子という名前では、山田洋次監督の映画『家族』(1970年)と映画『故郷』(1972年)とともに3部作のかたちとなっている。さらにこの映画『遥かなる山の呼び声』はアメリカ映画『シェーン』(1953年)から着想を得たとも言われ、似通っているところがあって、その点でも興味深い映画である。この映画のタイトルはまさにそのアメリカ映画の主題曲名を日本語訳したものであるとも言われている。これらの映画と合せて鑑賞すれば、映画というものがさらにいっそうおもしろくなるであろう。

さらにこの映画『遥かなる山の呼び声』の主人公はもちろん高倉健と倍賞千恵子の2人であるが、この2人に加えて特に注目したいのは、武志役の吉岡秀隆である。よく考えてみると、吉岡秀隆はこの映画のあと、寅さんシリーズ第27作目『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』(1981年8月8日封切)に、さくら(倍賞千恵子)の息子満男役で初めて出演しており、それ以降第48作目まで同じ役で出演している。吉岡秀隆の成長ぶりも寅さん映画の見どころでもあるが、その満男の原点がこの映画『遥かなる山の呼び声』に見出される。そういう意味でも貴重な映画である。

是非、この機会にこの名画を鑑賞していただきたいものである。北海道の美しい自然の中で繰り広げられる人間愛の物語には感動せずにはいられないだろう。北海道の冬は寒いけれども、人間愛の温かさを読み取ることができる映画であると言えよう。


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