【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第113号
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○連載「知的感動ライブラリー」(85)

山田洋次監督映画『学校』
総合科学部教授 石川榮作

1. 映画『学校』の製作

山田洋次監督の映画『学校』は1993年に製作され公開されたもので、夜間中学を舞台としている。この映画の最後にスクリーンに映し出される説明文によると、現在、日本には夜間中学が、公立のものが全国に35校あり、そのほかに有志のボランティアによって運営される自主夜間中学が数校あるとのことである。山田洋次監督は『男はつらいよ』シリーズの第26作目「寅次郎かもめ歌」(1980年)でも定時制高校に通う少女(伊藤蘭)を登場させているが、この頃からすでに夜間中学の教育に関心を寄せて、15年間もの長い間温めてきたものを、この映画に結集させたようである。この映画で東京の下町の夜間中学に通う生徒たちは、実際にいた生徒たちをヒントに作り出されたとのことである。彼らはこれまでいろいろな事情で中学校へ行けなかった者たちばかりで、その年齢層も若者から孫のいるお年寄りまでさまざまであり、しかも彼らが学ぶ内容は決して高度なものとは言えないが、しかし、それぞれに問題を抱えながらも、夜間中学に集まって一生懸命学ぼうと努力する姿には、感動を覚えずにはいられない。この映画の展開を辿りながら、見どころを紹介するとともに、「学ぶ」ということがどのように大切であり、またどのように喜びであるか、そして幸福とは何かを考えることにしょう。


2. 映画『学校』のあらすじと見どころ

この映画の舞台は東京の下町にある夜間中学校である。そこの教師である黒井文人先生(西田敏行)は、この夜間中学を懐かしみ、そして自分を懐かしんで訪ねて来る卒業生のために、これまで転校の要請も拒み続けて、この夜間中学校に長いこと勤務しているといった人物である。

卒業式も近づいてきた頃のある日、黒井先生は卒業記念論文集を作るために作文の授業を行う。黒井先生担任のクラスは生徒7名であるが、そのうち1人はまだ来ていないようで、またもう1人は病気のため山形の田舎の実家に帰っているという設定である。その病気のイノさん(本名は猪田幸男)からハガキが届いて、卒業式には出たいという。そのハガキを黒井先生は教室の後ろの掲示板に貼り出したところである。そのあと黒井先生は生徒たちに原稿用紙を配って、それぞれ「卒業にあたっての思い出、決意、その他」について書いてもらうことにした。それぞれの生徒たちが一生懸命原稿用紙に思い出を綴っていく中で、黒井先生が1人1人のことを思い出す、あるいは生徒がこれまでのことを思い出すかたちで映画のストーリーは展開していくのである。

まず最初の生徒は、孫もいる年齢になってからこの中学に入学してきた在日韓国人で、夫と一緒に韓国料理店を経営している金順姫という名前の女性(新屋英子)である。黒井先生やクラスメイトたちは彼女のことをオモニ(韓国語で「お母さん」を意味する)と呼んでいる。やさしい旦那に支えられて、かなり年をとってからこの夜間中学に通い始めたのであるが、漢字がなかなか覚えられずに教室でも悔しい思いを繰り返したようである。「小学校に行ってさえしたら、こんな苦労はしなかったのに」と後悔しながら、いくら学んでも馬鹿な自分を嘆くばかりである。そんなオモニを黒さん(黒井先生のことを生徒たちはそのように呼んでいる)は、「どこが馬鹿なんだ。3人の子供を育てて、焼肉屋もきちんと経営してきたではないか」と励ますのである。そのような彼女も今年晴れて卒業を迎えることになり、その思い出を原稿用紙に綴っている。

2人目は修(おさむ)という若い生徒(神戸浩)で、原稿用紙を前にして、黒井先生に「なら」という漢字の質問をする。彼は修学旅行で奈良へ行ったときのことを書きたいようである。黒井先生は黒板に「奈良」と書いて、その修学旅行のときに生徒たちに教えたことを思い出させる。「ならというのはオモニの国の言葉だ。そうだな、オモニ」と、黒井先生がオモニに確認すると、オモニは「うりなら」と答える。「どういう意味だっけ」の質問に「私の国」と答えるオモニの説明を補足して黒井先生は、こう続ける。「そう、わが祖国。今から千年前、朝鮮半島から渡ってきた帰化人たちが、遙かな祖国をしのんで、大和の山を眺めながら、うりならと呼んだのだ」奈良の語源説はいろいろとあるようであるが、黒井先生はオモニの国を引き合いに出して、上記のように補足説明して、修に奈良への修学旅行の思い出を作文するようにと励ますのである。

3人目の生徒はみどりという名前の若い女性(裕木奈江)であるが、机の上に顔を伏せたままでいる。黒井先生はこの生徒には大変苦労したようである。黒井先生が繁華街の片隅にある屋台でラーメンを食べていると、そこへ若者たちがやって来て、他人の食べたラーメンの汁を啜っている。その中にみどりがいたのである。彼女は不良少女で、シンナーなどを吸っていたようであるが、夜間中学で学びたいと思ったものの、つい昔の癖が出て、学校には顔を見せなくなったあとのことであった。黒井先生はやっと彼女を見つけて、逃げる彼女を追いかけてから、彼女を自分の下宿に連れ帰り、ラーメンをごちそうしてやった。しかし、その夜は黒井先生の下宿に泊まると言い出したので、黒井先生はそれを拒否した。自分の家には酔っ払いの父親がいるので帰りたくない気持ちはよく分かるが、独身の男性教師だから、彼女を泊めるわけにはいかないと説得するのである。すると彼女はまたすねて、「死んでやる!」と言ったなり、飛び出していった。黒井先生が後を追いかけたが、黒井先生が踏み切りで止まっている間にどこかへ逃げてしまった。朝、自宅に電話しても父親が娘は戻っていないと言うので、黒井先生は彼女のことが心配でならなかったが、その日の夜、学校に来ていたのでホッとした。そのときみどりは黒井先生の髪毛が薄くなったことを口にしながら、自分は中学を卒業したら、美容学校へ行くことを伝える。そして美容師になったら、先生の頭をカットしてやると言い出すのである。不良少女だった彼女が、将来の自分像を見つけたようで、黒井先生は「ありがてえや、先生散髪代助かるよ」と喜ぶのであった。

黒井先生がそのようなみどりとの出来事を思い出していたところへ、和夫(萩原聖人)が遅れて教室に入って来た。これが4人目の生徒である。黒井先生はこの生徒のことを普段はカズと呼んでいるが、このカズにも黒井先生はみどりとはまた別の意味で苦労したようである。みどりの場合とは違って、不良少年ではなく、明る過ぎるくらいであるが、特に勉強は嫌いなようで、今も黒板に作文の課題が書いてあるのを見ると、カズは「休めばよかったなあ、今日は」と口にするのである。黒井先生は窓辺にすわって、このカズの思い出にも耽る。暑い夏のある日、黒井先生が徹夜して準備した「夕日」の詩について説明している最中、一番の前の席でチューインガムをかんでいて、フウセンをふくらませたところで、黒井先生はたまりかねて注意すると、「眠気覚ましだ」と答えるありさまである。「眠いのは誰でも同じだろう」と言えば、「隣のイノさんなんか最初からグウグウ寝てるじゃないか」と突ってかかってくる。「イノさんはな、お前の親父の歳なんだぞ」と言えば、「いくら若くても俺の仕事はきついんだよ。先生みたいな仕事とは違うよ」と答える。これを聞いて、翌日、黒井先生はカズの仕事に付き合う。清掃会社の仕事である。そのさまがユーモアたっぷりに展開されている。一日中、掃除の仕事をして、夕方、学校へ行く頃には、黒井先生はクタクタである。カズが黒井先生を引っ張って学校へ連れて行く。この陽気なカズが夜間の教室に明るい光を投げかけていて、ホッとさせてくれるような存在である。

5人目の生徒は本名が張雲龍といって、みんなはチャン君と呼んでいる若い中国人(翁華栄)である。父は中国人だが、母は日本人という設定になっている。チャン君はこれまでのことを振り返りながら、原稿用紙に向かっている。彼は5年前に中国から日本にやって来たが、日本語を習うのに大変苦労したようである。ただそれ以上に苦労したのは,日本で生活するための昼間の仕事である。黒井先生の同僚の田島蛍子先生(竹下景子)が彼の仕事の世話をしてくれたが、それまで勤めていた自動車解体会社では協調性がないために、ほかの社員に迷惑をかける上に、いつも給料が安いなどと愚痴をこぼすので、解雇になってしまったようである。そこで田島先生は次の仕事場としてチャン君をクリーニング屋に連れて行って、社長と交渉するが、そのときにも給料のことを真っ先に尋ねて、賃金が安いと分かると、チャン君はたどたどしい日本語で「あなたの会社、景気悪いか」などと失礼なことを口にする。もちろん不採用になった。横浜の中華街にお父さんの知り合いがいるので、そこで働けば、給料がいいなどと、またもや賃金のことにこだわる。そのようなチャン君を見て、田島先生は少しは我慢するようにと説得するが、彼は日本の国が悪いことを責めて、「日本人みんな嫌いだ」と叫ぶ。田島先生は「そんなこと言っては駄目!・・・あなたは半分は日本人なのよ。その日本人が嫌いだということは、自分自身を嫌いだということになるのよ。あなたの身体にはすばらしい日本人の血と偉大な中国人の血が2つ入っている。それをどうして誇りに思わないの。・・・あなたの悔しい思いは分かるけど、あなたはこれからこの国で生きていかなければならないのよ!」と言って、最後には泣き出してしまう。このような夜間中学の教師の苦労話が展開されているが、チャン君は今卒業を前にして、その先生たちに感謝の気持ちをこめながら、原稿用紙にその思い出を綴っているのであろう。このチャン君のエピソードは黒井先生の回想というよりは、チャン君の回想のようなかたちとなっている。

6人目の生徒が、一番若いと思われる江利子という少女(中江有里)である。彼女はいつも可愛い服を着ていて、お嬢ちゃんのような存在であるが、これまで登校拒否を繰り返して悩んできたようである。仕事で帰りが遅いパパ(大和田伸也)と世間体ばかりを気にするママ(浅利香津代)との狭間で、これまで通っていた中学校には行かないことが多くなり、パパとママは藁をもつかむような気持ちで娘を連れて、この夜間中学を初めて訪れたのであったが、そのときには、江利子は見るからに青ざめた顔をしていた。黒井先生が「どこでこの学校のことを知ったの」と聞いても、本人が答える前にママが「夜中のテレビ番組で見たらしいんですよ」と答える。このことから江利子の登校拒否の原因がどこにあるのかが推測されるような気がする。「僕は江利子さんに聞いているんですよ・・・そのテレビを見て江利子さんが行きたいと思ったの?」という黒井先生の言葉に、やっと江利子は「はい」とうなずく。これを見て、黒井先生は自分からこの学校に来たいと思ったのなら、もう大丈夫だと言って、学校内を案内する。体育館で生徒たちがバレーボールの練習をしていたボールが江利子の足下に転がってきたとき、江利子はそのボールを勢いよく投げ返す。このときから江利子はすでに立ち直るきざしを見せていると言ってもよいであろう。校門を出たところで、「どうだい、江利子、気楽な気持ちで行ってみないか」というパパの言葉に、「うん、そうする」と江利子は答える。こうして江利子はこの夜間中学に通い始めたが、「ママが持って行けと言ったから」傘を持って登校したときなどは、和夫ことカズからからかわれていたが、だんだんと陽気で元気者のカズとウマが合うようになり、彼のバイクでデートもするようになった。そのデートの途中のレストランで子供を連れた田島蛍子先生と出会う。田島先生は夜間中学の教師をしながら、女手1人で幼い息子を育てているようである。

ここまで江利子が回想して、黒井先生に「もっと原稿用紙をください」と申し出たとき、カズは「よく書くことがあるな」と言えば、江利子は「和夫さんのことを書いているの」と言って、また江利子の思い出の話が展開される。今度はレンタカーを借りてカズの運転で修とみどりの4人で海へ遊びに出かけたときの思い出である。大型のゴムボートを持って来ていたが、肝心な空気入れを忘れてきて、皆で一生懸命自分たちの口で息を吹き込んでゴムボートを膨らませようとしたが、皆はついにくたばってしまう。広い砂浜で砂山を作って遊ぶ。この日のドライブは江利子にとってとても楽しいことだったのであろう。登校拒否をしていた頃の面影はもうすっかりなくなっている。帰りの車で最後はカズと2人きりになったとき、「たまにはバカみてえに遊ぶのも悪くないよ」とカズに言われるが、これまでの江利子には世間体ばかりを気にする両親のもとで暮らす日々の中では、そのような開放的な遊びがなかったのであろう。陽気で元気なだけが取り柄のカズであるが、江利子はこのカズをはじめとする仲間たちと出会って、本来の自分を次第に見出していったようである。

さらに江利子の思い出話が続く。あるいは黒井先生の回想であるとも考えられる。江利子は学校に来て、急にピアノが弾きたくなって、音楽教室でピアノを弾いていると、黒井先生がやって来て、一緒に帰ることになった。黒井先生が進学の件で母親とどのようなことを話したのか尋ねると、江利子は「ママは世間体ばかり気にして、定時制高校なんてみっともないと思っているの。でも私は卒業したら、家を出て、就職して、夜、定時制に通います」と、はっきりと答える。黒井先生も江利子の意志を尊重するが、「お父さんはどういう考えなんだ」との質問に、江利子はしばらく黙ったまま歩き、家の事情を打ち明ける。「パパは家にいないの。・・・分かっていたんですけどね、いつかこうなることは。・・・辛くないと言えば、嘘になるけど、私のために、愛情のなくなった両親が、私のために我慢して夫婦でいるとしたら、その方がもっと辛いんです」このような辛い家庭の事情を抱えながらも、江利子は今、過去の自分の殻を打ち破って、新しい世界に飛び立とうとしているのである。世間体を気にする母親の考えを撥ねのけて、今や自分が自分で決めた道を歩み始めようとしているところに、それを窺うことができよう。

そのように回想を終えたところで、ちょうどチャイムが鳴って、夕ごはんの時間となった。食堂に集まって、黒井学級の面々がほかのクラスの生徒たちと楽しく食事をしている最中に、山形のイノさんの叔母であるという人(園佳也子)から学校に電話がかかってきた。それによると、イノさんは今日の夕方、急に病状が悪化して、とうとう亡くなってしまったという。このイノさんという50過ぎのおっさん(田中邦衛)が最後の7人目の生徒である。このイノさんの訃報を聞いて意気消沈した黒井先生は、次の英語の授業を担当する予定だった田島先生と交代して、ホームルームを開くことにした。そこで皆に訃報を伝えると、黒井先生がイノさんの病状がかなり悪いのを隠していたことで、皆はひどく怒るが、その怒りはそれだけ皆にとってこのクラスでのイノさんの存在が大きかったことを示すものと言えよう。皆でイノさんの冥福を祈って黙祷を捧げたあと、黒井先生は黒板に「猪田幸男(さちお)」と書いて、ありし日のイノさんを偲びながら、イノさんが自分に以前話してくれた話を次のように皆に語り始める。

イノさんは小学校に入る歳にお父さんが家を出て、それからまもなく目の見えないお母さんが倒れてしまって、幼い妹の手を引いて小学校に通ったという。学校では校庭で遊んでいる妹のことが気になって、先生には嫌がられたうえ、友達らには馬鹿にされたようである。それでもイノさんは懸命に耐えていたが、3年生の夏休みにその妹が川で溺れて、それを自分の責任だと思い、ひどく苦しみ、それが辛くて、とうとう家を出てしまった。その後、どのように成長したかは不明だが、20歳のときに東京に出て来て、いろいろな仕事を転々と渡り歩いているうち、50歳を過ぎて初めてメリヤス工場の正社員に採用された。イノさんは大喜びで山形の田舎のお母さんに10年ぶりに電話したら、お母さんはその1週間後に交通事故で亡くなってしまった。イノさんは一晩中泣き明かしたようだが、そのときお母さんが「勉強しなきゃ駄目だ。勉強しなきゃ、偉い人間にはなれないぞ」と言っていたのを思い出したようである。それでイノさんはこの夜間中学に入学したのである。

その入学したときの思い出を黒井先生は語り始める。イノさんは当時献血車のアルバイトをしていたやさしそうな人(のちに東京大学付属病院の医局だと分かる河合茂という人、大江千里)に頼んで、この夜間中学のことを聞き知り、ここに連れて来てもらった。入学した頃のイノさんは、やることなすことまったく常識外れで、本当に滅茶苦茶だったという。カタカナさえ書けなかったが、競馬の話になると、ベテランで、目が生き生きしてきた。密かに心を寄せる田島先生に算数を個人的に習うときにも、競馬の話に関連づけて学んだ。またハガキを実際に書いてみる授業では、田島先生に「お嫁になってください」という内容のハガキを書いて、受け取った田島先生が黒井先生に相談して、黒井先生の口から返事をすることになったのが原因で、イノさんはオモニの店で黒井先生と大喧嘩をしたこともある。そのときイノさんはかなり酔っていて、まったく覚えていないとのことだったが、翌日、黒井先生が安アパートに彼を訪ねて行くと、食欲がないという。そのときイノさんの身体はすでにボロボロになっていたようで、この夜間中学に連れて来てくれた河合医師の勤める大学附属病院で診てもらうと、ひどく悪くて、ただちに入院することになった。病状が進むうちに、イノさんは故郷の山形へ帰りたいと言い出して、山形に帰って行ったが、ついに今日の夕方帰らぬ人となってしまったのである。このように皆でイノさんの思い出話をしているうちに、外では雪が降り始めたことにも注目したいものである。

イノさんの悲しい話を聞いた修は、これまでイノさんに一番よくしてもらったようで、奈良への修学旅行のときには靴を買ってもらったともいう。そこでその楽しい修学旅行のことが皆によって回想されていく。イノさんは蝶ネクタイにスーツを着ての旅行である。新幹線の中ではビールや食べ物を皆に買ってあげたりして、黒井先生から「会社の慰安旅行じゃないぞ、これは修学旅行だぞ」と言われたりもした。しかし、イノさんにとっては初めて一緒にはしゃぐ人たちと旅行することができて、本当に楽しかったに違いない。山の頂上で皆と一緒に撮った写真からもその様子を窺うことができる。

このような修学旅行のことを思い出しているうちに、オモニはしみじみとした表情で、イノさんについて「いい人だったね、本当に。いつかうちの店に来て言っていたよ。夜間中学に入れて、俺は幸せだって」と話す。これを聞いて、「イノさんのどこが幸せなんだ。あんな修学旅行を喜んでいたからって何で幸せなんだ」と叫んだのが、若いカズである。カズにしてみれば、50過ぎたおっさんが汗をかきながら、ひらがなや漢字の勉強をし、お釣りの計算ができるようになったからといって、どこが幸せなのか、それが分からないのが当然である。そこで江利子が「幸福とはどういうことなんだろう」と疑問を投げかけたことから、黒井先生が黒板の「猪田幸男」という名前の隣に「幸福」と書いて、「幸福」について、皆で話し始めたのである。この議論の場もこの映画の見どころでもあろう。

黒井先生から最初に聞かれたオモニは、「私は幸せだと思っているよ。・・・そう思わなきゃ人間生きていけないじゃないか」と自分の体験に基づいた意見を述べる。すると江利子が「じゃ幸せだと思い込んだ人が幸せなの? たとえそれが錯覚でも」と問うので、オモニは「そうだよ。人間誰だって不幸に決まっているんだから。あんたのようなお嬢さんには分からないのよ」と続ける。これに反論したのがチャン君で、彼は「錯覚するのは、不幸せなこと。人間賢くなること、とても大切なこと」と、相変わらずたどたどしい日本語で自分の意見を述べる。これを聞いて、オモニは「じゃあんた、人間は賢くなって不幸になりなさいと言うのか」と、激しい口調で反論する。チャン君が「それは違う」と言ったところで、一同は黙り込んでしまったので、黒井先生はそれまで静かに聞いていた修に意見を求めた。

「あのう、お金です」と修が言ったことから、また議論が激しくなっていく。黒井先生は生徒たちに意見を述べさせようと思ったのだろう、正直なことを口にした修を褒めるが、それに猛反対したのがカズである。「黒ちゃん、何か勘違いしていないか」とは言うものの、カズはそのあと何を言ってよいか分からない。みどりに助けを求めると、みどりは「お金がほしいのは当たり前のことだけど、そんなセコイことじゃないんだよ、今私たちが考えているのは」と、いいことを言う。しかし、「じゃ、何だい、金じゃない幸福って?」という黒井先生の質問に、みどりは最初は「うまくしゃべれないよ、頭悪いから」とあきらめていたが、そのうち皆に励まされて、たどたどしくしゃべり始めた。そうして彼女が話すところによると、彼女は鑑別所を出たとき、ちょっぴり反省して更生しようと思って、それまで通っていた昼間の中学校へ行ったら、先公たちが自分を校長室に連れ込んで、「卒業したかったら少年院を出て来い」などと言ったという。そこで彼女は灰皿をぶん投げて、その中学校を出て行ったが、そのあとは本当に酷かったという。シンナー吸ったり、ディスコでアルバイトしたりしていたが、あるとき友達の家で目にした雑誌でこの夜間中学校のことを知って、校門の前まで来たものの、やはり入りにくくて、座り込んでいたら、1人の先生が「この中学校に入りたいの?」と話しかけてくれた。それがこの黒井先生だったのだが、そのとき「私は、もしかして私は、幸せになれるかもしれないって思った」と言ってしまうや、泣き出してしまった。この場面ではみどりの演技にも注目したいものである。涙を催させずにはいない感動的な場面である。少し前から外で降り始めた雪は、この場面ではかなり降っていることが教室の中からもよく分かる。

ピンと張り詰めた緊張感が漂う中、黒井先生が「みどり、よく分かったよ。幸福というのは金じゃないんだな」と言えば、江利子が「そうよ。だってお金は遣(つか)ってしまったら、なくなってしまうでしょ。幸福っていうのは、遣ったらなくなるような形のあるものじゃないのよ」と意見を述べる。賛同したカズはそのあとを続けようとするが、言葉にはならない。自分に代わって江利子に答えてもらおうと助けを求める。すると江利子は、「だから、それが分かるようになるために勉強するんじゃないの? それが勉強じゃないの?」と言えば、カズは「そう。そうなんだ」と大いに賛同する。修はパチパチと手を叩いている。この様子をそばで黙ってじっと聞いていた黒井先生は、カズから意見を求められて、「俺が今、思っていることは、いい授業だったということだ。授業というのは、クラス全員が汗をかいて,一生懸命になって作り上げるものなんだということだ。それがよく分かったよ。ありがとう」と、その日のホームルームを締め括る。教育に携わっている者なら、いろいろと考えさせられる場面である。

その夜は教師たちは居酒屋でイノさんのお通夜をすることになっていて、黒井先生が靴箱から自分の靴を出していると、江利子が彼を待っていたらしくて、近づいて来た。江利子はあのホームルームのあと図書室で1人で考えていたら、これまでの自分の考えが変わってきたという。「私、やっぱり(昼間の)高校へ行きます。・・・頑張って、大学に入りたいんです、それも教育学部」この江利子の言葉を聞いて、黒井先生は顔をほころばせたが、その次の江利子の言葉はもっとうれしいものであった。「私決心したの。大学出て、先生の資格取ったらね、この夜間中学に帰って来て、ここの先生になるの」教師にとってこれほどうれしい生徒の言葉があろうか。教育の効果が形に表れて、教師冥利に尽きる言葉である。「そうか、江利子は俺の後輩になるのか」と、黒井先生は大きくうなずいた。この映画で最も感動的な場面ではなかろうか。雪の降る中を江利子が帰って行ったあと、黒井先生はあとから来た田島先生の小さな傘に入って、ほかの同僚らが待っている居酒屋へと向かうところでエンディングである。


以上のように、この映画の中には、現代の日本社会で取り残されたとでも言おうか、落ちこぼれたとでも言おうか、実にさまざまな問題を抱えた生徒たちが登場してくる。しかも年齢は若年の少女から孫のいる年寄りまで、実にさまざまな年齢層の生徒たちである。それぞれの生徒が置かれている境遇は、現代の日本が抱えている問題でもあり、その点でいろいろと考えさせられる映画である。

その中でも特に注目したいのは、江利子である。彼女は登校拒否の少女であったが、この夜間中学に入学して、さまざまな境遇の中にいる人たちと学んでいくうちに、一緒に学ぶことの楽しさと喜びを感じながら、徐々に自らの道を見出していくのである。学ぶということは、新しい自分を見出すことではあるまいか。新しい自分に出会うことではあるまいか。江利子が問いかけた「幸福とは何か」という質問に対する回答は、この映画の中では観客の1人1人に委ねられたかたちであるが、学ぶという行為の中から幸せが生まれてくることは確かなことであろう。学ぶということを続けることによって、新しい自分に出会った瞬間がこのうえない幸せと言ってよいかもしれない。ドイツの文豪ゲーテの言葉にヒントを得た考え方であるが、私たちは遠いところに幸せを求めて、無駄に幸福を探してはいないだろうか。幸福はすぐ近くの目の前にあるもので、大切なのはその幸福の掴み方を学べばよいのである。素直な気持ちになって学ぶことの中からは、ちょうど江利子のように、新しい道が開けてくるはずである。ただその新しい未来へ通ずる道の扉は、ママの言葉に左右されていた江利子ではなく、新しい自分に出会った江利子のように、自らの手で開けなければならない。そのようなことを教えられる映画である。否、教えられるというよりも、そのような教えを掴み取るべきだと言った方がよいかもしれない。是非、この機会にこの山田洋次監督の映画『学校』を鑑賞していただきたいものである。常に学んでいくことの中から、何かを掴み取り、新しい自分に出会うきっかけとなれば幸いである。


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