【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第111号
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○☆連載「知的感動ライブラリー」(83)

小津安二郎監督映画『東京物語』
総合科学部教授 石川榮作

小津安二郎 (1903-63) は黒澤明(1910-98)と溝口健二(1898-1956)と並んで、日本を代表する映画監督の三大巨匠のうちの一人である。スケールの大きい黒澤映画や情緒的色彩の強い溝口映画とは異なって、小津安二郎はもっぱら日本の家族を繊細なタッチで描いているところに特徴があり、その頂点に立つのが1953 (昭和28) 年に製作された『東京物語』であることは、もはや言うまでもないであろう。この映画は、世界最古の映画協会の一つである英国映画協会が2012年に発行の「サイト・アンド・サウンド」誌で発表した「映画監督が選ぶベスト映画」において1位に選ばれ、「批評家が選ぶベスト映画」でも3位に選ばれている。「セカイ」の「クロサワ」と「ミゾグチ」に並んで、小津安二郎もまた世界的にその名が知られた映画監督と言ってよいであろう。その代表作はなんと言っても『東京物語』である。この代表作の展開を追いながら、その見どころ・特徴など述べていくことにしよう。

なお、映画の中では尾道弁が多くの箇所で用いられているが、以下において口語の台詞(せりふ)を引用する際には、適当に助詞を補ったり、また前後を省略したり、さらには標準語を織り交ぜたりなどしてまとめていくことを前もってお断りしておきたい。


この映画のあらすじは、広島県尾道に暮らす老夫婦平山周吉(笠智衆)ととみ(東山千榮子)が、東京に住んでいる長男と長女たちを久し振りに訪問するために、鉄道の時刻表を調べたり、旅行かばんに必要なものを詰め込んでいるところから始まる。尾道を昼過ぎに出れば、大阪には午後6時頃到着するので、そこで大阪に住む三男の敬三(大坂志郎)が駅のホームまで見送りに出て来てくれることをもたいへん楽しみにしている。この老夫婦が交わす何気ない会話もほほえましくて、このあたりの二人のゆっくりと喋る台詞と老人らしい演技にも注目したい。この老夫婦は尾道で小学校の教師をしている次女京子(香川京子)とともに暮らしており、京子はこれから小学校に出かけるが、昼過ぎには駅まで見送りに来てくれるという。京子が両親に弁当とお茶を渡してから出かける場面などは、普通の映画ならなんでもない場面であるが、この小津映画になると、ほほえましさも一段と増してくる。老夫婦二人が旅行かばんに必需品を包め込んでいるときに、窓の外から隣人の奥さん(高橋豊子)が「立派な息子さんや娘さんたちがいなさって結構ですなあ」と、うらやましそうに話しかける場面も、尾道という田舎の雰囲気がよく出ていて、小津安二郎らしいすばらしい描き方である。

尾道から大阪経由で東京に到着するまでの鉄道の旅の様子は、この映画では予期に反してまったく描かれることもなく、次のスクリーン上に映し出されるのは、工場の煙突が立ち並ぶ東京の郊外である。小さな駅が映し出されると、次に平山医院の看板が目に入ってくる。そのあとたくさんの洗濯物を乾した風景が映し出される。そこはどうやら東京の郊外にある長男幸一(山村聰)の家のようである。その妻文子(三宅邦子)は義理の両親を迎えるにあたって家の中を片付けたり、せっせと掃除したりしている。次男の勇(毛利充宏)はまだ小学校にも行っていないような幼い子供であり、その間一人で家の中で紙飛行機を飛ばしたりして遊んでいる。そこへ中学生らしい長男の實(村瀬襌)が戻って来て、「おじいちゃん、おばあちゃんはまだ?」と言いながら、祖父母の来訪を楽しみにしているが、二階の自分の部屋に上がると、自分の机が客人の部屋を確保するために廊下の片隅に移動されているので、不平を言う。「僕、どこで勉強するんだい?」と、うるさく言う息子に対して、母が「いつも勉強しないくせに」と答えれば、「じゃ、勉強しないでいいんだね」と息子が繰り返して言う場面なども、たいへん趣深くておもしろい。このような家庭の中での日常の細かな様子を丁寧に描き出すところが小津映画である。いずれにしてもこのような描写から、老夫婦の長男幸一は東京で医院を開業しているとはいえ、それも郊外でのことで、しかも小さな医院であり、窮屈な生活をしていることが見て取れる。

そうしているうちに老夫婦を連れて長男の幸一が車で戻って来る。東京で美容院を営んでいる長女の志げ(杉村春子)も一緒である。長男は病院(びょういん)を、長女は美容院(びよういん)を開いている設定にしているのは、特に駄洒落というわけでもなく、深く考える必要はないであろう。やがて次男の妻紀子(原節子)が義理の両親に会うためにやって来る。彼女は東京駅で出迎える予定であったが、遅れてしまったようである。この時点で紀子の夫昌二(しょうじ)が戦死していることは明らかにされていないが、そのことはあとの展開から容易に理解されることになっている。老夫婦歓迎の夕食の様子もまた、予想に反して全然描かれることはなく、次のスクリーンに映し出されるのは、夕暮れの描写に続いて、夕食後のひとときである。中学生の實はお父さんの仕事の椅子にすわって英語の勉強をしている。老夫婦と幸一と志げは一階の部屋にすわって、うちわを扇ぎながら故郷尾道での思い出話に花を咲かせている。やがて夕食の後片付けを済ませた文子と紀子がそこに加わってくる。幼い勇はおばあちゃんのそばですでに寝入っているようである。何気ない平凡な夕食後のひとときであるが、しかし、うちわを扇ぎながら皆で一緒にすわっておしゃべりをしているこの場面は、当時の日本の家庭の雰囲気を如実に描き出しており、なつかしさを覚えずにはいられない。小津映画ならではの趣深い名場面である。夜もだいぶ更けてきてから、志げと紀子は帰って行き、老夫婦は二階の寝床に入って、とうとう息子や娘たちの住む東京へやって来たことを感慨深く口にする。ただ長男の幸一はもっとにぎやかなところで医院を開業していると思っていたが、都心からかなり離れた郊外に暮らしていて、少しがっかりしたような気持ちも隠せない。しかし、幸一もいろいろな都合で、思いどおりにはいかないのだろうと、半ばあきらめの気持ちも読み取れる。このあたりの描写には一抹の悲しさも感じられて、それがまたこの映画の特徴でもあると言ってよいであろう。

翌日は日曜日で、長男幸一が二人の子供たちとともに両親を連れて東京見物をすることになっていた。幸一の長男實はそれをたいへん楽しみにしており、朝から皆を急(せ)かせていたが、いざ出かけようとしたとき、玄関に急患の知らせが入って、東京見物には出かけられなくなった。實はがっかりである。實の不平から、いつもこのような結果になることが明らかである。しかし、老夫婦は急患なら仕方のないことだと言って、嫌な顔は一切見せない。その日は家に留まることになった。とみは孫の勇を連れて、外に遊びに出かけ、川沿いの土手の上で孫に話しかける。「勇ちゃんは大きくなったら、何になるのかね。お父さんみたいに医者かね。でも、あんたがお医者さんになる頃、おばあちゃんはおるかのう」この独り言のようなつぶやきに、幼い勇は答えることなく、土手で遊んでいる。何気ない老祖母の台詞ではあるが、そののちのあらすじの展開を思うと、その場面で流れてくる斎藤高順のしみじみと心に迫ってくる音楽の影響もあって、どこかしらもの悲しい気持ちにさせられてしまう。周吉はその妻と孫の姿が見える部屋の中で一人うちわを扇ぎながらすわっている。どこかしら侘びしいような気持ちにもさせられる場面である。

すると次の瞬間は、いきなり長女志げのうらら美容院である。しかも老夫婦がここに来てすでに二日目という設定になっている。このようにこの映画は展開が早いところが特徴である。志げの夫金子庫造(中村伸郎)が外から戻って来ると、とみは美容院の二階の狭い部屋で縫い物をしている。志げから頼まれた仕事のようである。周吉はというと、洗濯物を乾す台に登って、外を眺めている。志げもその夫庫造もどうやら忙しそうで、老夫婦はここに来ても、どこへも出かけられずに、家でのんびりと過ごしている。周吉は志げの夫に誘われて、銭湯に出かけることになった。とみも一緒である。三人が出かけると、志げは紀子の勤めている会社に電話をかけて、紀子を呼び出し、翌日両親を連れて東京見物をしてほしいと頼む。紀子は会社の上司に申し出て、翌日は休暇を取ることにした。昔は親思いのやさしい娘だった志げが、このあたりでは自分の都合を中心にして考える娘のように描かれていて、ちょっぴり悲しさを感じずにはいられない。それに対して紀子は志げの願いを快く引き受けて、自分の都合を犠牲にしてまで義理の両親のために尽くそうとするやさしさが見事に表現されていて、観客は少し救われた気持ちになる。

翌日は、その紀子が義理の両親を連れての東京見物である。はとバスに揺られながら、周吉ととみは紀子の案内で東京見物を楽しむ。百貨店の屋上に上がったときには、その途中の階段から東京の街を眺めて、紀子は幸一や志げの家のあるあたりを指さして教える。最後に自分の住むアパートの方角を教えてから、帰りの際には是非寄っていただきたいと二人を誘う。そのように常にニコニコしながらやさしい心遣いを見せる紀子が自分の安アパートで二人をもてなす場面は、特にこの映画の見どころであろう。女の一人暮らしだから、家に普段はお酒を置いていない紀子は、隣の奥さん(三谷幸子)からお酒のほかに徳利と猪口(ちょこ)を借りてきて、義理のお父さんにお酒を差し出す。戦死した次男昌二の生前の話を紀子から聞きながら、周吉が長いこと断っていたお酒を久し振りに飲む場面は、心温かいものを感じずにはいられない。出前で取った丼を老夫婦が食べている間も、紀子は自分の丼に手をつけずに、二人のためにうちわを扇いでいる。東京に出て来て、老夫婦が一番安らぎを感じた時間ではなかったろうか。

そのようなことも知らずに志げの家では、幸一も駆けつけて、二人は両親の帰りが遅いのを心配しながら、いつ尾道へ帰って行くとも口にしないので、明日から両親をどのようにもてなしたらよいかと相談している。志げが互いに費用を出し合って、両親を二、三日熱海の温泉旅館にやることを提案すると、幸一はいい考えだと賛成する。二人とも両親のお伴をして、どこかへ案内したいと思いながらも、それぞれの仕事の都合で思うようにはいかず、最後に辿り着いた結論がこれであった。

するとまた次のスクリーンに映し出された場面は、たちまち熱海の海と温泉旅館である。老夫婦は温泉に入って、夕食も済ませたあと、すでにふとんの上に横になっているが、近くの部屋からは若者たちが麻雀をしている騒々しい音が聞こえてきたり、アコーディオンとギターを奏でながら艶歌を歌う大きな声が聞こえてきて、寝入ることもできない。どうやらここはとりわけ若者が利用する温泉旅館のようである。翌朝、老夫婦は浴衣のまま旅館近くの堤防の上に腰をおろして、海を眺めている。ふと尾道にいる京子はどうしているだろうかと思うと、二人はそろそろ尾道へ帰ることを考え始める。尾道へ帰ることに話がまとまると、二人は立ち上がるが、そのときとみは少しフラフラとしてしまう。周吉は心配するが、とみはなんとか落ち着く。医者である長男の幸一がこのことを聞き知っていたら、のちの悲しい出来事は防げたかもしれなかった。しかし、老夫婦は息子たちに相談するなど、その時点ではとても考え及ばなかったようである。とみがやっとのことで立ち上がると、二人はまた堤防の上を歩き出す。この場面は少し離れたところから撮られていて、背景に海があって、素朴な映像ながらも、なかなか趣深い一場面である。

場面はまた次の瞬間、東京の志げの美容院に移る。志げは忙しいそうに働いている。そこへ老夫婦が戻って来る。二、三日間、熱海でゆっくりしてもらいたいと思っていたのに、もう翌日には戻って来たので、志げは困ってしまう。今晩は講習会があって、しかも自分の担当だというのである。老夫婦はどうやら居場所がなくなったようである。とみは紀子のアパートに泊めてもらうことを考えるが、そこに二人泊めてもらうことは、とても無理だと周吉は考え、とみだけが紀子の家に泊めてもらうことにして、自分は尾道出身の友人である服部さんの家を訪問して、そこに泊めてもらうことにした。そのとき「とうとう宿無しになってしまった、あはは」と周吉が多少冗談こめて嘆く場面は、なんとも複雑な気持ちにさせられてしまう。斎藤高順の心に迫る音楽でもって、さらにもの悲しい気分にさせられてしまう。

老夫婦は、あとでとみの言葉から明らかになるように、紀子の仕事が終わる頃までは、上野公園に出かけたようである。疲れ果ててその公園の一隅(寛永寺輪王殿の片隅のようである)で一休みしたあと、服部さん訪問があまり遅くならないうちにと思って、二人はぶらぶらそれぞれの家に向かうことにした。この場面では先の斎藤高順のしみじみと心に迫る音楽が途切れることなく流れていて、なんとなくそれによってもの悲しいような気持ちにさせられてしまう。これぞ小津映画らしい場面であり、この映画の見どころと言ってもよいであろう。

場面は台東区にあるらしい服部修さん宅に変わって、周吉は17、8年振りに服部さん(十朱久雄)と会って、尾道での昔の話に花を咲かせている。そのうち学生さんが二階から降りて来て、その家の二階に下宿していることが分かる。突然の訪問だったので、奥さん(長岡輝子)の方ももてなしができずに、外へ飲みに出かけることになった。昔、尾道に住んでいた友人の沼田三平さん(東野英治郎)も近くに住んでいるということで、彼も誘って料理屋で旧交を温めた。昔の尾道での思い出話に話題が尽きない三人は、次にはおでん・焼き鳥屋へ出かけた。沼田さんがかなり酔っていて、そこの女将(おかみ)さん(桜むつ子)にからむので、女将さんは迷惑がっている。服部さんはというと、飲み過ぎて、頭をうなだれて寝てしまっている。最後には周吉は沼田さんと二人でそれぞれの息子について話し合う。沼田さんの息子は印刷会社の部長さんだと聞いていたが、実は体裁を保つために沼田さんがそう言っているだけで、実際のところは係長に留まっているという。それに比べると、周吉の息子は「医学博士で、立派じゃ」と沼田さんが褒め称えると、周吉はつい本音をもらして、郊外の田舎医者に甘んじている息子幸一に不満を感じている。しかし、息子にもっと出世してほしいと思うのは、「世の中の親というものの欲じゃ。欲張ったらきりがない。あきらめにゃならん」と、周吉は語る。このあたりでは周吉の本音と諦念が明らかに出ており、その点でとても重要な場面である。このように語り合っているうちに、すでに夜は遅く、深夜の12時になっていた。女将さんが「いいかげんにもう帰ってよ」とぶつぶつ言っている間に、周吉も沼田さんも寝入ってしまった。

一方、とみの方はその頃、紀子のアパートで彼女に肩をもんでもらっている。とみは突然またここに押しかけて来て、迷惑をかけてしまったことを詫びるが、紀子の方は再び訪問してくれたことを心の底から喜んでいる。そろそろ寝る時間となって、とみが次男昌二のふとんの上で、紀子と交わす会話には特に注目したい。とみによると、次男昌二が亡くなってからもう8年にもなるのに、部屋に昌二の写真を飾っているのを見ると、紀子が気の毒でならないというのである。「まだ若いので、ええ人がいたら、いつでも気兼ねなしにお嫁にいってくださいよ」と、とみがやさしく話しかければ、紀子は「いえ、いいんです、私この方が気楽ですの」と答える。「でも、今はそうでも、だんだん年をとれば、淋しくなってくるけんのう」と、とみが説得すれば、紀子は「いいえ、いいんです、私、年をとらないことにしていますから」と答える。これを聞いて、とみは「ええ人じゃねえ、あんたは」と口にする。このあたりの二人の台詞には互いに相手を思いやる「温かみ」が感じ取られる。すばらしいシナリオだと思う。斎藤高順の心にしみる音楽もその場を盛り上げて、文句なしにこの映画の見どころであろう。

涙を催させるこの感動的な温かい場面に続いて、次は逆に冷たい感じを受ける場面である。周吉は酔っ払って、深夜、交番のおまわりさんに連れられて志げの家に戻って来るが、これまた酩酊状態の沼田さんも一緒である。寝ているところを起こされた志げは、不機嫌に「いやになっちゃうわ」と何度も繰り返しながら、二人をやっかい者扱いする。酔っ払いの二人の演技でこっけいに思われながらも、そこには冷たさをも感じずにはいられない。

それに比べて、次のスクリーンに映し出される紀子のアパートでの翌朝の一コマは、温かみにあふれている。紀子が義理の母とみに小遣いを差し出し、それをとみがためらいながらも受け取る場面は、心温まるものがある。紀子が「東京へいらしたら、またどうぞ」と言えば、とみは「もう来られるかどうか」と答えたあと、「ひまもないじゃろうけど、あんたも尾道へ来てよ」と口にする。それに対して紀子は、「ええ、行きたいわ」と答えながらも、「もう少し近ければ」という言葉を付け加える。戦後8年の当時としては、東京から尾道までは夜行列車に乗って、二日がかりの道のりなのである。

まさにその二日かがりの道のりをこれから老夫婦が帰って行こうとしているのが、次の場面である。21時発の広島行きの夜行列車に乗る老夫婦を見送りに、幸一と志げと紀子が東京駅に来ている。この夜行列車に乗れば、名古屋、岐阜で夜が明け、大阪では鉄道会社に勤めている三男の敬三がホームに来てくれることになっている。いよいよ列車に乗り込む改札の時刻が近づくと、とみは皆に礼を述べる。「みんなに会えたし、これでもう、もしものことがあっても、わざわざ来てもらわなくてもええよ」と言えば、志げは「そんな心細いこと言わないでよ。まるで一生のお別れみたいに」と応じる。あとの展開を思うと、侘びしい気持ちにさせられてしまう。

虫の知らせがとみにそのような言葉を言わせたのだろうか。とみは夜行列車の中で体調を崩してしまったようである。その場面は例によってスクリーン上で表現されずに、次の場面はいきなり大阪城が映し出されて、鉄道職員の敬三が朝9時に出勤して、同僚に昨日は大変だったことを語るところから、それが分かる。そのあと大阪城の見える敬三の安アパートの部屋での場面となって、そこに周吉ととみが休んでいる。とみの体調はなんとか回復したようである。ただあと一晩ここにやっかいになって、明日の汽車で尾道に帰ることにしている。そこで老夫婦がここ十日間を振り返って語り合う場面は、この映画にとって重要な台詞が含まれており、注目したいところである。東京で久し振りに長男と長女に会えたが、その感想についてまず周吉が、「子供も大きくなると、変わるもんじゃのう。志げも子供の時分はもっとやさしい子じゃったが」と語れば、とみもそれにうなずいて、「幸一も変わりましたよ。あの子ももっとやさしい子でしたがねえ」と応じる。しかし、二人は決して息子と娘を非難しているわけではない。「なかなか親の思うようにはいかんもんじゃ。欲を言えばきりがないが、まあええ方じゃ」と、周吉が言えば、とみも「ええ方ですとも。よっぽどええ方でさあ。私らは幸せでさあ」と応じる。その言葉を二人は繰り返すが、そこには周吉が沼田さんに語ったのと同じ諦念が読み取れる。この類いの諦念がこの映画のテーマではあるまいか。それは以下のあらすじの展開において読み取られるからである。

次に映し出されるのは、洗濯物を乾していることですぐ分かる幸一の家である。文子がはたきをかけながら掃除しているかたわらで、幸一が尾道に帰った父からのお礼の手紙を読んでいるが、その内容から母が汽車の中で体調を崩して、大阪の敬三のもとに数日間滞在していたことを知る。ただ幸一は母が久し振りに長旅をしたので、その疲れが出たのだろうと、軽く考えている。今回の旅行について「お父さんたちは満足なさったかしら」という文子の問いにも、幸一は礼状の内容から「満足したさ、熱海にも行けたからね」と答え、「当分、東京の話でもちきりだろう」と安易に考えるばかりである。そこへ志げから電話があり、突然「母危篤」という電報を受け取ったという。その電話をしているときに、ちょうど幸一のもとにも電報が届いて読むと、「ハハ、キトク、キョウコ」という同じ内容のものであった。すぐに文子が紀子の会社にも電話をかけて、それを知らせた。しばらくして志げが幸一の家に駆けつけて来て、「やっぱり行かなくちゃいけないかしら」と相談する。「東京駅で妙なことを言うと思ったのよ。もしものことがあっても、来てくれなくてもいいなんて。嫌なことを言うと思ったら、やっぱり虫が知らせたね」と言う志げに対して、幸一は「しかし、危篤というのだから、行かなきゃならんだろう」と答える。「ここんとこ、忙しいんだけどな」と、志げが言っているところに、この医院にも患者がやって来て、幸一も忙しいことが分かる。しかし、二人は今夜の夜行で発つことにした。

次の場面は、石灯籠がそのシンボルとなっている尾道であり、とみは周吉のそばでふとんに横に臥せっている。これから京子が兄と姉を駅まで迎えに行こうとしているところである。とみと二人きりになったとき、周吉が「治るよ、治る、治る、治るさ」と、とみに話しかける場面の演技にも注目したい。

やがて尾道の海を行き交う船がスクリーンに映し出されて、次の場面ではとみの寝床を囲んで、地元の医者のほかに幸一と志げと紀子、そして氷を用意する京子の姿が見える。大阪に住んでいて一番近いはずの敬三は、まだ着いていないようである。地元の医者が帰ると、幸一は父と志げを別の部屋へ誘って、そこで母の具合があまりよくことを告げる。幸一は医者として母の状態について、「明日の朝までもてばいい」と説明する。それを聞いて、志げは泣き崩れる一方、周吉は「いけんのか。おしまいかのう」と、口にする。このときの周吉を演じる笠智衆の演技にも注目したい。

尾道中央桟橋に続いて石灯籠(住吉神社にある)や船、町の佇まいなどが次々にスクリーンに映し出されて、尾道に朝が訪れると、周吉の家ではとみがすでに亡くなっている。早朝3時15分に息を引き取ったようである。志げは「人間ってあっけないものね。あんなに元気だったのに。東京に出て来たのも、虫が知らせたのよ。でも出て来てくれて、よかったわ。いろいろと話せたし」とか、「でも、お母さんは苦しまなかったから、大往生よ」などと、一人で口数多く喋っている。そうしているところへ敬三がようやく戻って来るが、出張中で電報を受け取るのが遅れたようである。京子が泣くそばで、敬三は「間に合わなんだか」と口にして、亡き母のそばにすわり込む。そのとき父周吉がその場にいないことに幸一が気づいて、紀子が父を探しに外へ出て行く。父周吉は石灯籠(浄土寺の境内にある)のそばに一人佇んでいた。周吉と紀子が並んで映って、この映画の象徴とされる名場面である。呼びに来た紀子に向かって、周吉は「きれいな夜明けだった。今日も暑うなるぞ」と言って、紀子とともに家に帰る。

そのあとに続くのが、葬儀の場面である。途中で敬三が中座する。それを紀子が追いかけてくる。敬三は母とみが小さくなっていくのに耐えられないことを口にしたあと、母とみに少しも親孝行できなかったことを悔やむ。しばらくして焼香のためにまた戻って行く。

葬儀のあとは、家族全員が集まって食事をしながら、母とみのありし日の思い出を話している。ところが、周吉が厠(かわや)へ立ったあと、突然、志げは母とみの着物と帯を形見にほしいなどと言い出す。そればかりか、父周吉がまた席に戻って、「みんな忙しいのに、すまなんだのう、ありがとう」と礼を述べたあと、熱海でとみがフラフラとしたときのことを話す。しかし、幸一はそれが原因ではないだろうと説明する。そのようなとき、志げは幸一に向かって、「兄さん、いつ帰る?」と尋ねる。幸一も仕事のことが気になって、その日の晩の急行で帰ることにした。すると敬三も出張の報告もあることから、兄と姉と一緒に大阪まで帰ることにした。そうと決まれば、志げは紀子に向かって、「紀子さんはもう少しお父さんのそばにいてちょうだい」などと、勝手なことを言う。紀子はしばらく尾道に残ることにするが、しかし、紀子の性格から言って、紀子は義姉から頼まれたから残ったのではなく、一人になってしまった義父の心のうちを思って、やさしい心からそうしたのであろう。海を走る船の音が聞こえてくる中で、周吉が「そうかい、みんな帰るかい」と口にするときの笠智衆の演技にも注目したい。

こうして長男と長女と三男がそれぞれの住み家に帰って行ったあと、尾道の家では周吉はしばらく京子と紀子と一緒に暮らしていたが、その紀子もとうとう東京へ帰らねばならない日がやってきた。小学校へ出かける京子に弁当を渡しながら、紀子は京子に「是非、夏休みには東京へいらっしゃいよ」と繰り返す。勤務の都合から京子は見送りに行けないようである。そこで京子は、義理の姉が今日までいてくれたことに心から感謝する一方、仕事があるからと言って葬儀のあとそそくさと帰ってしまった自分の兄や姉たちに対して不平をもらす。「もう少しいてくれてもよかったわ」と言う京子に対して、紀子は「仕方がないのよ。お仕事があるのだから」と宥めるが、京子は「だったら、お姉さんでも(仕事は)あるじゃありませんか」と、やはり不満である。とりわけ、母とみが亡くなったあと、すぐに母の形見を要求した姉志げに対して怒りをぶちまける。「あたし、お母さんの気持ち考えたら、とても悲しくなったわ。他人同士でももっと温かいわ。親子って、そんなもんじゃないと思う」と嘆く京子に対して、紀子はこう答える。「だけどねえ、京子さん、私もあなたぐらいのときには、そう思ってたのよ。でも、子供って、大きくなると、だんだん親から離れていくもんじゃないかしら。お姉様(志げ)ぐらいになると、もうお父様やお母様とは別の、お姉様だけの生活ってものがあるのよ。お姉様だって決して悪気があってあんなことをなすったのではないと思うの。誰だって自分の生活が一番大事になってくるのよ」「そうかしら、でもあたし、そうなりたくない。それじゃ、親子なんてずいぶんつまらない」と答える京子に、紀子は続けて「そうねえ。でも、みんなそうなっていくんじゃないかしら。だんだんそうなるのよ」と宥める。「じゃあ、お姉さんも?」の問いに、「ええ、なりたくはないけど、やはりそうなっていくのよ」と答え、「いやねあ、世の中って」と言う京子に対して、「そう、いやなことばっかり」と、紀子が答えるこのあたりは、この映画においてテーマという点で最も重要な台詞である。すばらしいシナリオだと評してもよいであろう。

京子が小学校に出かけてから、紀子は後片付けをしていたが、庭いじりをしていた義父が部屋に戻って来ると、今日の午後の汽車で東京に帰ることを告げる。すると周吉は紀子にこれまでの礼を述べながら、特に妻とみが彼女のアパートに泊めてもらったときのことを語り、「あの晩が一番うれしかった」と話していたことを伝える。そして周吉もあの晩に妻が紀子に言ったと同じようなことを口にする。「あんたのこれからのことじゃが、やっぱりこのままじゃいけんよ。あんたがこのままでいられると、こっちが心苦しうなる。困るんじゃ。ええ人ができたら、いつでも気兼ねのうお嫁に行っておくれ。もう昌二のことは忘れてもろうていいんじゃよ。あんたほどええ人はいないと、お母さんも褒めとったよ」これに対して紀子が「お母さんは私を買いかぶっていたのだわ」と言えば、周吉は「買いかぶっとりはせんよ」とやさしく答える。「私、おっしゃるほどいい人じゃありません。お父様にまでそんなふうに思っていただいたら,私の方こそかえって心苦しくなりますわ」と言う紀子の言葉に、周吉は「いや、そんなことはない」と答える。すると紀子は正直に次のように告白する。「いいえ、私、ずるいんです。お父様やお母様が思っていらっしゃるほど、そういつもいつも昌二さんのことをばかり考えているわけではないんです」「いやぁ、ええんじゃよ、忘れてくれてええんじゃよ」という義父の言葉のあと、こう続ける。「でも、この頃、思い出さない日さえあるんです。忘れている日が多いんです。私、いつまでもこのままじゃいられないような気もするんです。このままこうして一人でいたら、一体どうなるんだろうなんて、夜中にふと考えたりすることがあるんです。一日一日が何事もなく過ぎていくのが、とても淋しいんです。どこか心の隅で何かを待っているんです。・・・私、ずるいんです。そういうことをお母さんには言えなかったんですから」この告白に周吉は、「やはりあんたはええ人だ、正直で」と言えば、紀子は「とんでもない」と涙ぐむ。このあたりの二人の会話はこの映画で最も感動的であり、まさにクライマックスと言ってもよいであろう。小津映画ならではの見せどころである。周吉は妻とみの旧式の時計を形見にもらってほしいと、紀子に渡してから、「あんたが、先々気兼ねのう、幸せになることを祈っているよ、ほんとじゃよ」とやさしく言う言葉もまた、感動的で観客の胸を打つものがある。「妙なもんじゃ、自分が育てた子供たちよりも、言わば他人のあんたの方がよっぽどわしらによくしてくれた、やあ、ありがとう」この映画の内容を簡単に言えば、この周吉の言葉に集約されるであろう。シナリオとともに演技がとりわけすばらしい場面である。

次の場面では、京子は小学校で授業中である。小学校唱歌が聞こえてくる中で、彼女は腕にはめている時計を見る。そろそろ紀子姉さんの乗った汽車が尾道を発車する時刻である。その汽車が尾道の海を背景にして、煙りを吐きながらレールの上を走る。その汽車の中に紀子はすわっているが、尾道の町をだんだんと離れていくとき、バッグの中から義母の形見にもらった時計を取り出して、それを一度見たかと思うと、それを両手でしっかりと大切に包み込んだ。普通なら、なんでもないことであるが、この最終場面で小津監督がわざわざそういう場面を取り入れたのにも、やはりなんらかの意味があるのであろう。先程の京子は、今や敬愛する存在となった義理の姉が尾道を発つ時刻になったことを確認するために時計を見たが、しかし、紀子は決して時刻を知ろうとして、そうしたのではない。小津監督は紀子が時計を見て、それを両手でしっかりと大切に包み込んだ意味を観客の解釈に任せたかたちとなっているが、一つの解釈として、紀子は義父からもらった義母の形見の時計を見ることで、義父と義母の願いどおり、昌二との過去の思い出の殻を打ち破って、新しい自分のこれからの生活を切り拓こうと決心したことの表現だと考えられないだろうか。「気兼ねしなくてええんじゃよ」と言ってもらった義父や義母に対して、自分の気持ちをこのたび正直に告白することによって、紀子は新しい生活への一歩を踏み出す決意ができたのである。紀子の新しい生活を乗せた汽車が、今、尾道を去って行っているのである。この映画は紀子にとっては、過去の思い出から抜け出して、新しい生活に向かうことを描いたものとも言えよう。

この紀子とは逆に、周吉にとっては昔の思い出を心の支えとして、諦念のうちに静かに余生を送ることを内容とした映画である。うちわを扇ぎながら一人で家にすわっていると、冒頭に出てきたと同じ隣の奥さんが「皆さんお帰りになって、淋しくなりましたなあ。ほんとに急のことでしたなあ」と挨拶すれば、「やあ、気のきかん奴でしたが、こんなことなら、生きとるうちにもっとやさしくしてあげたらよかったと思いますよ。一人になると、急に日が長うなりますわい」と、今の心境を語る。周吉は一人でうちわを扇ぎながらすわっている。静かに斎藤高順の心にしみわたる音楽が流れ始めて、そのあとで尾道の海がスクリーンに映し出され、音楽の高まりとともに、船が走る音と別の船の汽笛が鳴り響いて、たいへん印象的で見事なエンディング・シーンである。


以上のように見てくると、映画『東京物語』は主人公の老夫婦が東京に住む息子や娘たちを訪問して、多少は子供たちに失望しながらも、それを「いい方だ」と思って、いわば「諦念」に生きることを内容としたものと言ってよいであろう。それを「子供たちに裏切られた」とか「子供たちから見捨てられた」内容の映画と言ってしまっては、少し言い過ぎであろう。もう一人の主人公とも言える紀子が京子を諭して言っているように、人は悪気があって、両親をやっかい扱いしているのではなく、だんだんと年をとっていくと、それぞれの生活を優先させざるをえなくなるために、誰もがそうふうになっていくのである。誰もが体験するこのようなことが、この映画の端々に表現されているので、この映画は人々の共感を呼んで、60年以上経った現在でも、注目されているのである。まさに今日の「核家族」と「高齢化社会」という問題を先取りしている作品とも言え、その内容が時代と国を越えて普遍的なテーマとなっているところに、不朽の名画として世界的に評価の高い作品であり続ける理由があるのであろう。さらにまたこの映画は紀子にとっては、この老夫婦との再会を果たすことによって、老夫婦とはまったく逆に、過去の思い出に生きる自分の殻を打ち破って、新しい自分の生活への第一歩を踏み出したことを内容としたものであると解釈することもできよう。最終場面でそのことを観客の判断に任せるような描き方をしているのである。素朴な映像の中に古きよき時代のさまざまな思い出を蘇らせると同時に、現代社会の抱える問題についていろいろと考えさせられる名画である。是非、この機会に鑑賞していただきたいものである。この映画の端々に日本社会の冷たい部分と同時に温かい部分を見出すことができるであろう。


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