【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第110号
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○連載「知的感動ライブラリー」(82)

黒澤明監督の映画『乱』
総合科学部教授 石川榮作

1.映画『乱』の製作

黒澤明監督の映画『乱』のシナリオは、前作品『影武者』(1980年完成)の製作に取り掛かったときにはすでに出来上がっていたが、その撮影に入るまでにはまたもや4年もの歳月を必要とした。この新作『乱』は、『影武者』以上に大がかりな合戦シーンを取り入れているために、さらに巨額の製作費を必要としたためである。結局のところ、この映画の製作に資金を提供したのは、日本で外国映画の輸入を主な事業としているヘラルド・エース社と、フランスのグリニッチ・フィルム・プロダクションであり、日仏合作映画としてようやく製作がスタートし、9か月間にわたる撮影ののち1985年に完成したものである。

黒澤明監督は前作『影武者』完成後にも、この新作の撮影に入るまでシナリオに新たに手を加えているようで、この作品にかける意気込みがひしひしと伝わってくる。物語は「三本の矢」の教訓のエピソードが残っている戦国時代の毛利元就(もとなり)のすばらしい3人の息子たちにヒントを得て、もし3人の息子の仲が悪かったらどうなっていたかを考えたとき、シェイクスピアの悲劇『リア王』と交り合って、出来上がった作品である。5年前の作品『影武者』がある1人の「人間の視点」から戦さの虚しさを描いているとしたら、この作品は虚しい戦いを繰り返す人間の愚かさを天の視点から描いていると言える。映画のスケールも一段と壮大なものとなっており、製作費も前回の『影武者』の約2倍にあたる26億円を費やしているという。以下、この映画の展開を最初から順に辿りながら、見どころなどを紹介することにしよう。

2.映画『乱』のあらすじと見どころ

この映画の冒頭でスクリーンに映し出されるのは、高原での武将たちによる猪狩りである。広々とした高原が美しくスクリーンいっぱいに映し出されて、観客はこの冒頭部分からすでにスクリーンに釘づけにされてしまう。戦国時代を生き抜いてきた一文字秀虎(仲代達矢)は、70歳を迎えた今、隣国の2人の領主藤巻信弘(植木等)と綾部政治(田崎潤)を招いて猪狩りを催したのである。逃げ回る猪めがけて主人公一文字秀虎が馬上で弓を引く場面が特に印象的であり、いかにも厳しい乱世を生き抜いてきた猛将らしい姿である。

ところが、猪狩りのあと、秀虎は藤巻と綾部の2人を客として3人の息子たちや側近たちとともに酒宴を張った席で、杯を片手にいつの間にか眠ってしまった。70歳という年齢に達して、老いてきたことは確かである。これまでこのような姿を見せたことはなかっただけに、3人の息子たち、太郎孝虎(寺尾聰)と次郎正虎(根津甚八)そして三郎直虎(隆大介)もどこか心配である。特に三郎は父のいつもの大いびきが聞こえてこないので、奇妙に思っていると、突然、秀虎は目を覚まして、息子たちの前に飛び出してくる。枯野をさまよっている夢を見たようである。3人の息子たちが目の前にいるのを確認すると、父秀虎は2人の客人と側近たちを呼び集めてから、かねてより考えていたことを口にする。すなわち、「秀虎、今日をもって嫡男太郎に家督を譲る」と言い出したのである。この唐突な言葉にそこにいた者たちは驚きざわめくが、秀虎は続けてこう言う。「只今より太郎がこの一文字家の頭領、わしは一の城の本丸を太郎に譲り、二の丸へ移る。従う者は、側近の30名とし、大殿の名目、格式だけは留め置くが、国事、兵馬の大権はすべて太郎のものぞ。一同、この旨しかと心得よ」この言葉に次郎が多少不満の顔をして「我ら、次郎と三郎にも今後の御指図を賜りとう存じます」と言えば、父秀虎はさらにこう言う。「次郎、三郎には二の城、三の城とその所領を与える。ともにそれを堅め、一の城の太郎を助けよ。この秀虎はあるときは一の城、あるときは二の城、三の城の客となり、余生を送りたい」と。これに対して嫡男の太郎は、家督相続の沙汰はこの身の果報であるが、荷が重過ぎるとして、「父上に百歳の御長寿が与えられるなら、わが命が削られても構わぬと、日頃から、八幡宮に祈願しておりました」と言って、再考を願い出る。これを聞いた三郎が、「兄上はうまいことを言われる。俺にはぬけぬけとそんなことは言えぬ」と言えば、父秀虎はこの三郎のひねくれた言葉に怒りを覚える。三郎の態度には構わないようにと言ったあとで、次郎は父に向かって、自分は兄上と同じ意見であり、「今こそ、父上の余生を安んずるため、我らが世の矢面(やおもて)に立つべきときかと存じます」と決意のほどを述べる。

3人の息子の意見を聞いた父秀虎は、箙(えびら)の中から矢を一本ずつ取り出して、「これが折れるか?」と言って、太郎、次郎、三郎に渡す。受け取った3人の息子たちは、それぞれの矢を簡単に折ってしまう。すると秀虎は今度は弓の矢を3本渡して、「これを束ねて、折ってみよ」と命ずる。3本に束ねた弓の矢は、折れなかった。それを見て、秀虎は言う。「1本の矢は、たやすく折れる。だが束ねた3本の矢は折れぬ。たとえ、太郎1人ではしのぎきれぬ大難が起ころうとも、兄弟3人力を合わせれば、一文字家もこの国も安泰じゃ」と、教え諭すのである。

ところが、そのとき三郎は手だけでは折れなかった3本の矢を膝に当て、無理やりへし折ってから、「3本の矢を束ねても、折れぬとは言えませぬ」と言いながら、父に食って掛かる。三郎はこれまで情け容赦なく生きてきた父親が、息子たちの情けを頼りに老後の安楽を夢見ていることに不安を感じて、「老いぼれのたわ言だ」と父を諌めるのである。この三郎の言葉に父秀虎が激怒している中、次郎が「三郎は兄上が家督を継ぐのが不満なのであろう」と言えば、太郎も「先程からの言葉はそのための讒言(ざんげん)か。弟だとて、事によってはただではおかぬぞ」と怒りをぶつける。この2人の兄の言葉を受けて、三郎は「父上、3本の矢の戒めも早々にこのざまじゃ。これではやがて、兄弟3人、血で血を洗う争いになろう」と嘆く。この三郎の言葉はこれから展開される骨肉の悲劇をほのめかしており、注目したいところである。父の志と願いを踏みつけるようなこの三郎の言葉に、父秀虎はこのうえない怒りを露わにして、ついに息子三郎と親子の縁を切って、彼を追放の身とした。

この処分を聞いて秀虎を諌めたのが、側近の平山丹後(油井昌由樹)である。丹後によると、三郎君の言われることは、ずけずけとして、無礼とも非道とも聞こえるが、それは真正直な人柄から出たものだというのである。秀虎が太刀を抜き取って、丹後を黙らせようとするが、丹後は「直言こそ我ら側近の務め。この丹後、太刀を振るわれたとて一歩も引きませぬ」と答えて、三郎の追放処分の取り消しを求める。この側近の態度に秀虎はさらに大きな怒りを示して、三郎とともにこの丹後にも追放の処分を下したのであった。この親子と君臣の言い争いを客人の藤巻と綾部は、ただ憮然(ぶぜん)と見つめているだけである。この高原での冒頭部分は緑の高原を背景にしてそれぞれの人物の衣裳もたいへん華やかで、しかもストーリーの展開も黒澤明監督の重厚な演出によって展開されており、これからの骨肉の争いをもほのめかしていて、とても重要な見どころの一つであると言ってもよいであろう。

秀虎によって国を追われた三郎と平山丹後は、高原に横たわって、これからどうしたものかと話し合っているところに、馬の蹄が聞こえてきた。2人は秀虎の追手かもしれないと思って、馬を馳せて逃げようとするが、そこに追って来たのは、隣国の藤巻であった。藤巻は綾部と同様に三郎を自分の娘の婿にしたいと望んでいた。しかし、国を追われて乞食同然となった男には娘をやれぬと一旦はあきらめていたものの、国に戻る途中、つらつら考えるに、三郎の言語振る舞いこそまことに立派に思えて、こんな立派な婿を逃してなるものかと思い直して、引返して来たのである。藤巻は三郎とともに平山丹後も自分の国に来るように誘ったが、丹後だけは「何者に身をやつそうと、決して大殿(秀虎)の御側(おそば)を離れませぬ」と言って、秀虎のもとに馬を馳せた。それはまた父親のことを案ずる三郎の願いでもあった。この丹後がのちに三郎と父秀虎の仲直りを取り持つ役目を果たすのであり、これからの展開では注目したい人物である。

さて、こうして一文字家の家督は嫡男の太郎が引き継いで、太郎が一の城の本丸に移ることになったが、太郎の正室の楓の方(かえでのかた、原田美枝子)が二の丸から本丸に移るときに、道の譲り合いで秀虎の女どもと衝突してしまった。二の丸に移った秀虎が窓からその様を見ていて、太郎の女どもに自分の女どもが跪いていることにはどうしても我慢ができなかった。しかし、側近の生駒(加藤和夫)から、「太郎君にこの城の座を譲られたうえは、それは当然のこと」と言われると、返す言葉もなかった。生駒の言葉どおり、家督を長男太郎に譲ったからには、もはや秀虎にはこれまでのような権力はなくなっていたのである。

このように嫡男太郎が一文家の頭領の座についたとはいえ、大殿の名目と格式だけは父親の秀虎に残されているということに不満を抱いたのが、太郎の正室楓の方である。そこで楓の方は主人太郎を巧みに唆し、権力のすべてを自分たちのものにしようとして、秀虎に起請文を要求し、署名のうえ血判まで取らせた。したたかな奥方である。実はこの楓の方は、あとの台詞からも明らかとなるように、この一の城で生まれ育ち、一文字家の太郎の嫁となったあと、心を許した自分の父と兄を舅秀虎に殺され、母はここで自害して果てたという、まさにこの城の姫だったのである。再びこの城に戻ってから、この父の城を秀虎から取り戻すことに執念を燃やし続けていたのである。復讐に強い執念を持ち続けている女性と言ってよいであろう。

この執念深い楓の方に唆されて、父親をあまりにもないがしろにするような嫡男太郎の態度に対して、秀虎はひどく怒りを露わにして、「わしにはまだ1人、子があるわ!」と叫んで、次郎の二の城に向かった。

その二の城では、次郎が兄太郎からすでに書状を受け取っており、次郎は側近の鉄(くろがね)修理(井川比佐志)らと相談していたが、その鉄の考えによると、「城へ入れるのはまずい」ということであった。

そこへ父秀虎が30人の部下とともに到着するが、秀虎は息子次郎に会う前に、まずその次郎の正室である末の方(すえのかた、宮崎美子)に面会する。末の方は、城郭の中に建てられた小さな庵の中にはいないで、城の石垣の上に立って、陽が落ちた西の空に向かって、数珠(じゅず)を持った両手を合わせて、懸命に拝んでいた。秀虎と向かい合っても、末の方は悲しい顔をしたままである。実はこの末の方もまた、秀虎によって父母、身内を城もろともに焼かれたという姫だったのである。しかし、末の方は、太郎の正室楓の方とは正反対に、恨みも憎しみも捨てて、こうなったのも前世の宿縁だと受け止めて、ただひたすら念仏に明け暮れる毎日を過ごしている。恨みをこめて睨んでくれたら、その方がかえって秀虎にとっては心が休まるのであるが、末の方は決して恨もうとはしない。この2人の対面の場面も印象的で、この映画の見どころの一つであろう。

そうして秀虎が末の方と対面しているところに、次郎がやって来る。次郎は兄上から書状をもらったことを知らせたあと、その兄上の申し付けによって、「父上は歓迎するが、横暴狼藉が目にあまる父上の郎党どもは城に入れるわけにはいかない」という旨を告げる。さらに続けて次郎が言うには、「それがご無理と仰せられるなら、このたびはまず兄上に詫びを入れて、一の城にお戻りなさるが、よい御思案かと存じます」という。これを聞いて秀虎は、「太郎に詫びて、一の城に戻れだと!?」と、悲痛な声を上げる。この父子のやりとりを末の方は、ただ悲しそうに涙を浮かべた目で見つめて立っている。末の方はまるで泣いている仏様にも喩えられよう。あまりにも悲しい場面である。

こうして秀虎は次郎から郎党どもと一緒に城に入ることを拒否されて、「次郎も太郎と同じだ」と言いながら、二の城を出て行くのであるが、炎天下の中、野原をさまよい歩いているとき、村という村はまったく人影がなかった。1人の年老いた百姓から聞くところによると、百姓たちは秀虎の郎党どもを避けるように、米をかついで山へ逃げたとのことである。そこで秀虎重臣の生駒が三の城に行くことを進言するが、そこの城主三郎を追放した自分が歓迎されることはないと言って、断固拒否する。

そうしているところへ平山丹後が猟人姿で大殿のもとに食料を持ってやって来た。彼を追放の身にしたとはいえ、丹後は秀虎にとってはやはり忠実な部下である。丹後によると、百姓たちは「大殿を助けた者は死罪に処す」という太郎の命令にそむけずに村を捨てたまでだといい、こうなった以上は藤巻殿に身を寄せている三郎君のもとに行くのがよいと進言する。しかし、自らが追放の身にした三郎のもとに今更身を寄せることもできない。そこへ1人の郎党が馬を飛ばしてやって来て、報告するには、「三の城の軍兵は、一の城の小倉殿に城を明け渡して、藤巻領に向かった」という。生駒が再度、三の城に行くことを勧めると、秀虎は小倉なら何とかなると思って、三の城へ向かった。忠実な部下とはいえ、丹後はもはや口をはさむいとまもない。平山丹後はこれまでおどけ役として大殿のそばに仕えてきた狂阿彌(きょうあみ、ピーター)とともに、そこの野原に取り残されるかたちとなった。

こうして秀虎は郎党や女どもを連れてなんとか三の城に入ることはできたが、しかし、それが悲劇の始まりであった。三の城は太郎と次郎の連合軍に攻め込まれたのである。秀虎は自らの重臣生駒とこの城を任された小倉を呼び寄せようとするが、両名とも城を捨てて、敵方へ走ったという。謀られたことを知って、秀虎はガクッと腰を落としてしまう。太郎と次郎の軍勢の攻撃が始まって、あとは落城のすさまじい地獄絵巻がスクリーン上に映し出される。それは、仏が涙して見つめている人間の悪業、修羅道の眺めだと、シナリオには書き込まれている。その修羅場は無声のまま展開され、その間、武満徹の音楽が静かに流されるだけである。やがて太郎が三の城に入ったとき、突然大きな銃声が聞こえて、ここから現実の音となる。効果的な表現方法である。太郎がどさっと馬から落ちた。兄が鉄砲で狙い撃たれた知らせが、次郎のもとに届くと、側近の鉄は喜んで「殿は太郎君より武運がお強い。殿は只今より一文字家の頭領でござりまするぞ」と叫ぶ。この言葉からどうやらこの鉄が仕組んだ作戦であったことが推測される。

一方、ほとんどの部下を失った秀虎は、今や天守閣に1人追い詰められている。城にはすでに火がつけられている。周りにはだんだんと火が燃え上がってきて、秀虎は気が狂ったように、天守閣から下に降りて来る。城が燃え落ちる中、秀虎が敵軍に向かって降りて来る場面が、この映画の最大の見せどころであろう。4億円という莫大な経費をかけて作り上げたセットの城が、赤々と火の手をあげて燃え落ちる中での、ただ一度かぎりの撮影である。その中で秀虎が虚ろな眼を宙に据えて、雲を踏むような足取りでさまよい歩く姿を演じて見せる仲代達矢の演技に注目したい。文句なしにこの場面が最大の見どころである。秀虎は気が狂っていたがゆえに、次郎をはじめとする敵軍は後退りして、秀虎に道を開けざるを得なかった。こうして三の城での攻防戦は終わったのであった。

気が狂った秀虎は嵐の荒野をさまよっていると、そこに大殿を探していた平山丹後と狂阿彌が一緒に馬に乗ってやって来た。大殿は気がふれたように荒野の草を摘んだりする。気が狂った大殿の姿を見るのは、丹後にはとても悲しいことであった。狂阿彌は狂った大殿を見て、「狂った今の世で、気が狂うなら、気は確かだ」と叫ぶのであるが、こういうシェイクスピア風な台詞にも注目したいところである。

平山丹後と狂阿彌は大殿を連れて、侘しげな藁屋に辿り着くと、一夜の宿を願い出た。中から小さな声で「人に会いたくない」という返事が戻ってきたが、丹後は「ここにおられるのは、一文字家の大殿ぞ」と言って中に入って行くと、土間に接した囲炉裏端に1人の人間がすわっている。暗いので分からなかったが、囲炉裏に火をつけて、よく見ると、次郎の正室末の方の弟君鶴丸(野村武司)であった。秀虎も半身を起して、その目の不自由な少年を見ると、怯えた声で「つ・・・鶴丸!?」と口にする。挨拶をする鶴丸に「わしを覚えているのか」との問いに、鶴丸はこう答える。「忘れましょうや。幼い身でも、父の城が燃えたあの日、生命と引き換えに、この眼をおつぶしなされた、その人は忘れませぬ」鶴丸が続けて話すところによると、「姉上のように仏を念じ、人を恨む心を捨てようと心掛けても、思い出さぬ日はないし、忘れてまどろむ夜もない」という。ただ大殿をお迎えしたからには、どうにかしておもてなしをせねばならぬと思って、姉上が届けてくれた笛でもって、心ばかりのもてなしをすることにした。シナリオにもあるように、その澄み切った笛の音は、あまりにも悲し過ぎる。秀虎はその笛の音に怖れおののいて、戸外へ転がり出てしまった。時代劇映画の中にあって、静かな場面であるが、それだけにかえって戦国時代の悲惨さを感ぜずにはいられない場面である。

さて、一の城の天守閣では、次郎が兄太郎の鎧を身につけたまま、兄上の遺髪を持参して、正室の楓の方に兄上の討死を報告したあと、そのまま一文字家の頭領の座に居座った。一旦、その場を退いた楓の方は、しばらくして再度その場に姿を現して、次郎と互いに皮肉に満ちた言葉を交わし合うが、楓の方が頭領としての太郎の兜を次郎に差し出した瞬間、次郎に襲いかかって、次郎の首に短刀をつきつけるまでの俊敏な動きは、見逃してはならない名場面である。「親を狂わせ、兄を殺して、この国を盗まれた働きは、見事じゃ!しかし、この楓は赦しませぬぞ!夫の仇!覚悟!」と叫びながら、短刀で次郎の首に2度ほどわずかの傷をつける。「兄上を手にかけたのは、わしではない」と答える次郎に向かって、楓の方が「では、誰じゃ?」と尋ねると、鉄が兄上を撃ったことを打ち明ける。すると楓の方は、次郎から飛びのいて、「黙りゃっ!家来に命じておきながら、その責めは負えぬ、と言われるのか!天晴な大将じゃ!」と叫んでから、笑い声を上げる。次郎を頼りない人物だと思った楓の方は、自分から裏も表もなく、ずかっと次のように言った。「この楓、夫を殺されても、なんとも思いませぬ。ただ、わらわが思うのは、我が身のことじゃ。夫亡きあと、髪を切りやもめで通すのも、頭を丸めて尼になるのもいやじゃ!この一の城は父の城、ここを追われるのはいやじゃ!」怖ろしい執念に満ちた女の言葉である。こうなった以上は、次郎の正室となって、この一の城に残りたいのが彼女の本音である。楓の方は次郎に飛び掛かって、色じかけでもって、彼を誘惑するのである。やがて「かくなるうえは、わらわは殿の奥方」と宣言する楓に向かって、次郎が「しかし、わしにはすでに正室の末がいる」と言えば、「いやじゃ、いやじゃ」という言葉を繰り返して、末の方の暗殺を唆すのである。まことに恐ろしい女性である。逆に次郎は1人の女性にうまくまるめこまれてしまった頼りない男に堕ちてしまったのである。この2人のやりとりもこの映画の見どころであることは、言うまでもない。

一方、気が狂った秀虎と丹後と狂阿彌の3人は、今や焼け落ちた城址にやって来ていた。そこはかつて秀虎が滅ぼした末の方と鶴丸の父の城であった。3人はそこの地下の倉庫にしばらく身を寄せて過ごしていた。秀虎は今や魂の抜けたような顔をしており、その面倒を狂阿彌がしている。そうして過ごしているうちに2人の武将が城址のあたりにやって来た。大殿を裏切った生駒と小倉の2人であったが、彼らは次郎のために尽くしたにもかかわらず、その部下に取り立ててもらうこともなく、わずかばかりの褒賞をもらってさまよっていたのである。2人に気づくと、平山丹後は彼らのもとに駈けつけて大殿に代わって成敗しようとする。そのとき生駒と小倉は城址の石垣の上に秀虎の姿を見つけて、いきなり馬を回して逃げ出す。丹後はまずは小倉を斬って馬から落とし、さらに逃げて行く生駒を追う。やがて丹後は生駒に追いついて成敗するが、そのとき次郎が太郎を殺したことを聞き知った。だとすれば、次には大殿の命が危ないと思った丹後は、さっそく大殿を三郎のところに連れて行こうとするが、狂阿彌によると、大殿はそのことだけは断固として拒み、そのことだけに関しては正気に戻るという。もはや逆に三郎殿をここに連れて来るしかないと思った丹後は、2人をそこに残しておいて三郎君のもとに急いだ。

その間、一の城の方では、楓の方が次郎の重臣である鉄修理に末の方の暗殺を命じていたが、その鉄は稲荷狐の首を持って帰り、「末の方は狐の化身、・・・したたかな狐じゃ、今度は狐に化けおったか」と言いながら、楓の方をからかったりする。愚弄された楓の方は、今や夫となっている次郎にしつこく末の方の暗殺を迫ってやまない。「この楓、末の方の首を見るまでは、お目にかかりませぬ」と怒りを露わにする。

鉄修理から逃げるようにと勧められた末の方と鶴丸は、老女を1人連れて、他国へ逃げようとするが、その際遠回りをしてかつての父の城、梓城址を通って行くことにした。そこへ行く途中、鶴丸が大事な笛を忘れてきたことに気づいて、老女が引き返して取って来ることになった。ところが、スクリーンではのちの展開になるが、末の方と鶴丸はやっと梓城址に辿り着いて老女を待つものの、いくら経っても戻って来ない。今度は様子を見るため、末の方も戻って行った。それが災いのもとであった。やがて末の方は老女とともに鶴丸君の庵の前の庭で殺害されてしまうのである。その暗殺のさまはスクリーンでは展開されずに、末の方が首を斬られて笛を手にしたまま横たわっている様が映し出されるだけであるが、それがかえって無残に思われ、余計に憐れみをもよおさせる。

平山丹後から大殿のことを聞いた三郎は、手勢を引き連れて、国境の川を渡って、八幡原に陣をしいた。次郎から父秀虎を引き取るためである。背後の山の尾根には藤巻の軍勢が三郎を援護するために陣をしいている。

これに対して一の城では、楓の方の指図で、次郎はこのうえは一旦、三郎殿に大殿を引き渡すと申し送り、三郎殿の動きを見逃さずにその跡をつけて、大殿の隠れているところに討手を差し向けることにした。今や一の城を支配しているのは、楓の方であると言ってもよいであろう。

次郎はさっそく八幡原に出かけて、三郎の陣に対して陣形を組む。三郎の軍勢と次郎の軍勢との睨み合いが、しばらく続くが、青旗を背負っている三郎軍と赤旗を背負っている次郎軍とのコントラストが緑の八幡原を背景にして色鮮やかであり、このあたりも見どころであることは言うまでもない。やがて三郎は次郎から「大殿を引き取って、速やかに陣を引き払うがよい」という返答を得たが、今うかつに動くと父上の居所を悟られると思って、夜になるのを待つことにした。そのとき綾部領の尾根に綾部の軍勢が姿を現した。八幡原での一文字家の兄弟の争いを眺め、漁夫の利を得ようとしているのである。八幡原では三郎が返事を得ても動かないことで、次郎は三郎の目論見が読み取れないでいる。両者の睨み合いがこうしてなおしばらく続く。

そうしているうちに三郎のもとに使者が狂阿彌を馬に乗せてやって来る。狂阿彌によると、大殿はその後、梓城址の石垣の上に末の方と鶴丸君の姿を目にするや否や、怖れおののいてそこから逃げ出してしまったというのである。それを聞いた三郎は、もはや夜になるのを待つことができずに、軍勢をその場に残したまま、自分は平山丹後ともに10名程度の手勢を連れて、父上を探すため梓野に向かって動き始めた。このあたりからの両軍の動きが、この映画の最後の方での最大の見どころであろう。

三郎が動き出したのを見て、次郎の方も鉄砲隊を梓野に向かわせようとすると、次郎の重臣鉄修理が懸命にそれを引き止める。敵軍は三郎の軍勢だけではないので、このまま軍勢を引き上げるのが得策だと主君の次郎に進言するのであるが、次郎は「藤巻と綾部が国境を侵すなら、それもよい、蹴散らして、攻め寄せて、この際、両国ともに一文字領とするまでじゃ」と強気である。こうして次郎は強引に軍配を上げて、鉄砲隊を梓野に向けて突き進ませたのである。

これを受けて、三郎側の軍勢は、いよいよ始まりそうな合戦に備えて、八幡原と梓野を区切る森の中に陣を移すことにした。森の中だと守りやすくて、敵も攻めにくくなるからである。こうしてまもなく激しい骨肉の争いが展開されることとなるのである。

一方、梓野では三郎が父秀虎を見つけて、父と対面するが、父は気がふれている。そのうちだんだんと自分に息子たちがいたことを思い出し、今、目の前にいるのが三郎だと悟ると、「わしはお前に合わせる顔がない」と叫ぶ。これに対して三郎は「私は父上を恨んではおりませぬ」と言えば、父秀虎は「わしを誑(たぶら)かすな。うまい言葉はもうたくさんだ」と答える。太郎と次郎に裏切られたあとのことだけに、当然のことのように口に出てきた言葉である。父の姿を見て、息子の三郎はハラハラと涙を流す。そのとき丹後が「大殿、とくとご覧なされい。この三郎君が人を誑かすお人か?偽りの甘言はいくらでも並べられる。しかし、このような涙は偽りでは流せませぬ」と言って、父子の間を取り持つ。「三郎のもとに来て、悪い夢をお忘れなさるがよい」との三郎の言葉に、父秀虎は「このわしを許してくれ」と答えて、こうして父子は仲直りをするのである。この映画の見どころの一つであろう。

さて、八幡原では今や次郎軍と三郎軍との間で戦闘が始まっていた。赤い旗の次郎軍が攻め寄せれば、森の中から三郎軍が鉄砲による激しい射撃で応戦する。熾烈(しれつ)な戦闘場面である。森の中に敵がいるのを知ると、次郎は「森を焼くまでじゃ」と強気である。両軍、押したり、引いたりの攻防戦が続く。黒澤映画の見どころであることは、言うまでもない。

そうしているところへ次郎のもとに使者がやって来て、藤巻軍は一の城に向かったという。しかし、その尾根には依然として綾部の一軍がじっと戦場を見下ろしていたが、それは囮(おとり)だったのである。藤巻軍の本隊は一の城に向かっていたのである。これによって次郎の軍勢は一の城に引き返すことにした。それに三郎側の軍勢が追い討ちをかける。畠山小彌太(加藤武)が陣頭指揮を取って、敵とは対照的に整然たる隊形を組んで、一糸乱れず次郎の軍勢を追撃する。こうして八幡原での戦いは三郎側の軍勢の勝利に終わるのである。

ところが、主君の三郎自身は仲直りした父を馬に乗せて帰って行く途中、次郎が遣わせた鉄砲隊の銃弾に倒れてしまう。馬から落ちた息子がすでに死んでいるのを悟ると、父秀虎はそのまま息子三郎に覆いかぶさるように狂い死んでしまうのである。そのとき使者がやって来て、味方の勝利を告げるが、もはや遅かった。秀虎に仕えてきた狂阿彌は、天に向かって叫び出す。「神も仏もいないのか?畜生!神や仏は気まぐれな悪戯(いたずら)小僧だ!天上の退屈しのぎに、虫けらのように人を殺して喜んでいやがる!やーい!人間が泣き叫ぶのがそんなに面白いのか!」これに対して平山丹後はこう言う。「言うな!神や仏を罵るな!泣いているのは神や仏だ。いつの世にも繰り返すこの人間の悪行、殺し合わねば生きてゆけぬこの人間の愚かさは、神や仏も救うすべはないのだ!」この映画の中で最も重要な台詞である。ここにこの映画のテーマが明らかにされている。泣き出す狂阿彌に向かって、丹後は続けてこう言う。「泣くな!これが人の世だ!人間は幸せよりも悲しみを、安らぎよりも、苦しみを追い求めているのだ!見ろ!今、あの一の城では、人間どもがその悲しみと苦しみを奪い合い、殺し合って喜んでおるわ!」

この丹後の言葉どおり、今や一の城では綾部の軍勢が押し寄せている。そのうちに次郎も一の城に戻って来た。その戦いの最中、次郎の重臣鉄修理のもとには末の方の首が届けられたが、それを見た鉄修理は、「この城の主は殿か、それとも楓の方か」と叫んだかと思うと、楓の方の部屋に押し掛けて、一文字家を滅ぼした張本人として彼女を一刀のもとに斬り捨てた。凄まじい場面である。鉄修理は次郎に向かって、「もはやこれまで。この鉄、のちほどお供つかまつる」と言って、戦いの中に入って行く。こうして一の城は黒煙を上げ始めて、やがては落城してしまうのである。

その頃、梓野では夕暮れの中を、丹後や狂阿彌らが秀虎と三郎の屍を運んでいる。武満徹の厳粛な音楽が静かに流れる中、その行列が長く続いている。その背後にある梓城址の石垣の上には、鶴丸君の姿が見える。目の不自由な鶴丸君は杖をつきながら石垣の端にやって来たところで、あわや落ちそうになって、よろめいた瞬間、手にした阿弥陀の掛け軸を落してしまった。その掛け軸が夕映えの中で金色に輝き、その何か悲しそうに歪んだ阿弥陀の顔が、じっと石垣の上を見ている。この映画のテーマをスクリーンで表現している印象的なエンディング・シーンである。シナリオの最後にはただ一言「惨!」と記されている。


以上のように見てくると、この映画『乱』は黒澤明監督のメッセージが前作『影武者』よりもより鮮明になっていると言える。すでに上で述べたように、『影武者』が一人の「人間の視点」からさまざまな出来事を眺めた作品とすれば、『乱』は虚しい戦いを繰り返す人間の愚かさを「天の視点」から描いている。時代背景は戦国時代に設定されているが、しかし、この映画の中には、戦争と平和、生と死、権力への欲望、愛憎、さらにまた現代にも通じる老後問題といった人間の普遍的なテーマが集大成されている。しかも画面の随所には「能楽」の要素が取り入れられている。まず衣裳は能楽のように暗示的表現としても用いられている。長い髪で顔を隠した鶴丸の姿は、古典的な能楽の人物を彷彿とさせ、猛将秀虎の精悍(せいかん)な顔も、最後の方になると、まさに能面をつけているように見える。視覚的な面だけではなく、聴覚的な面でも、笛の音による能楽的な表現が多く用いられている。このように「能楽」の要素が視覚と聴覚の両面から巧みにちりばめられていて、格調高い仕上がりを見せている。「乱」がまさに「美」に昇華されていると言えよう。また全体の悲劇は主人公秀虎のそばで狂阿彌が演じる余興の中でほのめかされており、よりいっそう効果的な表現となっている。全体の細部にわたってスキを見せない黒澤映画『乱』は、真の意味で総合芸術作品である。その意味でこの映画は黒澤明監督のライフ・ワークと言ってもよいであろう。是非、この傑作映画『乱』をこの機会にご「らん」ください。シェイクスピアの悲劇『リア王』と併せて鑑賞すれば、ますますこの映画が興味深いものとなってくるのは、言うまでもないであろう。


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