【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第108号
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○連載「知的感動ライブラリー」(80)

ヴェルディの歌劇『ファルスタッフ』
総合科学部教授 石川榮作

ヴェルディは初期の作品として喜歌劇『一日だけの王様』(1840年初演)を作って以来、もっぱら悲劇ばかりを作曲してきたが、80歳のとき53年ぶりに喜歌劇『ファルスタッフ』(1893年初演)を作り上げた。これは、シェイクスピアの『ヘンリー4世』(1597~98)に登場する飲んだくれの老騎士で、放蕩三昧(ほうとうざんまい)のどうしようもないファルスタッフという人物を再登場させて書かれた『ウィンザーの陽気な女房たち』(1601~02)を原作とするもので、これまでのヴェルディの悲劇的世界とはがらりと趣の異なるオペラ・ブッファの傑作である。老齢のときの作品でありながら、とても初々(ういうい)しさを感じさせる作品である。

以下、全3幕の展開を順に辿りながら、その聴きどころ・見どころを紹介していくことにしよう。

第一幕

快活な音楽でもっていきなり第一幕の幕があがると、第1部(第1場)の舞台は居酒屋ガーター亭の内部である。飲んだくれで好色な太っ腹の老騎士ファルスタッフが、2通の恋文を書いて封印をしたところである。そこへ医師カイウスがやって来て、脅すような大声で怒鳴りながら、ファルスタッフの悪戯(いたずら)やその子分バルドルフォとピストーラの悪行を非難するが、そのならず者3人を相手にしてはまったく歯が立たない。医師カイウスはどうしようもなく、帰って行こうとする。ファルスタッフの子分バルドルフォとピストーラは、客人を出口までふざけながら送って行って、「アーメン」と言葉を浴びせかける。ファルスタッフとその2人の子分たちがどういう人物であるかが、この冒頭部分ですでに明らかである。

ファルスタッフが子分たちに「盗みは優雅に首尾よくするものだ」と教訓を垂れているところに、居酒屋亭主が勘定書を持って来て、ファルスタッフはそれを確認し始める。鳥6羽にシェリー30本をはじめとしていろいろと、よく飲み、よく食べたものである。ファルスタッフは子分たちに財布の中を調べさせるが、ごくわずかの金しかなく、もちろん足りるわけがない。それを子分たちのせいにして、「居酒屋から居酒屋へと飲み歩くときに、この飲んべえらを連れているので金がかかりすぎるのだ」とごまかしてしまう。そう言って、居酒屋の亭主にはさらに酒を注文する始末である。

そのような親分のファルスタッフを子分2人がほめ称えて上機嫌にさせると、ファルスタッフは大金持ちフォードの妻アリーチェに惚れてしまったことを打ち明ける。彼女は美しい上に、その家の金庫の鍵を握っているが、ある日、彼女の家の近くを通りかかったとき、彼女が自分に微笑みかけたので、彼の心の中に愛の炎が燃え上がったのだという。うぬぼれの強い彼には、相手が自分に惚れたように思われるようである。アリーチェが「私はジョン・ファルスタッフ様のものですよ」と言っているかのように、ファルスタッフが裏声で真似て歌う場面などは、文句なしに聴きどころ・見どころであろう。

さらにファルスタッフはもう一人マルゲリータ、愛称メグも自分に心を寄せていると言う。彼女もまたその家の金庫の鍵を握っている。アリーチェとともに、このメグは彼にとって「ダイヤの鉱山となり、また黄金の海岸となってくれるだろう」と、勝手に大きな夢を描いているのである。実は、さきほど封印をした2通の手紙は、この2人の夫人に宛てて彼の燃える想いを綴ったものであり、ファルスタッフはそれらを子分のバルドルフォとピストーラに委ねる。しかし、子分たちはそれを拒否する。「自分は使い走りではない」とか「そのような姦計には応ぜられない」と言うのである。そこでファルスタッフはちょうど入って来た小姓に2通の手紙を渡して、2人の夫人のもとに届けるように言い付けると、小姓はそれを持って走って出て行った。

2人の子分はファルスタッフの命令を断った理由として、「名誉によって禁じられている」ことを挙げるのであるが、それに対して「なんの名誉だ?・・・名誉で腹がいっぱいになるか?なるまい。折れた脛(すね)が名誉で直せるか?直せまい・・・」などと、ファルスタッフが演説の調子で説教したり、怒鳴ったりする。この独り言を歌い終えると、ファルスタッフは箒(ほうき)を振り回しながら、2人を追い出してしまう。このあたりも、聴きどころ・見どころである。

ここで場面転換が行われて、軽やかな音楽で第2部(第2場)に入ると、舞台はフォードの家のそばにある庭園である。近所のおせっかいおばさんクイックリー夫人とメグがフォードの家に近づいて行こうとすると、敷居のところで中から出て来たフォードの妻アリーチェとその娘ナンネッタに出会う。アリーチェの方もちょうど驚くようなことが起こったので、メグに会いに出かけようとしていたところだという。メグにももちろん驚くべきおもしろいことが起こったという。2人は「騎士夫人になることが約束されるかもしれない」と言って、それぞれ1通の手紙を相手に渡し、取り替えて、読み始めた。

メグが「光り輝けるアリーチェ!あなたに愛を捧げます・・・」と読み始めると、彼女は自分がもらった手紙と名前以外はすべて同じ文面であることに驚く。手紙の内容は、交互に読んでいって、「あなたの愛を請い願います。理由は問わずに、言ってください、愛していると。あなたは明るい婦人、私も明るい騎士。2人は似合いのカップル。楽しい愛の一組になりましょう。麗しい婦人と立派な男とで。あなたの顔は果てしなき大空に輝く星のように私の上にも光り輝きます」と続く。ここまで読んで、一同は「ハ、ハ、ハ・・・」と笑いこけてしまう。アリーチェが手紙の締め括りを読むと、「返事をお待ちしています。あなたの従者(しもべ)、騎士ジョン・ファルスタッフ」とある。名前を除けば、すべて同じ文面である。アリーチェとメグが交互に手紙を読む場面は、音楽もすばらしく、またその場面の婦人たちのしぐさもおもしろくて、聴きどころ・見どころの一つであることは間違いあるまい。

手紙の差出人が飲んだくれの太鼓腹の老騎士ファルスタッフで、しかも2通の手紙の内容が同じだと分かると、そこに居合わせた4人の女性たちは、彼を懲らしめようと企む。そのとき各人がファルスタッフを罵りながら歌う四重唱の歌の内容も、おもしろいこと、この上ない。音楽とともにその歌の内容のおもしろさにも注目したいところである。いずれにしても放蕩三昧を繰り返すファルスタッフの全貌が明らかにされていて、愉快で愉快でたまらない。これまでのヴェルディとはまったく異なった趣きの音楽で、ヴェルディの幅の広さには驚かされる。これがヴェルディの最後に辿り着いたオペラ・ブッファの境地であると言ってもよいであろう。これも聴きどころ・見どころの一つであることは、言うまでもない。

4人の女性たちが舞台から退くと、今度は大金持ちのフォード、医師カイウス、若くてナンネッタの恋人でもあるフェントン、ファルスタッフの2人の子分バルドルフォとピストーラが登場して来て、5人の男性ばかりの舞台となる。まず医師カイウスがファルスタッフのことを「奴は悪人で、ずるい奴で、泥棒で、無頼漢だ・・・」などと非難しながら、先日も彼の家でスキャンダルを起こしたことを口にすると、叩き出されてしまった子分のバルドルフォもまた、特にフォードに向かって親分ファルスタッフが「よからぬ不純な計画を思いめぐらしている」ことを話す。それだけでは陰謀の囁きが聞こえてくるだけなので、もっと詳しいことを話してほしいとの要求を受けて、今度は2人目の子分ピストーラがまさに詐欺師である彼の家来であったことを後悔しながら、巨漢のファルスタッフがフォードの家に押し入って、彼の奥さんを横取りした上、金庫をこじ開けて、寝台を乗りつぶそうとしていることを打ち明ける。このピルトーラの話を聞きながら、若いフェントンはファルスタッフの異常肥大のどてっ腹に風穴を開けることを考えて、ゾクゾクした気持ちになっている。ファルスタッフがすでに妻に1通の手紙を書いていることをバルドルフォから聞き知ると、フォードは怒りをあらわにして、「女房に気をつけよう。あの男に気をつけよう」と警戒を強めた。

そこへ先程の4人の女性たちが戻って来て、男性たちと女性たちは互いにひそひそ囁き警戒しながら、また立ち去って行き、そこに居残ったのは若いフェントンとその恋人ナンネッタの2人である。ここで愛し合う若い2人の美しい二重唱が始まる。途中で3人の女性たちが戻って来て、二重唱は中断するが、ファルスタッフをおびき出して仕返しをする手筈を整えると、その3人の女性はまたそこから退いて行く。再び2人きりになったフェントンとその恋人ナンネッタは美しい口づけの二重唱を続ける。この二重唱もさわやかで聴きどころであろう。まもなくして人がやって来る気配がしたので、ナンネッタはそこを立ち去る。

その場に再び現れたのが、大金持ちのフォードと医師カイウス、それにファルスタッフの子分バルドルフォとピストーラである。フェントンはその男性たちと一緒になる。男性たちはファルスタッフの居場所を確かめたりして、すべてを秘密のうちに進めることを打ち合わせる。

そこへまたナンネッタを含めて4人の女性たちが姿を現して、男性5人と一緒になって九重唱を歌って、ファルスタッフに恥をかかせる手筈を整える。この九重唱もまたこのオペラで注目すべき聴きどころであろう。

やがて男性たち5人が退くと、最後には女性たち4人だけでさっそく作戦を開始することを打ち合わせ、ファルスタッフの恋文の内容をあざ笑いながら退いたところで、第一幕の幕が降りる。

第二幕

軽快な音楽でもって第二幕の幕が開くと、第1部(第1場)の舞台は、また居酒屋ガーター亭の内部である。いつものようにファルスタッフが酒を飲んでいるところへ、子分のバルドルフォとピストーラが戻って来て、自分たちの取った行動を後悔していると言い、また親分に仕えることを宣言する。もちろん親分に仕返しをすることを企んでいて、さっそく親分に会いたいという女性が入口に来ていることを告げる。「お通ししなさい」との親分の命令で、案内して連れて来たのが、おせっかいおばさんのクイックリー夫人である。

クイックリー夫人は人払いをしてもらったあと、ファルスタッフに向かって、アリーチェ・フォード夫人が彼への愛でひどく心乱れているということとともに、手紙を受け取ったことをたいへん喜んでいることを巧みに知らせてから、彼女の主人はいつも2時から3時までの間、外出しているので、その時間帯にアリーチェを訪問することができることを伝えた。ファルスタッフはそれが罠とも知らずに承諾し、その時間帯に訪問することを約束した。そのあとクイックリー夫人は、さらに美しいメグもまた彼に好意を寄せているが、彼女の主人はほとんど外出しないので、彼女を訪問することは叶わないことをも伝えた。アリーチェとメグが互いにこのことを知らないことを確認すると、ファルスタッフはクイックリー夫人が嘘をついていることに気づくこともなく、彼女に駄賃までやって彼女を返す。1人きりになると、ファルスタッフは大いに喜んで、「アリーチェは私のものだ!行け、老練なジョン、行け、お前の道を行くのだ」と歌い出す。この歌もおもしろくて聴きどころであろう。

ファルスタッフが歌い終えたところへ、子分バルドルフォに案内されてやって来たのが、アリーチェの夫フォードである。彼はもちろんアリーチェの夫であることを隠して、フォンターナという名前の金持ち商人になりすましている。フォンターナとは「泉」という意味で、お金を湯水のように使うといった男を意味しており、キプロス産のぶどう酒の大樽を持参している。ファルスタッフにとっては「酒を湧き出させる泉さん」であり、大歓迎である。この場面におけるこういう台詞もまた楽しい。フォンターナ(フォード)はこのならず者の騎士が妻にあてて恋文を書いたことを知って、どういう人物なのか、品定めにやって来たのである。フォンターナ(フォード)はフォード夫人アリーチェに片思いをしているが、彼女に手紙を書いても返事をくれないし、彼女を見つめても振り向いてもくれない、また彼女を追いかけても隠れてしまい、彼女に贈り物をしても効果がないと嘆く。この場面で2人が歌う「愛は影と同じで、逃げれば、追うし、追えば、逃げる」という名言などにも注目したい。フォンターナ(フォード)はこの歌の真意を学ぶのに随分お金を使ってきたが、ここで「非常に雄々しくて、賢く、雄弁で、騎士でもあり、世の中をよく知っている人」でもあるファルスタッフに協力してもらって、難攻不落の彼女を陥落させたいと言うのである。1袋のお金を差し出してから、頼んで言うには、あの美人は固い貞操の殻に閉じこもって生きてきた女性であるが、ファルスタッフ様が彼女を陥落させたら、自分も希望を持つことができるというのである。上機嫌でその話を聞いていたファルスタッフは、1袋のお金を受け取ってから、「実はアリーチェのうすのろの亭主は2時から3時までの間、不在なので、その時間帯に訪問することになっている」ことを伝えて、着替えのために一旦奥の方に引っ込んで行く。

1人になったフォンターナ(フォード)は、妻アリーチェが本当に浮気をしているのかと思って、愕然として、「夢か?現実か?・・・2つの大きな角が私の頭に生え始めている」と歌い出す。「寝取られた亭主の頭には角が生えてくる」と言われているようであるが、このような侮辱に対してフォンターナ(フォード)は2人の現場を押さえて、仕返しをしてやることを誓うのである。この歌も文句なしに聴きどころであろう。

そうしているうちにファルスタッフがきらびやかに着飾って奥から出て来る。どのように着飾っているかも、見どころである。ファルスタッフはフォンターナ(フォード)とともに出かけて行くところで、場面転換が始まる。

場面転換が終わり、軽やかな音楽で第2部(第2場)となると、その舞台はフォード家のサロンである。そこの女主人アリーチェとメグが待っているところへ、おせっかいおばさんのクイックリー夫人が笑いながらやって来る。彼女はファルスタッフとのやりとりの一部始終を報告する。首尾は上々、ファルスタッフはうまくひっかかって、予定の時間にこちらにやって来るというのである。一同は大喜びである。彼女たちはさっそくその支度に取り掛る。しかし、そうしているうちにやって来ていたナンネッタだけは、泣きべそをかいている。彼女の母アリーチェが事情を聞くと、お父さんのフォードが自分に医師のカイウス先生と結婚するようにと言い付けたというのである。女性たちは皆、彼女があの似非(えせ)学者で老いぼれの医師と結婚することに猛反対である。彼女たちから励まされたことで、ナンネッタも元気を取り戻して、ファルスタッフを落し入れる喜劇の準備の手伝いをする。

準備が整い、女性たちが隠れて、アリーチェが1人でリュートを弾いているところへ、ファルスタッフがついに現れる。彼は「ついにあなたを捕まえた。光り輝くあなたは花。僕はあなたを捕まえた」と言いながら、彼女の身体を捕まえると、アリーチェはリュートを弾くのを止めて、わざと「やさしいジョン様」などと答える。ファルスタッフは彼女に甘い言葉をかけて、彼女を説き伏せようと懸命である。この場面がこっけいなこと、この上ない。ファルスタッフが彼女を愛していることを告白し、しかし、それは自分の罪ではないと言うと、アリーチェは「あなたはそんなに罪を犯しても、いい肉がおありです」と答える。これに対してファルスタッフは「私が昔のノーフォーク公爵の小姓だった頃は、痩せていました」と歌い出す。「昔は痩せていて、軟らかくて、すらっとしていた」と自分を褒め称えるこの歌も、この上なくこっけいで、たいへんおもしろい。アリーチェが「私をからかっておいでなのね。裏切られるのが怖いわ。誰かほかの女性を愛しているのではないの」と言いながら、メグのことを指摘すると、ファルスタッフは「あんな女、顔を見るだけでうんざりですよ」と答えて、アリーチェを抱擁しようとする。その瞬間、おせっかいおばさんのクイックリー夫人が大声をあげながら入って来て、「メグ奥様があなたとお話したいと言っています」と知らせる。ファルスタッフは大慌てで屏風の後ろに隠れる。

メグが興奮して入って来て、アリーチェに「あなたの旦那さんが、あの男を追えと怒鳴りながら戻って来るわ」と伝える。アリーチェはそれが本当のことなのか、打ち合わせどおりの芝居なのか、声をひそめてメグに尋ねると、なんと本当のことだという。そのあとすぐにフォードが怒鳴りながら、入って来て、あとに続く者に向かって、「扉を閉めろ!階段をふさげ!」と叫ぶ。あとから走って入って来たのが、医師カイウスと若いフェントンである。フォードはその2人に部屋中を調べさせる。そのあと駆けつけてやって来たならず者のバルドルフォとピストーラにも同じくファルスタッフを探させる。フォードは怒鳴り散らしながら洗濯物籠をひっくり返すが、出て来たのは洗濯物ばかりである。彼は狂ったようにさらに部屋の中を探し回る。

その間にアリーチェはメグと相談して、屏風の後ろに隠れていたファルスタッフをさきほどの洗濯物籠の中に無理やり押し込めてしまう。巨体であったが、なんとか入ったようである。

このように大人たちが大騒動している間に、若いフェントンとナンネッタといえば、屏風の後ろに隠れて、キスをしながら愛の二重唱を歌い始めた。部屋の中をあちこち探し回っていたフォードは、そこに戻って来て、やがて屏風の後ろに誰かが隠れている様子をかぎつけた。フォードがその屏風の後ろの様子を窺っている間、アリーチェたちは苦しいために洗濯物籠から出て来ようとするファルスタッフを押さえつけるのに懸命である。この場面でその部屋にいる9人によって今や九重唱が歌われ始めるが、この九重唱も文句なしに聴きどころである。まさに晩年のヴェルディの円熟した技とも言うべきところである。

九重唱のあと、フォードがほかの男たちに合図をして、屏風を一気に突き倒すと、屏風の後ろから現れたのは若いフェントンとナンネッタであった。フォードは娘ナンネッタを医師カイウスに嫁がせるつもりであったから、ますます怒りを爆発させる。逃げ回るフェントンを男たちが追いかけている間に、女性たちは洗濯物籠を窓際まで運んで、そこからついにそれをテムズ川の中に投げ落としてしまった。どこを探してもファルスタッフの姿は見つからなかったので、フォードとアリーチェの夫婦間の誤解はなんとか解けたところで、第二幕の幕は降りる。

第三幕

短いが堂々とした序奏が終わって、第三幕の幕が開くと、第1部(第1場)の舞台は居酒屋ガーター亭前にある大きな広場で、夕暮れ時である。突き落とされたテムズ川から岸辺に上がったファルスタッフは、大きな広場のベンチに腰掛けて、静かに考え込んでいる。しばらくして身をぶるぶると震わせながら、ガーター亭に向かって亭主を呼び出しながら、「世界中泥棒だ。世界中悪党だらけだ。ひどい世の中だ!」と歌い始める。出て来たガーター亭の亭主に酒を注文してから、また歌い出して、テムズ川に突き落されて、洗濯物籠と一緒に溺れ死にかけたあわれな自分のことを嘆くとともに、ひどい世の中であることを嘆き悲しむ。ガーター亭の亭主が持ってきたぶどう酒を飲みながら、歌っているうちにだんだん気持ちもよくなってくる。「うまいぶどう酒はつまらない出来事を忘れさせ、目と頭に活を入れてくれる」と歌うこの場面の音楽は、ヴェルディの独創的なもので、もちろん聴きどころである。

ファルスタッフがこうして酔い始めたところへ、おせっかいおばさんのクイックリー夫人がやって来て話しかけるが、ファルスタッフは彼女に怒りをぶつける。「誤解ですよ」という彼女に対して彼の怒りは決しておさまることはなく、ひどい仕打ちを訴え続ける。そうしているうちにアリーチェ、メグ、ナンネッタの女性たちと、大金持ちのフォード、医師カイウス、若いフェントンの男性たちが家の後ろから覗きながら、1人1人気づかれないように聞き耳を立てている。

クイックリー夫人は「罪はあのとんでもない男たちにあり、アリーチェは泣いて、聖者の名前を唱えています。かわいそうな人で、あなたを愛しておいでです」と言いながら、アリーチェからの手紙を渡す。そこには「真夜中に王立公園でお待ちしています。黒の狩人の装いで来てください。ハーンの樫の木のところへ」と書かれてあったので、ファルスタッフは詳しい話を聞くためにクイックリー夫人と一緒にガーター亭の中に入って行く。

この様子を家の後ろから窺っていた女性3人と男性3人は、ファルスタッフを懲らしめるために今夜の仮装大会の相談を始めた。それぞれ仮装の役割分担を決めてから、アリーチェ、メグ、ナンネッタの女性3人と男性のうち1人のフェントンがその場を立ち去って行く。

そこに居残ったフォードと医師カイウスが2人でひそひそと話しているところへ、ガーター亭の中からクイックリー夫人が出て来て、こっそりと2人の話を立ち聞きする。フォードは医師カイウスが自分の娘ナンネッタと結婚することを約束し、仮装大会のあとでヴェールを被った娘とともに僧侶のマントで彼にところに来てくれたら、彼は新郎新婦として2人を祝福すると手筈を整えたのである。これを盗み聞いたクイックリー夫人は、「そうは問屋がおろしませんよ」と、すでにその場から遠ざかっていたアリーチェとメグに向かって合図を送ってから、ナンネッタを誘って急いで彼女たちのあとを追って立ち去って行く。女性たちが声を掛け合って、退いて行くところで、場面転換が始まる。

場面転換が行われ、美しいホルンの響きとともに第2部(第2場)の幕が上がると、その舞台は夜、月光に明るく照らし出されているウィンザーの公園(王立公園)である。おとぎ話にあるような幻想的な舞台に注目したいところである。

まず若いフェントンが「唇から喜悦の歌が」と、やさしい恋の歌を歌い始める。「口づけされた唇は永遠に幸せを失わない」と歌い終えたところで、遠くから近づいて来た彼の恋人ナンネッタによって、「月が夜毎に変わるように、新しく幸せを運んでくる」と受け継がれて、2人は抱擁するが、アリーチェが「今はだめよ」と言って、2人を引き離し、フェントンに黒いマントと仮面を身につけさせる。フェントンは修道僧の装いとなったが、これでもってアリーチェは夫フォードの陰謀を打ち砕くつもりなのである。そこで偽の花嫁の衣裳は、クイックリー夫人の計画によってファルスタッフの子分バルドルフォが着るよう手筈が整えられ、メグによって小妖精たちが堀の土手沿いに潜むように配置されて、準備は完了である。一同はファルスタッフがやって来る気配を察知して、身を潜める。

ファルスタッフがそこに姿を現すと、ちょうど真夜中の12時の鐘が鳴り、彼はその鐘の音を数えながら指定された樫の木のところにやって来る。すると足音が聞こえてきて、アリーチェが奥から現れる。ファルスタッフは「愛がわが身を焦がす」と言いながら、彼女に近づくと、彼女の方も慕っているように見せかけて、「ジョン様!」と叫びながら、それに応える。2人が大袈裟に愛を告白するこの場面のこっけいさにも、注目したい。ファルスタッフが情熱的に「私たちは2人きりだ」と言いながら、彼女を抱き寄せようとすると、アリーチェは「いえ、あそこの繁みにメグがついて来ているの」と言う。それを聞いたファルスタッフは「ダブル・デートだ。彼女も一緒に来て、私を分けたらいい」と言いながら、アリーチェにしつこく迫る。そのとき奥の方でメグの「助けてェ!」という悲鳴に続いて「悪魔の集会だわ」という叫び声が聞こえてきて、ファルスタッフはそれに恐れおののいて、樫の木の下に這いつくばって隠れてしまう。

奥の方から「森の精!空気の精!大気の精!樹々の精!水の精!魔法のお星さまが空に出て来るから、現れ出ておいで!」と歌いながら、妖精の女王の装いをしたナンネッタがそこに姿を現す。それを見たファルスタッフは、妖精だと思って、「見た者は死んでしまうぞ」と恐れおののく。アリーチェは白や青の妖精の洋服を着た子供たちと一緒に出て来る。ファルスタッフは恐ろしさのあまり地面に伏したまま動かない。そのさまを見て妖精に扮した一同は、笑いを抑えながら、彼をからかう。

妖精たちが出揃ったところで、真ん中にいる妖精の女王(ナンネッタ)が「夏のさわやかなそよ風に乗って、妖精たちよ、駆け回れ!」と歌い出す。その場の雰囲気は幻想的で魅惑的な空気に包まれる。妖精の女王に合わせて、小さな妖精たちも歌い、この場面は、これまでのヴェルディからは想像できないほどのやさしいメロディで、文句なしに聴きどころであり、また見どころでもある。

一旦退いていたアリーチェは今度は仮面をつけ、メグは緑の森の精の衣裳を身につけ、クイックリー夫人は魔法使いのお婆さんの仮装をして、現れて来る。彼女らの前には、真っ赤なマントを着て、長い帽子を深々と被って顔を隠しているバルドルフォ、そして半人半獣の仮装をしたピストーラもいれば、さらに灰色のマントを着た医師カイウス、黒いマントを着て仮面を被ったフェントン、そしてマントも仮面もつけていないフォードが続いて出て来る。そのほかに多くの市民も思い思いの仮装をして、そこにやって来る。一同は脅えているファルスタッフを丈で触ったり、足で触ったり、飛びかかったりして、さんざんに痛めつける。痛い目にあってファルスタッフは、最後には「後悔しています」と口にしてしまう。それでも一同は彼をからかい続ける。

そのうち酔っぱらった子分バルドルフォは調子に乗って、ファルスタッフに近寄り過ぎて、帽子が落ちてしまい、ついに正体がばれてしまった。ファルスタッフは子分バルドルフォに激しく罵りの言葉を浴びせかけるが、ついに彼は疲れ果ててしまった。一休みしようとすると、アリーチェとメグは皮肉たっぷりに仮面をとって、「だあれ?」と言って、彼をからかう。フォンターナ(フォード)の姿を見つけたファルスタッフは、彼に近づきながら話しかけると、アリーチェから「これは私の夫よ」と言われて、またからかわれてしまう。クイックリー夫人からも老いぼれ騎士に惚れる女性などいないことを明言されて、すっかり笑い物になってしまう。

それでもファルスタッフは「平凡な人間は私をからかったりして優越感に浸るものだ。だが私なしでは、高慢な人たちは機知というものを持つことができないだろう。私がいるからこそ、あなた方は狡猾でいられるのだ。私の機知が他の人たちの機知を生み出しているのだ」などと言い返す。

騒動もおさまったところで、フォードが「この美しい仮装大会を妖精の女王の結婚式でフィナーレとしましょう」と提案すると、まもなく顔にマスクをつけた医師カイウスとともに、妖精の女王の洋服を着てヴェールを被ったバルドルフォが手をつないでゆっくりと入って来る。フォードは2人を自分の娘と自分が選んだその婚約者だと紹介し、妖精たちに2人を取り囲んでくれるようにと頼む。妖精たちが2人を取り囲んだところで、青いヴェールで身体をすっぽりと包みこんだナンネッタととともに、仮面をつけマントを身につけたフェントンが現れて、アリーチェがもう一組の熱々の恋人たちとして2人を紹介し、2人は祝福された結婚を認めてほしいと願っていることを伝える。するとフォードは気前よく2組のカップルのお祝いをすることにして、2組のカップルに仮面とヴェールを脱がせてみた瞬間、花嫁ナンネッタの相手が若いフェントンで、医師カイウスの花嫁はならず者のバルドルフォだと分かり、一同は大笑いである。フォードは裏切られたと思い、また医師カイウスはならず者のバルドルフォと結婚したのかとびっくり仰天してしまう。いったい恥をかいたのは誰か。男性は誰もが騙し騙されて、恥をかく結果となった。それに対して女性側は誰も騙されていない。女性たちの勝ちである。ナンネッタが父フォードに手を合わせて、フェントンとの結婚を赦してほしいと頼むと、フォードはついにそれを許した。医師カイウスを除いて、全員が「万歳!」を唱えて、一同が「世の中すべてが冗談。人間すべて道化師・・・最後に笑う者が、本当に笑う者だ」と合唱して、第三幕の幕が降りる。このフィナーレの部分も聴きどころ・見どころであることは、言うまでもない。


このようにこのヴェルディのオペラ・ブッファ『ファルスタッフ』は、登場人物が騙し騙されの愉快な作品である。シェイクスピアの『ヘンリー四世』二部作では、ファルスタッフは飲んだくれで、大食漢で、好色な爺で、大嘘つきで、また騎士でありながら臆病者、さらには追剥、詐欺、泥棒を働くといった、どうしようもない人物であったが、続く『ウィンザーの陽気な女房たち』では、彼はならず者には変わりがないが、陽気な女房たちにこてんぱんに懲らしめられるあわれな人物に変えられている。このあわれなならず者のファルスタッフが、ヴェルディによって見事にさらにオペラ化されていると言えよう。しかもファルスタッフの悪行とその仕返しが展開されるだけではなく、その中で若いナンネッタとフェントンの恋物語も美しい音楽でもって並行して展開されて、さわやかでみすみずしくも感ぜられる作品でもある。これまで50年以上にわたってもっぱら悲劇ばかりを作曲してきたヴェルディが、最後にこのようなこっけいで笑い転げるような喜劇を作り上げたことは、まことに驚くべきことである。80歳という老齢のときの作品でありながら、その内容と音楽は実に初々しくて美しいこと限りない。これまでの悲劇作品に感動していればいるほど、この作品のみずみずしさの魅力によりいっそう取り憑かれることであろう。晩年になってもヴェルディはまたこれまでとの違う新しいオペラ世界を切り拓いたのであり、オペラ界における巨匠と評してもよいであろう。是非、この最後の作品『ファルスタッフ』を鑑賞していただきたいものである。美しくおもしろいオペラによって人生が楽しくなってくることは、間違いないであろう。

なお、この機会に今年(2014年)生誕450周年のシェイクスピアの原作『ウィンザーの陽気な女房たち』(ちくま文庫など)を手に取って読むのも有意義なことであり、それによってヴェルディのオペラ・ブッファ『ファルスタッフ』がさらにいっそうおもしろいものとなることであろう。


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