【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第107号
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○連載「知的感動ライブラリー」(79)

ヴェルディの歌劇『オテッロ』
総合科学部教授 石川榮作

ジュゼッペ・ヴェルディ(1813~1901)の歌劇『オテッロ』はあのイギリスの劇作家シェークスピアの悲劇『オセロ』(1604~05) を原作として、北イタリアで活躍した詩人・作曲家・評論家アリーゴ・ボーイト(1842~1918)が台本を書き、それにヴェルディが曲をつけて、1887年に完成、同年2月5日にミラノ・スカラ座で初演されたものである。ヴェルディ73歳の時の作品であるが、前作『アイーダ』(1871年初演)から15~16年の歳月が経過していることを考えると、かなりの難産だったと言える。しかし、それだけにまた老齢に達した、まさに円熟作曲家の傑作でもある。以下、全4幕の展開を辿りながら、この晩年の傑作の聴きどころ・見どころを紹介することにしよう。

第一幕

激しい雷鳴とともに第一幕の幕が開くと、第1場の舞台は、15世紀末、ヴェネツィア共和国の領地キプロス島の海辺の町で、城の外である。稲妻、雷鳴のもと暴風が吹き荒れている沖合ではヴェネツィア艦隊と回教徒トルコ艦隊の海戦が繰り広げられている。キプロス島の人々はその沖合の海戦の模様を心配そうに見つめている。この冒頭の激しい「大嵐の音楽」からもうすでに心揺さぶられる、感動の聴きどころである。ヴェルディならではのオペラの醍醐味を満喫することのできる、迫力のある音楽と合唱である。 

やがてヴェネツィア艦隊が勝利を収めて、その指揮官オテッロが凱旋する。オテッロはムーア人ながらキプロス島の指揮官を務めているが、こうしてトルコ艦隊を打ち破って戻って来ると、キプロス島の人々から大歓迎を受ける。この歓迎の場面で勝利を喜び合う人々の合唱もまたすばらしい。

ところが、そのヴェネツィア艦隊の中でも旗手イアーゴは指揮官オテッロを憎み、彼に復讐心を抱いている。自分が副官に昇進するのが当然だったのに、カッシオという男がオテッロからその副官に任命されたからである。旗手の地位に据え置かれたイアーゴは、オテッロの新妻デズデーモナに恋心を抱いているヴェネツィアの貴族ロデリーゴを唆して、オテッロに仕返しをしてやろうと企んでいる。嵐が止み、その場で祝宴の準備が始まると、キプロス島の人々は愛を炎に喩えながら、「喜びの炎よ」を合唱して、また踊る。この合唱もやはりヴェルディの魅力であり、聴きどころである。

祝宴が始まると、旗手イアーゴは貴族ロデリーゴと同様にオテッロの妻デズデーモナの美しさに魅せられている副官カッシオを陥れようと画策し、ロデリーゴを煽り立てて、カッシオに酒を強引に飲ませるように仕向ける。この場で一同により合唱される乾杯の歌「喉をうるおせ」は、陽気な雰囲気に包まれて、たいへんおもしろく、文句なしに聴きどころであろう。この合唱が進む中で旗手イアーゴはますます貴族ロデリーゴを唆して、副官カッシオに酒を勧めさせる。カッシオはそのうち飲み過ぎて、乾杯の歌の初めの歌詞を忘れてしまうほどである。

すっかり酔って酩酊(めいてい)状態になってしまった副官カッシオは、ヨロヨロしながら城砦の見張りに出かけようすると、酔ってしまったことをオテッロの前任者モンターノに咎められたので、前後のみさかいもなく剣を抜き放って彼に切りかかった。モンターノも武器を手にして、二人は気が狂ったように争った。最後にはモンターノは血を流しながら戦っている。そうしている間に旗手イアーゴが貴族ロデリーゴに警鐘を打ち鳴らすように指示していたので、騒ぎはさらに大きくなっていった。

この騒ぎを聞きつけて、指揮官オテッロが現れて、「剣を捨てろ」と命じて、二人の戦いを止めさせる。ここから第2場の展開である。オテッロは事の次第を旗手イアーゴから聞こうとするが、イアーゴもとぼけたように、「ここでみんな仲良くしていたのに、どうしてこうなったのか、わけが分かりませぬ」と答えるだけである。副官カッシオは指揮官オテッロからこのだらしないざまを咎められると、赦しを請うばかりであるが、どうやらオテッロの前任者モンターノは傷を負ってしまったようである。この騒ぎで指揮官オテッロの妻デズデーモナも目覚めて、その場に姿を現すと、指揮官オテッロは副官カッシオのこのような愚かな行為に大きな怒りを覚えて、彼を副官から解任してしまった。オテッロは一同に向かって城砦に帰ることを命じ、妻デズデーモナと二人きりでその海辺に残った。

オテッロとデズデーモナが二人きりになると、第3場の展開となって、チェロによる静かではあるが、情熱的な響きに包まれて、「もう夜も更けて、騒ぎもおさまった」という愛の二重唱が始まる。この二重唱も文句なしに聴きどころである。この中で二人がどのようにして互いに愛するようになったのかが明らかにされている。それによると、デズデーモナはオテッロがムーア人として差別される境遇にあるということに特に憐れみを感じて、彼を愛するようになったのに対して、オテッロはデズデーモナがそのような憐れみの心を抱いているところに惹かれてしまったのだという。二人は理想の幸せなカップルのように見えるが、しかし、この幸せがいつかは消えてしまうのではないかという不安な気持ちもオテッロの心のどこかにある。このような不安を覚える夫オテッロを妻デズデーモナはやさしく慰める。夫はこのうえない喜びを覚えて、妻に接吻を求める。この場面における「接吻」のモチーフの音楽には特に注目したいところである。官能的でありながら、のちの悲劇を予感させて、感動の名場面である。この場面での二人の歌と演技は聴きどころであると同時に見どころでもあろう。官能的な雰囲気に包まれているうちに第一幕の幕が降りる。

第二幕

第1場の舞台は城砦の中の階下の広間である。ガラス戸が広間と大きな庭園とを分けている。旗手イアーゴは副官を解任されて意気消沈しているカッシオに向かって、「デズデーモナは指揮官オテッロの指揮官のような人で、指揮官は彼女のためだけに生きているので、彼女にとりなしを頼むがよい」というアドバイスをする。「どうしたら彼女に話しかけられだろうか」とのカッシオの質問に、「デズデーモナは、彼女に仕えている私の妻エミーリアと一緒にいつも庭園の木陰にやって来て、そこで休憩する」とイアーゴは答えて、カッシオを煽り立てるのである。

カッシオが立ち去ると、第2場の展開となって、一人広間に残ったイアーゴが、悪魔への信条(クレード)告白のアリアを歌う。ここでまたもや悪魔的な旗手イアーゴの本性が剥(む)き出しにされて、彼の企む陰謀への興味が聴衆にはいっそう強くそそられて、この場面におけるイアーゴの徹底した悪役ぶりは、聴きどころであり、また見どころでもあろう。イアーゴがこのアリアを歌っている背後の庭園では、デズデーモナが侍女エミーリアを伴って庭園に現れ、そこへカッシオが近づいて何か頼みごとをしている様子が窺える。「今、ここにオテッロが来ればよいが」とイアーゴが口にしていると、まもなくそのオテッロが広間にやって来る。

そこから第3場の展開である。イアーゴは庭園でデズデーモナとカッシオが話している様子をオテッロに見せるように仕向けて、オテッロの心に妻への疑惑を起こさせる。イアーゴの巧みな陰謀に注目したいところである。やがてカッシオが立ち去ると、デズデーモナは庭園の中でキプロス島の人々から称賛されて花束をもらう。その場面で島民たちがデズデーモナを称えて、「あなたが目をやるところにきらめくは光、心は炎と燃え上がる」と歌い始める合唱もまた、たいへんさわやかで聴きどころであろう。

合唱が終わって、デズデーモナが庭園から広間の中にゆっくりと入って来ると、第4場の展開となる。デズデーモナは夫オテッロのそばに近づくと、「あなたの蔑みを受けて苦しんでいる人の願いを持ってまいりました」と言い出しながら、カッシオを赦してやってほしいと頼む。妻とカッシオの関係を疑うオテッロは、腹立たしく思うが、デズデーモナはその夫の腹立ちの理由がまったく分からない。デズデーモナがやさしく話せば話すほど、オテッロの口調はそれだけいっそう乱暴になっていく。「こめかみが焼けつくようだ」と言う夫の額を拭こうとして、妻がハンカチを差し出すと、オテッロは「こんなものは要らぬ」と怒って、ハンカチを床に投げ捨てる。そのハンカチをデズデーモナの侍女エミーリアが拾い上げるが、イアーゴが小声で妻エミーリアに話しかけて、そのハンカチを奪ってしまった。この場面で展開されるオテッロ、デズデーモナ、イアーゴそしてエミーリアの四重唱は、円熟期のヴェルディ特有のもので、文句なしに聴きどころであろう。

嫉妬に怒り狂ったオテッロは、一人になりたくて、三人に出て行くように命じるが、イアーゴだけは出て行くように見せかけて、その場に立ち止まる。ここから第5場の展開である。オテッロは妻の不義を思い悩み、これまでの戦勝の栄誉も無意味になったことを嘆く「さらば神聖なる思い出よ」を歌い始める。興奮したオテッロに対してイアーゴが落ち着くように言い寄ると、オテッロは妻の不義の証拠がほしいと言って、イアーゴの喉を掴んで、彼を引き倒す。ひどい目にあったイアーゴは、起き上がりながら、「正直者は危ない目にあう」と言って、旗手の職を辞退して出て行こうとする。するとオテッロはイアーゴを引き止めて、とにかく確かな証拠がほしいのだと言う。狡猾なイアーゴはオテッロの方に戻って来て、カッシオが寝言でデズデーモナの名前を叫んでいたことをでっちあげて伝えた。さらにオテッロが妻デズデーモナに与えたハンカチをカッシオが持っていると嘘をついた。こうしてオテッロは狡猾なイアーゴの陰謀にまんまと嵌(は)められてしまい、「血をもって」妻に復讐することを誓えば、イアーゴもまたその歌に巧みに和して、復讐の二重唱が展開されて、第二幕の幕が降りる。この最終場面の復讐の二重唱も聴きどころであることは、言うまでもない。

第三幕

第三幕の舞台は城砦の大広間である。第1場では伝令使によってヴェネツィア大使の乗った軍艦が到着したことが伝えられたあとで、イアーゴは必ずやデズデーモナの不義の証拠がつかめると言って、オテッロを大広間に誘い出しているところである。

イアーゴが立ち去ったところへ、妻デズデーモナがやって来て、第2場の展開となる。デズデーモナは相変わらず穏やかな調子で夫オテッロに「気が晴れていらっしゃいますね」と話しかけて、再びカッシオを赦してやってほしいと頼む。オテッロはカッシオの名前を聞くと、また持病の痛みが襲ってきたようで、妻に額を拭いてくれるように言う。妻がハンカチを取り出すと、オテッロは自分が与えたハンカチで拭いてほしいと要求する。その要求に対して、妻がそれを持ち合わせていないことを知らせるとともに、カッシオの赦しを請い続けるので、オテッロはますます興奮してきて、最後には「卑しい娼婦め」とまで妻を罵倒してしまう。このように極度に興奮する夫に妻デズデーモナは驚き、潔白を主張するものの、オテッロは妻デズデーモナを大広間から追い出してしまう。潔白なデズデーモナと興奮するばかりのオテッロの間に展開される「かみ合わない」この対話の場面には、聴衆は複雑な気持ちにさせられてしまう。これもすべて悪魔的な旗手イアーゴの陰謀によるものである。

デズデーモナが立ち去ったあとの第3場で、オテッロはモノローグで、神がこのような惨めで恥ずべき不幸を与えたことを嘆く。イアーゴの企みによってひどく心を乱すばかりのオテッロがあわれでならない場面である。

そこへイアーゴが登場して第4場の展開となる。しきりに証拠を求めるオテッロに対して、イアーゴは入口にカッシオが来ていることを教えるとともに、物陰に隠れているようにと指図する。

オテッロが身を隠すと、イアーゴはカッシオを大広間の中に誘い入れて、第5場となる。カッシオはここでデズデーモナと会うことができて、自分の許しが得られたか知ろうとしたのであるが、そのさまをこっそりと隠れ聞いたオテッロは、ますます嫉妬を募らせる。イアーゴは巧みにカッシオと二人でとりとめのない話を始めながら、オテッロの隠れている場所からできるだけ遠ざかって、話の内容がわざと聞き取れないように仕向ける。オテッロは少し近づいて注意深く話を聞こうとするが、あまりはっきりとは聞き取れない。そのうちカッシオは「見知らぬ人からハンカチをもらった」と言って、そのハンカチを上着から取り出した。それはイアーゴの策略でカッシオの手に渡るように仕向けたデズデーモナのハンカチであった。「しめたぞ」と思ったイアーゴは、そのハンカチを手に取って、隠れているオテッロにも見えるようにそれを振り回して、「これは蜘蛛の巣」と歌い始める。オテッロはそうしているうちにできるだけ彼らの近くに寄っていたが、話の内容をはっきりとは聞き取ることができずに、そのデズデーモナのハンカチを見て、妻の不義を信じ込んでしまった。そのあと展開されるオテッロとイアーゴとカッシオの三人による三重唱もまた見事である。

ヴェネツィア大使の到着を知らせるラッパの合図を聞き取ってカッシオが去ると、オテッロとイアーゴの二人だけの第6場である。オテッロはイアーゴに近づいて、妻をどのようにして殺したらよいものかと話しかけると、イアーゴは「絞め殺した方がよい。あの罪を犯した寝床の中で」と答える。イアーゴの悪魔的な性格も頂点に達する場面である。

そのあと第7場となって、人々が大広間に集まって来て、やがてヴェネツィア大使ロドヴィーコを迎え入れる。この場面でも音楽は大いに盛り上がるので、楽しみたいところである。ロドヴィーコ大使はオテッロに本国からの通達書を手渡す。それを読んだオテッロは、カッシオをそこに呼び出す。

カッシオがオテッロの前に現れると、第8場となって、オテッロは通達書に書かれていたことを一同の者に知らせる。その内容は、オテッロはヴェネツィアに召還され、このキプロス島の指揮官後任にはカッシオが任命されたというものであった。この通達はオテッロにとっても、またカッシオにとっても驚くべきものであった。本国の総督の通達である限り、オテッロはもはやそれに従わざるをえない。オテッロはカッシオへの嫉妬のあまりひどく逆上してしまい、近づいて来た妻デズデーモナを狂気のように突き倒して、「地に伏せろ!そして泣くがいい!」と叫ぶ。デズデーモナがあわれでならない場面である。侍女エミーリアと大使ロドヴィーコが彼女を憐れむように助け起こすが、デズデーモナの悲しみはこのうえない。ここで各人がそれぞれの心のうちを歌う大アンサンブルとなって、大きな盛り上がりを見せる。ここの場面も聴きどころであることは、言うまでもない。その大アンサンブルの間にイアーゴはカッシオを殺害する意志を固めるとともに、オテッロに向かっては妻デズセデーモナを殺すようにと進言する。オテッロは激しく群衆に向かって、立ち去るよう命じる。「私のもとを去らぬ者は、皆、反逆者だ」と言うのである。デズデーモナは夫オテッロに話しかけるが、彼は「私の心はお前を呪っているぞ」と叫ぶ。一同は退場する。

オテッロとイアーゴが二人きりになって、最後の第9場である。オテッロは妻デズデーモナとカッシオがともに抱き合っているさまを思い浮かべて、嫉妬に気も狂ってしまい、最後には気を失ってしまう。イアーゴは自分の撒いた毒が効いていることをほくそ笑み、自らの勝利を喜ぶ。舞台裏では「オテッロ万歳!」の叫び声がしているところで、第三幕の幕が降りる。

第四幕

管楽器だけで悲しげな前奏曲が奏でられたあと、第四幕の幕が開くと、第1場の舞台は、夜、デズデーモナの寝室である。侍女エミーリアが「ご主人様は落ち着かれましたか」と尋ねると、デズデーモナは「そのように見えるわ。寝て待っているようにとお命じになったの」と答えてから、昔、母に仕えていた哀れな女中が歌っていたという「柳の歌」を思い出し、その歌を歌い始める。昼間の出来事ですっかり悲しみに沈みこんで、その柳の歌を口ずさむデズデーモナは、死を予感している。「あの方は栄誉のために生まれ、私は愛するために生まれた、そして死ぬために」と静かに歌いながら、デズデーモナは髪を梳(と)かしてもらった侍女エミーリアに別れを告げると、侍女は立ち去る。この場面での「柳の歌」も聴きどころであろう。

デズデーモナが一人になると、第2場となり、彼女は静かに「アヴェ・マリア」の祈りを唱える。デズデーモナをあわれと思わずにはいられないこの場面も、文句なしに、聴きどころである。

デズデーモナが寝入ってしまったところへ、夫オテッロが寝室に入って来て、第3場の展開となる。オテッロは寝ているデズデーモナを、長い間、見つめたあと、「接吻」のモチーフが奏でられる中、彼女に三度口づけする。最後の口づけでデズデーモナは目覚める。嫉妬に狂ったオテッロは、ハンカチの一件を持ち出して、妻とカッシオの関係をしつこく問い質(ただ)す。デズデーモナはそれを否定して、潔白を主張するものの、オテッロはもはや聞こうとはしない。デズデーモナは潔白を証明するために、カッシオをここに呼んでほしいと頼むが、もはやカッシオはこの世の者ではないことを聞かされる。デズデーモナは絶望して、「せめて祈りをあげる間、生かせておいて」という願いにもかかわらず、オテッロは彼女を「娼婦めが」と罵声を浴びせてから、彼女の首を絞める。身がブルブルと震えるのを抑えきれないほどの恐ろしい場面である。

ぐったりとしたデズデーモナの身体を眺めながら、オテッロは「墓のように静かだ」とつぶやいたところへ、侍女エミーリアがドアを叩いて入って来る。エミーリアが報告するところによると、カッシオが貴族ロデリーゴを殺したという。「してカッシオの方は」とのオテッロの問いに、彼女は「カッシオは生きています」と答える。そのときベットの上から「私は不当にも殺されます」というデズデーモナのうめき声が聞こえてきた。エミーリアがベッドに近づいて、「誰の仕業ですの」と尋ねても、デズデーモナは「誰でもないの、自分自身よ」と言って、息を引き取った。それを聞いたオテッロは、「嘘だ、私が彼女を殺したのだ」と告白する。「カッシオの情婦だったからだ。イアーゴにそれを聞いてみろ」と殺害の理由を口にするが、それを聞いたエミーリアは、イアーゴの言うことを信じたオテッロを「愚か者」だと罵り、絶望的になって、大声をはりあげて助けを求めた。

エミーリアの叫び声でその寝室に大使ロドヴィーコ、カッシオ、イアーゴが入って来て、最後の第4場の展開となる。入って来た彼らは、ベッドの上にデズデーモナが死んでいるのを見て恐れおののく。エミーリアは夫イアーゴに「デズデーモナ夫人が不誠実だと思っていたのか」と問い質すが、そのときオテッロが証拠にハンカチを持ち出して、「彼女は私が与えたハンカチをカッシオに与えたのだ」と妻の不実を責める。それを聞いたエミーリアは、黙るようにと迫る夫イアーゴを振り切って、真実、すなわち、夫イアーゴがそのハンカチを無理やり自分から奪い取ったものであることを明かしてしまう。カッシオもそのハンカチを自分の家で見つけたものだと証言する。さらにそこへ前指揮官モンターノが入って来て、死にかけていた貴族ロデリーゴがイアーゴの陰謀をすべて打ち明けたことを知らせる。するとイアーゴは、それを否定しながら逃げようとするが、ついに捕らえられてしまった。真相を知って、自分が愚かにも早まったことをしてしまったことを悟ったオテッロには、もはや死しかなかった。彼は人々が制止する間もなく、懐から短刀を取り出すや否や、それを自分の身体に突き刺したのであった。ここでまたあの官能的な「接吻」のモチーフが奏でられて、オテッロがデズデーモナの死体に寄り添ったところで第四幕の幕が降りる。この最後のオテッロの演技は、言うまでもなく、最大の見どころであろう。


以上のとおり、ヴェルディの歌劇『オテッロ』はシェークスピアの悲劇『オセロ』を原作として、悪魔的な人物イアーゴの陰謀にまんまと嵌められてしまって、愛する妻への猜疑心がだんだんと膨らんでいって、最後には妻を殺害してしまうという、恐ろしい内容の作品でありながら、そこにはヴェルディならではの魅力的な音楽が随所にちりばめられて、聴衆をグイグイと物語世界に引き込んでいく「不思議な力」がある。揺れ動く人間の心理を鋭く抉(えぐ)り出してしまう「音楽ドラマ」の傑作だと評してもよいであろう。是非、この機会にこのヴェルディの円熟期の傑作『オテッロ』を鑑賞していただきたいものである。併せてシェークスピア原作の悲劇『オセロ』も読めば、ますます興味は大きくなり、芸術作品への関心もますます深まっていくことは間違いないであろう。


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