【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第106号
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○連載「知的感動ライブラリー」(78)

ヴェルディの歌劇『ドン・カルロ』
総合科学部教授 石川榮作

1.作品の成立とさまざまな改訂版

ヴェルディ(1813-1901)の歌劇『ドン・カルロ』はもともと1867年のパリ万国博の折りに上演する新作のためにパリ・オペラ座から依頼を受けて、フリードリヒ・シラー(1759-1805)の戯曲『ドン・カルロス』(1787年)を原作として作られた歌劇である。台本はフランソワ・ジョセフ・メリがフランス語で書き始めたが、死去のためカミーユ・デュ・ロークルがそのあとを書き継いで完成した。パリ・オペラ座での上演のためのものであったため、フランス語による「フランス・グランド・オペラ」のスタイルに倣った5幕形式の作品であった。それは1867年3月11日にパリ・オペラ座で初演された。皇帝ナポレオン3世らを迎えた華やかな公演は、必ずしも失敗だったとは言えないが、成功したとも言えなかったという。長大で、内容が重く、暗い悲劇は、楽しみを求めてパリ・オペラ座にやって来る聴衆には向いていなかったのである。このパリ・オペラ座初演の前に作られていた「原典版」はもっと長く、正味約4時間の作品であったと言われている。

そのパリ・オペラ座初演後、この作品は何度も改作されて、今ではたくさんのヴァージョンが存在する。アキッレ・デ・ラウジェリスによってイタリア語に翻訳された「イタリア初演版」は、1867年10月27日にボローニャのテアトロ・コムナーレで初演された。楽譜はルッカ社から出版されたので、この版は「ルッカ版」と呼ばれることもある。1872年12月にナポリのサン・カルロ劇場での上演に際しては、アントーニオ・ギスランツォーニによって台本が大幅に改訂されて、また1884年1月にミラノ・スカラ座で初演されたときにも改訂された。このとき台本の改訂にはカミーユ・デュ・ロークルとアンジェロ・サナルディーニが携わったという。楽譜はリコルディ社から出版されたので、これを「リコルディ4幕版」と呼んでいる。さらに1886年12月にモデナのテアトロ・コムナーレでの上演のためにバレエなしの5幕版が作られた。これが現行の「リコルディ5幕版」と呼ばれているものである。

このようにヴェルディの歌劇『ドン・カルロ』は、フランス語版もあれば、イタリア語版もあり、また4幕版もあれば、5幕版もあるという、最も改訂版の多い作品である。ただ内容はいずれも同じで、16世紀スペインの宮廷における出来事で、スペイン王のフィリッポ2世と王子ドン・カルロの対立、義母エリザベッタと王子ドン・カルロの許されない恋愛、政治的・宗教的な対立などが複雑に入り組んだ内容の作品である。これまでとはまた異なるヴェルディの重厚な音楽によって格調高い歌劇となっていると言える。以下では、「リコルディ5幕版」に従って、あらすじの展開を辿りながら、聴きどころ・見どころなどを紹介していくことにしょう。


2.ヴェルディの歌劇『ドン・カルロ』の聴きどころ・見どころ

第一幕

この作品は特に序曲と呼ばれるようなものもなく、始まってすぐ幕が開くと、その舞台は、1560年頃のフランス・パリから南に向かったところにあるフォンテンブロ王宮近くの森である。狩人や勢子たちの間にフランスの王女エリザベッタの姿も見られるが、彼女はすぐにその場から一同とともに退く。

スペインの皇太子ドン・カルロは身分を隠してこの森に姿を現す。ドン・カルロは、スペインとフランスの間で結ばれる講和条約により、フランスの王女エリザベッタと婚約関係にある。ただ父フィリッポ2世からは疎んじられており、このたびもその父の激怒に逆らい、王室の大使の一行に紛れ込んで、この森にやって来たのである。そこで婚約者のエリザベッタの姿を垣間見たドン・カルロは、美しい許嫁に想いを馳せながらすばらしいロマンツァを歌う。まずはこのロマンツァが聴きどころであろう。

やがて日が暮れて、狩りの一行からはぐれてしまったエリザベッタは、小姓テバルドに伴われて、その場にやって来る。ドン・カルロはスペインの大使レルマ伯爵の伴をしている者だと偽って、道に迷っている王女を城まで連れて行ってやることを申し出ると、小姓テバルドは城へ使いのために急いだ。王女と2人きりになると、ドン・カルロは自分の肖像画のミニチュアを「王子の絵姿です」と言いながら彼女に渡す。するとエリザベッタはこの目の前にいる若者が自分の婚約者であることを悟る。若い2人は初対面でありながら、情熱を燃え上がらせ、愛を打ち明け合って、微笑ましい二重唱を歌い上げる。そのとき遠くから大砲の響きが聞こえてきた。スペインとフランスとの間で講和条約が締結されたことを知らせる大砲の響きである。若い2人は「愛に酔って、自分たちを結び付けた誓いを新たにしよう」と歌って、喜び合う。この二重唱ももちろん聴きどころであろう。

ところが、そのあと使いに出されていた小姓テバルドがそこに戻って来て、知らせるところによると、講和条約の条件として、フランスの王女エリザベッタはスペインの皇太子ドン・カルロではなく、国王フィリッポ2世の王妃となることになったという。エリザベッタは身震いして、自分はその王の皇太子の許嫁であることを主張するが、小姓テバルドはフランス王エンリーコがエリザベッタをフィリッポ2世の妃に決めたことを伝える。エリザベッタのみならず、ドン・カルロも心臓が凍りつくような衝撃を受け、苦悩に苛まれ、絶望してしまう。

そこへ王宮の女官や小姓たち、それに民衆たちとともにスペイン大使レルマ伯爵とアレンベルク伯爵夫人(フランスからのエリザベッタの随伴者)がやって来る。一同は平和が戻って来たことを喜びながら、合唱するが、その一方で、カルロとエリザベッタは、夢が消えてしまった、つれない運命を嘆く。レルマ伯爵はエリザベッタに向かって、スペイン王の妃となることを承諾するかと尋ねる。エリザベッタは苦悩しながらも、自分の愛情よりもスペインとフランス間の平和を思って、「はい、お受けいたします」と答える。一同が合唱する中、――この合唱も聴きどころの一つである――カルロは1人苦悩に打ちひしがれながら、このような過酷な運命に陥ったことを嘆くうちに幕が降りる。

第二幕

第二幕冒頭ではドン・カルロの絶望を表現する重苦しい前奏が奏でられる。文句なしに聴きどころである。幕が開くと、第1場の舞台はスペインのマドリード、夜明けのサン・ジュスト修道院の中である。礼拝堂の奥に先帝カルロ5世の墓がある。修道士たちは先帝カルロ5世の偉大さを認めながらも、天の創造主のもとでは塵芥(ちりあくた)に過ぎず、神のみが偉大であることを合唱する。その合唱の中で1人の修道士が墓の前にひざまずいて小声で祈っているが、この修道士は先帝カルロ5世の分身としての重要な役割を果たしているとも言われている。

そこへドン・カルロが祖父にあたる先帝カルロ5世の墓の前に現れて、許嫁エリザベッタを父フィリッポ2世に奪い取られたことを嘆き、心の平安を得るために祈る。1人の修道士が彼に近づいて、「心の葛藤は天上で初めて静まる」と囁くと、ドン・カルロはその声が祖父カルロ5世に似ているので、恐れおののく。

そうしているところへポーザ侯爵ロドリーゴがやって来る。彼は国王フィリッポ2世の腹心の部下であるが、カルロが宮中で最も親しくしている友人でもある。ロドリーゴは許嫁エリザベッタを奪われてもなおその愛に執着しているカルロに向かって、そのような罪深い愛は忘れ去って、圧政に苦しんでいるフランドルの民衆を救うために立ち上がるよう、勇気づける。カルロもこの親友の励ましに応えて、親友ロドリーゴとともに「共に生き、共に死のう!」と二重唱を歌いながら、義兄弟の契りを結ぶ。その間にフィリッポ2世がエリザベッタを礼拝堂の方に導いて行くが、カルロはエリザベッタの姿を見て、苦悩に苛まれる。ロドリーゴに勇気づけられて、カルロは彼とともに熱狂的に「共に生き、共に死のう!」と歌うが、「友情の二重唱」とも呼ぶべきこの二重唱も、もちろん文句なしに聴きどころである。

そのあと場面転換があって、第2場はサン・ジュスト修道院の前庭にある泉である。その泉のまわりに王宮の女官たちが集まっている。女官たちの合唱の中、小姓テバルドが宮廷一の美女だと誉れ高いエーボリ公女と一緒に登場する。ここでエーボリ公女が小姓テバルドの弾くマンドリンに合わせて、コロラトゥーラ(最も高い音域を歌うソプラノ)の技巧を駆使しながら歌う「愛のヴェールの歌」も注目に値しよう。

そこへ王妃エリザベッタが修道院の中から出て来る。そのあとからスペインのポーザ侯爵ロドリーゴも現れて、小姓テバルドに紹介されて、エリザベッタに一礼しながら話しかける。彼はフランスにいる彼女の母上からの手紙と同時にドン・カルロからの紙片もそっと手渡したあと、「ドン・カルロの力になってあげてください。お会いすれば、彼は助かるのです」とロマンツァを歌って頼む。これをそばで聞いていたエーボリ公女は、カルロが自分に対する愛で悩んでいるのだと勘違いしてしまう。エリザベッタがカルロに会うことを承諾すると、ロドリーゴはエーボリ公女の手を取って、小声で話しながら遠ざかって行く。

エリザベッタが1人で残っていると、そこにドン・カルロが現れる。彼は自分がフランドルに行けるように国王に取りなしてほしいことを願うと、彼女は明日にも出発することができるようにしてあげましょうと答えるだけで、祖国を去って行く自分に憐れみの言葉をかけてくれない。カルロはそのようなエリザベッタに愛情を爆発させて、愛を告白しながら、彼女に抱きつこうとする。すると彼女はさっと身を引いて、「父上を殺してから私を奪い取りなさい」と言い返す。この場面の二重唱も注目すべき箇所であろう。カルロはこのエリザベッタの言葉に恐ろしくなって後退し、絶望して「自分は呪われている」と口にしながら、去って行く。エリザベッタはくずおれながらも、「神様が私たちを見守ってくださった」と口にして、王妃としての立場をわきまえ、その苦しみにじっと耐えるのである。

そこへ小姓テバルドがフィリッポ2世の登場を告げて、国王がアレンベルク伯爵夫人やロドリーゴ、エーボリ公女、小姓たちとともに姿を現す。フィリッポ2世は王妃がお付きもいないで1人でいることを咎めて、フランスから一緒について来たアレンベルク伯爵夫人を解雇して、フランスに帰るように命じる。泣き叫ぶアレンベルク伯爵夫人を慰めるように、エリザベッタはロマンツァを歌うが、その歌の中には異国スペインで暮らす自分の孤独感も込められている。王妃エリザベッタはアレンベルク伯爵夫人と別れて、エーボリ公女に支えられて、ほかの者たちとともに退場する。

一同が退場する中で、ロドリーゴも出て行こうとすると、フィリッポ2世は彼を呼び止めて、フランドルから帰国して以来、彼がなぜ自分に謁見を求めないのかと尋ねる。国王は自分に忠実に仕えてくれる者には誰にでも報いるつもりであることを伝える。それに対してロドリーゴは何も望んでいないことを口にするが、ただフランドルの惨状を訴える。かつては美しい国であったが、今やフランドルではすべての光が消え失せて、国は恐怖に満ちて、墓場同然となっていることを訴えるのである。それに対してフィリッポ2世は「血によってのみ平和を得ることができる」ことを口にすると、ロドリーゴは「それは恐ろしい平和、墓場の平和です」と国王を諫める。自分に取り入って立身出世をしようとする部下が多い中にあって、このように誠実に自分を諫めるロドリーゴを、国王フィリッポ2世は心から信頼して、ただ宗教裁判長には咎められないように気をつけることを注意したあとで、王妃エリザベッタとカルロの心のうちを探るようにと命じる。この第二幕最終場面におけるバス(フィリッポ2世)とバリトン(ロドリーゴ)の2人による二重唱は、重厚このうえなく、聴きどころであることは言うまでもない。

第三幕

静かな明るい真夜中の風景を奏でる前奏でもって幕が開くと、第1場の舞台はマドリード王宮内、噴水のある王妃の庭園である。「夜中の12時に王妃の庭園の噴水のそばの月桂樹の下へ」という逢引きの手紙をもらったドン・カルロは、それがてっきりエリザベッタからのものと思って、彼女を待ち受けている。しかし、その手紙は実はエーボリ公女からのものであった。

そこへエーボリ公女がヴェールを被って現れる。彼女をエリザベッタだと思っているカルロは、自分の熱烈な愛を告白する。喜びにあふれてエーボリ公女がヴェールを取ると、カルロは相手がエリザベッタでないことを悟って、当惑してしまう。彼は先程の愛の告白がエーボリ公女に対してのものではないことをほのめかすと、彼女は彼が愛しているのはエリザベッタであることに気づいて、激怒してしまう。

そこへポーザ侯爵ロドリーゴがやって来て、事態を平穏に収めようとするが、エーボリ公女が怒りを和らげることもなく、反対に自分が受けた侮辱に対して復讐を訴えるばかりなので、ロドリーゴは短剣を引き抜いて、彼女を殺そうとする。カルロは必死にそれを制止しようとする。ひたすら動揺するばかりのカルロと、怒りをあらわにするエーボリ公女と、その彼女の口を噤(つぐ)ませようとするロドリーゴの3人がこの場面で歌う三重唱は、音楽も盛り上がって、文句なしに聴きどころであろう。

エーボリ公女が激怒したままその場から立ち去ると、ロドリーゴはカルロに重要な機密文書を持っていたら、自分に預けるようにと言う。フィリッポ2世の腹心の部下にそれを預けることにためらいを覚えたが、カルロはロドリーゴを信じて重要書類を渡してしまう。この場面では第二幕で奏でられた「友情の二重唱」と同じメロディが繰り返されて、2人の堅固な友情が表現される。このあたりも感動せずにはいられない、聴きどころの一つである。

そのあと場面転換があって、第2場の舞台はマドリードのアトーチャ聖母大聖堂前の大広場である。右手には聖堂、左手には王宮があり、そこの大広間からはまた火刑台の頂が見える。鐘の音が聞こえてきて、式典が行われることを知らせている。今日は式典の日であり、また異端者を火刑に処する日でもある。

その大広間に民衆が集まって、フィリッポ2世を称える歌を力強く高らかに合唱する。その合唱の中、一方では不気味な葬送行進曲風の音楽が奏でられながら、修道士たちが処刑する囚人たちを引き立てて登場して、舞台を横切って火刑台の方に向かって行く。やがて王宮からエリザベッタやロドリーゴをはじめとする貴族や女官たちが出て来るが、そのとき次作品の歌劇『アイーダ』における凱旋行進曲の原型を思わせるようなメロディが響きわたり、興味深い。そのあと伝令の「聖堂の扉を開けよ」の言葉に続いて、一同による「聖堂の扉は開かれよ」という合唱でもって、その場は一段と盛り上がる。このあたりも聴きどころである。

聖堂の扉が開けられると、その中からフィリッポ2世が現れ出て来る。国王は異端者を処刑にすることを宣言する。一同は「国王と天に栄光あれ」と合唱する。

そこへ突然カルロが、喪服を身に着けたフランドルの使節たちを連れて現れる。フランドルの使節たちはフィリッポ2世の前にひれ伏して、フランドルの民衆たちに慈悲をかけてくれるよう願い出るが、国王は「フランドルの民衆は神に対しても、また国王に対しても忠実ではなかった」と言い、彼らを反逆者とみなすばかりである。カルロやエリザベッタをはじめ、ロドリーゴ、テバルド、そのほか一同も国王の慈悲を請い願うものの、フィリッポ2世はそれに取り合わずに、立ち去ろうとする。そこでカルロは国王の前に立ち塞がって、「もはやこのスペインで暮らすことには疲れ果てたので、ブラバントとフランドルを自分に与えてほしい」と願い出る。しかし、国王はそれを断固として拒否するので、カルロはついに剣を抜いて、国王に向かってフランドルの救済を呼び掛ける。国王は激怒して、カルロから剣を取り上げるよう、衛兵たちに命令するが、尻込みして誰もそれに従う者はいない。国王が衛兵隊長の剣をひったくった瞬間、ロドリーゴがカルロの前に進み出て、カルロからその剣を取り上げる。カルロはロドリーゴには刃向かうことができないのである。それを見たフィリッポ2世は、その場でただちにロドリーゴを侯爵から公爵に昇格させて、一同を式典に行くことを促す。民衆たちの合唱に修道士たちの合唱が加わって、場面が盛り上がる中、フィリッポ2世と王妃エリザベッタは火刑を見物するために退場する。遠くに炎のあかりが見えると、魂の救済を歌う天の声が聞こえてくる。火刑台から炎が燃え上がると、フランドルの使節たちが嘆いたところで幕が降りる。

第四幕

チェロの独奏によって哀愁に満ちた旋律が奏でられ始める中、幕が上がると、第1場の舞台はマドリード王宮のフィリッポ2世の私室である。国王は机にもたれて、物思いに沈んでいる。哀愁に満ちた旋律は、妃エリザベッタの自分に対する愛の疑念に悩む国王の心情を表現している。長い前奏のあと、「彼女は私を愛したことがない。私には心を閉ざしていて、愛情を抱いていない」と、フィリッポ2世は歌い始めるが、この比較的長い重厚なバス歌手のためのアリアがこの作品で最も注目すべき聴きどころであり、またその場面での国王の苦悩を表現する演技は最大の見どころでもあろう。印象に残る重要な場面である。

そのあとレルマ伯爵が宗教裁判長の到来を知らせると、不気味な音楽が奏でられる中、90歳で盲目の宗教裁判長が2人の修道士に支えられて国王の前に現れ出る。フィリッポ2世は息子カルロが自分に逆らい、刃向かっていることで悩んでおり、その相談のために宗教裁判長を呼んだのである。宗教裁判長が極刑にどんなことを考えているのかと尋ねると、国王は国外に追放か、さもなければ断頭台に晒すつもりであることを口にして、「息子を死刑にした場合、あなたは私を許してくれますか」と相談する。それに対して宗教裁判長は、「帝国の平安は反逆者の命に値する」と答える。さらに宗教裁判長は、この神の住み家を覆そうとしている者がいることを指摘して、その者の裏切りに比べたら、息子カルロの裏切りは児戯に等しいとまで言う。その大反逆者とはロドリーゴのことである。それを知った国王は、彼こそこの宮廷でやっと見出した誠実な心の男なのだと反論するが、それに対して宗教裁判長は「あなたには革新家の思想が染み込んでいる」ことを指摘して、ロドリーゴを裁判所に出頭させることを要求する。フィリッポ2世は断固拒否するが、このままでは国王自らが最高法廷の宗教裁判長の前に引き出されることになりかねない。宗教裁判長が去って行ったあとで、フィリッポ2世は「王座はいつも祭壇に屈しなければならない」と呟くのである。このカルロとロドリーゴの取り扱いをめぐって、フィリッポ2世と宗教裁判長がぶつかり合う場面も、渋い音楽が奏でられる中、迫力があって、聴きどころであり、また見どころであると言ってもよいであろう。

そこへ王妃エリザベッタが駆け込んで来て、フィリッポ2世に自分の宝石箱が盗まれたことを知らせる。すると国王は「その宝石箱はここにある」と言って、それを取り出して開けると、中から出てきたのは、カルロの肖像画である。国王に問い質(ただ)されると、エリザベッタは肖像画の人とは婚約を交わしたことのある人であることを明言するが、それと同時に自分は白百合のように汚れてはいないことをも断言する。それなのに自分の操に疑念が抱かれている。自分を辱めているのは、王様であることを訴える。この言葉に国王は激怒し、怒りをさらに激しくあらわにすると、エリザベッタは気絶してしまう。

フィリッポ2世の叫び声を聞いて、ロドリーゴとエーボリ公女がやって来て、王妃を介抱すると、エリザベッタは意識を取り戻す。そのあとフィリッポ2世、ロドリーゴ、エーボリ公女そしてエリザベッタの4人がそれぞれの心のうちを吐露しながら歌う四重唱も、魅力的であり、文句なしに聴きどころであろう。

フィリッポ2世とロドリーゴが立ち去って、エーボリ公女は王妃エリザベッタと2人きりになると、良心の呵責(かしゃく)にもはや耐えきれなくなって、嫉妬心から自分が宝石箱を盗んだことと、さらに国王の誘惑に負けてしまって、国王と不倫関係にあることを打ち明ける。それを聞いたエリザベッタは、エーボリ公女に国外に亡命するか、修道院に入ることを命じて、その場を立ち去る。その場に1人残ったエーボリ公女は、劇的なアリア「不幸な美しさよ、私はお前を呪う」を歌う。このアリアも文句なしに聴きどころである。

そのあと場面転換が行われて、第2場の舞台はドン・カルロのいる地下の牢獄である。カルロが両手で頭をかかえて物思いに沈んでいるところへ、ロドリーゴがやって来る。カルロはもはや自分には力がなくなったが、ロドリーゴにはまだ世の人々を圧迫から救うことができると言って、すべてを彼に託す。しかし、ロドリーゴは逆にカルロにこの牢獄から出てほしいと言う。ロドリーゴはカルロから預かっていた重要書類を証拠に、自分をフランドルの民衆の煽動者に仕立て上げ、反逆の罪をすべて自分が被るお膳立てをして、カルロに別れを告げるためにここにやって来たのである。そのときロドリーゴが歌うアリアは、注目すべき聴きどころである。そのアリアの前半部分「私の最後の日」を歌い終えたところで、国王の部下である2人の男が牢獄の階段を下りて来て、火縄銃でロドリーゴを撃つ。致命傷を受けたロドリーゴは、王妃エリザベッタが明日サン・ジュスト修道院でカルロを待っていることを伝えるとともに、フランドル民衆の救済を彼に託して、アリアの後半部分「私は死にます。でも幸せです」を歌う。自分は死んでいくけれども、スペインを救い出す人を残すことに喜びを感じるロドリーゴの威厳と情熱がひしひしと伝わってくるすばらしいアリアである。

ロドリーゴが息を引き取ったところへ、フィリッポ2世が部下を引き連れてやって来る。国王はカルロに剣を返そうとするが、カルロは父上の手は血で汚されていると言って、ロドリーゴ殺害の罪を訴え、親子の断絶を明言する。ただフィリッポ2世の方もロドリーゴの遺体を目にして、誠実な腹心の部下を亡くし、痛手を受けて、遺体のそばにひざまずく。そこへ王子ドン・カルロの解放を求めて、民衆が激昂して押し寄せて来る。その中には仮面をつけたエーボリ公女もいて、彼女はカルロを逃がす。そのとき老齢で盲目の宗教裁判長が現れて、民衆に向かって神が護り給う国王の前にひれ伏すようにと命じる。すると激昂していた民衆は、ひれ伏して神と国王を称える合唱を歌い上げたところで幕が降りる。

第五幕

先帝カルロ5世の動機によって宿命を暗示する印象的な音楽が奏でられて、幕が開くと、第五幕第1場の舞台は、月明かりの夜、サン・ジュスト修道院の中である。そこでカルロを待ち受けることになっているエリザベッタが、物思いに耽りながら、ゆっくりと登場し、先帝カルロ5世の墓の前でひざまずく。そのあと彼女は長いアリア「この世の虚しさを知る神よ」を歌うが、もちろんこれも聴きどころである。彼女はこの長いアリアの中で、自分はロドリーゴにカルロの日々を見守ることを誓ったこと、自分の人生はもはや日暮れにさしかかったこと、なつかしい故郷フランスのフォンテンブロでは神は自分の永遠の愛の誓いを聞いてくれたものの、その永遠の愛は1日しか続かなかったこと、カルロへの愛はこの世では報われないという虚しさなどを盛り込んで歌う。感動せずにはいられないアリアである。

このアリアを歌い終えたところへ、ドン・カルロがやって来る。エリザベッタは彼に向かって、ロドリーゴの死を無駄にしないで、フランドルの民衆のために身を捧げるようにと諭す。カルロはフランドルの地に国王でさえ得られなかったような比類なく見事な墓をロドリーゴのために建立してあげることを誓うとともに、フランドルの民衆のために命を賭けることを誓う。カルロとエリザベッタはこの世では結ばれることはなかったが、天上のもっとよいあの世で再会することを約束して、永遠の別れを告げ合う。この場面における二重唱も「天上の音楽」にふさわしいもので、聴きどころであることは言うまでもない。

そこへフィリッポ2世と宗教裁判長がやって来て、2人を捕らえるように衛兵たちに命じる。そのとき先帝カルロ5世の墓が開いて、修道士の姿をしたカルロ5世の霊が現れて、「心の葛藤は天上で初めて静まる」と叫んで、ドン・カルロを墓の中に引き入れてしまう。エリザベッタはその場で倒れてしまい、その場の一同は驚愕しているうちに幕が降りる。


以上のようにリコルディ5幕版のあらすじを辿ってみると、作品全体のあらすじはスペインの王子ドン・カルロと義母エリザベッタの許されない恋愛を中心にして、それにフィリッポ2世とエーボリ公女が関与して展開されていることが分かるが、しかし、それと同時にポーザ公爵ロドリーゴとフィリッポ2世に宗教裁判長を加えた3人による政治的・宗教的闘争も根底に流れていて、複雑な内容のオペラでもあることを見逃してはなるまい。主人公のドン・カルロは王妃エリザベッタへの恋愛感情に基づく父フィリッポ2世への反抗心から政治的行動に出ているのに対して、ポーザ公爵ロドリーゴの行動は対照的に政治的・宗教的なものであり、本来の主人公と言ってよいかもしれない。また王妃エリザベッタに愛されたことのないフィリッポ2世の孤独感を歌い上げるアリアも、このうえなく重厚で、大きな魅力となっている。さらには修道士に扮した先帝カルロ5世の亡霊も第一幕の冒頭と第五幕の最後に登場して、作品全体を締め括る重要な役割を果たしていることが明らかである。それらの男性歌手はドン・カルロ以外はバリトンかバスであり、彼らの二重唱や重厚なやりとりが作品全体の色調を暗いものにして、悲劇性をさらに深めてもいる。ヴェルディのこれまでの作品とは違った重厚な内容と音楽に大きな魅力があると言ってもよいであろう。是非、この機会にヴェルディ後期の出発点とも言える歌劇『ドン・カルロ』を鑑賞していただければ幸いである。これまでとはまた違ったヴェルディの重厚な音楽の魅力に出会うことは間違いないであろう。


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