【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第104号
メールマガジン「すだち」第104号本文へ戻る


○連載「知的感動ライブラリー」(76)

ヴェルディの歌劇『イル・トロヴァトーレ』
総合科学部教授 石川榮作

ヴェルディの歌劇『イル・トロヴァトーレ』(1853年初演)は、歌劇『リゴレット』(1851年初演)と歌劇『椿姫』(1853年初演)とともに「ヴェルディ中期の3部作」とも呼ばれ、ヴェルディの才能が大きく花開いた時期の作品である。この歌劇の素材となったのは、スペインの劇作家アントニオ・ガルシア・グティエレス(1813-84)の戯曲『エル・トロバドール』(1836年初演)で、リブレットはナポリの台本作家サルヴァトーレ・カンマラーノに依頼されたが、彼が急死したため、後半部分は同じナポリの台本作家レオーネ・エマヌエーレ・デル・バールダレに依頼されて完成した。作曲が行われたのは、1852年11月1日から29日までの約1か月間で、年明けて1853年1月19日にローマ・アポロ劇場で初演されて、大成功を収めたと言われている。標題の「イル・トロヴァトーレ」とはイタリア語で「吟遊詩人」を意味し、具体的には歌劇に登場する主人公マンリーコを指すが、実際の主人公はそのマンリーコと言うよりは、むしろ彼を幼い頃から養い育てたジプシー女アズチェーナだと言うべきであろう。物語の内容は、15世紀初めのスペインを舞台として展開される、そのジプシー女アズチェーナの母親のために行う「復讐」物語であり、「荒唐無稽で非現実的なものの典型」と言われることもあるくらいである。しかし、それだけに音楽は強烈で観客をゾクゾクさせながら歌劇の中へ引き込んでいく。その一方では抒情的な音楽もちりばめられていて、歌劇としての興味は尽きない。ヴェルディ特有の合唱もまた魅力的である。以下、歌劇『イル・トロヴァトーレ』(全4幕)のあらすじを順に辿りながら、この歌劇の聴きどころ・見どころなどを紹介することにしょう。


第一幕 決闘

短いけれども、印象的な序奏のあと、幕が開くと、第1場は15世紀初めのスペインのアラゴンにあるアリアフェリア城の入口である。舞台の一方にこのアラゴン地方の貴族ルーナ伯爵の邸(やしき)に通じる扉がある。夜、ルーナ伯爵の衛兵たちが指揮官フェルランドとともに警備についている。指揮官フェルランドは衛兵たちに請われてその眠気覚ましにルーナ伯爵家に伝わる不思議で不気味な話を語り始める。

それによると、先代のルーナ伯爵には2人の息子がいて、彼は幸せな父親だった。その2人の息子のうち弟の方の乳母がいつもゆりかごのそばで寝ていたが、ある朝、乳母が目を覚ましてみると、いやしいジプシーの老婆が若君のそばに立って、じっと見つめていた。乳母は恐怖に襲われ助けを求めて、そのジプシーの老婆を追い出した。ところが、若君はその後、顔色もすぐれず、病弱になられた。老婆の妖術のせいだと見なされて、そのジプシーの老婆は捕らえられて、火炙りの刑に処せられた。そのとき老婆の一人娘が復讐を企んだのか、突然若君の姿が見えなくなってしまった。そして老婆の火炙りの処刑場から幼児の骨が焼け残って出てきたという。しかし、ルーナ伯爵は若君がどこかで生きていると信じて、亡くなる前には若君を探すようにという遺言を残した。現在のルーナ伯爵はその父の遺言に従って今でもその弟君の行方を探しているという。ルーナ伯爵の指揮官フェルランドがここまで話して、ジプシーの呪いに怯(おび)えているところで、夜半を告げる鐘の音が聞こえてきたので、衛兵たちは身震いしながら立ち去って行く。フェルランドによるこの語りの場面は、衛兵たちの合唱も加わって劇的な展開を見せて、文句なしに聴きどころである。

ここで場面が変わって、第2場は城の夜の庭園である。アラゴン公爵夫人に仕えている女官レオノーラは、侍女のイネズを伴って登場し、馬上試合で勝利を収めた見知らぬ騎士を愛するようになった経緯を彼女に語る。その騎士は「トロヴァトーレ」(吟遊詩人)でもあり、彼の美しい歌の中にはレオノーラの名前も出てきたので、彼女は天国にでもいるような喜びを感じたというのである。しかし、侍女のイネズは盲目状態となっているレオノーラの恋に不安を感じている。この場面におけるレオノーラの歌(アリア)は、前半の抒情的なカヴァティーナ部分と後半の劇的に高潮した技巧的なカバレッタ部分から成り立っていて、聴き応えがある。そのあと2人は館に入って行く。

入れ替わりに登場するのが、現在のルーナ伯爵である。彼もレオノーラに恋をしていて、まだ灯りのついている彼女の部屋に行こうとしているところである。そのときトロヴァトーレ(吟遊詩人)の歌が背後から聞こえてくる。この歌劇の主人公マンリーコの歌である。このトロヴァトーレ(吟遊詩人)の歌を聞きつけて、レオノーラも館から出て来る。ところが、彼女は暗闇の庭園の中に立っているルーナ伯爵を恋人マンリーコだと思い、彼に身を寄せ、愛を告白する。背後から登場したマンリーコは、失望してしまい、「不実な女め」と彼女を罵ってしまう。レオノーラは人違いをしてしまったことを謝るが、暗闇の中とはいえ、レオノーラがつい恋人を間違えてしまうこの場面では、マンリーコとルーナ伯爵とが実は兄弟であることがほのめかされているのであり、その意味でとても重要な場面である。レオノーラはマンリーコに向かって、自分が心を、つまり、限りない永遠の愛を捧げているのはあなただけだと告白すると、マンリーコは彼女を抱きしめる。これを見て、ルーナ伯爵は嫉妬を感じて、トロヴァトーレ(吟遊詩人)に名前を名乗るようにと挑戦的な態度を取る。相手がマンリーコだと名乗ると、ルーナ伯爵はこの恋敵が戦闘における敵でもあることを知り、2人の間には決闘が始まる。すなわち、このアラゴン王国では継承争いが続いていたが、ルーナ伯爵は皇太子フェルディナントの支持者で、マンリーコはそれに敵対するウルゲル伯爵側についていたのである。ルーナ伯爵とマンリーコが決闘を始めようとするとき、レオノーラは必死にそれを止めようとして、その場面では三重唱が繰り広げられる。ヴェルディらしい躍動感に満ちた力強い旋律で、聴きどころであることは言うまでもない。ルーナ伯爵とマンリーコは剣を抜いて闘い始めると、レオノーラは最後には気を失って倒れてしまう。そこで第一幕の幕が降りる。


第二幕 ジプシーの女

第二幕第1場の舞台は、ビスカリャ山の麓にあるジプシーたちの小屋の前である。夜明け前、ジプシーたちは鍛冶仕事をしながら合唱している。このジプシーたちの合唱もこの歌劇の魅力の一つである。ジプシー女アズチェーナは、昔ジプシーの老婆(自分の母)が火炙りにされたときのことを皆に話して聞かせる。なんとも悲しい歌であり、アズチェーナは復讐を呼び掛ける。そのうち夜もすっかり明けたので、ジプシーたちはその日の糧を得るために出かけて行く。

第一幕最終場面でルーナ伯爵と決闘したマンリーコは、辛うじてその決闘から生還してここに戻って来ていたが、母アズチェーナと2人きりになると、先程の悲しい話をもっと詳しく聞かしてほしいと頼む。そこで母アズチェーナが息子マンリーコに話して聞かせるところによると、マンリーコの祖母、つまり、自分の母は先代のルーナ伯爵の幼い息子に呪いをかけたとされて、火炙りの刑に処せられた。自分は自分の幼い子供を抱いて、その処刑される母の後を懸命に追いかけると、母は処刑前に「復讐しておくれ」と自分に頼んだ。そこで自分はルーナ伯爵の幼い若君をさらって、ここに連れて来て、赤々と燃え上がる炎の中に赤子を投げ込もうとした。しかし、赤子は金切り声をあげて泣いたので、自分の胸は動揺した。そのとき死刑執行人と刑場の幻が現れて、蒼ざめた母の「復讐しておくれ」という声が聞こえてきた。自分は震える手をのばして、子供を炎の方へ引きずり、炎の中に投げ込んだ。炎は燃え上がり、生け贄を焼き尽くしてしまった。ところが、我に返って見回してみると、目の前にいるのはルーナ伯爵の子供だった。つまり、自分は自分の息子を間違って炎の中に投げ込んでしまったのである。

このような恐ろしい話を聞くと、マンリーコは「では俺はお前の子ではないのか」と不審に思う。それに対してアズチェーナは「お前は私の子供だよ」と言って、悲しいことがあるたびに気が変になるのだと説明して、言い逃れる。お前が戦場で死にそうになっていたところをいつも助けてきたではないか、それが母親の愛情というものではないかと諭すのである。そのときマンリーコは憎いルーナ伯爵と男らしく戦ったときのことを思い出したが、果たし合いで彼を打ち負かして、彼に剣を振り下ろそうとしたとき、「殺してはならぬ」という天の声が聞こえてきたことを打ち明ける。母アズチェーナは次の戦いでは「容赦なくこの剣を相手に突き刺すのじゃ」と命ずれば、マンリーコは必ずやそれを果たすことを約束する。この場面での2人の劇的な二重唱ももちろんヴェルディ特有の聴きどころの一つである。

そこへ使者がやって来て、マンリーコに手紙を渡す。その手紙によると、レオノーラはマンリーコが戦死したという誤報を伝え聞いてクローチェの修道院に入るということであった。マンリーコはこの知らせに驚き、カステルロールの城砦近くにあるその修道院に出かけようとするが、アズチェーナは彼を引き止めようとする。ここでの2人による二重唱も見事である。

場面は第2場に変わって、カステルロール城砦近くにあるクローツェ修道院の外庭である。舞台はまた夜である。ルーナ伯爵はマンリーコが戦死したという噂を信じて、指揮官フェルランドと数人の家来を伴って、ここでレオノーラを略奪しようと彼女を待ち伏せている。そのときに歌うルーナ伯爵のアリアも、レオノーラへの熱い思いを伝える前半の抒情的なカヴァティーナ部分と、彼女を略奪する決意を歌う後半のカバレッタ部分とから成っていて、文句なしに聴きどころである。

ルーナ伯爵が家来たちとともに木陰に隠れていると、鐘の音に続いて、修道女たちの祈りの歌声が聞こえてくる。やがてレオノーラが侍女イネズらを伴ってやって来る。彼女が天国でマンリーコに会うのを心の支えとして神に仕える決意をして、修道院の祭壇に向かおうとしたとき、またもや嫉妬に狂ったルーナ伯爵が姿を現して、「修道院の祭壇ではなく、婚礼の祭壇だ」と言って、それを阻止する。そこへマンリーコも家来を引き連れて現れる。戦死の噂が流れていた恋人が思いがけなく現れて、レオノーラの胸は喜びに溢れる。ルーナ伯爵は剣を抜いて、マンリーコにレオノーラから遠ざかるように命ずるが、マンリーコは「レオノーラが神を信じたので、神の慈悲で自分は助けられたのだ」と歌い上げる。3人のそれぞれの思いが混ざり合って、すばらしい三重唱である。マンリーコの部下ルイスが大勢の兵士を連れて来て、マンリーコとレオノーラを保護する。ルーナ伯爵はルイスの連れて来た兵士たちに武器を取り上げられて、悔しさに歯ぎしりするばかりである。合唱が加わって、フィナーレを迎えてから、第二幕の幕が降りる。


第三幕 ジプシーの子

第三幕第1場はカステルロールの城砦を遠くに望む、ルーナ伯爵の陣営である。マンリーコのいるカステルロール城砦(ウルゲル伯爵側の軍勢)を攻撃するために、ルーナ伯爵側の兵士たち(フェルディナント皇太子に仕える軍勢)は武器の手入れをしている。指揮官フェルランドが現れて、明日攻撃することを伝えると、兵士たちはそれに呼応して士気を高める。この場面の合唱も聴きどころである。

兵士たちが思い思いに退場したところで、ルーナ伯爵が登場して、愛しいレオノーラが恋仇の腕の中にいることを思うと、心の中は悪魔のように苦しいと歌い出すが、しかし、明日は2人の仲を引き離してやるぞと攻撃の決意を明らかにする。

そこへ指揮官フェルランドがやって来て、陣営の近くで捕まえたジプシー女アズチェーナを連行して来る。ルーナ伯爵に尋ねられて、アズチェーナは身の上を語り始める。彼女はビスカリャ山の麓で暮らしていたが、生涯の喜びとしていた一人息子が姿を隠してしまい、今はその息子を探しながらさまよっているのだと答える。ビスカリャ山の名前を聞いて、ルーナ伯爵は15年前に伯爵の息子が誘拐されたことを知っているかと尋ねるとともに、自分はその誘拐された男児の兄であることを打ち明ける。それを聞いてアズチェーナは恐怖におののくが、知らぬふりをして、ただ自分は行方不明の息子を探しているだけだと答える。その動揺している様子をそばで見ていた指揮官フェルランドは、あのとき伯爵の息子を誘拐したのはこの女であることに気づく。それをルーナ伯爵に訴えると、ただちに伯爵はそのジプシー女を縛り上げるよう兵士たちに命ずる。そのときアズチェーナは悲鳴をあげて、息子マンリーコの名前を口にして、助けを求める。それによってルーナ伯爵は、このジプシー女がマンリーコの母だと知って、マンリーコをおびき出すために、彼女を処刑する火刑台を城砦の前に作らせる。ルーナ伯爵と兵士たちによるこのあたりの合唱も見事である。この合唱の中でルーナ伯爵は、死んだ弟への復讐を誓うが、その復讐心は相手が恋仇の母親とあってそれだけにいっそう凄まじいものがある。ルーナ伯爵の合図で兵士たちはそのジプシー女を引っ張って行き、ルーナ伯爵は幕舎に入る。指揮官フェルランドもそれに従う。

ここで場面が変わって、第2場はカステルロール城砦の内部、礼拝堂の隣の一室である。マンリーコはレオノーラに向かって、明日敵が攻撃をしかけてくるだろうが、自分たちがきっと勝利を収めるだろうと伝えて、彼女の不安を取り除くとともに、彼女ゆえの「愛の力」を信じ、礼拝堂からオルガンの響きが聞こえてくると、そこへ彼女を導こうとする。

そのときマンリーコの部下ルイスが急いで入って来て、ジプシー女アズチェーナが敵に捕らえられて、火炙りの刑に処せられることになったことを報告する。怒り動揺するマンリーコをレオノーラが心配すると、マンリーコはアズチェーナが自分の母であることを打ち明けて、救出に向かう決意をする。そのとき歌われるのが、勇壮で激情的なリズムの合唱を伴った突撃のカバレッタであり、とても迫力があり、聴きどころであることは間違いない。部下のルイスが兵士たちを集めてくると、マンリーコは母救出のために敵陣に向かう。そこで第三幕の幕が降りる。


第四幕 処刑

第四幕の幕が上がると、第1場はアリアフェリア城の城壁の上である。そこからは牢獄の塔が聳えているのが見える。母救出のために敵陣に立ち向かったマンリーコであったが、彼は捕らえられて、今や母アズチェーナとともにその牢獄に閉じ込められている。暗い闇夜の中、レオノーラはその牢獄の塔を望む城壁の上に立って、捕らえられたマンリーコのことを思い、抒情的なカヴァティーナ部分で彼に対する熱い思いを歌う。その間中、レオノーラは右手に毒の秘められた指輪を手にして、それを眺めている。

やがて僧侶たちの合唱曲「慈悲深い神よ、あわれみ給え」が歌われる中で、牢獄の塔からはマンリーコの歌声が聞こえてくる。その声に自己犠牲を伴ってでも恋人を救いたいというレオノーラの声も重なって、限りなく美しいハーモニーで観客を包み込んでしまう。

そこへルーナ伯爵が従僕を連れて登場してきたので、レオノーラは一旦姿を潜める。ルーナ伯爵は従僕たちに、夜が明けたら囚人マンリーコの首を刎ね、その母親アズチェーナは火炙りの刑にすることを命ずると、従僕たちは門から塔に入って行く。

一人その場に残ったルーナ伯爵は、この前の戦い以来行方知れずとなっているレオノーラのことを思い続けている。そこへレオノーラが現れて、吟遊詩人の命を助けてくれるように嘆願する。しかし、ルーナ伯爵は「お前が彼を愛すれば、それだけ俺の怒りは増すばかりだ」と言って、彼女の願いを聞き入れる気はまったくないまま、立ち去ろうとする。するとレオノーラはルーナ伯爵にしがみついて、自分の身を代償にして彼の命を助けてほしいと言ってしまう。この言葉にルーナ伯爵は考えを一転させ、彼を助けることを約束する。そのときレオノーラはこっそりと指輪に秘めていた毒を仰ぐ。ルーナ伯爵が手に入れるのは、もはや血の通わなくなった自分の身体なのだと決意して、レオノーラはマンリーコへの貞節を守るのである。それとも知らずにルーナ伯爵は喜び、一方レオノーラの心は自己犠牲による恋人の救出に打ち震える。この場面での二重唱はもちろん聴きどころである。

場面は変わって、第2場はアリアフェリア城内の牢獄の一室である。マンリーコは疲労で朦朧(もうろう)としている母アズチェーナを宥めて寝かしつけようとするが、母アズチェーナは火炙りの刑の恐怖におののいて寝られそうにない。昔、母が炎の中に投げ込まれたときのことが思い出されてくるのである。それでも息子マンリーコはやさしく母を慰め、寝かしつけようとする。そのとき母アズチェーナは「私たちの山に帰って、心静かに暮らそう」と歌い出す。この歌はヴェルディが同じ時期に作曲していたと思われる歌劇『椿姫』第三幕で死にいく椿姫ヴィオレッタに恋人アルフレードが「パリを離れて、ああ、可愛い人よ、一緒に暮らしていこう」と歌う場面を彷彿とさせる。素晴らしく印象的な歌である。この歌を歌うことによって、それまで興奮していた母アズチェーナはやっと眠りにつくことができた。実際には母と子ではないが、しかし、それ以上に母子の絆がひしひしと感ぜられて、感動の場面である。聴きどころであり、また見どころでもあろう。

母アズチェーナが寝入ったところにレオノーラがその牢獄の扉を開いて、中に入って来る。マンリーコは予期してもいなかっただけに、夢ではないかと大喜びであるが、しかし、やがてマンリーコはレオノーラがルーナ伯爵に身を売ったのではないかと疑って、その喜びも激怒に変わる。レオノーラは必死に自分を理解してほしいと訴えるが、マンリーコの怒りは収まらない。そのそばで母アズチェーナは夢うつつに「私たちの山に帰って、一緒に暮らそう」と口ずさんでいる。レオノーラは早くこの牢獄から逃げ去るようにマンリーコを説得するが、彼は彼女が自分に誓った心をルーナ伯爵に売ったことを責め続ける。レオノーラがマンリーコの腕の中に倒れ込んでも、彼は「呪われよ」と叫んでしまう。しかし、やがてレオノーラの様子がおかしいことに気がついて、事情を聞いてみると、彼女は毒を飲んでおり、その毒薬の効力がもうすでにまわってきたという。「なんということをしたのだ」と言うマンリーコに対して、レオノーラは「他人のものになって生きるよりも、あなたのために死にたかったの」と答える。この言葉にマンリーコは、「この天使のような人に俺はなんということをしたのだろう」と、先程まで彼女を疑い、「呪われよ」と叫んだ自分の言葉を後悔する。

このときルーナ伯爵が入口のところにやって来て、自分がレオノーラに裏切られたことを知ると、またもや嫉妬に苦しむ。「ああ、わしを欺いて、あいつのために死ぬのか」と叫ぶルーナ伯爵、「他人のものになって生きるより、あなたのために死にたかったの」と言うレオノーラ、そして「この天使のような人に俺はなんということをしたのだろう」と後悔するマンリーコ、この3人による三重唱がこの歌劇の最後の聴きどころであろう。ついにレオノーラが息を引き取ってしまうと、ルーナ伯爵はマンリーコを即刻処刑するようにと兵士たちに命ずる。鎖を引きずりながら、母を呼ぶマンリーコの声にアズチェーナは目覚めて、どこに行くのかと尋ねる。ルーナ伯爵が「死刑場に行ったのだ」と知らせる。断頭台で死刑が執行された気配を感じるや否や、アズチェーナは「お前は自分の弟を殺したのだ」と叫んで、マンリーコがルーナ伯爵の弟であることを打ち明ける。驚くルーナ伯爵のそばで、ジプシー女アズチェーナは「おお、母上、復讐を遂げましたぞ!」と言うや否や、窓の下に倒れてしまう。ルーナ伯爵が「俺はまだ生きている」と口にしたところで、第四幕の幕が降りる。スピーディな展開の最終場面であるが、この歌劇最大の見どころであることは言うまでもない。


以上のとおり、なんとも恐ろしい、現実離れしたあらすじであり、「荒唐無稽で非現実的なものの典型」と酷評を下されるのも当然であるように思われる歌劇であるが、しかし、全編を通して奏でられる音楽はヴェルディらしい躍動感に満ちたもので、その強烈で力強い音楽の中には抒情的な旋律もところどころに織り込まれていて、たいへん魅力的な作品に仕上がっている。作品全体にわたって合唱もひんぱんに取り入れられており、中にはジプシーの合唱もあり、いずれをとってもたいへん感動的である。ヴェルディ中期の作品に当たるこの歌劇『イル・トロヴァトーレ』は、躍動感に満ちた強烈で力強い音楽と抒情的な旋律に加えて、合唱もまたたいへん充実しているという点で、最もヴェルディらしいすばらしい作品と評してもよいのであろう。是非、この機会にヴェルディの傑作『イル・トロヴァトーレ』を鑑賞していただきたいものである。たちまちヴェルディ・ファンになることは、間違いないであろう。


メールマガジン「すだち」第104号本文へ戻る