【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第101号
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○連載「知的感動ライブラリー」(73)

ワーグナーの歌劇『さまよえるオランダ人』
総合科学部教授 石川榮作

1.歌劇『さまよえるオランダ人』の完成

リヒャルト・ワーグナー(1813-83)は1837年にロシア領のバルト海沿岸リガの劇場で音楽監督に就任したが、その頃、ハインリヒ・ハイネの『シュナーベレヴォプスキー氏の回想録』(1834年)の中の第七章「さまよえるオランダ人の寓話」を読んで、ワーグナーはこの哀れな運命を背負わされたオランダ人の伝説に興味を抱いた。リガでの生活は経済的に困窮を極めて、ワーグナーは1839年に妻ミンナとともにリガから逃れるように船でロンドンへ向かったが、その途中、暴風雨に遭って、そこでワーグナーは『さまよえるオランダ人』の詩的、音楽的表現の着想を得たという。やがてロンドン経由でパリに到着したワーグナーは、困窮した生活の中でも1840年にはフランスのグランド・オペラ風の歴史劇『リエンツィ』を完成させ、翌1841年には歌劇『さまよえるオランダ人』をも完成させた。しかし、実力よりもコネが重んじられるパリでは、ワーグナーの作品は上演される機会が与えられずに、ワーグナーはドイツに帰国することを決意する。1842年、ワーグナーはドイツへ帰国してドレスデンに移り住み、やがてそこのドレスデン宮廷歌劇場指揮者に就任し、『リエンツィ』が初演されたのに続いて、翌1843年にようやく歌劇『さまよえるオランダ人』も初演されたのである。当世風のグランド・オペラとはまったく性質の違う歌劇であったことや、初演のメンバーとその稽古不足など、さまざまな事情が重なって、評判は今ひとつで、あまり大きな成功を収めたとは言えなかったものの、ワーグナーはこの作品でもって初めて自分らしい独自のスタイルを打ち立てたと言ってもよいであろう。ワーグナー自らがそのように認めてもおり、この作品はワーグナー自らの命名によって1845年完成の『タンホイザー』と1848年完成の『ローエングリン』とともに「ロマン派オペラ」と呼ばれている。また「女性の愛による救済」というワーグナー終生のテーマもこの歌劇『さまよえるオランダ人』に始まるものと言ってよいであろう。さまざまな意味で魅力にあふれた作品である。

以下、この歌劇『さまよえるオランダ人』の展開を順に辿りながら、見どころ・聴きどころなどを紹介することにしょう。


2.歌劇『さまよえるオランダ人』のあらすじと見どころ・聴きどころ

序曲

この歌劇の冒頭には序曲が付けられている。序曲冒頭でホルンによって不気味に力強く奏でられるのが、神に呪われて永遠に七つの海をさまよわなければならない運命を背負わされた「オランダ人の動機」である。この歌劇で繰り返し用いられる最も重要な動機であり、荒れ狂う北の海もイメージされていて、観客は冒頭からデモーニッシュな世界に引き込まれてしまう。やがて緊迫した音楽が静まり、弱くなってきたあとで奏でられるのが、もう一つの重要な「救済の動機」であり、誠実な乙女ゼンタがイメージされている。この序曲を聴くことによって、神に呪われたオランダ人が嵐の中の海を永遠にさまよっている様子と、誠実な乙女ゼンタの真心によって呪いと苦悩から解放されてオランダ人がゼンタとともに昇天するさまを思い浮かべることができる。歌劇全体が自然のうちにありありと思い浮かんでくるような構成になっているという意味で、序曲は歌劇『さまよえるオランダ人』全体の縮図とも言える。序曲がまずは最初の聴きどころであろう。


第一幕

嵐の情景を描き出すメロディとともに幕が開くと、第1場はノルウェーのボレア島にあるザントヴィーケの港である。岸辺に錨を投げ降ろしているノルウェーの船員たちの力強い掛け声が港にこだましている中、船長ダーラントが登場して、目的地の故郷の港もあともう少しというところだったのに、大嵐のために7マイルも流されてしまったことを嘆く。ただ危険な状態は過ぎ去ったので、ダーラント船長は舵取りに見張りを頼んで、休息のため船室に入って行く。舵取りは1人舵機のそばに腰を下ろし、故郷の恋人のことを思いながら、眠気覚ましに素朴な歌を歌う。この舵取りの歌が一度聴けば忘れないような印象的なメロディで、このあたりの場面では一番の聴きどころである。ところが、舵取りは歌い終えると、疲労のためか、すっかり眠り込んでしまう。

海は新たに荒れ始めたかと思うと、不気味な「オランダ人の動機」が鳴り響いて、黒いマストに血のように赤い帆を張ったオランダ船が暗闇の中から現れ出て来て、ノルウェー船の隣に停泊する。舵取りは飛び起きて、舵を見るが、何も変わったことは起こっていないと思って、また新たに眠り込んでしまう。

舞台ではオランダ人が登場して、第2場である。オランダ人は呪われた自らの運命を告白し始める。この長い独白も聴きどころである。その独白によると、彼は神の呪いによって陸に上がることもできず、また海の上で死ぬこともできずに、永遠に7つの海をさまよわなければならない運命を背負わされているようである。ただ7年に1度だけ上陸することが許され、そのとき自分のために永遠の愛を捧げる誠実な乙女を見つけることができるならば、救いが与えられることになっている。これまで7年ごとに上陸を繰り返してきたが、しかし、そのような誠実な乙女を見つけることはできず、彼はまた海へ帰って行かなければならなかった。今またその7年の期限が満ちて上陸のときがきたのである。果たしてその救済はありうるのか。「この世で永遠の誠実なんて、とんでもない!・・・希望は滅びて行かねばならない。・・・永遠の破滅よ、俺を迎え入れておくれ!」と叫んで、自らの苦悩を歌い終えると、観客の目には見えないところでオランダ船の船乗りたちが船長にならって「永遠の破滅よ、我々を迎え入れておくれ!」と叫ぶ。不気味な合唱によってこの場が一段と盛り上がる。

そこへノルウェー船長のダーラントが船室から出て来て、第3場の展開となる。彼はそばに見知らぬ船を見つけて、居眠りをしていた舵取りを叱り飛ばすが、舵取りは寝ぼけて「異状なし!異状なし!」と答えるのみである。しかし、よく見ると、隣に別の船が停泊している。舵取りは隣の船に呼びかけるが、何の返事もない。

やがて1人の男が上陸してくるのをダーラントは目にして、彼に話しかける。相手はオランダ人だと答え、同じく大嵐に遭って、この港に避難して来たという。船は大丈夫で,損害はないが、彼は嵐や逆風に押し流されながら、永遠に海をさまよっている者だと説明し、自分には故郷というものがないので、ダーラントに少しの間、家を貸していただけないかと申し出る。あらゆる土地で手に入れた財宝がいっぱいあるので、それをお礼に差し出すことを口にすると、ダーラントは財宝に目が眩んで、故郷に帰ったら宿を貸すことを約束する。そのときオランダ人は唐突に「あなたには娘さんがいますか?」と尋ね、彼に娘がいると分かると、これまた唐突に「娘さんを私の妻にください!」と要求する。財宝に目が眩んでいるダーラントは、相手の気が変わったら大変だと思って、ただちに承諾の返事をするが、このあたりではダーラントはかなり楽天的で安易な男として描かれていることが明らかである。暗い運命に苦悩するオランダ人とは明らかに対比的に描かれていると言ってもよいであろう。ダーラントから承諾の返事を聞くと、オランダ人は「そしたら乙女は自分のものとなる」と叫ぶものの、すぐに声を落として「彼女は私の天使となってくれるだろうか?」と自らに問い返すが、自分に今残されているただ一つの希望に身を委ねることにする。この場面でオランダ人は楽天的なダーラントと二重唱を歌うが、このあたりも聴きどころである。

そうしているうちに天候はすっかりと回復して、風向きも南風に変わった。舵取りが「愛しい南風よ、もっと吹いてくれ!」という掛け声に、船員たちも合わせるように、歌を歌いながら、帆を上げて出帆の準備に取り掛かる。オランダ人は少し休んであとを追いかけるので、ダーラントには先に出帆するようにと願う。ノルウェー船の船乗りたちは恋人たちが故郷で待っているという内容の歌を歌いながら、船を動かし始め、故郷に向かっているところで幕が降りる。この第一幕最終場面での船乗りたちの歌も、第1場の冒頭で舵取りが歌ったと同じメロディであり、たいへん印象的で、聴きどころである。


第二幕

ノルウェー船の船乗りたちの歌が続いているうち、舞台転換が行われ、いつしか乙女たちの「糸紡ぎの歌」に変わって、やがて舞台は第二幕冒頭の第1場であるダーラントの家の大きな部屋となる。部屋の後ろの壁には髭を生やして、黒い服を着た、青ざめたオランダ人の肖像画が掛けられている。マリーおばさんと乙女たちが暖炉の周りにすわって、歌を歌いながら、糸を紡いでいるが、ダーラントの娘ゼンタだけは安楽椅子にもたれて、後ろの壁の肖像画をうっとりと見つめている。この場面の「糸紡ぎの歌」も聴きどころであろう。

マリーおばさんは後ろの壁の肖像画ばかりを見つめているゼンタを咎めるが、ゼンタは相変わらずその青ざめた男の肖像画に夢中のままである。乙女たちがゼンタをからかうと、ゼンタはつまらない「糸紡ぎの歌」をやめて、「もっとよい歌を歌いなさいよ!」と催促する。すると乙女たちは、ゼンタに歌うよう要求する。ゼンタはマリーおばさんに「さまよえるオランダ人」の歌を歌ってくれるように頼むが、マリーおばさんが断ったので、ゼンタは自らが歌い始める。その歌が「ゼンタのバラード」と呼ばれるもので、この歌劇の中核をなすものである。このバラードを敷衍(ふえん)すれば、歌劇『さまよえるオランダ人』そのものとなる内容となっている。リブレットの点でもまた音楽の面でも、この歌劇で必要不可欠で、最も重要な場面である。

その「ゼンタのバラード」は3節から成り、各節は激しい音楽で嵐の海をさまようオランダ人の運命を描いた前半部分と、誠実な乙女による「救済の動機」を描いた穏やかな後半部分から成る。1節目の前半部分では、「帆は血のように赤く、マストは黒い」船で「青ざめた男の船長」が荒れ狂う嵐の海の中を「目的もなく、休みもなく、憩いもなく」さまよっているさまが歌われたあと、後半部分では「その青ざめた男にも、誠実な乙女が見つかれば、救いが与えられるが、そのような乙女はいつ見出されるのか」に続いて、「すぐに1人の乙女が彼に誠実を示すように、天に祈り給え」と祈りが捧げられる。青ざめた男はなぜこのような運命を背負わされたのか。それは第2節目の前半部分で明らかとなる。「彼は嵐の日にある岬を回ろうとしたとき、思い上がって、永遠にあきらめるものかと呪いの言葉を吐いた」が、「それを悪魔が聞いて」、その悪魔から呪いを受けたのである。しかし、この「哀れな男にも、誠実を示す乙女が見つかれば、救われる」といういうことが歌われるのは、第1節目後半と同じである。ところが、その青ざめた男は、「7年ごとに錨を降ろして、そのような乙女を求めて上陸し、求婚したものの、まだそのような誠実な女性を見つけたことはない」ことを歌っているのが第3節目の前半部分である。ここまでゼンタは歌ったところで、疲れ果てて安楽椅子に倒れ込んでしまう。「救済の動機」にあたる後半部分は周りの乙女たちが歌い、「そのような誠実な女性にあなたはいつ出会うのですか」と歌った瞬間、ゼンタが霊感に打たれて、安楽椅子から立ち上がり、「誠実によってあなたをお救いするのは、この私です!」と叫ぶ。長い「ゼンタのバラード」の中でもこの瞬間が最も劇的な音楽でもって、観客に身震いを起こさせてしまう。聴きどころであることは、言うまでもあるまい。

そのようなところにエーリクが飛び込んで来る。このエーリクがどういう人物なのかは、このあとのゼンタとの対話などから明らかになってくる。先取りして言えば、彼は船乗りではなく、猟師であり、またゼンタに心を寄せていて、いずれはゼンタの父からも結婚の許しが得られるものと思っているが、しかし、ゼンタの方は部屋の壁に掛かっている「オランダ人の肖像画」に取り憑(つ)かれていて、エーリクのことなど特に何とも思っていないという設定になっている。そのエーリクがゼンタのことを心配して登場し、ゼンタの「お父様がお帰りだ」と伝えると、マリーおばさんは乙女たちにただちに食卓の支度に取り掛かるように指図する。マリーおばさんは乙女たちを急(せ)き立てると、あとからそれについて行く。

ゼンタも同様に出て行こうとするが、エーリクが引き止めて、2人の間で会話が展開される第2場となる。エーリクは、ゼンタの父がまた船出する前に自分たちの結婚のことを取りなしてくれるようにとゼンタに頼むが、ゼンタは相変わらず壁に掛かっている青ざめた男の肖像画に取り憑かれたままである。エーリクが「僕の悩みに君はもう心を動かさないのか」と尋ねても、ゼンタは「大げさに言わないでよ、あなたの悩みなんて何よ」と言ってから、肖像画を指さしながら、「あの人には憩いが永遠に奪い取られているということが、私の心には身を切るような悲しさで迫ってくるのよ」と答えるほどである。これを聞いたエーリクは、ゼンタが悪魔に取り憑かれていると思わずにはいられない。エーリクは自らが見た不吉な夢のことを話し始める。このあたりからエーリクの歌は圧巻である。聴きどころであることは言うまでもない。「高い岩の上で夢を見ながら寝ていると、下の方からは波の音が聞こえてきて、やがて見知らぬ船が岸辺に現れた。気妙な不思議な船で、そこから2人の男が上陸してきた。1人はゼンタのお父さんだ」という内容をエーリクが語ったところで、ゼンタは「もう1人の人は?」と尋ねる。「僕はよく知っている、黒い胴着を着た、青ざめた男だ」と答えるエーリクに、ゼンタはますます緊張して「陰気な眼差しの人」と付け加える。「船乗りだ、彼は」と説明するエーリクに向かって、ゼンタは「それで私はどうしたのか」と、その先の話を催促する。このような調子でゼンタはエーリクの話を誘導しながら、その先の話を聞く。それによると、ゼンタが父を出迎えたとき、隣の見知らぬ男の足もとに倒れ伏して、その人の膝を抱きしめた。すると男はゼンタを自分の胸に抱え上げる。ゼンタは熱烈に男にすがりついて、燃えるような情熱で男に接吻した。そのあと2人は海の沖へと去って行ったというのである。ここまで聞いたところでゼンタが、うっとりとして「その人は私を探しているわ。その人に会わなくては。その人と一緒に破滅しなくては」と叫べば、エーリクは自分の夢が正夢であったことを悟り、絶望と恐怖のあまり倒れてしまう。ゼンタは激しい興奮がおさまると、壁の肖像画に向かって「救いの動機」に乗せて「ゼンタのバラード」の後半部分の歌を歌う。

その歌を歌い終えたそのとき、ドアが開き、そこにまさにそのオランダ人が父ダーラントのそばに立っていたので、ゼンタは驚きの叫び声を上げて、金縛りにあったようにその場にしばらく立ち尽くしたままである。ここから第3場の展開となり、いつもと様子が違う娘ゼンタに父ダーラントが出迎えの挨拶を要求すると、ゼンタはその見知らぬ人がどういう人なのか、話してほしいと催促する。これを受けてダーラントがオランダ人を紹介するアリアを歌う。このダーラントのアリアも聴きどころの一つである。このアリアの中でダーラントはゼンタにこの男の人を婿にするようにと勧める。ダーラントはオランダ人がたくさんの宝石類を持っていることを褒め称えるが、ゼンタはもちろんそのようなものに興味はない。ゼンタは父には目もくれず、オランダ人から視線を離さない。オランダ人も同様にゼンタを見つめるばかりなので、ダーラントは自分が邪魔者であることを悟って、その場を立ち去り、彼らを2人きりにさせる。

2人きりになると、オランダ人は自らに対して独白するかのように、「遠い昔に恐ろしい永遠の呪いを受けて以来、自分が夢見てきたものが、今自分の目の前にある」と歌い始め、「このような天使によって救いが自分に与えられる」ことを願う。それに合わせるかたちでゼンタも、「これまでよく夢に見てきた人が目の前にいる」ことに感動して、そのあわれな人に救いを差し出す心の用意があることを打ち明ける。この場面での2人の二重唱も圧巻である。ここから第二幕の最後までは歌劇『さまよえるオランダ人』の最大の聴きどころであると言ってもよいであろう。ゼンタは宿命的なこのオランダ人に「死に至るまでの誠実」を捧げることを誓えば、オランダ人は今度こそ自分に救いが与えられることを確信する。この場面の二重唱には鳥肌が立つほどの感動を覚えずにはいられない。ワーグナーの初期の作品の魅力とも言える箇所である。

こうしてオランダ人とゼンタの二重唱が最高潮に達したところで、ダーラントが再び現れて、これから開く宴の席で2人の婚約の祝いもすることを提案して、2人を引き連れて退場すると、第二幕の幕が降りる。この第二幕最終場面の音楽も聴きどころであろう。


第三幕

ノルウェーの船員たちがこれまでの船旅の苦労から解放されて、船の上で酒を飲みながら陽気に「船乗りたちの合唱」を歌っている。第1場の展開である。この陽気な「船乗りたちの合唱」もワーグナーの初期の作品として魅力的なものの一つであろう。この陽気なノルウェー船の様子とは正反対に、オランダ船は不気味で、不自然な暗闇に包まれて、しんと静まり返っている。乙女たちが食べ物と飲み物をたくさん持って、家から出て来て、それをオランダ船の方に持って行こうとするが、呼びかけても何の返事も返ってこない。船の明かりも消えていて、すべてが眠っているように見える。乙女たちやノルウェーの船員たちがからかいながら、いくら呼びかけても返事がないので、とうとう乙女たちは食べ物と飲み物をノルウェーの船員たちに渡して家の中に帰って行く。ノルウェーの船員たちはまたたくさんの食べ物と飲み物を目の前にして、大いに騒ぎながら、「船乗りたちの合唱」を歌う。すると隣のオランダ船の周囲だけに波が立ち始めて、やがてオランダ人の船員たちがその合唱に加わってきた。ノルウェー船員たちもそれに負けてはいられないと思って、歌い返して、迫力のある二組の合唱が互いに競い合う。オランダ人の船員たちの合唱はノルウェーの船員たちの合唱とは著しいコントラストを成していて、不気味で、ゾッとして身の毛もよだつほどのものである。ノルウェーの船員たちはその不気味な合唱に恐怖を覚えて、ついには甲板から逃げ出してしまう。オランダ船の船乗りたちはそれを見て、けたたましい声で嘲笑する。やがて2艘(そう)の船の上には再び静寂が戻ってくる。

そのあと第2場の展開となって、ゼンタが家の中から出て来ると、エーリクが非常に興奮してそのあとを追ってやって来る。エーリクは見知らぬ男に手を差し伸べて、残酷にも自分の誠実な心を引き裂いたことを責め立てるが、ゼンタは心の中で激しい葛藤と戦いながら、エーリクの言葉に対して「もうそれ以上のことは言わないで。私は行かなくては」と言ったあと、「もうあなたに会ってはいけない。気高い義務がそれを命じるのよ」と答えるだけである。「気高い義務」という言葉を聞いたエーリクは、「僕にいつか誓った永遠の誓いを守ることの方が、より気高い義務ではないか」と言い返す。するとゼンタは驚いたように、「私が永遠の誓いをあなたに誓ったですって?」と問い返す。これを聞いたエーリクは、苦痛のさまで、ゼンタが自分を谷間に呼び出した日のことを語り始める。このときのエーリクの歌も聴きどころである。その歌を歌いながら、エーリクはゼンタのために高山の花を手に入れるために、勇気を出して数々の苦労をした日のことを思い出させようとする。ゼンタの父が出帆するときには、険しい崖の上からその船を見送った。船出して行く父はゼンタのことをエーリクに任せた。ゼンタの腕がエーリクの首に巻きついてきたとき、ゼンタは改めてエーリクに愛を誓ったではないかと主張するのである。「手を握り合ったとき、僕の中に気高くしみ通ってきたもの、それは君の誠実な誓いではなかったのか?」と言うのである。

この2人の会話を背後で盗み聞きしていたオランダ人は、「救済は永遠に失われた!」と叫びながら、飛び出して来て、自分の船員たちに出航の準備をするように命令する。ゼンタがオランダ人を引き止めようとすると、その上にエーリクがゼンタを引き止めようとして、緊迫した三重唱が展開される。この場面での三重唱も劇的な音楽でもってその場を盛り上げて、物語の緊張は頂点に達する。文句なしに見どころ・聴きどころである。オランダ人は呪いの運命から自分を救ってくれるのは、「死に至るまでの誠実を捧げてくれる乙女」であることを繰り返したあと、ゼンタに向かって、「確かにそなたは私に誠実を誓ったが、しかし、永遠の神にはまだ誓っていないので、そなたにはまだ救いがある」と言って、ゼンタの命を助ける決意をする。するとゼンタは、「あなたの運命はよく知っています。・・・あなたの苦悩はもう終わりです。誠実によってあなたをお救いするのは、この私です!」と叫ぶ。エーリクの助けを求める声を聞いて、ダーラントやマリーおばさんや乙女たち、それに船員たちがその場に駆けつけて来るが、その皆の集まる前でオランダ人は、とりわけゼンタに向かって、「そなたは私を知らない。そなたは私が誰なのか、予感もしていない」と言いながら、自分の船を指さして、自らの身の上を明らかにする。「至るところの海で尋ねてみるがよい。海をさまよう船乗りたちに尋ねてみるがよい。その者なら、すべての信心深い人々の恐怖の的であるこの船を知っていよう。さまよえるオランダ人と呼ばれているのは、この私なのです!」この場面がもちろん感動的な聴きどころであることは言うまでもあるまい。

このように叫ぶと、オランダ人は目にもとまらぬ速さで自分の船に飛び乗る。オランダ船は瞬く間に岸を離れて、沖へ出て行く。ゼンタはダーラント、エーリクそしてマリーおばさんが押しとどめようとするのを振り切って、聳(そび)え立っている崖の上に登り、そこから遠ざかって行くオランダ人に向かって呼びかける。「あなたの天使とその掟を褒め称えよ!ここで私はあなたに死に至るまでの誠実を捧げます!」こう叫ぶや否や、ゼンタはその崖の上から海の中に身を投げ入れるのである。するとオランダ船はすぐさま凄(すさ)まじい音を立てて沈む。海面は高く盛り上がり、それから渦を巻いて海の中に沈んでいく。「救済の動機」が奏でられる中、やがてオランダ人とゼンタは、2人とも神々(こうごう)しい姿で、海中から立ち現れる。オランダ人はゼンタを抱きしめたまま、浄化されて昇天していくのである。ここで第三幕の幕が降りるが、この2人の昇天していく最終場面がどのように演出されるのか、それも見どころの一つであろう。


以上のとおり、この歌劇『さまよえるオランダ人』は全体が三幕構成になっているものの、実際には全三幕が一気に通して上演されるのが普通となっている。全体で約2時間10分の上演であるが、若きワーグナーのさまざまな魅力にあふれた音楽がひっきりなしに鳴り響いて、観客を決して飽きさせることはない。グングンと観客をオペラの世界に引き込んでいくのである。

まず冒頭では全三幕を凝縮したようなかたちの序曲も魅力的であり、またその後に続く第一幕の素朴な「舵取りの歌」や第二幕の「ゼンタのバラード」も一度聴くだけで心に残るような魅力を持っている。第三幕においてはノルウェーの船員たちとオランダ船の船員たちとの大合唱も迫力があって、オペラの醍醐味を味わうことができる。しかし、この歌劇『さまよえるオランダ人』の最大の魅力はやはり第二幕におけるオランダ人とゼンタの二重唱、それにダーラントが加わっての三重唱であろう。第三幕においてもオランダ人とゼンタにエーリクが加わっての三重唱は、圧巻である。若きワーグナーの魅力にあふれた歌劇と言ってよいであろう。ワーグナーはこの歌劇でもって独自のスタイルを築き上げたのであり、また「女性の愛による救済」というワーグナー終生のテーマもここに始まると言ってもよいのである。

このようにさまざまな魅力にあふれた歌劇『さまよえるオランダ人』を是非この機会に鑑賞していただきたいものである。この歌劇と同じく「ロマン派オペラ」と呼ばれる『タンホイザー』と『ローエングリン』と合わせて鑑賞すれば、おもしろさも倍増することであろう。この2作品については本「知的感動ライブラリー」(70)と(71)ですでに紹介済みなので、詳細はそちらを参照していただければ幸いである。


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