【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第98号
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○連載「知的感動ライブラリー」(71)

ワーグナーの歌劇『ローエングリン』
総合科学部教授 石川榮作

1.歌劇『ローエングリン』の成立と初演

歌劇『ローエングリン』は,ワーグナーがフランスのパリからドイツへ帰国して,ドレースデンに移住した折りに着想され,完成した作品である。素材となったのは,ドイツ中世文学のヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの叙事詩『パルツィファル』やコンラート・フォン・ヴュルツブルクの叙事詩『白鳥の騎士』,そして19世紀のグリム兄弟の『ドイツ伝説集』などである。ワーグナーは1845年夏に温泉保養地マリエーンバートでこれらを題材にして『ローエングリン』の構想を練り,同年11月にはドレースデンで朗読会を開いている。こうして台本が翌年の1月になって完成し,ドレースデン宮廷歌劇場指揮者として多忙な毎日を送る中,作曲に励み,『ローエングリン』の総譜は1848年4月に完成したのである。

ところが,1848年のヨーロッパでは各地で革命の嵐が起こり,その嵐はドレースデンにも押し寄せ,1849年5月にはドレースデンでも革命が勃発した。そのときワーグナーも革命に加わり,その蜂起が失敗に終わると,ワーグナーは革命の首謀者と見なされて,指名手配まで出されて,追われる身となった。『ローエングリン』の初演は延期どころか,いつ上演されるのか,予想もつかない事態になったのであった。

このようなワーグナーに救いの手を差し出したのが,フランツ・リストであり,ワーグナーはリストを頼ってヴァイマールまで逃げのびると,リストは資金を調達したばかりか,偽の旅券まで手配して逃亡の手助けをした。さらにリストはヴァイマールの国民劇場で1850年8月28日に『ローエングリン』を初演することに尽力したのであった。そのときワーグナーはスイスに逃げ延びていて,上演の成功を祈願していたという。その初演の出来栄えは大成功というほどではなかったものの,この上演がきっかけでワーグナーの名前はヨーロッパで知られるようになり,のちにこの作品が広くヨーロッパの各地で上演されるようになるのである。

こうしてヨーロッパ激動の時代に成立して初演された歌劇『ローエングリン』の魅力は,いったいどこにあるのか。あらすじを順に辿りながら,見どころと聞きどころを指摘していくことにしよう。


2.歌劇『ローエングリン』のあらすじと見どころ・聞きどころ

前奏曲

第一幕への前奏曲からしてすでに聞きどころである。「聖杯のモチーフ」に導かれながら,観客はここで聖杯が天上から地上に向かって舞い降りてくるかのような気持ちにさせられ,神秘的な響きを体験する。音楽がだんだんと高まってくると,主人公である白鳥の騎士ローエングリンの背後にある聖杯の世界に魅せられてしまい,やがて音楽が静まると,聖杯が地上に到着したかのような気持にさせられる。一度聞けば,長く印象に残る素晴らしい前奏曲である。


第一幕

第一幕の幕が開くと,第1場はアントヴェルペンに近いシェルデ川ほとりの緑野である。ドイツ国王ハインリヒは東方の敵に対して人々の決起を促すために,このブラバント公国を訪れたのであるが,ここではブラバント公が亡き後,内紛が持ち上がっていた。この国の実力者フリードリヒ・フォン・テルラムント伯爵が,国王の前に進み出て訴えるところによると,彼は亡くなる前のブラバント公よりエルザ姫とゴットフリート王子の保護を委ねられていたが,エルザ姫は弟を森の中で暗殺してしまったことから,恐ろしくなって姫との結婚の権利を放棄して,自分の心に気に入った,今自分のそばにいる妻オルトルートを娶ったという。そこで彼はエルザ姫を弟殺しの罪で訴えて,この国は当然自分のものだと主張するのである。エルザ姫が彼女の弟ゴットフリートを暗殺したという訴えを聞いた国王は,裁判を開くためにエルザ姫をこの場に呼び出させた。

この要請に応じてエルザ姫がゆっくりと,恥じらいつつ,現れ出てくるのが第2場の展開である。このエルザ姫が登場する際の静かな音楽も聞きどころの一つであろう。ドイツ国王はエルザ姫に訴えられている罪を認めるかと尋ねるが,彼女はただ「かわいそうな弟」と口にするだけで,緊張に満ちた沈黙のあと,自分の見た夢の話をする。「エルザの夢」と呼ばれているアリアで,「聖杯のモチーフ」とともに「白鳥の騎士ローエングリンのモチーフ」も織り込まれていて,このアリアも文句なしに聞きどころである。その「エルザの夢」によると,彼女は心地よい眠りに陥ったとき,輝かしい武具を身につけて,美徳にあふれた清らかな一人の騎士が空から自分に近づいてきたと言い,その騎士こそ自分のために戦ってくれる人だと言うのである。

そこでドイツ国王は神の裁判で決着をつけることを提案すると,テルラムント伯爵もエルザ姫もそれを承諾した。中世では裁きの決着がつかない場合,決闘によって裁きを決める「神明裁判」というものがあり,正義は神の加護を受けた勝者にあると考えられていた。エルザ姫はその夢に見た騎士を自分のために戦ってくれる人に選んだのである。国王がその騎士を呼び出すように命じると,伝令は4人のトランペット奏者にコールサインを吹かせて呼び出すが,騎士らしき者は誰も現れない。もう一度呼び出してほしいというエルザ姫の願いによって,伝令は国王の指示でもう一度同じことを繰り返す。そのときエルザ姫はひざまずいて熱心に祈りを捧げてから,夢の中の騎士に会いたいことを口にする。するとやがて奇蹟が起こって,「白鳥の騎士ローエングリンのモチーフ」が奏でられる中,一羽の白鳥が小舟を引いてやって来るのが見える。その小舟の中に一人の騎士が立っているのである。そこにいた一同は奇蹟が起ったことを叫び合う。

小舟が岸辺に着くと,第3場の展開となる。白鳥の騎士は白鳥に別れを告げると,ドイツ国王の前でひざまずいて,ひどい訴えを受けた乙女のためにここに遣わされたことを打ち明けるとともに,ブラバント公国のエルザ姫に向かっては「不安も恐怖もなく,私の保護にあなたの身を任せるか,・・・私があなたの夫になることをお望みか」と尋ねる。エルザ姫は騎士が勝利を収めた場合には,「今あなたの足もとにひれ伏しているように,身も心も差し上げる」ことを誓う。ただそのとき白鳥の騎士は,「禁問のモチーフ」が鳴り響く中で,「私がこのままずっとあなたの夫であり続けることを欲するならば,あなたは私がどこから来たのか,どういう名前で,どういう素姓なのか,尋ねてはいけない」と言い渡す。この「禁問のモチーフ」は以後,何度となく繰り返し奏でられて,たいへん効果的で,印象的なメロディである。このあたりも聞きどころの一つであろう。

エルザから「決して尋ねない」という言葉を受け取った白鳥の騎士は,ブラバントのエルザ姫が無罪であることを証明するために,テルラムント伯爵と決闘する準備を始める。この決闘が始まるまでの場面が,主要人物のアンサンブルと群衆の合唱なども加わって,かなり長く続いて,オペラの醍醐味を味わうことができる。文句なしの聞きどころである。

ドイツ国王が剣でもって楯を3回叩くと,決闘の火蓋が切って落とされる。ここでの剣の打ち合いの場面は見どころであり,また聞きどころでもあろう。激しい決闘の末,白鳥の騎士が勝利を収め,テルラムント伯爵が悔い改めるなら,命は助けてやろうと言い渡す。そこに居並ぶ群衆は,白鳥の騎士の勝利を褒め称え,エルザと白鳥の騎士は幸せに浸る一方,オルトルートは素姓の知れない白鳥の騎士に嫌疑を抱き,テルラムント伯爵は絶望に打ちひしがれる中,第一幕の幕が下りる。合唱が盛り上がって,オペラの醍醐味を満喫できるフィナーレで,もちろん聞きどころである。


第二幕

第二幕第1場の舞台はアントヴェルペンの城の前である。背景には本丸の騎士館,左側には婦人館,右側には大寺院がある。オルトルートとテルラムント伯爵は陰気なみすぼらしい姿で,大寺院の階段にすわっている。チェロの旋律で「オルトルートのモチーフ」が奏でられ,やがてそれに「禁問のモチーフ」が加わって,オルトルートの企みがほのめかされる。オルトルートは異教徒で,魔法使いでもあり,復讐心に燃えて,エルザ姫をそそのかして,白鳥の騎士に禁じられている問いをさせるようにするとともに,夫テルラムント伯爵をけしかけて白鳥の騎士を殺してしまおうと企んでいるのである。城の中からは楽しげな音楽が聞こえてくるのとは対照的に,城の外では陰気な雰囲気に包まれて,オルトルートとテルラムント伯爵の不気味な対話が長く続くが,最後に「禁問のモチーフ」が奏でられる中で二人が声を合わせて復讐を誓う場面は,やはり聞きどころであろう。

第2場の展開となって,婦人館のバルコニーの扉が開いて,エルザ姫が姿を現す。夢に見た騎士を運んでくれたそよ風に向かって,エルザが感謝の気持ちを歌うアリアも,清らかな風が吹き渡るようで,聞きどころであることは言うまでもない。バルコニーの上に立って幸せいっぱいの気持ちを歌うエルザ姫の明るい声と,その下の闇の中でオルトルートとテルラムント伯爵が呟く暗い声が対照的で,この場面は見どころでもあり,また聞きどころでもあろう。

やがて下の闇の中からオルトルートが上のバルコニーのエルザ姫に呼び掛けて,同情を求めると,エルザ姫はオルトルートを館の中に招き入れようとして,一旦バルコニーから婦人館の中に入って行く。その間にオルトルートが異教の神々に加護を呼び掛ける歌は,身の毛もよだつほど恐ろしくて,迫力がある。文句なしの聞きどころである。

しばらくするとエルザが二人の侍女を連れて,下の扉から舞台に姿を現す。エルザはいつも立派で華やかだったオルトルートがみすぼらしい姿になっているのに同情を示して,明日自分の夫となるやさしい騎士に恵みを示すよう,頼んでやることを約束するとともに,明日の朝,華麗な衣裳で着飾って一緒に教会に行くように,オルトルートを誘う。しかし,オルトルートは,「禁問のモチーフ」が奏でられる中,言葉巧みにエルザに向かって白鳥の騎士の素姓に関する疑念を流し込もうとする。それでもエルザはいかに騎士を愛していて,信じることによって与えられる幸せを説いて聞かせてから,それを教えてあげると言いながら,オルトルートを館の中に案内して入って行く。そのあとテルラムント伯爵が歌う歌も,「オルトルートのモチーフ」でもって聞きどころである。

やがて夜が明けて,第3場の展開となる。合唱の中で貴族と男たちが集まって来る。彼らに向かって伝令が,ドイツ国王の言葉として,テルラムント伯爵の追放を宣言し,異国から来た白鳥の騎士がブラバント公国の保護者となったことを伝える。そしてそのあと白鳥の騎士の言葉として,その騎士は今日エルザ姫と結婚式を挙げて,皆とともに婚礼を祝うが,しかし,明日は皆には武装して国王の軍隊に加わってほしいと望んでいることを伝える。そこで合唱が盛り上がって,士気が高められる。そこへ大胆不敵にもテルラムント伯爵が現れて,今まで自分の家来だった者たちにそっと語りかけて,復讐をけしかけようとするが,仲間たちはそれを引き止める。

そうしているところへ華やかな衣裳を着た婦人たちの長い行列がゆっくりと婦人館の戸口から舞台上に歩み出てきて,第4場の展開となる。エルザは婚礼の式を挙げるために礼拝堂に向かっているが,今や黒い衣裳で着飾ったオルトルートがエルザのそばに仕えている。この行列がゆっくりと進む間,合唱が盛り上がりを見せて,オペラの醍醐味を味わうことができる。その合唱が頂点に達したところで,突然,音楽も陰気を帯びて,オルトルートがエルザの前に立ち塞がる。彼女は召使いのようにエルザに仕えることにはもはや耐えられないのである。そしてしきりに白鳥の騎士の名前と素姓のことを問い詰め,質問するのを禁じたのにもわけがあることをほのめかす。エルザは狼狽しつつも,勇気を奮い起こして,騎士はとても純粋で,気高い人であることを主張する。そのように言い争っているところに「道を開けよ」の声が聞こえてきて,ドイツ国王や白鳥の騎士たちが登場して来る。

「白鳥の騎士ローエングリンのモチーフ」が奏でられて,一同が入って来て,ここから第5場の展開となる。エルザから事情を聞き知った白鳥の騎士は,オルトルートにエルザから離れるように言いつけるとともに,エルザをやさしく慰める。そこへテルラムント伯爵が現れ出て,一同の前で白鳥の騎士を魔法の罪で訴えて,名前と素姓を明らかにするようにと迫る。これに対して白鳥の騎士は「私が答えなければならないのは,ただ一人エルザだけだ」と答えて,テルラムント伯爵の詰問をはねつける。白鳥の騎士はエルザの方を見ると,彼女は不安に打ち震えていた。ここから合唱を加えた大がかりのアンサンブルとなり,舞台上の動きがぴたりと止まり,登場人物それぞれの思いが呟かれる。このあたりもオペラの醍醐味として聞きどころであろう。

ドイツ国王が白鳥の騎士に言葉をかけて,再び舞台は動き始める。その間,テルラムント伯爵はエルザに迫って,しきりに彼女を誘惑する。それを見て,白鳥の騎士はエルザをテルラムント伯爵から引き離して,彼女を伴って,礼拝堂への階段を上がって行く。盛大な合唱に続いてオルガンの響きが二人を祝福する。しかし,白鳥の騎士の腕にやさしく抱かれたエルザが,振り返ってみると,オルトルートは勝利を確信するかのように,片腕をエルザの方に向かって上げる。エルザはゾッとして顔を背ける。「禁問のモチーフ」が奏でられて,不吉な出来事がこれから始まることをほのめかしたところで,第二幕の幕が下りる。


第三幕

冒頭で婚礼の喜びに満ちあふれた壮麗な前奏曲が奏でられるが,この前奏曲はコンサートでも単独にしばしば演奏されるほど有名なものであり,文句なしに聞きどころである。

このあと第三幕の幕が開くと,第1場の舞台は婚礼の部屋であり,背景の中央には白鳥の騎士とエルザの寝室がある。行列になって新郎新婦が案内されている間に演奏されるのが,これまた有名な「結婚行進曲」である。賑やかで壮麗な前奏曲とは異なって,静かで厳粛なこの「婚礼の歌」も聞きどころであることは,言うまでもない。

行列の者たちが立ち去ると,第2場の展開となって,そこにいるのは白鳥の騎士とエルザだけである。二人は出会ってから初めて二人きりになることができたのである。白鳥の騎士は花嫁に向かって,幸せなのかと尋ねると,花嫁は幸せという言葉だけでは足りないほど,神様だけが授けてくれるような至福を感じていると答える。これを聞くと,白鳥の騎士も花嫁が自分に天国の至福を与えてくれることを願うとともに,二人が気高い愛で結ばれることを予感していたことを打ち明ける。エルザも夢の中で神の計らいですでに新郎に出会っていたことを明かすが,しかし,そのとき新郎の名前を知らないことが残念でならないと言って,名前を教えて欲しいと頼む。花嫁はそれを繰り返し頼むが,白鳥の騎士は必死になってそれを制止しようとする。その白鳥の騎士の言葉にエルザは余計に刺激を受け,彼がいつか自分から遠ざかって行くことを恐れ,しまいには白鳥が彼を呼びに来たという妄想にとらわれて,嘆き悲しむ。エルザはますます落ち着きを失っていって,ついに禁問の約束を破って,彼の名前と出身と素姓を尋ねてしまう。

彼女が質問したことを白鳥の騎士が嘆いたその瞬間,テルラムント伯爵と4人の仲間たちが剣を抜いて乱入して来る。寝椅子に寄せかけていた剣をエルザから受け取ると,白鳥の騎士はテルラムント伯爵を一撃で床に突き倒す。4人の仲間たちは剣を落として,白鳥の騎士の足もとにひざまずく。白鳥の騎士は自分たちの幸せがすべて終わったことを嘆き,テルラムント伯爵の遺体をドイツ国王のもとに運ぶようにと,その4人の仲間たちに指示する。そのあと白鳥の騎士は二人の婦人を呼んで,エルザをドイツ国王の前に連れて行くようにと頼む。妻が自分の素姓を知りたいと望んでいるので,自分はそこで妻に答えることにすると言うのである。

ここで一旦舞台は暗くなって,場面転換が行われる。そのとき軍楽隊を思わせるような行進曲が演奏されて,この行進曲も聞きどころである。

東方へ出陣する兵士たちが登場して来ると,第3場の展開となって,兵士たちはドイツ国王の万歳を唱える。ドイツ国王が兵士たちの士気を高めると,兵士たちもそれに応えて,ドイツ国のために剣を取ることを誓う。

ドイツ国王が部下たちに白鳥の騎士の居所を聞いているところへ,4人の男がテルラムント伯爵の遺体を担架に乗せて運んで来る。そのあとにエルザが大勢の婦人たちを従えて登場して来る。エルザがとても悲しげな顔をしているのを見て,ドイツ国王は近く別れるのが悲しいのかと思ったりするが,それにしてもエルザはドイツ国王の前で顔を上げることができず,様子が変である。

そこへ白鳥の騎士が姿を現して,自分は呼び集めた兵士たちを引き連れて戦いに出かけることができなくなったことを打ち明ける。戦友としてここにやって来たのではなく,訴える者として皆の者に聞いてほしいことがあると言うのである。彼はまずテルラムント伯爵の遺体を乗せた担架の覆いを取って,自分はこの男に昨夜襲われたが,彼を殺したのは正当かどうかと,正当に判決を願い出る。ドイツ国王と兵士たちは白鳥の騎士の正当性を認める。次に白鳥の騎士は妻が自分を裏切ったことを訴える。ドイツ国王と兵士たちはエルザがどうしてそのようなことをしたのか,彼女に尋ねるが,エルザは黙ったままである。そこで白鳥の騎士は,エルザが彼の名前と素姓を決して尋ねないと約束しておきながら,裏切り者の言葉に耳を傾けて,その誠実な誓いを破ってしまったことを打ち明ける。敵から強要されたときには,白鳥の騎士は答えることを拒むことはできるが,しかし,エルザだけは質問されたからには拒むことはできないと言って,自分の名前と素姓を明かすことになるのである。

そこでこれから彼によって歌われる「名乗りの歌」が,文句なしにこの歌劇の中でも特に注目すべき聞きどころであろう。「聖杯のモチーフ」が奏でられる中,ここからかなり遠い国にモンサルヴァートという城があり,そこには奇跡的な祝福の聖杯が保管されていることが語られ,自分はそこから遣わされて来た者で,自分の父パルツィファルは王冠を戴き,自分はその騎士で,ローエングリンという者であることを打ち明ける。この名前を名乗る瞬間は,いつ聞いても鳥肌が立つほどの感動を覚えずにはいられない。

この高貴な素姓が打ち明けられると,国王や男女一同は感嘆にあふれ,極度の感動を覚える。エルザはというと,彼女は大地が揺らぐのを感じて,今にも倒れそうになる。ローエングリンは彼女を両腕に抱きしめながらも,自分の秘密が明らかにされたからには,ここにとどまることはできないと言って,別れを告げる。エルザは哀れな自分を見捨てないでほしいとしきりに頼むが,ローエングリンは「これが罰で,これが償いなのだ」と言う。エルザは叫び声を上げて,地面に倒れてしまう。

そうしているうちに白鳥がやって来た。その白鳥に向かってローエングリンは,このような悲しい旅をさせたくはなかったことを語り,エルザについてもせめて1年でも彼女の幸せの証人としてそばにいたかったし,また1年経てば彼女の弟が聖杯の力で解放されて戻って来ることになっていたことを打ち明ける。そのあとローエングリンは角笛と剣と指輪をエルザに渡しながら,彼女の弟が戻ってきたら,これらの品物を渡してくれるようにと頼む。この角笛は危急のときに彼を助け,この剣は激しい戦いで彼に勝利をもたらし,指輪は私のことを思い出してくれようと言うのである。こうしてローエングリンが別れを告げると,エルザは彼にしがみついていたものの,ついに力が抜けて,婦人たちの腕の中に倒れ込んでしまう。ローエングリンは彼女を婦人たちに委ねると,すばやく騎士へ急いで行く。

そのときオルトルートが舞台に飛び出して来て,この白鳥がブラバント公国の後継者であり,自分の魔法をかけていたことを打ち明け,神々の恩寵に背を向けた一同に向けて,神々がどのように復讐するのか,知るがよいと叫ぶ。このオルトルートの叫びの歌にも鳥肌が立つほどの衝撃を覚えずにはいられない。

ローエングリンはオルトルートの言葉を聞くと,今やひざまずいて厳かに沈黙の祈りを捧げ続けると,聖杯の白い鳩が小舟の上に舞い降りて来る。彼はその鳩を見ると,白鳥の鎖を解いてやる。そのあとすぐに白鳥は潜ると,その代わりにエルザの弟ゴットフリートの姿が現れ出て来る。ローエングリンはその少年をブラバント公国の後継者だと告げると,鳩の引く小舟に乗って去って行く。オルトルートはゴットフリートの姿を見ると,叫び声を上げて倒れてしまう。ローエングリンの姿が遠ざかって行くと,エルザは叫び声を上げて,次第に気が遠くなって,弟ゴットフリートの腕に抱かれたまま,地面に倒れてしまう。ローエングリンがますます遠ざかって行くうちに,第三幕の幕が下りる。


このように歌劇『ローエングリン』では,ワーグナーのその後の作品においてのような救いはまったく見られない。そのことは,この歌劇がヨーロッパ激動の革命の年に完成しているということにも関係があるのかもしれない。ワーグナーは歌劇『ローエングリン』という作品を抱えてドレースデンの革命に加わったが,社会を変革しようという彼の夢は,ブラバント公国のエルザ姫の夢と同じように,奇蹟が起こって実現するかのように思われたが,しかし,現実にはもろくも打ち砕かれてしまうのである。ワーグナーの天才的な聖域の芸術もまったく同じで,結局,世俗的な人間社会には受け入れなかったのである。ローエングリンの運命はワーグナーの運命でもあったのであろう。歌劇『ローエングリン』にはこのように若きワーグナーの芸術活動の体験が投影されていると言ってもよいであろう。

それにしてもこの歌劇『ローエングリン』には「聖杯のモチーフ」や「白鳥の騎士ローエングリンのモチーフ」,そして「禁問のモチーフ」などが効果的に至るところにちりばめられており,のちのワーグナーの楽劇作品をほのめかしているとも言える。光と闇の対比も効果的であり,芸術的に完成度の作品と評してもよいであろう。バイエルン国王ルートヴィヒ2世やドイツの作家トーマス・マンなどもこの作品に魅せられていたことからも分かるように,本当に素晴らしい作品である。是非,この機会に若きワーグナーのロマン派オペラ『ローエングリン』を鑑賞していただきたい。作品のあちこちにちりばめられた名曲には感動せずにはいられないことは,確かである。


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