【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第97号
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○連載「知的感動ライブラリー」(70)

ワーグナーの歌劇『タンホイザー』
総合科学部教授 石川榮作

1.作品の素材と成立

ワーグナーの歌劇『タンホイザー』は正式な題名を『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』といい,この題名からも分かるように,2つの伝説から成り立っている。最初のタンホイザー伝説は13世紀ドイツに実在した詩人タンホイザーが愛の女神ヴェーヌスのもとに滞在したというもので,もう1つのヴァルトブルクの歌合戦の伝説は1207年にチューリンゲン地方の領主ヘルマンの城で行われた歌合戦において騎士詩人ハインリヒ・フォン・オフターディンゲンがほかの詩人たちと対立して殺されかけたが,領主夫人の情けによって一命を救われたというものである。ワーグナーはこの騎士詩人をタンホイザーと同一人物だと唱える学説を利用し,また領主夫人を別の伝説に由来する領主ヘルマンの姪エリーザベトに置き換えるなどして,自らの作品を作り上げ,それは1845年にザクセン宮廷歌劇場で初演された。しかし,この初演は大きな成功を収めることができずに,ワーグナーはあいまいな結末と思われた最終場面を1847年に書き換えた。これが現在上演されている具体的な結末を持つドレースデン版と呼ばれているものである。ただワーグナーはその後もこの作品に何度か手を加えて,いくつかの版が残っていることはよく知られていることである。以下では,ドレースデン版に従って,この作品のあらすじを辿りながら,見どころ・聞きどころなどを述べていくことにしよう。


2.歌劇『タンホイザー』のあらすじと見どころ・聞きどころ

序曲

ドレースデン版の序曲は3つの部分から成っている。最初は第一幕と第三幕の中に出てくる「巡礼の合唱」に基づいた主題が遠くの方から聞こえてきて,次第に近づいてくると力強く盛り上がって,またゆっくりと遠ざかっていく。中央部分は第一幕のヴェーヌスベルクの音楽と「ヴェーヌスの讃歌」に基づいて,ヴェーヌスベルクの洞窟での官能的な狂宴のさまが奏でられる。最後にはまた「巡礼の合唱」の主題が変化したかたちで展開され,官能の世界をくぐり抜けてきたのちの救済がイメージされる。まずは作品全体にとって重要な主題が盛り込まれたこの序曲が聞きどころであろう。


第一幕

比較的長い序曲が終わって,幕が開くと,第一幕第1場はヴェーヌスベルクの洞窟の中であり,バッコスの巫女(みこ)たちによって官能的な愛欲に満ちたバレエが繰り広げられる。このバレエもまた見どころである。

第2場に入って,主人公のタンホイザーは愛の女神ヴェーヌスのそばに横たわっているが,もはやこの愛欲の世界に耐え切れなくなっている。彼はチューリンゲンのヘルマン方伯のヴァルトブルク城でほかのミンネゼンガーたちのあまりにも優美な歌に飽き飽きとして,そこを抜け出してこのヴェーヌスベルクの洞窟にやって来たのであるが,しかし,ここの官能的な愛の世界にもうんざりし始めて,そこを立ち去りたいと考え始めたのである。自分の愛の力に自信のあるヴェーヌスは,タンホイザーに竪琴を手に取って,愛を讃えるように促す。タンホイザーはここで「ヴェーヌスの讃歌」を三度歌うことになるが,回を重ねるごとにだんだんと彼の焦燥が募っていることがよく分かる。この三度にわたる「ヴェーヌスの讃歌」も聞きどころである。ここを逃げ出そうとするタンホイザーにヴェーヌスは怒りをあらわにして,二人の間には激しい言い争いの二重唱が展開されるが,タンホイザーは最後に「自分の救いは聖母マリアのうちにある」と叫んだ瞬間,次の場面に移る。

第3場は愛欲に満ちたヴェーヌスベルクから瞬時に一転して,青空のもとで,明るい太陽の光が射している5月の美しい谷間である。この瞬時に行われる場面転換も『タンホイザー』第一幕の見どころであることは言うまでもない。タンホイザーとヴェーヌスの荒々しいやりとりのあとだけに,この直後に牧童が,シャルマイを吹き鳴らしながら,歌う素朴な歌は特に印象的である。やがて遠くのヴァルトブルクの方角から山道を辿って近づいてくる巡礼者たちの合唱が聞こえてくる。気がついたら,この場所に舞い戻っているタンホイザーは,偉大な神の慈悲の奇蹟に感動する。

巡礼者たちが通り過ぎると, 第4場となって,やがてそこにヘルマン方伯をはじめ,ヴォルフラムやヴァルターらのミンネゼンガーたちが通りかかり,地面に深く頭を垂れて祈っているタンホイザーを見つける。「これほど長い間,どこにいたのか」と尋ねるヘルマン方伯に対して,タンホイザーは「遠い,遠い彼方をさすらっていた」と答えて,先へ行かせてほしいと頼む。ミンネゼンガーの仲間たちがしきりに引き留めようとするものの,タンホイザーは先へ行こうとするので,ヴォルフラムは声を張り上げて,「エリーザベトのもとにとどまれ」と叫ぶ。このエリーザベトの名前にタンホイザーは激しく心を動かされ,喜びの表情を見せて,金縛りにあったように立ち尽くしてしまう。彼の記憶の中にエリーザベトの姿が蘇ってきたのである。その場でヴォルフラムが語っているように,タンホイザーは大胆な歌でほかのミンネゼンガーたちと言い争って,勝ったときも,また負けたときもあったが,タンホイザーだけが勝ち得た賞があった。それはタンホイザーの歓喜と苦悩に満ちた歌がヘルマン方伯の姪エリーザベトの心を捉えてしまったことである。そしてエリーザベト姫はタンホイザーがこの地を去ってからというもの,ほかのミンネゼンガーたちの歌には心を閉ざして,ミンネゼンガーたちの集まりを避けるようになったという。だからヴォルフラムは「大胆な歌人のタンホイザーに戻って来てもらって,歌合戦の席に姫がこれ以上欠けることがないよう,姫という星がまた再び輝くようにしてほしい」と強く願う。またほかのミンネゼンガーたちもタンホイザーに戻って来るようにと頼む。「仲直りしよう」という仲間たちの言葉に心を動かされて,タンホイザーは「彼女のもとに!彼女のもとに!さあ,私を彼女のもとに連れて行っておくれ!」と叫んで,しばらく「遠ざかっていた美しい世界」に戻る決意をしたのである。この第一幕のフィナーレもオペラとしての魅力に満ちあふれていて,たいへん素晴らしく,聞きどころであることは言うまでもない。


第二幕

第1場はヴァルトブルクの歌人たちの広間である。冒頭の躍動的なリズムと喜びに満ちあふれたメロディは,タンホイザーと再会できることを喜ぶエリーザベトの心のうちを表現している。やがてそのエリーザベトが久し振りに「歌の殿堂」に姿を現して,愛しい人に会える喜びを身体全体で表しながら歌う「殿堂のアリア」は,もちろん冒頭の前奏とともに第二幕最初の聞きどころである。

そこへタンホイザーがヴォルフラムに伴われて登場し,第2場の展開となる。ヴォルフラムは背景にとどまったままで,タンホイザーが一人でエリーザベトに近づいて,彼女の足元に身を投げる。第一幕のヘルマン方伯と同じように,ここでもエリーザベトが「これほど長い間,どこにいたの」と聞くと,タンホイザーはおもむろに立ち上がりながら,「ここから遠く,遠く離れた国にいた」と第一幕の場合と同様の答え方をする。「何があなたをここに連れ戻したのですか」というエリーザベトの質問に,タンホイザーが「それは奇蹟,理解しがたいほど気高い奇蹟だ」と答えると,エリーザベトは「その奇蹟を心の底から褒め称えましょう」と言って,過去において自分には「ほかのミンネゼンガーたちの歌は何か優美な遊びのように思われたが,ハインリヒ(タンホイザーのこと)の詩と歌だけは自分に新しい命を呼び覚ました」ということを打ち明ける。「なのに,あなたはここを立ち去ってしまった。なんという仕打ちを私に与えたのですか」と彼を問い詰める。これに対してタンホイザーは情熱的に「今こそあなたは愛の神を讃えるべきです。あの神が僕の心の弦をかき鳴らして,その調べにのって神があなたに語りかけ,僕をあなたのもとに導いたのです」と答えて,この「美しい奇蹟」を自分のものだと褒め称えると,エリーザベトも「この喜び」を自分のものだと名付ける。二人がこうして再び愛の女神で結ばれるさまを背景で眺めていたヴォルフラムは,自分がエリーザベトに寄せる愛の希望の光が逃げていくのに複雑な心境を隠しきれない。タンホイザーはひとまずエリーザベトのもとを離れて,そのヴォルフラムの方へ行き,一緒にその場を退いて行く。

そのあと第3場となって,一人で残ったエリーザベトのもとにヘルマン方伯が現れ,姪がこの歌人たち広間に戻って来てくれたことを喜び,「これから優雅な芸術が実現する」ことを宣言するとともに,この国の貴族たちが集まって来ることを知らせる。

いよいよ第二幕クライマックスの第4場である。ヘルマン方伯とエリーザベトが待つ広間に続々と人々が集まって来る。客人たちがヴァルトブルクに入場してくるこの場面の行進曲の音楽も,オペラの魅力にあふれていて,華々しくて素晴らしく聞きどころである。客人たちやミンネゼンガーが全員入場したところで,ヘルマン方伯が歌合戦の開会を宣言して,歌合戦に参加する歌人たちに今回の課題として「愛の本質とは何か」というテーマを与える。その問いを解き,最高の品位をこめて歌った者にはエリーザベトから賞が与えられることも伝えられる。ミンネゼンガーたちが順番を決める籤(くじ)を引いて,いよいよ歌合戦となる。

まずヴォルフラムが「優しく徳高き貴婦人方」を見ると,「その優美な輝き」に陶然(とうぜん)となり,「まばゆい空にかかる一つの星」を仰ぎ見ると,自分の魂は「敬虔な祈り」に沈むことを歌い,そのとき姿を現す「奇蹟の泉」には「邪(よこしま)な心」で触れて「濁(にご)らせたくない」と思うところに「愛の本質」があるという。これは当時の中世において騎士が身分の高い貴婦人に節度と変わらぬ誠実をもって愛を捧げる伝統的な「高きミンネ(愛)」というものである。「節度」と「誠実」が求められ,当時の騎士の教養とされたものである。「奇蹟の泉」を邪悪な心で汚したくないと主張するこのヴォルフラムの観念的な「高きミンネ」に対して,タンホイザーは「熱い渇望を感じないでその泉には近づくことはできない」と歌い,「その泉に触れて生気を吸い取る」ところにこそ「愛の本質」があると反論する。実在のタンホイザーも斬新な作品を書くところに特徴があり,伝統的な「高きミンネ」に対しても反対の立場を取っていたと考えられるが,ワーグナーはそれを利用して,自分の作品の中でもタンホイザーは観念的な「高きミンネ」では「愛の本質」を言い表していないという立場を取っている。このタンホイザーの「官能的な愛」に対してヴァルターは「その泉から生気を得たいなら,口ではなく,心を豊かにすべきだ」と言い返し,それに同調したビテロルフが剣を抜くなどして,タンホイザーとの対立は今また激化する。その論争の中でタンホイザーは自らの意見を強調するために,「ヴェーヌスの讃歌」を歌い,自分がヴェーヌスベルクにいたことを打ち明ける。これを聞いた一同は,誰もが憤激と驚愕を露わにして,タンホイザーを責め立てる。呪わしいこの男は追放の処分にすべきだと言いながら,一同は剣をひらめかせて,反抗的な態度を取るタンホイザーに迫るのである。

このとき一人だけタンホイザーを擁護したのが,清純な乙女エリーザベトである。彼女はタンホイザーを身体でかばいつつ,彼から永遠の救いを奪い取らないでほしいと訴える。「この不幸な男は恐ろしい魔力の虜(とりこ)となっているが,償いと懺悔(ざんげ)によって救いの道もあるのではないか」と言うのである。「悔い改めた心で償いの道を歩かせてあげてほしい」という,この天使のような捨て身のエリーザベトの懇願を受け入れるかたちで,タンホイザーを追放の身として,巡礼の旅に加わるようにと命ずる。反抗的な態度を取っていたタンホイザーも,今や自らの罪を認め,ローマに旅立つことを決意する。タンホイザーが「ローマへ!ローマへ!」と叫んだところで,第二幕の幕が下りる。この第二幕のフィナーレも文句なしに聞きどころであろう。


第三幕

タンホイザーの巡礼をイメージする前奏が終わって,第三幕の幕が上がると,第1場は第一幕第3場および第4場と同じ場所であるが,季節は秋の色合いが強く,しかも夕暮れの気配が漂っている。エリーザベトは小高い場所に祀(まつ)られている聖母マリア像の前で身を投げ出して祈っている。静かな音楽が奏でられて,とても印象的な場面である。そこにヴォルフラムが現れて,一心不乱に祈るエリーザベトの姿に「永遠の力の備わる聖なる愛」を讃えながら,天の聖者たちに彼女の願いを叶えてやってほしいと歌い上げる。そうしているうちに遠くから「巡礼の合唱」が聞こえてきて,やがてローマに出かけていた巡礼者たちがそこを通りかかる。エリーザベトはその巡礼者たちの中に割って入り,必死に探すが,タンホイザーの姿は見当たらなかった。巡礼者たちがだんだんと遠ざかって行くと,エリーザベトは厳かにひざまずいて聖母マリアにこの地上から自らを天に召してほしいと祈る。彼女は今や死を決意したのである。ヴォルフラムが語りかけようとするが,身振りでそれを拒絶する。彼女はヴォルフラムの誠実な愛には心から感謝しているものの,自分が進むべき道は天上に通じており,そこで自分に課せられた神聖な務めを果たさなければならないということを身振りで示すのである。

エリーザベトが遠ざかって行くと,第2場となって,一人ヴォルフラムはその場で自らの心情をこめて,竪琴を奏でながら,「夕星の歌」を歌う。この歌の中にはもちろんエリーザベトへの「変わらぬ愛」が込められており,しかもその愛は節度を保ち,誠実で秘められたものであり,伝統的な「高きミンネ」そのものである。自分の愛は報いられることはないけれども,必死に愛するエリーザベトの至福を祈るヴォルフラムの「夕星の歌」には,いつ聞いても感動せずにはいられない。『タンホイザー』で最も注目すべき歌の一つであることは間違いあるまい。

ヴォルフラムが瞳を天に向けたままその場にとどまり,やがてホルンによる不気味な「呪いの動機」が鳴り響く中で,タンホイザーが姿を現すと,いよいよ第3場である。タンホイザーはローマで罪を赦(ゆる)されるどころか,ローマ法王より永劫(えいごう)の罰を言い渡されて,戻って来たのである。そこで彼はヴォルフラムに向かって巡礼の旅の顛末(てんまつ)を「ローマ語り」の中で歌う。この「ローマ語り」は実在の詩人タンホイザーが十字軍遠征で受けた苦しみのヴァリエーションであるとも解することができる。その実在の詩人タンホイザーの歌の中には,十字軍の遠征の旅で自分はどこにも長くとどまることはできない「苦しみ多き男」と嘆いている詩があり,その中でこのような苦しみもこれまで犯してきた罪の償いと捉えて,神に救いを求めているものの,十字軍遠征に対しては懐疑的な姿勢が読み取られる。ワーグナー『タンホイザー』においても主人公タンホイザーはチューリンゲンの世界にもヴェーヌスベルクの世界にもとどまることのできない「悩める男」であり,犯した罪はローマでも赦されなかったのである。「ローマ語り」の中で語られているところによると,ローマ法王の杖に緑の芽が生え出てこない限り,救いはないというのである。「悔恨の動機」と「恩寵の動機」そして「呪いの動機」が混ざり合ったこの「ローマ語り」も聞きどころである。「ローマ語り」を歌い終えたところで,タンホイザーは自暴自棄になって,「愛の魔法の国」にいるヴェーヌスのもとに帰ろうとすると,突然ヴェーヌスが現れて,彼を誘惑しようとする。そのときヴォルフラムがエリーザベトの名前を口にすると,タンホイザーは我に返って,彼女の姿が彼の記憶の中に鮮明に蘇ってくる。真の救済者はエリーザベトなのだと認識する。すると舞台の奥の方からエリーザベトの昇天を告げる合唱が聞こえてきて,ヴォルフラムの「ハインリヒよ,君は救われたのだ」という叫びとともに,ヴェーヌスは嘆きながら地下に消え去って行く。やがて巡礼者たちを先頭に,そのあとにミンネゼンガーたちがエリーザベトの亡骸を運んで来る。ヘルマン方伯と貴族たちがあとに続いて来る。合唱が奇蹟の起きたことを伝えながら,次第に盛り上がっているところへ,背後から緑色に芽吹いた法王の杖が持ち運ばれる。タンホイザーは奇蹟が起こってやっと救われたのである。タンホイザーはエリーザベトの亡骸の上にかぶさったままの姿勢でその杖に手を伸ばしたところで,ついに息を引き取ってしまう。彼にも救いが与えられて,昇天した瞬間である。このときの若い巡礼者たちによる壮大な合唱には,鳥肌の立つ感動を覚えずにはいられない。文句なしに最大の聞きどころのフィナーレである。


以上のようにワーグナーの『タンホイザー』は,ヴァルトブルクにもヴェーヌスベルクにも長いこととどまることのできない「悩み多き男」の物語であり,その男の犯した罪はローマでも赦されることはなく,救いはないかに見えたが,聖母マリアにも等しい純真な乙女エリーザベトの犠牲的な愛によってついに救われるという物語である。このテーマは前作の『さまよえるオランダ人』に通じるところがあり,このような聖なるエリーザベト像こそ,若きワーグナー自らが追い求めた理想の女性像であったのであろう。この作品『タンホイザー』は1843年初演の前作『さまよえるオランダ人』と,このあとの1850年に初演された『ローエングリン』とともに,特にワーグナー自身によって「ロマン派オペラ」とも呼ばれているものである。ワーグナーの初期作品としていずれにおいても奇蹟が起こって,ロマンチックな内容の物語が展開されて,音楽も若々しくて,さまざまな点で魅力に満ちあふれた作品であると評することができよう。是非,この機会に『タンホイザー』を鑑賞していただきたいと思っている。壮大な合唱に魅了されることは間違いないであろう。


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