【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第94号
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○連載「知的感動ライブラリー」(67)『蝶々夫人』

プッチーニの歌劇『蝶々夫人』
総合科学部教授 石川 榮作

1.プッチーニの歌劇『蝶々夫人』の成立過程

1900年にローマのコスタンツィ劇場で初演されたプッチーニの歌劇『トスカ』は,大成功を収めて,同年ロンドンのコヴェント・ガーデン王立歌劇場でも上演されることになった。その歌劇の公演にプッチーニも立ち会うことになり,彼はロンドンに赴くが,そのときデーヴィッド・ベラスコの戯曲『蝶々夫人』を観劇する機会に恵まれた。この戯曲――フランスのピエール・ロティの作品『お菊さん』から大きな影響を与えられたというアメリカのジョン・ルーサー・ロングの小説『蝶々夫人』をその原作とするものである――はニューヨークで初演されてから一か月後にロンドンでも上演されたものであるが,それを観たプッチーニは,健気で可憐な日本人女性(蝶々夫人)の人間像に深い感動を覚えて,さっそくベラスコにオペラ化の許可を申し入れた。

プッチーニはイタリアに帰国すると,これまでの作品と同じように,ルイージ・イッリカとジュゼッペ・ジャコーザに台本作成を依頼するとともに,当時イタリア駐在公使の大山久子夫人からも日本の風俗・習慣や音楽などについていろいろと教えてもらったようである。この作品の至るところに織り込まれている日本のメロディは,その大山夫人から借り受けたレコードや楽譜のおかげによるものである。そうしているうちにベラスコからオペラ化の正式な許可をもらったプッチーニは,本格的に作曲に取り掛かって,1902年の年末に完成させ,それは二年後の1904年2月にイタリアのミラノ・スカラ座で初演されたものである。この初演は大失敗に終わったと言われているが,当時のイタリアの聴衆にとっては日本の風俗習慣に違和感を感じたということも原因の一つであったのかもしれない。しかし,プッチーニが,その後,何度も手直しているうちに,改訂版とともに初演版の評価もだんだんと高まっていき,現在ではプッチーニの代表的な作品の一つとなっていることは,周知のとおりである。以下においては,『蝶々夫人』のあらすじを辿りながら,その歌劇の見どころ・聴きどころなど紹介することにしょう。


2.プッチーニの歌劇『蝶々夫人』の見どころ・聴きどころ

第一幕

「日本」をイメージしているという独特な短い旋律の前奏曲のあとで幕が開くと,第一幕の舞台は,明治時代初期の日本・長崎で,港の風景を一望のもとに見下ろす丘の上にある家の庭園である。結婚斡旋人ゴローの案内でアメリカ海軍士官ピンカートンは,これから蝶々さんと結婚式を挙げるにあたって,一緒に暮らす住居を下見しているところである。斡旋人ゴローは彼のご機嫌をとりながら,花嫁お気に入りの女中スズキと下男と板前を紹介する。

そこへ長崎駐在のアメリカ領事シャープレスが,坂道を登るのに汗だくとなって現れる。ピンカートンは景色のよいことを褒め称える領事に向かって,この住居は999年間という半永久的な期間の契約で借り受けたものだが,契約はいつでも好きなように変更できるのだと説明してから,アメリカ国歌「星条旗よ永遠なれ」の旋律が流れたあと,「ヤンキー(アメリカ人)は世界中どこでも錨を降ろして快楽にふける」のアリアを歌い始める。ここでピンカートンが今回花嫁を娶るのも,仮そめのことで,いつでも結婚を解約できると考えていることが明らかにされている。この軽薄なピンカートンとは対照的に,領事シャープレスは人情味あふれる好人物で,「あの花嫁のか弱い羽をむしりとるのは大変な罪作りですぞ」と彼をたしなめるほどである。この場面で二人の性格が対照的であることがはっきりと打ち出されている。

やがて遠くから女声合唱「ああ,美しい大空,美しい海原」が聞こえてきて,合唱がだんだんと大きくなると,友人たちとともに日傘をさして蝶々さんが「私は世界中で一番幸せな娘」と歌いながら舞台に現れて,ピンカートンに挨拶する。領事シャープレスが「お生まれは長崎ですか」と尋ねると,蝶々さんは芸者のテーマとも言うべき『越後獅子』や『さくらさくら』の日本の旋律にのって,自らの生い立ちを語り始める。それによると,彼女の家はかなり栄えた家であったが,どんな樫の木も大風にあえば倒れるように,いつしか没落してしまって,食べるために自分は芸者になったのだという。そして年は15歳という。この場面では「貧困のテーマ」に合わせて彼女の年齢や家族のことが語られ,また「武士の父は死にました」という台詞のところでは「自殺のテーマ」が奏でられており,ここですでに蝶々さんの悲惨な運命もほのめかされていると言えよう。

そうしているところへ日本国歌『君が代』のメロディが奏でられる中,役人や神官などが登場し,続いて「親戚のテーマ」にのって親戚の人たちもやって来る。親戚の人たちは蝶々さんの合図で,ピンカートンと領事シャープレスにお辞儀をする。この場面で蝶々さんはピンカートンに自分の国のいろいろなものを見せたあと,昨日は一人で教会へ行って,自分はキリスト教に改宗したことを告白する。

このあと日本で有名な『お江戸日本橋』のメロディが流れると,いよいよ結婚式が執り行われる。この結婚式の場面もプッチーニがどのように描いているか,興味深いところであり,見どころ・聴きどころの一つである。神官が結婚の誓紙を読み上げて,ピンカートンと蝶々さんがめでたく夫婦の契りを結んだことを認め,新郎新婦にサインを求める。二人が署名したあと,役人が書類を一通り確かめると,結婚の儀式は無事終了した。領事シャープレスは神官や役人とともにその場を立ち去って行く。

ピンカートンはあとに残った者たちと祝杯を上げたところで,丘の彼方から恐ろしい声が聞こえてくる。蝶々さんの叔父にあたるボンゾの怒りの声である。僧侶でもある叔父ボンゾは蝶々さんが教会へ行ったことによって,ご先祖さまをないがしろにしたことにひどい怒りを覚えているのである。それを聞いた親戚の者たちも,蝶々さんに対して「お前とは絶縁だ」と叫びながら,そこをあとにして行ってしまった。

叔父ボンゾと親戚の者たちの罵る声が次第に遠ざかっていくと,蝶々さんは涙に暮れて,泣き崩れてしまう。ピンカートンが慰めると,蝶々さんは可愛く微笑んで,「もう泣きませんわ。勘当されたって,悲しくはありませんわ。あなたのやさしいお言葉が私の心に響くのですもの」と気を取り直す。夕闇が次第にあたりに立ち込めると,ピンカートンは蝶々さんの手を取って,「夕闇が訪れてきた」と歌い出す。蝶々さんは女中スズキに手伝ってもらって,婚礼衣裳から夜着に着替える。純白の衣裳に着替えた蝶々さんが再び目の前に現れると,ピンカートンは彼女をやさしく見つめて,「愛らしい目をした魅力的な乙女よ,今こそあなたは私のものだよ」と歌い始めると,蝶々夫人もそれに合わせて,「かわいがってくださいね」と歌い始める。この場面の「愛の二重唱」が第一幕の最大の見どころ・聴きどころであろう。しかし,その中にときどき「自殺のテーマ」や「呪いのテーマ」が鳴り響いて,蝶々夫人は不安な気持ちにもなる。「海の向こうの国では,蝶は人の手に捕らえられると,ピンで刺されて箱に入れられるのですね」と怖がるのである。これに対してピンカートンは「二度と逃さないためさ」と言いながら,彼女を情熱的に抱きしめて,「お前を捕まえたのだ。もう閉じ込めてしまうよ。お前はわたしのものだ」と答える。この言葉に蝶々夫人も彼の腕に身をまかせ,「一生,私はあなたのものね」と答える。このあと「愛の二重唱」は感動的な盛り上がりを見せて,第一幕の幕は下りる。


第二幕

東洋風のどこか寂しげな短い前奏曲が奏でられて第二幕の幕が上がる。舞台は蝶々夫人の家である。女中のスズキは仏壇の前にすわって祈っている。蝶々夫人は屏風のところに立ってじっと動かないでいる。彼女がピンカートンと結婚してから,三年の歳月が経っている。夫ピンカートンはアメリカに帰国している。蝶々夫人と女中スズキの会話から,二人にはもはやわずかのお金しか残っておらず,侘しい生活を続けていることが窺える。それでも蝶々夫人はピンカートンが帰国するとき,「駒鳥が巣を作る晴れやかな季節になったら戻って来る」(この場面での木管による鳥のさえずりにも注目されたい)と言った言葉を信じて,ずっと夫の帰りを待ち続けている。そこで歌われるのが,この歌劇の中でも最も有名なアリア「ある晴れた日に」である。ピンカートンが戻って来ることを信じて,じっと待ち続ける蝶々夫人の一途な性格が表現されているすばらしいアリアである。この歌劇の中で最も注目すべき聴きどころであることは,言うまでもない。しかし,そのアリアの最後ではのちの悲しい悲劇がほのめかされる。それだけにいっそう観客には心を動かされる場面である。

そこへ結婚斡旋人ゴローに伴われてアメリカ領事シャープレスが訪問して来る。蝶々夫人は喜んで領事シャープレスを歓迎する。彼はピンカートンからの手紙を預かってきたようであるが,その手紙の内容も知らずに蝶々夫人はそれをうれしがるばかりである。それどころか「私は日本で一番幸せな女よ」と喜び飛び上がるほどである。そして彼女は,『お江戸日本橋』の旋律などが流れる中,「アメリカでは駒鳥はいつ巣を作るのか」と無邪気に彼に尋ねる。領事シャープレスは当惑して,それに答えられないで,話題を戻そうとする。それを遮って,蝶々夫人は「ピンカートンがアメリカに帰ってしまうと,斡旋人ゴローが金持ちのヤマドリさんと結婚するように」と口説いた話を持ち出す。

するとその瞬間,ユーモアにあふれた『宮さん宮さん』のメロディにのってそのヤマドリ公爵が供の者を従えて登場する。ヤマドリ公爵はこれまでたくさんの妻を持ったが,今はもう離婚して自由の身なので,蝶々夫人を妻にしたいと求婚するのである。しかし,ピンカートンとの結婚がまだ続いていることを信じて疑わない蝶々夫人は,それをきっぱりと断る。ヤマドリ公爵は領事シャープレスに挨拶して供の者を従えて帰って行く。斡旋人ゴローもそれに伴ってその場を立ち去る。

アメリカ領事シャープレスは蝶々夫人とやっとのことで二人きりになったので,ピンカートンの手紙を取り出して,彼女を前にしてそれを読み始める。「手紙の二重唱」と呼ばれている場面である。しかし,領事シャープレスは手紙の最後の部分をどうしても伝えることはできずに,「もし彼が戻って来なかったら,どうしますか」と尋ねる。蝶々夫人はひどい衝撃を受けて,身動きせずに,「私にできる道は二つだけ。芸者に戻るか,いっそのこと死ぬかのどちらか」と答える。ここで「死のテーマ」が奏でられて,これからの悲劇がほのめかされる。この蝶々夫人の決意に領事シャープレスは落ち着きを失ってしまい,父親のようにやさしく彼女の手を取って,「偽りの夢から目覚めるためには,金持ちのヤマドリさんの申し出をお受けになってはいかがですか」と言ってしまう。蝶々夫人は最もよい相談相手となってくれていた領事シャープレスにこのようなことを言われて,失望してしまい,部屋の中へ急いで,そこから幼い子供を抱いて出て来て,「あの人はこの子供のことを忘れることができるでしょうか」と問い掛ける。この子供を連れて来る場面では,『かっぽれ』や『豊年節』などの日本のメロディが奏でられて効果的である。蝶々夫人はここでアリア「坊やのお母さんは」を歌うが,「芸者に戻るくらいなら,いっそ死ぬことにしょう」と泣き叫ぶ場面では,「死のテーマ」が鳴り響く。しかし,領事シャープレスから子供の名前を尋ねられて,「今の名前は「悲しみ」ですが,父親が戻れば「喜び」という名前になる」と歌う場面では,再び希望に満ちあふれて,「ある晴れた日に」のメロディが奏でられる。領事シャープレスはその場をあとにして行く。

そのあと女中のスズキが逃げようとする斡旋人ゴローをひきずって戻って来る。スズキはゴローが「あちこちでこの子供の父親が誰だか分らないなどと言いふらしている」と言うのである。これを聞くと,蝶々夫人は父親が切腹するときに使った短刀を取り出して,ゴローに斬りかかる。ゴローは悲鳴を上げながら逃げ回る。スズキが間に入って蝶々夫人に止めるよう説得すると,子供を抱いて部屋に入って行く。蝶々夫人は不機嫌にゴローを足で蹴飛ばすと,ゴローは逃げ去って行く。このあたりの音楽はたいへんおもしろくて興味深いものである。蝶々夫人は短刀を鞘に収めながら,子供のことに心を寄せて,「お前には母の悲しみも苦しみも分かるわね」と歌いながら,この子供の父親が今すぐにもここにやって来ることを相変わらず信じている。

そのとき港の方で大砲の音がして,女中のスズキが息をはずませて,港に軍艦が入って来たことを知らせる。蝶々夫人は望遠鏡を使ってアメリカの軍艦であることを確認すると,有頂天になってしまう。この場面では「ある晴れた日に」や「アメリカ国歌」や「愛のテーマ」が奏でられて,それらのメロディによって喜びにあふれた蝶々夫人の心境が表現される。蝶々夫人は「私の愛の勝利よ」と喜びながら,女中スズキに呼び掛けて,庭の花をすべて摘み取って,部屋中に花びらを撒き散らすようにと言い付ける。「花の二重唱」と呼ばれる名場面である。プッチーニらしい甘い旋律でもってうっとりとさせられてしまう。

やがて夕暮れ時から夜へと時は移って,女中スズキと子供は寝てしまい,蝶々夫人だけが障子の前に立ったままである。その蝶々夫人の姿が月の光に照らされて,シルエットで浮かび上がってくる。とても印象的な第二幕の最終場面である。このシルエットが浮かび上がってくる場面は,この歌劇の最も注目すべき見どころであろう。その場面の音楽も静かに流れて,プッチーニの本領が発揮されていて,すばらしいの一言に尽きる名場面である。


第三幕

舞台は第二幕と同じで,蝶々夫人は障子の前に立ち尽くしたまま,外の港を見続けて,とうとう夜を明かしてしまったようである。『越後獅子』の悲しげなメロディで間奏曲が始まり,これまで奏でられたさまざまなテーマの音楽が組み合わされて,蝶々夫人は心の中でこれまでのことを回想していることが分かる。やがて鳥がさえずり始めて,遠くから船乗りの掛け声が聞こえてきて,夜もすっかりと明けたようである。そこへ女中スズキが目を覚まして,蝶々夫人に寝るようにと勧める。彼女はそばで寝ている子供を抱いて,『豊年節』のメロディにのって子守歌を歌いながら,隣の部屋に入って行く。

女中スズキが一人になったところへ,ピンカートンと領事シャープレスが入って来る。女中スズキは蝶々夫人が三年間,港に入ってくる船を見続けて,夫の帰りを待っていたことをピンカートンに知らせる。庭先の物音を聞きつけて,庭先をよく見てみると,ピンカートンの妻ケイトも来ているようである。彼らは子供を引き渡してくれるように,蝶々夫人を説得してほしいと女中スズキに頼みに来たのである。この場面でのピンカートンと領事シャープレスと女中スズキの三人による三重唱「慰めようもないことは私にもよく分かる」は,三人のそれぞれの気持ちが交錯していて,聴きどころである。さすがのピンカートンも後悔の念を隠しきれずに,アリア「さらば愛の家よ」を歌うが,この彼唯一のアリアもまた聴きどころであろう。プッチーニならではの旋律で,たいへん印象的である。このアリアを歌い終わると,ピンカートンは逃げるように舞台を去って行く。ピンカートン夫人ケイトは女中スズキに蝶々夫人へのとりなしを依頼すると,彼女はそれを承知する。

誰かがやって来たことを感じ取った蝶々夫人は,大声で女中スズキの名前を呼びながら,部屋から出て来る。彼女は興奮したように夫ピンカートンの姿を探すが,見つからない。そこにいたのは,領事シャープレスである。あちこち探しているうちに,ピンカートン夫人ケイトを見つける。その女性が誰なのか,尋ねるが,女中スズキは答えてくれない。蝶々夫人は夫ピンカートンが昨日長崎に着いたことを聞き知ると,ここに来ている女性が恐ろしくなる。そのとき領事シャープレスが「あなたの悩みの原因となっている方です」と口にしたので,その女性がピンカートンの奥さんであることを悟る。蝶々夫人はその女性が自分から子供を取り上げようとしていることを察して,失望するが,「坊やの幸福のために犠牲にしなさい」との領事シャープレスの言葉で思い直して,重々しい気持ちながらも,子供を引き渡すことを承知する。「あの方の子供だから,あの方にお渡しするのです」と答えるのである。そして「半時間後に丘を上がってここに来るようにあの人に伝えてください」と言うところからすると,そのときすでに蝶々夫人は自決を決意していたのであろう。女中スズキはケイト夫人と領事シャープレスを見送ってから,蝶々夫人のもとに戻るが,捕えられたハエが羽をバタバタさせているように,蝶々夫人の小さな心臓が波打っているのを認める。蝶々夫人はなんとか元気を取り戻して,女中スズキに窓を閉めるように指図する。部屋は薄暗くなる。蝶々夫人は女中スズキに子供と一緒に遊んでやるように命令すると,スズキは泣きながら出て行く。

蝶々夫人は仏壇の近くに置いてあった箱から短刀を取り出して,そこに刻み込まれていた言葉を読む。「名誉を守ることができなければ,名誉のために死ね」と口ずさむ。そうして刃を喉にあてる。その瞬間,戸が開いて,女中スズキが子供を母親の方に押しやる。蝶々夫人は子供をしっかりと抱いて,アリア「お前,いとしい坊や」を歌う。言うまでもなく,この歌劇のクライマックスである。最大の見どころであるとともに,また聴きどころでもある。母親の蝶々夫人は涙ながらに,子供に向かって「遊んでおいで」と言いながら,自らは屏風の陰に隠れて,自害の準備に取り掛かる。彼女は短刀でもって自害を果たすと,よろよろとしながら子供の方に近寄ろうとするが,力尽きて子供の前で倒れてしまう。その直後,舞台の裏からピンカートンが「蝶々さん! 蝶々さん! 蝶々さん!」と叫びながら,駆けつけて来る。しかし,蝶々夫人は力なく子供の方を指さして,息を引き取ってしまう。オーケストラは「ある晴れた日に」の旋律をドラマチックに奏でて,第三幕の幕は下りる。蝶々夫人の悲劇に心打たれてしまう,感動の最終場面である。


以上のとおり,歌劇『蝶々夫人』(全三幕)の至るところには日本のメロディが織り込まれていて,それがプッチーニのメロディの中にどのように融合しているか,日本人の観客にとってはたいへん興味深いオペラである。アメリカ海軍士官ピンカートンと結婚するために蝶々夫人はキリスト教に改宗しながらも,最後には仏壇の近くに置いてあった箱の中から父の形見の短刀で自害を果たす点など,またあっさりと子供をケイト夫人に引き渡す決意を下す点など,理解に苦しむ点もあるにはあるが,プッチーニらしい抒情的な音楽でもって観客をグングンと歌劇の中に引き込んでいく魅力にあふれた作品である。また至るところにさまざまなテーマの旋律が効果的に使われていて,全体的にすばらしい出来上がりとなっている。是非,この機会にプッチーニの歌劇『蝶々夫人』を鑑賞してみることをお勧めしたい。たちまちプッチーニの魅力のとりこになってしまうことは,間違いないであろう。


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