【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第93号
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○連載「知的感動ライブラリー」(66)『ラ・ボエーム』

プッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』
総合科学部教授 石川榮作

表題の「ボエーム」というのは,定職を持たずに自由気ままな生き方をする「ボヘミアン」に由来する言葉であるが,それが転じて19世紀のパリでは芸術家を志す若者たちを意味するようになった。彼らは貧しい生活を強いられながらも,それぞれ自分の好きな芸術に没頭する自由気ままな生活を楽しみ,人生を謳歌するのである。そのような若い芸術家たちの生活を描いた19世紀半ばのフランス作家アンリ・ミュルジェの小説『放浪芸術家たちの生活風景』を題材として,ルイージ・イッリカとジュゼッペ・ジャコーザが台本を作り,それにジャコモ・プッチーニが作曲をして,1896年2月にトリノ王立劇場で初演された作品(全4幕)である。19世紀のパリで貧しい生活を余儀なくされながらも,若い芸術家たちが生き生きと青春を謳歌するさまが描かれている。以下,このオペラの展開を辿りながら,その見どころ・聴きどころなどをまとめることにしよう。


第一幕

このオペラには前奏曲のようなものはなく,軽快な音楽が奏でられるとともにすぐに第一幕の幕が上がる。第一幕の舞台は1830年頃のパリの街はずれにあるみすぼらしい安アパートの屋根裏部屋である。クリスマス・イヴの日で,部屋の中はかなり寒い。このオペラの主人公である若い詩人ロドルフォは,3人の若い芸術家たちとこの屋根裏部屋で共同生活をしている。そのうちの2人は今,外出中であり,詩人ロドルフォは画家マルチェルロとともに寒い部屋の中に残っている。詩人ロドルフォは考えに耽り,窓の外を眺めながら,灰色の空に煙が立ち上っているのを見ている。そのかたわらでは画家マルチェルロが自分の絵を描いているが,寒くて,指が凍えてしまい,なかなかうまく描けない。寒さに震えている二人は,ロドルフォが以前に書いた戯曲の原稿をストーブに投げ入れて,暖を取ることにした。そうしているところに共同生活者で哲学者のコルリーネが戻って来た。彼は質屋へ出かけていたのであるが,クリスマス・イヴの日には質を引き受けないと断られてきたようである。彼は暖炉の火を見て驚き,二人と一緒に戯曲の原稿をストーブに投げ込みながら,身体を暖める。ロドルフォにとってはせっかく書き上げた戯曲の原稿だが,最初に彼自身が燃やす前に言明しているように,「原稿を灰にして,霊感を再び天上の世界へ飛び返らせる」ためであり,それほどの悲壮感はない。むしろ原稿が燃えているこの瞬間を仲間とともに一緒に楽しんでいるようにも思われる。このときの会話が生き生きとしていて,このあたりの若い芸術家たちのやりとりもまさに『ラ・ボエーム』の魅力であると言ってよいであろう。原稿が燃え上がるときのプッチーニの管弦楽による音楽も,素晴らしいの一言に尽きる。

ストーブに投げ入れる原稿もなくなって,暖炉の火が消えかかったところに,共同生活をしている4人目の音楽家ショナールが,店の配達係の2人の少年に食料品やワインなどのほかに薪をも運ばせて戻って来る。彼は2人の少年に何枚かの金を渡して帰らせたあと,仲間たちにも金を見せながら,これらを手に入れた経緯を話し始める。それによると,あるイギリス人の金持ちの紳士のもとで音楽家として雇われて,3日間弾き続けて稼いだというのであるが,しかし,仲間たちは目の前にある食べ物に夢中で,ショナールの話は聞いていない。あれこれと飛び交うこのあたりの言葉のやりとりも『ラ・ボエーム』ならではの魅力と言えよう。ショナールは今持ち帰った食料は明日以降のために取っておいて,クリスマス・イヴの今日はカルチェ・ラタン街に出かけようと提案する。皆の賛同を得て,とりあえず乾杯だけは家ですることにして,ワインをグラスに注いだところに,ノックの音がして,家主の老人ブノアが入って来る。

家主のブノアはもちろん家賃の取り立てのためにやって来たのである。ショナールは家主に椅子を勧め,マルチェルロは家主にワインを差し出して,一同は乾杯するときにも,家主は書類を見せて3か月分の家賃を請求する。マルチェルロもショナールもそれをあっさりと遮って,皆でもう一度乾杯をする。乾杯のあと,しきりに3か月分の家賃を請求する家主に向かって,マルチェルロはショナールが稼いできた金を見せながら,家主をひとまず安心させておいてから,先日の晩に家主が花街の飲み屋で美人と楽しんでいたことを持ち出して,少し酔いがまわってきた家主をいい気にさせる。酔いで調子に乗ってきた家主は,若いとき臆病だったので,今その埋め合わせをしているのだと言いながら,自分の好みの女性の話をし始めると,マルチェルロは「この男は女房がいながらも,みだらな望みを心に持っている」と家主を非難すれば,残りの者たちも「恐ろしい奴だ。彼は我々の清廉な住まいを汚してしまう」と言って,家主を追い返してしまった。ユーモアのある一場面である。

一同はこれからカルチェ・ラタン街に出かけようとするのであるが,ただロドルフォだけはもう少し5分ほど原稿を仕上げなければならないと言って,皆を先に行かせる。部屋に残った詩人ロドルフォは,すわって原稿を書き始めるが,なかなかうまく書けずに,いらだって書いたものを破り捨て,ペンを投げ出してしまう。そこへドアをノックする音がして,外からローソクの火を貸してほしいという女性の声が聞こえてきた。

ドアを開けると,入って来たのは,若い女性であったが,気分が悪いようで,病人のような顔をしていたので,ロドルフォは彼女をすわらせてから,ワインを勧めた。ワインを飲んでいる姿を見て,ロドルフォは「なんてきれいな女性だろう」と彼女に一目惚れしてしまう。彼女はだいぶ気分も落ち着いてローソクの火をもらうと,いったんドアの外に出るが,自分の部屋の鍵を落としてしまったことに気づいて,また戻って来た。ところが,その女性のローソクの火はドアから入ってきた風で消えてしまった。ロドルフォは自分のローソクの火を持って,彼女に近づくと,その火も消えてしまった。2人は真っ暗闇の中で鍵を探し始めた。少ししてからロドルフォは鍵を見つけるが,わざとそれをポケットに隠して,鍵を探すふりをし続ける。そのとき暗闇の中で鍵を探している女性の手に触れて,彼女の手を握ったまま,ロドルフォは「なんて冷たいかわいらしい手だろう。僕に暖めさせてください」と,有名なアリアを歌い始める。このアリアの中でロドルフォは自分が詩人であることを語って,彼女に恋心を抱いていることを打ち明ける。このロドルフォのアリアが聴きどころであることは,言うまでもあるまい。

このロドルフォの自己紹介に合わせるかたちで,その女性が「自分の名前はルチアですが,皆は私のことをミミと呼びます」と歌い始めるアリアももちろん聴きどころである。このアリアで彼女はミミと呼ばれ,麻や絹に刺繍をしているお針子で,ユリやバラを作るのが慰めになっていて,毎日つつましい生活をしていることが明らかとなる。

こうして2人の自己紹介が終わったところで,外からロドルフォを呼ぶ仲間たちの声が聞こえてきて,ロドルフォはミミも一緒に連れて出かけることにする。この第一幕最終場面の2人による愛の二重唱の台詞も,プッチーニらしい抒情性にみちた旋律と見事に融合していて,第一幕の聴きどころの一つである。


第二幕

舞台はクリスマス・イヴのカルチェ・ラタン街である。商人たちや学生たちをはじめ,市民,兵士,女中,腕白小僧,お針子,警察官など,実にさまざまな人たちの群集で溢れ返っている。それぞれの群集が自分勝手に歌いながらも,全体的に音楽が一つにまとまっていて,このようなところもまたプッチーニの魅力であると言える。

この群集の中で,安アパートに暮らす若い芸術家たちは音楽家ショナールが稼いだお金を山分けして,それぞれの買い物をしている。やがて彼らはカフェ・モミュスのテーブルに腰をおろす。あとから合流したロドルフォは,仲間たちに恋人ミミを紹介するが,詩人らしくその台詞がまたすばらしい。「こちらがミミ。/愉快な花作りの娘さんだ。/この人が来て,/この素敵な仲間が完全になった。/なぜなら,僕は詩人で,/この人は詩だから。/僕の頭からいくつもの歌がつぼみを開き,/この人の指から花々が噴き出して,/喜びに満ちた心からは,/愛の花が開くというわけなのさ」仲間たちは笑い声を上げて,皮肉ってしまうが,ロドルフォの気持ちが素直に表れている台詞であり,聴きどころである。

そこへおもちゃ売りのパルニョールが手押し車で現れて,それに集まる子供たちの合唱が始まり,クリスマス・イヴの雰囲気も一段と盛り上がってくる。おもちゃ売りのパルニョールと子供たちがやがて退くと,舞台の中心はカフェ・モミュスのテーブルとなる。ミミがロドルフォから贈ってもらったレースのボンネットを皆に見せながら話しているところに,群集のざわめきが聞こえてくる。画家マルチェルロの以前の恋人ムゼッタの登場である。

ムゼッタはきれいに飾り立てて,大金持ちのパトロンであるアルチンドーロと一緒にここにやって来たのである。ムゼッタは以前にはマルチェルロの恋人であったが,マルチェルロ自身の言葉を使って表現すれば,「彼女に向いた仕事といえば,/風見をすることで,/始終くるくると向きを変えるように違った恋をして,/恋人を変えている」という女性である。今は大金持ちのアルチンドーロをパトロンにしていて,クリスマス・イヴの今日は彼と一緒に買い物をして,このカフェ・モミュスにやって来たのである。ムゼッタはそこにかつての恋人マルチェルロがいるのに気づくが,彼が意地を張って知らないふりをするので,ムゼッタは彼の気を引こうとして,「ムゼッタのワルツ」とも呼ばれている有名なアリア「私が一人で街を歩いていると,誰でも私に見とれて,立ち止まるの」を歌う。このアリアも聴きどころの一つであろう。パトロンのアルチンドーロは彼女にそれを歌うのをやめさせようとするが,ムゼッタは歌い続ける。それどころか今やアルチンドーロが邪魔だと想って,彼女は突然悲鳴を上げて,足が痛いと言って,アルチンドーロに新しい靴を買いに行かせるのである。抵抗していたマルチェルロの方も,もはやムゼッタの魅力には逆らうことができずに,2人はよりを戻して,大いに感動してともに抱き合うのである。

2人が抱き合ったとき,給仕が勘定書を持って来て,それを見たショナールは金額の高いのにびっくりして,それを仲間たちに見せる。仲間たちは財布にさわってみるが,十分なお金があるわけがない。困っていると,ムゼッタが自分の勘定書も給仕に持って来させてから,その勘定書は「あの紳士(アルチンドーロ)が払うのよ」と言いながら,それをアルチンドーロの席に置いてから,軍楽隊の行進に割って入って,皆と一緒にカルチェ・ラタン街をあとにするのである。そうしているうちにアルチンドーロが新しい靴を買って戻って来るが,誰もいないし,またムゼッタが残していた勘定書をも見て,びっくり仰天して,青くなって尻餅をついてしまったところで,第二幕の幕が下りる。


第三幕

これまでは至るところにユーモアをも交えての展開であったが,ここからは悲しい恋の結末に向かって進んで行く。詩人ロドルフォがミミと知り合ってから,2か月ほど経過して,舞台は2月終りの雪の降り積もるパリ城壁アンフェール門で,夜明け前である。そこには税関の詰所があり,税関兵たちは火鉢の前に腰かけて居眠ったままである。税関の鉄柵は閉まっている。そばにはキャバレーがあり,その中からはときどき叫び声やコップの触れ合う音や笑い声が聞こえてくる。掃除人夫たちに続いて牛乳売りの女たちがやって来たので,税関は鉄柵を開けて,女たちを通過させる。そのあと百姓女たちもそこを通過する。

やがてミミがアンフェール街からそこにやって来る。彼女は画家のマルチェルロが働いているキャバレーを探しているのだが,税関の軍曹やキャバレーの中から出てきた女中に尋ねてすぐに分かったところで,マルチェルロ自らが外に出て来た。キャバレーの看板にはマルチェルロの描いた絵がかけられており,彼は1か月前からこのキャバレーの主人のお世話になっており,ムゼッタもここでお客に歌を教えているという。先程からキャバレーの中から聞こえている歌声もムゼッタのようである。ミミはロドルフォが私を愛しているのに,最近は私を避けて,嫉妬に苦しんでいるみたいなので,どうしたらよいか,マルチェルロに相談があって,ここにやって来たのである。そのことを話すと,マルチェルロはロドルフォが夜明け前の1時間前にここにやって来て,今,キャバレーの中のベンチの上で寝ていると言う。マルチェルロはミミに窓から中を覗き込むように合図をするが,ミミはひどい咳をして,昨日から身体の調子がだいぶ悪いようである。ミミの話によると,ロドルフォは昨夜,ミミと喧嘩して,「もうおしまいだ」と言いながら,家を出て行ったという。そのような話をしているうちにロドルフォが目を覚まして,外に出て来たので,ミミはすばやくそばの木陰に身を隠した。

外に出て来たロドルフォは,マルチェルロに向かって,「僕はミミと別れるつもりだ」と言う。ミミは誰にでも色気を見せる浮気女で,気取り屋の子爵の息子も彼女に色目を使っているというのである。マルチェルロはロドルフォの態度が子細ありげに思われたので,本当のことを言うように促すと,ロドルフォはついに本心を明かすのである。彼が打ち明けたところによると,彼は心からミミを愛しているけれども,ミミの病気はかなり悪い状態であり,貧しい自分と一緒に暮らしていると,一向に病気は治らない,ミミのことを想ってくれている男性のもとに行くのが一番いいことなので,彼女に辛く当っているのだというのである。このロドルフォの言葉をミミがそばの木陰に隠れて聞いているのであり,この場面が観客を泣かせる場面であり,このオペラの最大の見どころ・聴きどころであると言ってもよいであろう。

ロドルフォの本心を知ったミミは,ひどい咳をしながら,泣き声をも立ててしまったので,そこにいるのがばれてしまう。ロドルフォは彼女のそばに近寄って,暖かいキャバレーの中に誘うおうとするが,ミミはそれを断る。そのときキャバレーの中からムゼッタの笑い声がしたので,誰かと笑っていることに嫉妬を覚えたマルチェルロは,急いでキャバレーの中に入って行く。

寒い外にいるミミは,愛するロドルフォと別れる決意をして,彼に恨みっこなしの別れを告げる。このときのミミのアリア「喜んでもとのところへ」も,またそのあとの2人の二重唱も聴きどころであることは,言うまでもない。そうして2人が別れを告げ合っているうちに,マルチェルロとムゼッタが喧嘩をしながら,キャバレーの中から外に出て来る。そこで4人によるフィナーレの四重唱も,2組のカップルが対照的で,この第三幕の最後の見どころ・聴きどころである。プッチーニの魅力に溢れた第三幕最終場面である。


第四幕

第四幕の舞台は第一幕と同じみすぼらしい安アパートの屋根裏部屋であり,登場人物の設定も同じく最初は詩人ロドルフォと画家マルチェルロの2人で,あとから哲学者コルリーネと音楽家ショナールが戻って来ることになっている。

ロドルフォとマルチェルロはそれぞれの仕事をしようとしているが,なかなか専念することができない。2人はそれぞれの恋人と2,3か月前から会っておらず,恋人のことが気にかかっていたからである。画家のマルチェルロは絵筆を投げ捨てて,自分の描きかけの絵をじっと眺めながら,ロドルフォには分からないように,ポケットからムゼッタの忘れていった絹のリボンを取り出して接吻をすれば,ロドルフォもまたテーブルの引き出しからミミのボンネットを取り出して,自分の胸に押し当てている。この場面でのそれぞれの恋人のことを想い出しながら歌うロドルフォとマルチェルロの二重唱も,圧巻であり,聴きどころである。

そうしているところへショナールがコルリーネと一緒に戻って来る。ショナールは丸パンを4個,コルリーネは細い長い紙包みに包んで魚のにしんを持って帰った。まずしい食品であるが,彼らは豪華な食卓を想像しながら,はしゃぎ回る。歌いながら踊っているうちに,しまいには決闘のダンスまでしてしまう。この場面がまた第一幕の前半と同じように,貧しいながらも人生を謳歌しようとする若い芸術家たちの生き方がプッチーニの旋律でもって生き生きと描かれている。このようなところがプッチーニのもう一つの魅力であることは,もはや言うまでもあるまい。

こうしてはしゃぎ回っているところに,突然ムゼッタが息を切らしながら駆け込んで来る。ミミを最上階まで連れて来たが,彼女の具合がかなり悪いという。ロドルフォは急いでミミのところへ駆けつけて,彼女を部屋の中に連れて来て,寝台に寝かしつける。ミミはロドルフォを抱きしめて,「ここにあなたと一緒にいてもいいの」と尋ねると,ロドルフォは「いつまでも,いつまでもいいさ」と答える。ここでムゼッタが話して聞かせるところによると,ムゼッタはミミが子爵の息子のもとを逃げ出して,死にかかっていることを伝え聞いて,彼女を探し出して,彼女の希望どおり,ロドルフォのもとへ連れて来たのだという。そしてミミはもうすぐ自分が死ぬことを悟っていて,ロドルフォのもとで死にたいのだという。そのような説明を聞いているうちに,ミミの気分もひとまず落ち着いたらしく,あたりを見回して,「ここにいると,私はもう一度元気になるわ」と言うものの,寒気を感じて,「マフがあればいいのに。私のこの手はもう暖めることはできないのね」と言いながら,咳をする。ロドルフォはミミの手を自分の両手で暖めながら,しゃべると疲れるので,彼女に黙るようにと言うが,ミミは「咳がでるだけよ」と言いながら,皆に挨拶をする。特にマルチェルロに向かっては,「ムゼッタは本当にいい人よ」と言う。これに対してマルチェルロが,「分かっている。分かっているよ」と答える。このあたりの場面は涙を誘う場面である。そのあとムゼッタがマルチェルロをミミから離れたところへ連れて行って,自分の耳飾りをはずして,それを彼に渡して,「これを売って,何か気付け薬を手に入れて,医者を呼んで来て」と頼む場面などは,とても感動的である。さらにムゼッタは寒がるミミのためにマフを取りに出かけて行くのである。このときのムゼッタが,ミミも言っていたように,「本当にいい人」で,ムゼッタ本来の姿だと言ってもよいであろう。

思いやりのあるのは,ムゼッタだけではない。哲学者コルリーネは金を工面するために自分の外套を売りに行こうとする。このときの彼のアリア「外套の歌」も聴きどころである。歌い終わった哲学者コルリーネは音楽家ショナールに呼び掛けて,ミミとロドルフォを2人きりにしてやろうと,やさしい気持ちを見せながら,一緒に出て行く。細かい心遣いであるが,こういう場面も感動的である。

ロドルフォと2人きりになりたかったミミは,それまで眠ったふりをしていたのであるが,皆が出て行くと,ロドルフォの方に手を差し出して,彼の接吻を受けながら,「話したいことがたくさんあるわ。いえ,たった一つだけれど,海みたいに大きく,海みたいに深くて限りないことなの」と言ってから,「あなたは私の愛で,私の命のすべてなの」と打ち明ける。このうえなく美しくて,とても感動的な台詞である。そういってからミミはロドルフォとともに出会ったときのことなどを思い出して,ロドルフォが暗闇の中で彼女の部屋の鍵を見つけながらも,隠していたことは知っていたとも打ち明ける。そして「なんて冷たいかわいらしい手だろう。僕に暖めさせてください」とロドルフォが言ったときのことを思い出したところで,ミミは呼吸困難の発作に襲われて,ぐったりとしてしまう。

驚いてロドルフォが彼女を支えているところへ,ショナールが戻って来て,ミミは彼らを安心させようと思って,「元気よ。もう大丈夫」と答える。そのときムゼッタとマルチェルロも戻って来る。マルチェルロは気付け薬を見せながら,医者もすぐにやって来ることを伝える。またムゼッタもミミのそばに寄って,持ってきたマフを渡すと,ミミはムゼッタに助けられて寝台の上に起き上がって,「これで手の色が変わることもないわ」と喜ぶ。このときミミはロドルフォに向かって,「これを私にくださったのはあなたなの」と尋ねると,ムゼッタがすばやく「そうよ」と答える場面などは,たいへん感動的である。ムゼッタの心がよく伝わってくる場面である。ミミが「ありがとう」と言う言葉を聞いて,ロドルフォはワッと泣き出してしまう。このあたりも見どころ・聴きどころである。ミミは手をマフの中に入れて,徐々に昏睡状態に陥ってしまう。ロドルフォはミミが眠り込んでしまったのを見て,彼女から離れて,マルチェルロに医者のことを尋ねると,「来るよ」と答える。ムゼッタはそばで懸命に祈りを捧げている。やがてショナールがミミの様子を見に近づいたとき,ミミがすでに息を引き取っていることに気がついた。それを聞いたマルツェルロがミミのところに近づくと,驚いてしまう。しかし,2人はそのことをロドルフォに伝えることはできない。そこへコルリーネが帰って来て,工面してきた金をムゼッタのそばのテーブルの上に置いてから,ロドルフォのところに近づいてミミの様子を尋ねる。「落ち着いているよ」と答えるロドルフォであるが,マルチェルロとショナールの態度がいつもと違うことに気がついて,「なぜそのように僕を見るのだ」と言いながら,ミミが息を引き取ったことを悟り,ミミを抱き起こして,彼女の身体を抱きしめながら,絶望の叫び声を上げてしまう。この瞬間のプッチーニの音楽は,鳥肌が立ってしまうほど感動的である。このオペラで最大の見どころ・聴きどころであろう。ムゼッタは寝台に駆け寄って泣き崩れ,ショナールはすっかり気落ちして椅子に腰を落とす。コルリーネは寝台の裾の方で呆然としている。そしてマルチェルロは舞台前面に背中を向けてすすり泣いている。皆がともにそれぞれの姿勢で悲嘆に暮れているところで,第四幕の幕は下りる。


以上のように見てくると,プッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』の魅力は,まず第一にはボヘミアンの若い芸術家たちが貧しい生活を強いられながらも,大はしゃぎで大いに青春を謳歌しているさまが描かれているところにあると言える。彼らは経済的には貧しいけれども,芸術家らしく「心は百万長者」で,生き生きと人生を楽しんでいる。オペラの表題を『ラ・ボエーム』としているのも頷ける。またこの歌劇のもう一つの魅力は,詩人ロドルフォとお針子ミミの出会いと悲しい恋の結末が展開される中で,画家マルツェルロと以前の恋人ムゼッタがよりを戻すものの,また嫉妬から喧嘩してしまうというエピソードも織り込まれながら,若い仲間たちの友情と細かい心遣いが描かれているところにもある。特にここでの展開では,プッチーニのみずみずしい感性による甘くも悲しい旋律によって観客はうっとりとさせられてしまう。そのほかの展開でもプッチーニの音楽は台詞の内容に合わせるかたちで多種多様であり,全体的にもすばらしい仕上がりとなっている。若き芸術家たちの「貧しいけれども,心は百万長者」を生き生きと描き出しているこのオペラを,是非,この機会に鑑賞することをお勧めしたい。このオペラでは現代の私たちの社会においても最も大切で,必要不可欠なものが至るところに表現されていることは,確かである。


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