【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第89号
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連載「知的感動ライブラリー」(62)『未完成交響楽』

ヴィリー・フォルスト監督の映画『未完成交響楽』(1933年オーストリア)
総合科学部教授 石川榮作

映画『未完成交響楽』は映画『たそがれの維納(ウィーン)』(1934年オーストリア)によっても知られるヴィリー・フォルスト監督によりその前年1933年に製作公開されたものである。シューベルトの交響曲第8番ロ短調「未完成」の誕生秘話を中心にしたもので,日本語の標題は『未完成交響楽』としているが,ドイツ語の原題はシューベルトの有名な曲『セレナード』の冒頭部分をそのまま引用した「Leise flehen meine Lieder」(秘めやかに流れゆく私の調べ)である。この『セレナード』のほかにもシューベルトの名曲がちりばめられていて,決して「未完成」ではなく,完成度の高い音楽映画となっている。以下において,あらすじの展開を辿りながら,この映画の見とごろなどを紹介していくことにしょう。


この映画は19世紀初期のウィーンの街を舞台にしている。冒頭のクレジットタイトルの背景に映し出されたウィーンの街が,そのまま一つの絵画となって,その大きな絵画を背負った男が質屋に入って行くところから始まる。質屋の名前もまたそれとなくウィーンをほのめかせるシェーンブルン質店である。撮影カメラが回って,質屋に来ている客人たちが映し出されるが,この映画の主人公の姿はそのときには見られない。質屋の受付窓口にすわっている娘が「次の方どうぞ」と言うと,窓口にギターが差し出される。それを差し出した者は,大切にしてきたそのギターをいよいよ質入れしなければならず,いとおしむようにギターを手でなでる。質屋の娘が「お名前は」と尋ねると,窓にシルエットが映し出されて,「フランツ・シューベルト」と名乗り,職業を尋ねられると,「助教師で作曲家」だと答える。とても印象的な主人公フランツ・シューベルト(ハンス・ヤーライ)の登場である。この映画ではこのような素晴らしい印象的な技巧がいくつかの場面で用いられている。規定により木製のギターの質入れは80クロイツァーだが,質屋の娘はその洗濯代にも家賃にも困っている貧しい音楽家シューベルトに同情して,書類のグルデン欄に1の数字を書き加えて,1グルデン80クロイツァーとした。しかし,シューベルトは隣の窓口にすわっていた質屋の主人(娘の父親)からお金を受け取って帰る途中,余分に1グルデン多いことに気づいた。彼は正直に計算違いだと申し出ようと店に戻ろうとしたとき,その質屋の娘エミー(ルイーゼ・ウルリッヒ)と出会う。このあたりでシューベルトは真正直な性格の人間として描かれていれば,質屋の娘エミーもまたときには規定破りもいいのではないかという柔軟性のある乙女として描かれている。

こうして二人は知り合いとなっているうちに,近くの井戸端で洗濯をしながら婦人たちが歌っている歌が聞こえてくる。その歌は今ウィーンで流行していることを知ると,シューベルトはそれは自分が作った歌だと言うが,エミーは信じられず,「そうならあなたはお金持ちのはずよ」と言う。シューベルトによると,自分の歌は楽譜なしでも覚えられるので,お金にはならないのだという。「お金にならないのにどうして作曲するの」と尋ねるエミーに,シューベルトは「ほかに僕に何ができると思いますか」と答えるだけである。井戸端から聞こえてきた歌は『菩提樹』であったが,その歌詞の素晴らしさに感動したエミーが作詞者はゲーテかと尋ねると,シューベルトの友人ミュラーによるものだという。そのときエミーはシューベルトが文豪ゲーテを知らないことに驚き,あとで帰って行くシューベルトに質流れした『ゲーテ詩集』を贈ったのであった。

『ゲーテ詩集』を手にしたシューベルトは,さっそくその中から「野ばら」の詩を読み始めた。助教師を務める学校へ行って,算数の授業をしているうちに,いつの間にか黒板には「野ばら」の楽譜を書きながら,歌い始めた。生徒たちもそれに合わせて口ずさみ始めた。シューベルトの歌はこのようにして自然と生まれてくるもののようである。この教室での「野ばら」誕生の場面はとてもおもしろく,見どころの一つであろう。そのとき中庭を通りかかった校長が上の教室から生徒たちの歌声が聞こえてくるのを聞いて,その教室に出かけてシューベルトを叱った。そしてすぐに校長室に来るようにと呼びつけたのである。

シューベルトは首になることを覚悟して校長室に出かけると,そこで待っていたのは宮廷楽長であった。宮廷楽長はシューベルトに才能を試す機会を与えてやろうと言って,毎月第一木曜日にキンスキー公爵夫人のもとで催される音楽会で演奏することを提案した。シューベルトには思いがけないチャンスである。もちろん彼はそれを承諾した。

シューベルトはさっそくシェーンブルン質屋に出かけて,質入れしている礼服とエナメル靴を次の木曜日だけ使わせて欲しいと願い出るが,質屋の主人は「慈善事業をしているわけじゃない」と言って,もちろんそれを認めない。途方に暮れているシューベルトをこのときも助けてくれたのが,質屋の娘エミーである。父親には内緒で,質入れした品物の置いてある部屋に案内して,シューベルトにぴったりの礼服や帽子などを提供してあげたのである。

木曜日,シューベルトはその礼服や帽子を借りて,キンスキー公爵夫人の催す音楽会に出かけた。受付でオーバーや帽子を預けるが,それには質札がついていたので,それを預かった者たちは驚きあきれてしまう。礼服姿でシューベルトはキンスキー公爵夫人の前に案内され,紹介されるが,その礼服の後ろにも質札が付いていた。それが広間に置いていた置物に引っかかってしまい,置物は床に落ちて,壊れてしまう。この場面はこっけいに展開されていて,見どころのうちの一つであろう。

しかし,この映画で最も重要な見どころは,そのあとのシューベルトによる演奏の場面であろう。シューベルトはピアノにすわって,自作のロ短調交響曲のモチーフを弾き始めた。のちに「未完成」と呼ばれて有名になる交響曲第8番のメロディである。その音楽が鳴り響いている中,馬車に乗ってこの夜会に出かけて来た一人の女性がいた。これがもう一人の主人公ハンガリーのエステルハツィ伯爵の令嬢カロリーネ(マルタ・エゲルト)である。彼女は遅れてやって来ても,高慢な態度で椅子にすわると,化粧をし始める。そして隣の男性(のちの結婚相手)から今演奏している音楽家についていろいろと聞かせてもらっているようである。シューベルトの演奏は彼が半年間苦心してきた第3楽章のモチーフに向かっていた。ちょうどそのとき大きな笑い声が聞こえてきた。もちろん遅れてきた令嬢の笑い声である。シューベルトが突然演奏を止めて,そちらの方をじっと見つめていても,またもや令嬢は吹き出すように笑ってしまった。シューベルトは怒って,ピアノの蓋を閉じて,その演奏会場から外に出た。宮廷楽長はシューベルトに演奏を続けるように説得するが,シューベルトは「自分は道化師ではない」と言って,帰って行ってしまったのである。キンスキー公爵夫人は嗜(たしな)みがなさ過ぎると令嬢カロリーネを責めるとともに,宮廷楽長には次回には神経質でない音楽家を寄越すようにと言いつけた。

シューベルトがアパートに戻って来ると,彼のことを心配していた質屋の娘エミーが待ち受けていたが,シューベルトはエミーに挨拶もそこそこにして,最初は楽譜にメロディを書き込んでいたが,そのうちピアノに向かってロ短調交響曲を弾き始めた。第1楽章が済んで,第2楽章を弾いているとき,新しいメロディが湧いてきた。半年間苦心した第3楽章のモチーフだ。急に指が動き始めた。4分の3拍子,ト長調だ。夢中になってそのメロディを楽譜に書き付けるが,そのとき笑い声が聞こえてくる。ピアノで弾いても笑い声が聞こえてくる。シューベルトはどうしてもその先へ進むことはできないのである。この場面も見どころの一つであることは言うまでもない。

結局のところ,学校からも追放され,楽譜も出版することもできないシューベルトをかわいそうに思って,質屋の娘エミーは宮廷楽長のもとに出かけて,すべてはあの令嬢のせいだと訴えるが,宮廷楽長はシューベルト自らが蒔いた種で,シューベルトはウィーンで一番悪いことをした,つまり,不作法だったのだと説明する。宮廷楽長によると,「ウィーンでは天才であるより礼儀が第一」なのである。エミーはとても耳を貸してくれそうにない宮廷楽長に向かって,「あなたたち上品な社交界の灯が消えても,彼の歌はずっと歌われますよ」と言い残して去って行った。

その頃,シューベルトのアパートでは借金取りが押し寄せていたが,最後に一人残ったのがハンガリーのエステルハツィ伯爵の使者で,伯爵令嬢姉妹のために音楽教師になってほしいという。そこへエミーが戻って来て,シューベルトは伯爵家の音楽教師として300グルデンで雇われることになったことを告げる。1年経ったら戻って来て,質入れしたものをすべて引き出すとともに,質屋の娘まで引き出すことを約束して,彼女に口づけをする。

さっそくシューベルトは馬車に揺られてハンガリーのエステルハツィ伯爵の邸宅に向かう。そのときの場面の音楽とハンガリーの風景も素晴らしく,見どころである。伯爵の邸宅に着いて,伯爵から二人の令嬢を紹介されたシューベルトは驚いてしまう。二人のうち妹はマリアという名前であったが,姉の方はあの演奏会で笑い声を上げたカロリーネだったからである。妹マリアは姉の発案で,自分はダシに使われただけなので,音楽のレッスンは遠慮すると言って,立ち去ってしまう。姉カロリーネはシューベルトと近づきになって,許しを乞いたかっただけという。音楽のレッスンは,結局姉カロリーネだけを相手にして翌日から始まることになった。

一方,ウィーンの質屋ではエミーがシューベルトからの手紙を待っているが,なかなか便りは届かない。エミーは天秤を使って仕事をしているが,その天秤がそのうちメトロノームに変わって,シューベルトが伯爵令嬢カロリーネに音楽について,その3つの要素であるリズム,メロディ,ハーモニーの説明をしている場面に変わる。この映画の場面転換の技法もおもしろい。シューベルトは「リズムは一定の法則による時間の分割で,リズムのない音楽はない」と言いながら,一枚の紙片をカロリーネに渡して,それを読ませる。カロリーネは「Leise flehen meine Lieder」と読み始める。シューベルトがそれにリズムをつけると,カロリーネはその歌を歌い始める。のちに『セレナード』と呼ばれることになる歌であり,その歌詞の冒頭はこの映画の原題ともなる歌である。カロリーネ役を演じるマルタ・エゲルトは,本物のソプラノ歌手でもあり,この場面は当然ながら聞きどころである。見事に歌い終えて,カロリーネが紙片の最後に目をやると,そこには「愛らしき質屋の娘に捧げる シューベルト」と書かれていた。少し機嫌をそこねたカロリーネは,次は別の歌にしてほしいと願い出た。それ以来,二人のレッスンは毎日長く続いた。そのうちカロリーネはシューベルトが日曜日に踊りを見るために村へ出かけて行ったことを責めた。自分の先生が村娘と同席するのは困るというのであるが,本心はシューベルトを独り占めにしたかったのであろう。

ある日,シューベルトがまた村の居酒屋に出かけていると,そこへカロリーネも初めてやって来て,歌と踊りに夢中になってしまう。そのときのカロリーネ役ソプラノ歌手マルタ・エゲルトの歌と踊りも聞きどころで,また見どころでもあろう。気がついてみると,伯爵令嬢の身分である者がこのような場所に来ていたので,カロリーネは突然その場から逃げ出してしまう。シューベルトがそのあとを追って,二人は広い麦畑で立ち止まり,熱い口づけを交わしてしまう。いつの間にか二人は恋に陥っていたようである。

そのことに気づいた伯爵は,シューベルトを呼びつけるが,伯爵の前にまずやって来たのはカロリーネで,彼女はシューベルトと結婚すると言い出した。次にシューベルトが伯爵のもとに行く。表向きは二人の結婚の手続きだと言って,ひとまずシューベルトをウィーンへ帰させる書類を書くが,その本当の内容はウィーンの秘書にこの音楽家を二度とここに来させないように,給料を全額支払うように指示する内容の手紙であった。

そういうこととは知らないシューベルトは,ウィーンに帰ると,給料を受け取ったあと,ただ悲嘆に暮れる毎日であった。あとで聞くところによると,カロリーネの方も泣くだけの日々だったという。3か月ほど経った頃,ウィーンでは悲嘆に暮れるシューベルトを友人たちが慰めようとして,エミーに「彼を立ち直らせることができるのは君だけだ」と言って,彼女にシューベルトを訪ねて行くように説得する。最初は躊躇していたエミーであったが,ついに勇気を出して彼のアパートへ出かけた。するとシューベルトはうれしい素振りを見せたので,エミーも喜ぶが,しかし,そのあとの話を聞いてみると,とうとうハンガリーから手紙が届いて来て欲しいとのことである。エミーがしきりに「行かないで」と叫ぶものの,シューベルトはハンガリーへ出かけてしまう。エミーがかわいそうに思えてならない場面である。

こうしてシューベルトはハンガリーのエステルハツィの邸(やしき)に戻って来たが,そこで目にしたのは伯爵令嬢カロリーネと気高い士官との結婚パレードであった。パレードが終わって,一人しょんぼりとしているところへ,カロリーネの妹マリアが来て,彼を呼んだのは自分であることを明かした上で,「姉は何も知らないで,ただ泣いてばかり。でも結局,父の処置は正しかったわ」と言いながら,姉をどうか許してやってほしいと願う。

そのあと邸内で行われている祝賀会にシューベルトは姿を現わして,花嫁が以前完成を待ち望んでいた交響曲が今完成したので,それを結婚祝いに献呈したいと申し出た。花婿の士官も承諾したので,シューベルトはピアノに向かった。以前ウィーンの夜会で演奏していたが,カロリーネの笑い声で中断してしまっていたあの交響曲である。シューベルトは弾き始めた。カロリーネの脳裏にはこれまでのシューベルトとの思い出が蘇ってくる。それらのシーンが音楽の鳴り響く中でスクリーンに映し出されて,この場面はこの映画のクライマックスであることは間違いない。音楽は進んでいって,あの中断のメロディにさしかかったところで,突然カロリーネは悲鳴を上げた。その祝賀会場はもちろん騒然となり,カロリーネは別の部屋に運ばれて,演奏も中断されてしまった。

やがて陽は落ちて,シューベルトのもとに花婿の士官がやって来て,妻から話があるとのことである。花婿と入れ替わりに花嫁がやって来て,二人は対面する。カロリーネは言う。「最初のとき,私はあの曲を笑いで中断させ,今日は涙で中断させてしまいました。もはや献呈してはいただけないのですね」これに対してシューベルトは「すべてあなたに捧げます」と答える。カロリーネは「あなたは素晴らしいものを持っています。人間が与えうる以上のものをお持ちです。不滅の栄光を」という言葉を残して,その場を去って行く。

その場に一人残されたシューベルトは,ピアノの譜面台に置かれた楽譜を手に取り,それの最後の部分を破り捨てて,残りの楽譜の上に「わが恋の終わらざるごとく,この曲も終わらざるべし」と書き込んだ。この交響曲が「未完成」と呼ばれるゆえんである。

心からその交響曲をカロリーネに捧げたシューベルトは,広い野原の中に立つマリア像を見つめたまま,そこに立ち尽くしている。そのとき聞こえてくるのが,『アヴェ・マリア』である。このシューベルトの名曲が最後まで合唱されて,最高潮に達したところでこの映画はエンディングとなる。


以上,あらすじを順に辿ってきたように,この映画にはシューベルトのいくつかの名曲が織り込まれていて,未完成交響楽の誕生の物語が展開されていく。この物語はもちろん史実に忠実に従ったものではなく,フィクションによる部分もかなり多いが,しかし,シューベルトの特徴をよく表していて,シューベルトの音楽を知る上で貴重なものと言えるのではあるまいか。この映画を見てからシューベルトの交響曲第8番ロ短調「未完成」や『セレナード』などを鑑賞するのもたいへん意味のあることである。是非,この映画鑑賞とともにシューベルトのそれぞれの名曲を鑑賞することによって,音楽というものの素晴らしさを感じ取っていただければ幸いである。


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