【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第87号
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ライブラリー・ワークショップ企画「こころに任せる本さがし」(旧:総合科学営業)について

2月1日より図書館本館1階ホールで展示しているライブラリー・ワークショップ企画「総合科学営業」は,「こころに任せる本さがし」という名前となり,展示が完成しました。


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最初の展示から丸2か月。よりコンセプトが伝わるように,そしてより自分たちの納得のいく形の展示となるように,学生Eと職員は作業を続けてきました。

そして4月,充分皆さんにコンセプトが伝わるかどうか自信はないけれど,自分たちなりの完成形となりました。

何かを感じてもらえるとうれしいです。


最後に,この企画を完成させて徳島大学を去った学生Eから,説明文を託されましたので掲載します。

みんな,みんな,お疲れ様。



『こころに任せる本さがし(旧 総合科学営業)』についての説明


まず、「ソウゾウ」性と「ヒョウシュツ」性の違いについてから話し始めます。アウトプットからインプットへのつながりです。ソウゾウするということは、音楽でいえば音符になる前の音です。文学でいうなら、文字や文章になる前の光景です。学問でいうならば問題の受け取り方です。一方でヒョウシュツとは、それぞれ前の例になぞらえれば、(出来上がった)音符であり、文字や文章であり、暗示・明示される解答のことになります。「ソウゾウ」性とは創造するそれ以前の活動に当たって、「ヒョウシュツ」性とは創造する、その瞬間に相当します。アウトプットの経緯は、「ソウゾウ」性から「ヒョウシュツ」性への帰結だと考えることができます。

格好だけを取り繕うようなダンスも、現状の行く末のみを取り沙汰する議論も、「ソウゾウ」性を失った、「ヒョウシュツ」性のみに執着した営為といえます。人の目に触れるダンスでも、裏づけが強いられる寡黙な社会に成り立つ議論でも、「ソウゾウ」性が欠かせないはずです。アウトプットをする、それは課題に取り組むその一時よりも、時空間的に遡って、初めの一歩を踏み出す必要があるのです。記憶(過去)から行動は始まらなくてはいけません。光のきざしが見えるまでの一歩一歩、そこにある時空間上の広がりを、「ソウゾウ」性とし、また「こころ」と呼ばせていただきます。それに従って、明るみが出てきた頃からは、「ヒョウシュツ」性となります。

この企画(『こころに任せる本さがし』)が始まり、表に(僕の)納得いくかたちで提出されるまでの過程を、ここで、逸話として書いておきます。僕個人にとっての、ライブラリーワークショップでの活動内容を抽象化して、物語調に記します。目標とする場所は始めから決まっていて、何人かでその場所を目指して進むことになりました。その目的地は僕が皆に知らせたこともあり、僕が新しい道をつくらなくてはなりませんでした。企画の推考者たちが集まった最初の場所は大きな、すごく大きな道路の傍らでした。僕は自分がどのようにほかの人達をその目標とする地域に案内し、紹介するのか、苦心しました。暗闇のなかにいるような気持ちです。モチベーションだけがあり、ただ、がむしゃらにその場、その場で道を、土をもり上げて、形成していきました。少しひらけた場所にくると、協力してくれるある人を呼びました。「ここならその場所もよく見れるよ」その人は未完成の道を歩いてきて、そう言ってくれます。僕はその言葉を受け取ると、また新たにその場所に近づく手だてを考えぬきました。二度ほどこのようなことが繰り返されて(その人はその度に足どりの悪い道を歩いてきてくれます)、その場所(目的とする地域)のとても近いところまで来ることができました。今回の企画の最終案(学問の領域に捉われず、本を手にとってもらい、また展示してもらう、というもの)です。この頃には協力してくれる人が一人増えていました。だがしかし、その案をほかの色んな沢山の人達と共有することは、この上なく難しかった。自分たちが立つところまでの道程は最初に集まった大きな道路からは離れていくものであって、僕がつくった道はほとんど僕しか分からないぐらい野暮なものだったからです。僕はそれがいいと思った。仲間はそれを、気に入らなかった。僕はより大勢の人に自分の言葉を伝えるには未熟で、つまり、人との触れ合いというものを経験していなかった。僕は共同体のなかに身を置くことについて、無知でした。「道を分かり易くしたい」と仲間は言いました。僕は少しずつその意見を呑み始めました。僕は、人と物事を共有するということを学び出したのです。「道を舗装しよう」という仲間の心積もりは受け取ることができなかった。「それじゃあ、あっちの大きな道とやっていることは変わらない」と反感を持ち、応対しました。お互いに、歩み寄ることになります。僕は僕なりに、野草を刈ったりしながら。仲間の一人は僕を励まして、また、僕よりもずっと丁寧に道を改善してくれました。僕は何度も道を踏み外しながら、整備を行います。もう一人の仲間は道の端にそって、花を植えているようでした。彼らが楽しんでくれているといいなと僕はいつも気になっていました。そして、彼らは僕に、「考え過ぎ」とよく言いました。僕は彼らのおかげで成長してきました。僕らなりにそのようにして道を整えた結末が『こころに任せる本さがし』での展示になります。また同時にこれは僕にとっての、ライブラリーワークショップでの、学びの跡です。

「ソウゾウ」性を内包するアウトプットは、インプットでもあります。僕がこの企画を通じてより多く、自分について学び、知っていったところから分かるように。教育の機会も、このようなインプットに欠けたとき、中身のない人々をつくり出していくだけなのではないでしょうか。

そのアウトプットによるインプットの考え方はこの企画の成果の香りをたどってやってきた蜂のようなもので、この企画の根底にあったものは、「ソウゾウ」性の能力を具体的に例示しようという意図でした。「ヒョウシュツ」性には技術が求められます。理性や、あるいは論理や理論が必要となります。しかし他方で「ソウゾウ」性は、あらゆる既存の枠組みに従属しきることはなく、その意味で個人的な力といえます。そしてまた、「ソウゾウ」性は、人間が持つ、流動的な力ともいえるでしょう。『こころに任せる本さがし』という企画では、数学を勉強すること以外に数学の能力を、文学以外の自己表現手法でも通用する文学の能力を、専門や、芸能や芸術の、専攻の底にある能力を、具現化して、提出したかったのです。

『こころに任せる本さがし』のもとに、この本棚に、あなたが選書した本を入れていただくことは、数多くの専門分野の底に佇んでいる可溶的な能力と、アウトプットによるインプットに、邂逅するということになります。あなたご自身の鼓動が感じられるはずです。

まだ荒々しい企画であり、展示になりました。皆さんのご批判、ご意見で、より良いものに形を変え伸長していくことがあれば、幸いなことです。


『こころに任せる本さがし』の製作過程の物語の続きです。僕が、暗がりのなかにいたとき、関心を持って僕に接してくれた仲間の一人の存在が、一筋の光のようなものだったのだと、思われます。また最後に、二人の仲間は「楽しかった」と言ってくれました。僕も図書館(の人達)に携って、企画をねれたことが、楽しかった。


春の香(コウ)闇夜に浮かぶ月の下


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