【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第83号
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連載「知的感動ライブラリー」(56)

篠田正浩監督(森鴎外原作)『舞姫』(1989年東宝)
総合科学部教授 石川榮作

篠田正浩監督の映画『舞姫』は1989年(平成元年)に製作された東宝映画である。原作は言うまでもなく,森鴎外(1862-1922)の小説『舞姫』である。森鴎外は東大医学部を卒業後,陸軍軍医となって,1884年(明治17年)から1888年(明治21年)まで4年間ドイツへ留学し,その留学中に交際していたドイツ女性との悲恋を基にして,帰国後,処女小説『舞姫』を書いて発表した。1890年(明治23年)の作品である。森鴎外のドイツ留学と『舞姫』執筆からおよそ100年後に篠田正浩監督が映画化したことになるが,原作者森鴎外自身の留学と原作小説における太田豊太郎の留学,そして映画における太田豊太郎の留学がそれぞれ細かな点で少しずつ異なっている。それらの相違点を盛り込みながら,この映画の特徴や見どころなどを紹介することにしよう。

まず映画の冒頭は主人公太田豊太郎(郷ひろみ)が友人相沢謙吉(益岡徹)の説得で大臣の天方(あまかた)伯爵(山崎努)一行とともに日本に帰国する途中の船の上である。森鴎外の原作では途中で船が停泊するのは,サイゴン(現在のベトナムの首都ホーチミン市)であるが,この映画ではスエズ運河を通過している場面になっている。ドイツを出発してから20日のことである。その船の上で太田豊太郎はドイツに恋人エリスを残してきたことに苦悩していることがスクリーン上に描き出される。彼はドイツへ旅立つことになった日からベルリンでの留学生活のことを回想し始めるのである。

森鴎外自身は東大医学部を卒業して,1884年(明治17年)から4年間,ドイツのベルリンへ陸軍軍医として医学を学ぶために留学したが,原作小説では主人公太田豊太郎は東大法学部を卒業して,某省に仕える身となり,役所の長官の覚えも特に目出たかったので,洋行して一課の事務を取り調べるようにという命令を受けてから,ドイツへ渡って,ベルリンでの役所仕事に暇ができると,ベルリン大学に入って政治学を学ぶことになっている。この原作に対して映画では太田豊太郎は国家試験に通って二等軍医に任ぜられてから,ドイツ留学の奨学金を受けて3年間ベルリンへ留学することになっている。陸軍軍医としての留学という点では実際の森鴎外と同じ設定となっているが,映画では原作と同じく早くから父を失って母(加藤治子)の手によって育てられたが,その母を一人日本に残してからドイツへ出かけるのである。出発前に母は息子に「嫁を迎えないままで,留学することだけが心残りだ」と一言,漏らしてしまう。この一言でベルリンではドイツ娘との恋愛物語が展開されることがほのめかされていると言えよう。

主人公太田豊太郎がベルリンに到着した場面からすでにスクリーン上では,ドイツ娘エリス(リザ・ヴォルフ)がバレエに励んでいる姿が,コッホ教授のもとで研究生活を送る豊太郎のシーンと交互に映し出されて,この二人がいつ出会うのか,そのことについてしばらくの間,観客に興味を持たせ続ける。

そのようなドイツ留学の生活を送っているうち,瞬く間に1年が過ぎ去る。太田豊太郎は私費でドイツ留学生活をしている谷村武(佐野史郎)という日本人とも知り合いになるが,5マルク貸してほしいと請われた彼のためにのちにひどい目にあうのである。この谷村とともにもう一人,太田豊太郎をよからぬ人物と見る日本人が登場する。陸軍省から新たに着任してきた副島和三郎大尉(角野卓造)である。ベルリンに在住している日本人は,月に1度大使館で行われる「大和会」で顔を合わせるのであるが,この「大和会」で初めて会ったときから副島大尉は,かなり高慢な態度で威張って,太田豊太郎に対して反感を抱いていたようである。この副島大尉と谷村武のために太田豊太郎はやがて免官となってしまうのである。

その免官のきっかけの一つとなったのがエリスとの出会いである。太田豊太郎は,ある日のこと,下宿に帰る途中,涙に暮れる美少女エリスに出会う。事情を聞くと,エリスは父が亡くなったが,貧しくて葬儀を出すことができないという。悲しむ少女をそのままにしてはおけない豊太郎は,エリスとともに彼女の家に行って,懐中時計を差し出して,それを質屋に出して葬儀代にしてほしいと言ってから帰る。その日から豊太郎は,あの悲しい目をしたドイツ娘のことが頭から離れず,勉強にも身が入らない。そうしているうちそのドイツ娘エリスが豊太郎の下宿を訪ねて来て,懐中時計を質屋に出した際の質札を渡す。ちょうどそこへあの谷村武もやって来て,エリスと一緒にいるところを見つけられてしまう。谷村は借りていた5マルクを豊太郎に返すと,「弱みを握ったぞ」といった感じで,ほくそ笑んだような顔をして帰って行く。豊太郎はエリスと二人きりになると,抱き合ってしまう。それ以降,二人は時間が許す限り出会い,デートを重ねていく。豊太郎は医学の研究のことも,上役のことも忘れて,思うのはエリスのことばかりである。その場面での豊太郎の台詞は注目すべきであろう。「僕は彼女から新しい言葉を学んだ。日本語にはない愛(Liebe)という言葉を。今まで知らなかった新しい感情。人間を変えてしまうこの激しい感情。愛(リーベ)という言葉を」豊太郎がだんだんとエリスへの愛に目覚めていくこの場面は,決して見逃してはなるまい。まさにエリスへの愛が豊太郎という人物を変えていくのである。豊太郎がドイツ娘エリスと付き合っていることをよく思わない副島は,二人を切り離そうとして,豊太郎にミュンヘンのペッテンコッファー教授のもとに送り出そうとするが,豊太郎はもちろんそれに応じない。副島大尉と豊太郎の間には決定的な溝ができてしまった。劇場に出かけてバレエを観たときにも,帰りがけに豊太郎はエリスと一緒に食事に出かけるところを副島大尉と谷村武に見つけられてしまう。豊太郎は常に監視されているかたちとなり,やがて公使館から日本に帰国するようにとの命令を受ける。副島大尉の讒言(ざんげん)によるものであることは言うまでもない。豊太郎は「軍医の身分を捨てれば,ドイツに残ることができる」ので,軍医の身分を捨てて,民間人としてベルリンに残る決意をするのである。

豊太郎は以前から知り合いであった芸術家フリッツに頼んで,その友達から新聞記者の仕事を探してもらうとともに,下宿代を節約するためにエリスの家で彼女の母と3人で生活することになった。豊太郎とエリスは母の比較的広い部屋を使わせてもらって,そこで同棲生活をすることとなったのである。そこの場面でワーグナーのオペラ『さまよえるオランダ人』第二幕の中から女主人公ゼンタの歌うバラードの音楽が流れてくる。豊太郎がドイツの芸術に魅せられてしまったことをほのめかしていることは確かである。豊太郎はその場面で次のような台詞を口にしている。「エリスの愛を知ってから,ことさらドイツの音楽が僕の胸にしみるようになった。嫌悪していた束縛から解放された僕は,それまで味わったことのない自由にひたった。新しい仕事のために仕事を求め,記事にする情報を求めて歩いた」この場面では陸軍軍医としてドイツへ留学して,ドイツの芸術,ドイツ文学に魅せられていった森鴎外自身の体験がほのめかされていると言ってもよいであろう。ドイツ留学が森鴎外に文学への道を切り開いたことは,容易に考えられよう。

こうして太田豊太郎は新聞記者として新しい生活を始めたのであったが,しかし,あるとき壁に掛っている日本画を目にして,日本の母のことを思い出しては,これでいいのかと思い悩むことも多かった。何かが変わろうとしていたのであり,まるで自分がヨーロッパという大海に小石となって沈もうとしているように思われた。そして冬がやってきた。ドイツへ来てから3度目の冬である。芸術家フリッツはドイツ帝国を変革しようと運動していたことから逮捕されて,国外追放となり,恋人ルイーゼとともに米国へ逃れて行った。そのようなことが起こった頃,エリスはバレエの練習中に倒れてしまった。後で分かったことによると,どうやら豊太郎の子供を身ごもったようである。

そのような折り,親友の相沢謙吉から手紙をもらって,大臣である天方伯爵に随行してヨーロッパに来ているところであるが,天方伯爵が是非太田豊太郎に会いたいとのことだったので,豊太郎は大急ぎで伯爵の宿泊しているホテルカイザーホフへ出かけた。相沢に紹介されて,天方伯爵に会うと,政治関係の論文を翻訳してほしいとの依頼を受けた。親友の相沢と二人きりになったときに,豊太郎は「なぜ自分を紹介したのか」と尋ねると,相沢は免官になった豊太郎に「名誉を回復してほしいためだ」と答えてから,豊太郎の母が息子の免官を理由に自害しようとして,なんとか一命をとりとめたことを伝えた。豊太郎は母のことを思うと,複雑な気持ちにとらわれるのであった。天方伯爵から依頼された翻訳の仕事もやり遂げると,今度は天方大臣一行がドイツ国内のルール工業地帯を視察するのに随行して通訳の役目を果たすことになった。森鴎外の原作では天方大臣一行はロシア視察に出かけることになっているが,この映画ではドイツ国内のルール地方になっている。このルール工業地帯視察の随行に出かけるとき,エリスは豊太郎がそのまま日本に帰国するのではないかと不安に駆られるが,役目を果たすと,やがて豊太郎はエリスのもとに戻って来る。

ところが,後日開かれたパーティの席で,天方伯爵から「日本へ帰らないか? 君の語学力と人柄からすると,外交官に向いているので,私のそばにいて意見を聞かせてほしい」と懇願されると,つい承諾の返事をしてしまった。出発は3月19日である。その夜,豊太郎はエリスのためにドイツへ残るべきか,母の待つ日本へ帰国して出世の道を歩むべきか,この二つの道の板挟みとなって,酔っぱらってしまい,雨の中をさまよっているうちに,家に辿り着くと,そのまま肺炎を起こして寝込んでしまった。

帰国の準備のため豊太郎を訪問した相沢がそれを知ると,相沢は天方伯爵に4000マルクの金を工面してもらって,後日,再度訪問してエリスにその大金を渡そうとする。「彼は日本に帰る。大臣が連れて帰って,彼は政府の要職に就くのだ。彼の将来を考えてやってほしい」と相沢から言われると,エリスは「豊太郎は私をだましたのね」とひどく心を乱してしまい,大金をはね返したあと,階段から落ちてしまい,流産してしまう。

やがて豊太郎は肺炎が治って,元気を取り戻すが,エリスは病院に入っていることと,流産したことを相沢から聞かされる。相沢から「君は国のために働く義務がある。出発は明日だ」と言われるが,豊太郎は心からエリスを愛しているだけに苦悩する。このときの豊太郎の苦悩が観客の共感を呼ぶ。相沢は4000マルクの大金をエリスの母に渡して帰って行く。

ついに出発の日がやって来た。豊太郎は相沢に引かれるかたちで,住み慣れたエリスの家を出て行こうとする。同じ住宅に住む隣近所の人たちからは「エリスの愛を踏みにじって!」と非難の声を浴びながら,そこを立ち去って行く。走っている馬車の中から飛び降りようともするが,相沢に押さえられて,身動きもできない。一方,エリスは病院を抜け出して,豊太郎のあとを必死に追いかけようとする。「トヨタロウ!」と叫んだまま,石畳みの道にくずおれてしまう場面が,この映画のクライマックスシーンであろう。この場面の数分間が間違いもなくこの映画の見どころである。感動というよりも,観客を複雑な切ない気持ちにしてしまう。涙を誘ってしまう場面である。

そのあと場面は帰国するために乗っている船が,富士山の見える所まで戻って来た場面である。豊太郎は帰国の祝電を手にしている。船の上から眺める富士山がたいへん美しくて感動的である。この富士山もこの映画の見どころではあるまいか。富士山はこれほど美しかったのか,と思わずにはいられないほどである。しかし,太田豊太郎の心の中はどうだったのであろうか。森鴎外の原作では次のように締め括くられている。「ああ,相沢謙吉がごとき良友は世にまた得難かるべし。されど我が脳裏に一点の彼を憎むこころ今日までも残れりけり」豊太郎の気持ちはこの最後の締め括りの言葉でもって要約されている。

このように映画ではエリスは階段から落ちて流産してしまうことになっているが,森鴎外の原作では,エリスは豊太郎が自分を欺いたことを知って発狂し,治る見込みのない病気にかかってしまうことになっていて,子供はエリスの胎内にいることになっている。そして帰国の際には「エリスの母にわずかな生計を営むに足りるだけの金を与え,哀れな狂女の胎内に遺した子の生まれる折のことも頼んでおいた」(井上靖の現代語訳)ことになっている。

筑摩書房のちくま文庫には,森鴎外の原作とともに井上靖の現代語訳が載っているので,この機会に映画を鑑賞しながら原作と現代語訳を読むのも興味深いことである。是非,これら3つの作品に触れてみてください。森鴎外自身のベルリンでのドイツ女性との恋愛は,実際はどういうものであったのか,それを探ってみるのも,もちろんおもしろいことであるが,ここでは映画と原作における悲恋だけにとどめておきたい。


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