【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第81号
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○「知的感動ライブラリー」(54)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』四部作(4)
第三日『神々の黄昏』

森で成長した野性児ジークフリートは、前回まで述べてきたように、ブリュンヒルデを通じて異性への愛というものを知ることができたが、しかし、その「愛」は『ニーベルングの指環』四部作の最後の作品『神々の黄昏(たそがれ)』において仇敵(きゅうてき)ハーゲンの象徴する「権力」と対立し、邪悪なハーゲンの謀(はかりごと)の餌食(えじき)となる。このジークフリートとハーゲンの対立は5、6世紀以来のニーベルンゲン伝説において伝統的なものである。ところが、このワーグナーの作品では両者の対立は神々の長(おさ)ヴォータンと侏儒(こびと)族アルベリヒの争いに由来する。すなわち、指環をなんとしても取り戻したいヴォータンは、ヴェルズング族の英雄ジークフリートを世に送り出すと、アルベリヒはそれに対抗する英雄として不義の子ハーゲンを儲けて、もともと自分のものだったその指環奪還の夢をその息子に託したのである。この対立構造によって伝統的なジークフリート暗殺の物語は、北欧神話における神々の没落の物語と二重重ねのかたちで展開されていくのである。以下において、ワーグナーの特異性なども指摘しながら、この楽劇の見どころ・聴きどころを紹介することにしよう。

序幕

『神々の黄昏』には序幕が添えられている。その冒頭において運命の綱を編む3人のノルンたちによって「神々の終焉」が予告される。3人のノルンたちは北欧神話に由来する運命の女神で、過去・現在・未来を語りながら、ニーベルング族の指環の呪いによって神々が没落していくことをほのめかすのである。

そのあと夜が明けて、岩屋から姿を現すジークフリートとブリュンヒルデもまた、神々とともにその指環の呪いの犠牲となることがすでにここで暗示されている。運命的な愛で結ばれた二人であるが、ジークフリートは武具に身を固めて、旅立とうとしている。英雄たる者は冒険の旅を続けなければならない。ブリュンヒルデは英雄ジークフリートを愛しているがゆえに、新たな冒険の旅に彼を送り出すのである。ジークフリートは竜ファフナーを倒して勝ち得た指環を愛のあかしにブリュンヒルデに渡せば、ブリュンヒルデはワルキューレの時代に乗り回していた愛馬グラーネを彼に与える。二人は離れていても、気持ちはいつも一緒であることを誓い合うと、ジークフリートは旅立って行く。愛し合う二人が別れを惜しみながら、このとき二人が歌い上げる愛の二重唱が感動的である。序幕の聴きどころである。しかし、こうして二人が離れ離れになったことが、実は災いのもとだったのである。

第一幕

序幕のあとに続いて鳴り響くのが、間奏曲「ジークフリートのラインの旅」である。ジークフリートがライン河を上流に向かって、冒険の旅を続けていることが音楽で表現される。この間奏曲も聴きどころであり、またどのように場面転換が行われるか、それも見どころである。

第一幕に入って、第1場の舞台はライン河畔ギービヒ家の館である。そこの当主はグンターであり、彼には弟ハーゲンと妹グートルーネがいる。この作品では英雄ハーゲンはグンターとグートルーネとは異父兄弟であり、ハーゲンをあのニーベルングの指環に呪いをかけた侏儒アルベリヒの息子として登場させているところにワーグナーの独創性がある。ヴォータンとアルベリヒの争いは今やジークフリートとハーゲンの戦いとなって、指環の呪いの悲劇が展開し始めるのである。

ギービヒ家の当主グンターは弟ハーゲンに操られている。ハーゲンはグンターとグートルーネがいまだに結婚していないことを非難して、陰謀を企む。グンターには、すなわち、岩山の上で炎に囲まれた部屋に住んでいるブリュンヒルデに求婚することを勧めるとともに、その炎を飛び越えることのできる英雄としてジークフリートの名前を挙げ、その英雄をグートルーネと結ばせようと企んだのである。ハーゲンの魂胆がニーベルングの指環を取り戻すことにあることは明白である。その秘策としてハーゲンは不思議な忘れ薬を用いることを提案する。その忘れ薬は、ワーグナーの作品ではそれを飲むと、ジークフリートが出会った過去の女性をすべて忘れさせるとともに、目の前にいる女性にたちまち惚れさせてしまうという効き目を持っている。このような秘薬の存在を知り、また英雄ジークフリートがやがてこの館にやって来ることを聞いたグンターとグートルーネは、喜んでその英雄を出迎える決意をする。すべてはハーゲンの策略どおりに展開されていることが理解できよう。

ハーゲンの予想どおり、ライン河から角笛が聞こえてきて、やがてジークフリートが到着する。第2場である。ここでもハーゲンの策略によって展開される。ハーゲンはさっそく到着の英雄から巧みにニーベルングの財宝のことを聞き出し、何も知らない彼に隠れ頭巾の効力を教えるとともに、指環は岩山にいるブリュンヒルデが持っていることを突き止めた。そこでハーゲンはグートルーネに指示して、ジークフリートに歓迎の飲み物として例の忘れ薬を差し出させた。ジークフリートはそれを飲み干すと、目の前にいるグートルーネにたちまち恋心を燃え上がらせた。彼は彼女に契りを求めたが、彼女はへり下った様子で、顔を伏せてその場を立ち去った。なんとしても彼女と契りを結びたいジークフリートは、グンターに妻がいるかと問いかけると、「一人の女性に心をかけているが、その女性の住居は高い岩山の上にあり、その周囲には炎が燃え上がっているため、勝ち取る手立てがない」と答えるので、手助けすることを約束する。その援助に対してグンターも、「グートルーネを喜んでお前に差し上げよう」と約束して、こうして両者の間で契約が成立するのである。

一方、ブリュンヒルデは愛のあかしである指環を心の支えにして一人ジークフリートの帰りを待ちわびている。第3場である。そこへやって来たのが意外にも彼女の妹ワルトラウテであった。妹は父ヴォータンが日毎に衰えていく姿を見て、その原因となっている指環をラインの乙女たちに返してほしいと伝えるために、勇敢にもワルハラの城を忍び出て来たのである。しかし、指環はブリュンヒルデには愛しいジークフリートからの贈り物であり、彼の愛の象徴である。愛に生きる決意をした彼女にとって、今や指環は永遠に輝く神々の栄光よりも大切なものである。手放す気はないことを伝えると、ワルトラウテは絶望してその場を立ち去って行く。ワーグナーに特有な場面であり、初めての聴衆には退屈に思われるかもしれないが、しかし、じっくりと味わうと、なかなか興味深い場面である。

同じ第3場、ワルトラウテが去って、夕方になると、ブリュンヒルデの周りにはだんだんと炎が燃え上がってきて、遠くからなつかしい角笛の響きも聞こえてきた。ブリュンヒルデは熱狂して飛び起き、ジークフリートを出迎えようとするが、しかし、到着したのは見知らぬ男であった。男はギービヒ家の者で、グンターという英雄で、彼女に求婚のためやって来たという。もちろん隠れ頭巾でグンターに化けたジークフリートであるが、彼女はそんなこととはつゆ知らず、またジークフリートの方も忘れ薬で彼女のことを忘れ果てているのである。男はブリュンヒルデと揉み合い、ついに指環を巻きあげてしまう。この場面がドキドキハラハラさせて、音楽も聴きどころであるが、それとともに見どころの一つともなっている。もはや抵抗のしようのないブリュンヒルデをジークフリートは、岩屋に引っ張って行くが、二人の間に抜き身の剣を置いて、グンターに忠実であることを誓ったところで、第一幕の幕は下りる。

第二幕

このようにあらすじはハーゲンの陰謀によって展開されているが、そのハーゲンの魂胆が第二幕第1場において明らかにされている。ライン河畔の岸辺、夜、悪漢ハーゲンがまどろんでいるところに、彼の父アルベリヒが現れる。そのとき父子の間で交わされる「不気味な夢魔的対話」において、ハーゲンはアルベリヒの策略に屈した女から生まれ、その出自に強い劣等感を抱き、陰鬱で、喜びを味わうこともなく、常に「陽気な者たち」を憎んでいることが明白となる。ヴォータンから指環を奪われて「喜びもなく、苦しみを負わされた」父アルベリヒも、息子ハーゲンに「陽気な者たち」を憎むようけしかけて、ヴェルズング族を打倒し、指環を取り戻すように励ますのである。ハーゲンは父アルベリヒの憎悪を受け継いでこの世に生まれ出てきたのであり、その「粘り強い憎しみ」から指環を取り戻し、世界を掌握して、ヴェルズング族とヴォータンに復讐をしようと企んでいるのである。父アルベリヒとヴォータンの戦いは今やハーゲンとジークフリートの戦いとなったのであり、父は息子に指環奪還の夢を託すと、姿を消していく。ワーグナー独自の創作部分であり、音楽も印象的で、聴きどころの一つであることは確かである。

こうしてハーゲンがまどろんでいるところに、やがてジークフリートが戻って来る。第2場である。ハーゲンを起こしてジークフリートは、新郎新婦がゆっくりと船でこちらに向かっていることを報告する。ハーゲンの叫びでグートルーネも館の中から出て来て、ジークフリートは二人にブリュンヒルデの岩山での手柄話を聞かせてから、新郎新婦を出迎える準備をしてくれるよう依頼する。

ハーゲンはさっそく高台に登ってギービヒ家の家臣たちを呼び集める。第3場である。ここで楽劇『ニーベルングの指環』四部作で初めて合唱が導入されて、その合唱の迫力に圧倒されてしまう。聴きどころである。ハーゲンは集まった家臣たちに結婚式の準備に取り掛かるよう命じる。

第4場の展開となって、やがてグンターが花嫁ブリュンヒルデを伴って到着するが、花嫁は青ざめた顔を伏せたままである。グンターによってギービヒ一族の面々に紹介されても、彼女は決して目を上げようとしない。ジークフリートがグートルーネを伴って館の中から出て来て、その名前がグンターによって呼ばれたとき、ブリュンヒルデは驚いて初めて目を上げる。目の前にジークフリートを認め、彼がグートルーネと結婚することを耳にすると、ブリュンヒルデはよろめいて倒れそうになる。彼女は「ジークフリートが自分のことを知らない」ことで、ひどく心を乱している。彼女の心は、ジークフリートの指に指環を見つけたとき、さらに激しく揺れ動く。それはグンターが強引に力ずくで自分から奪い取ったはずのものだからである。この指環をめぐる問答から、ブリュンヒルデはこのたびの求婚には欺きが隠されていることを察し、ジークフリートに裏切られたと思って、自分はジークフリートと結婚したことを口にして、さらには「剣の持ち主が愛する人に求婚したとき、剣ノートゥングは壁にかかっていた」と打ち明ける。この言葉によってグンターは誠実な兄弟の契りを裏切られたことになり、またグートルーネも夫に裏切られたことになる。そこでジークフリートは身の潔白を証明するため、ハーゲンの差し出す槍の穂先に右手の2本の指をあてて、自分が兄弟の誓いを破っていないことを誓う。するとブリュンヒルデが怒って割り込んできて、彼女も自分の手でその槍の穂先に触れて、この神聖な槍が偽りの誓いをしたジークフリートを倒すようにと誓う。この場面における二人の誓いも見どころ・聴きどころである。ジークフリートはそのあとグンターのすぐそばに近寄って、「彼女を騙せなかったのは、私も残念だ。隠れ頭巾が私を半分しか隠せなかったように思われる。しかし、女の怒りはすぐにおさまるものだ」と宥(なだ)めて、陽気な気持ちでグートルーネを伴って、館の中に入って行く。家臣や婦人たちもそのあとをついて行く。

その場に残ったのは、ブリュンヒルデとグンターとハーゲンの3人である。ここから第5場である。グンターはひどい恥辱を受けて、沈み込んでいる。ブリュンヒルデもがっくりと頭を沈めて、じっと思いを凝らしているが、もちろんこの紛糾の原因を知らない。彼女にとって嘆かわしいのは、自分が授けた知識でもってジークフリートがグートルーネを手に入れ、妻である自分を獲物同然に他人に譲り渡してしまったことである。彼女はなんとしてもこの「絆」を断ち切りたい。そのときハーゲンが揺れ動く彼女の心を巧みに捉えて、ジークフリートの暗殺を唆すのである。ジークフリートは不死身なのかという問いに対して、彼女はジークフリートが絶対に敵に後ろを見せなかったことから、背中には魔法をかけなかったと答える。背中だけがジークフリートの弱点だと知ったハーゲンは、グンターとブリュンヒルデをけしかけて、そこで3人はジークフリートを暗殺することを誓い合う。この三重唱には身体全体が震えるほどの迫力で圧倒されてしまう。第二幕の中で一番の聴きどころであろう。3人によるジークフリート暗殺の誓いの傍らで、結婚の準備は次第に整っていく。

第三幕

第1場はライン河畔の低地である。3人のラインの乙女たちが水面に浮かび出て、輪を描いて泳ぎ回っている。その場にジークフリートが現れる。彼は結婚式の翌日、ギービヒ家の男たちと狩りに出かけ、熊を追っているうちにその足跡を見失い、ここに辿り着いたのである。「獣をどこに隠したのか」と叫ぶジークフリートに向かって、水の乙女たちは獣を差し出す褒美を催促すると、「望むものを頼むがいい」との返事だったので、ジークフリートの指に輝いている指環を所望する。貧弱な熊との交換のために指環を差し出すことをためらっていると、ジークフリートは「けち」呼ばわりされてしまったことから、一度は指環を差し出す気にもなる。ところが、水の乙女たちが彼に指環の呪いの秘密を漏らしてしまうと、恐れを知らないジークフリートはこの呪いの脅しには絶対負けたくないと思い、指環を自分の指にはめたままにしておいた。この時点においてジークフリートには指環の呪いがかかったと考えてよいであろう。序幕冒頭では3人のノルンたちによって「神々の没落」が予言されたが、この第三幕冒頭では「ジークフリートの暗殺」が3人の水の乙女たちによって予言されたのである。

続く第2場がいよいよそのジークフリート暗殺の場面である。ハーゲンが一同とともにこの場にやって来て、ジークフリートを見つけ、狩猟の途中で一休みすることを提案する。一同は酒食の宴を張ろうとするのである。そのときジークフリートは、グンターがあまりにも塞ぎ込んでいるのを見て、自らの若き日の冒険を語って聞かせることにした。これがワーグナー特有の「叙事的語り」というもので、これまでのあらすじが要約のかたちで繰り返されると同時に、その語りの中からジークフリートは自らのアイデンティティを取り戻すことにもなるのである。ワーグナーの独創による重要な場面であり、聴きどころである。ジークフリートはミーメという名の侏儒によって育てられたことから語り始めて、名剣ノートゥングを鍛え上げたのち、竜ファフナーを倒し、小鳥の助言によって洞穴の中から指環と隠れ頭巾を獲得してから、さらに小鳥の助言に従って侏儒ミーメを成敗したことなどを語ったところで、ハーゲンから新たに角杯を差し出される。その中には記憶を取り戻す薬草の汁が入れられていたので、ジークフリートはそれを飲むと、次第に遠い過去のことを鮮明に思い出し、ブリュンヒルデのことも蘇ってきて、語り続ける。小鳥の声に従って高い岩山へ行き、そこで眠っているブリュンヒルデを口づけでもって目覚めさせたときのことを語る。この瞬間、グンターは初めてジークフリートとブリュンヒルデについての真相を悟り、驚く。そのとき2羽のカラスが藪の中から飛び立った瞬間をとらえて、ハーゲンはジークフリートの背中に槍を突き刺す。ジークフリートはブリュンヒルデのことを思い出しながら、息を引き取る。この場面も聴きどころであるが、最も注目すべき聴きどころは、やはりそのあとジークフリートの遺体をギービヒ家の館に運ぶときに奏でられる「ジークフリート葬送行進曲」であろう。ジークフリートのライトモチーフでもってその曲も盛り上がって感動的である。その間、舞台転換も行われている。楽劇『ニーベルングの指環』四部作もいよいよ大詰めであることも観客の頭には浮かんでくる。

最後の場面は第3場、ギービヒ家の広間である。グートルーネは夫ジークフリートの帰りを待ちながら、月の夜にこだまする角笛の響きに耳を澄ませている。暗い予感が彼女の心を離れない。ハーゲンの声がまず聞こえ、ざわめきが起こる。ジークフリートの亡骸が下されるのを見ると、グートルーネは叫び声を上げて遺骸の上にくずおれる。グンターは失神した妹を気遣って、妹に話しかけるが、グートルーネは再び我に返ると、グンターを激しく突きのけて、ジークフリートの暗殺者として兄を責め立てる。真相を知って胸のむかつく思いをしているグンターは、ハーゲンこそジークフリート暗殺の張本人であると言って、ハーゲンを責める。するとハーゲンは、偽りの誓いをしたために彼を成敗したのだと主張し、その代償に指環を要求すると、この指環をめぐって義兄弟間に争いが起こる。指環の呪いによるものである。ハーゲンはグンターを殺して、ジークフリートの指から指環を引き抜こうとすると、不思議なことに、死体の腕がニューと上がって拒否反応を見せる。さすがのハーゲンも思うにまかせない。

一同が身震いしながら、金縛りにあったように立ち尽くしているところへ、ラインの乙女たちから事情を聞き知って、知識を取り戻したブリュンヒルデが登場する。そこで彼女はグートルーネと言い争うが、この二人の女性の口論は素材となった中世英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』における両王妃口論のヴァリエーションである。ただ素材では彼女はジークフリートの側女(そばめ)だという罵りの言葉を受けたのであったが、ここでは反対に堂々と「私こそジークフリートの本当の妻だ」と主張するのである。この言葉によって真実を悟ったグートルーネは、兄グンターの屍(しかばね)の上にくずおれて、最後までそのままの状態である。

今や舞台を独占するのはブリュンヒルデである。「神々の力」のライトモチーフが鳴り響くとともに、彼女は厳かに身を起こして、周囲の者たちに向かって、ラインの岸辺に高々と薪の山を築き、ジークフリートの馬をこちらに連れて来るように命ずる。その準備が進められている間、ブリュンヒルデはジークフリートの亡骸を見つめながら、ジークフリートと自分の真相を明らかにしたのち、天の神々に向かって、罪は神々にあることを訴える。すなわち、ジークフリートは神々の永劫の罪の犠牲となったことが明らかにされているのであり、ジークフリートの死は今や神々の黄昏が近づいていることのあかしとして捉えられていると言える。ワーグナーにおいては「神々の黄昏」(北欧神話)と「ジークフリートの暗殺」(ニーベルンゲン伝説)が並行して展開されているのである。ブリュンヒルデはジークフリートの指から指環を抜き取って、亡骸を薪のところまで運ぶよう命じる。家臣から大きな燃え木を受け取ると、彼女はそれを振り上げて、2羽のカラスたちにヴォータンのもとに帰るよう命じるととともに、岩山で燃えているローゲにワルハラへ帰るよう伝えてほしいと指示するや否や、燃え木を薪の山に投げ込む。すると薪の山はたちまち燃え上がる。ブリュンヒルデはジークフリートの馬グラーネに走り寄って、最後の歌を歌うと、それに飛び乗って、猛火の中に飛び込む。突然ラインの水が溢れ返る。指環を奪う機会を窺っていたハーゲンは、指環を追って水の中に入るが、3人の水の乙女たちによって深みに引き込まれてしまう。用意周到なハーゲンもこの場面に至ってはあっけなく滅びてしまう。素材の『ニーベルンゲンの歌』とは裏返しのかたちである。ハーゲンの「指環に近づくな」という言葉を最後として、それ以降は何のセリフもなく、舞台と音楽だけで表現されている。この最終場面は何を意味しているのだろうか。ジークフリートの亡骸を焼く薪の炎は、天上の神々のワルハラの城にも燃え移って、まさに神々は没落しようとしている。ワルハラの城が崩壊しかけた瞬間、「ジークフリート」のライトモチーフが奏でられたあと、続いて「愛による救済」のモチーフが奏でられることから、この最終場面では神々の「権力」の世界に代わって、この廃墟の中からはブリュンヒルデの「自己犠牲」によって新しい人間の「愛」の世界が生まれ出てくることがほのめかされていると理解できよう。ヴォータンやアルベリヒおよびハーゲンの「権力」の世界は滅び去り、ジークフリートとブリュンヒルデの「死による愛」が勝利を収めて、古い神々の「権力」の世界に代わって新しい人間の「愛」の世界が始まることが暗示されているのである。この点において愛も無残に滅び去ることを描いた中世英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』とは根本的に異なるワーグナーの新しい世界が読み取られ、それがまたワーグナーの作品の特質でもあり、魅力でもあるのである。このような魅力に溢れたワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』四部作を是非この機会に鑑賞してみてください。鑑賞するたびに新しい感動に出会うことは確かであり、それだけに奥行きの深い作品であると言うことができよう。


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