【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第78号
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○「知的感動ライブラリー」(51)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』四部作(1) 前夜『ラインの黄金』

1.楽劇『ニーベルングの指環』四部作の成立過程

楽劇『ニーベルングの指環』四部作はリヒャルト・ワーグナー(1813-83)の代表作であるばかりか,オペラ史上最も注目すべき最高傑作のうちの一つであると評してもよいであろう。ワーグナーはこの四部作を完成させるまでに,実に26年の歳月を費やしている。ドイツの文豪ゲーテはその畢生(ひっせい)の大作『ファウスト』を完成させるために60年という長い歳月を費やしていて,年数から言えばその半分にも満たないが,しかし,ゲーテの超大作『ファウスト』と同じように,まさに『指環』四部作もワーグナーのライフワークと称してもよいであろう。

ワーグナーは1848年に『ローエングリン』の総譜を完成させたあと,北欧・ゲルマンの神話や伝説を読み漁(あさ)っているうちに,ニーベルンゲン伝説の英雄ジークフリートに強い関心を抱いた。ニーベルンゲン伝説とは5,6世紀のゲルマン民族大移動時代にライン河畔フランケンの領土を発祥地として歌謡の形式で生まれ,その後,ドイツのみならず,北欧へも歌謡のかたちで語り継がれ,中世・近代を経て,現代に至るまで語り継がれている英雄伝説のことである。その英雄伝説の中でも13世紀初頭に現在のオーストリア地方で成立した英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』(作者不詳)は最高傑作であるが,ワーグナーはこのドイツ中世英雄叙事詩のみならず,北欧の『歌謡エッダ』や『ヴォルスンガ・サガ』のほか『ニフルンガ・サガ(ティードレクス・サガ)』にも手をのばして,英雄ジークフリートを中心としたオペラを構想し始めたのである。そこで同年(1848年),ワーグナーはまず散文稿『ニーベルンゲン神話』を書き上げるや否や,次には台本として『ジークフリートの死』を書き上げた。ところが,その後この作品に携われば携わるほど,台本にはあまりにも多くの前史が含まれていることを認識し,その物語の前史として,1851年には『若きジークフリート』を,さらに1852年には『ワルキューレ』と『ラインの黄金』を書き上げた。その後1856年に『若きジークフリート』はただ単に『ジークフリート』,そして『ジークフリートの死』は『神々の黄昏』と改題されて,ここに『指環』四部作の台本が完成したのである。従って,台本は物語を遡るかたちで書かれていることが明らかである。

作曲は台本とは逆に,物語の展開に従って1853年に『ラインの黄金』(1854年完成)から始められ,『ワルキューレ』(1856年完成)のあと,『ジークフリート』の作曲に携わっているうち,1857年に第二幕第2場のところで中断してしまう。この中断の期間に『トリスタンとイゾルデ』(1859年)と『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(1867年)が完成して,『ジークフリート』の作曲が再開されるのは,中断から12年後の1869年のことである。再開後に作曲は着々と進み,1871年には『ジークフリート』の総譜が完成し,続く『神々の黄昏』の総譜も1874年に完成し,ここについにオペラ史上まれに見る長大な四部作が完成したのである。1848年に散文稿を書き起こしてから実に26年が経過しており,この『指環』四部作は文字通りワーグナーのライフワークと言ってもよいであろう。2年後の1876年にはまさにこの四部作を上演するために建てたというバイロイト祝祭劇場も完成し,同年8月に楽劇『指環』四部作が初演されたのである。上演時間は約2時間30分である。

このように最初の単独作『ジークフリートの死』から『指環』四部作へと発展していく過程で,神々の長(おさ)ヴォータンがもう一人の主人公となり,ジークフリートの死は神々の没落と重ね合わされて展開されており,ドイツのニーベルンゲン伝説と北欧神話とが二重重ねになって物語が展開されているところにワーグナーの特徴があると言えよう。

2.楽劇『ラインの黄金』のあらすじと見どころ・聴きどころ

楽劇『ラインの黄金』は四部作の中でも「前夜」として位置付けられて,4場から成り,全曲一挙に上演される。

冒頭部分で,最初ごく小さな音楽から次第に大きくなっていく音楽の響きは,神話の始まりと同じように,「世界の誕生,創造」を暗示している。ここからすでにこの四部作が壮大なスケールの物語であることが推測される。

第1場 ラインの河底

音楽が大きくなっていくとともに次第に生成されていって,舞台に開けてきた「世界」は,ラインの河底である。そこにはラインの黄金が眠っており,それを三人の乙女たちが見張っている。彼女たちが「ラインの黄金よ!/ラインの黄金よ!」と,そのラインの黄金をほめ称えて歌い始める歌がまずは最初の聴きどころであろう。ドイツ語の原文では,古代ゲルマンの詩を彷彿させるように,至るところで頭韻を踏んでいて,たいへんリズミカルでもある。音楽だけではなく,詩歌という点でも注目に値しよう。

そうして三人の乙女たちがラインの黄金を見張っているところへ,地下の国ニーベルハイムの侏儒(こびと)族アルベリヒが現れる。彼は官能の楽しみを求めて,三人の乙女たちの気を引こうとするが,なかなかとりあってもらえない。水の乙女たちはアルベリヒをからかい戯れているうちに,軽はずみに「ラインの黄金」の秘密を明かしてしまう。すなわち,「このラインの黄金から/指環を作る者には/無限の力が与えられ,/世界のすべての遺産を/我がものにすることができる」というのである。ただし,その指環を作る秘術を得るのは,「愛の力を/あきらめ,/愛の喜びを/追い払う人だけ」という。ここで鳴り響く「愛の断念」のライトモティーフが印象的で,聴きどころであることは,言うまでもない。ワーグナーのオペラは内容的に重要な場面であればあるほど,音楽的にもたいへん印象的で,またすばらしいものとなっている。ワーグナーの魅力はこのようなところにもある。

さらにこの場面における「愛の力を断念し,愛の喜びを追い払わなければならない」という条件は,従来のニーベルンゲン伝説には見出されない,ワーグナー特有のものであり,ここですでに四部作全体のテーマとも言うべき「愛」と「権力」の相剋(そうこく)が読み取られる。「生きているものは恋をし,/誰も愛を避けたりすることはない」ので,水の乙女たちはアルベリヒが愛を断念することなどありえないと,軽く考えていたが,しかし,アルベリヒは「愛を獲得することができずとも,/情欲は策略で手に入れられる」と考えて,愛を呪って,力ずくでその黄金を河底から奪い去っていく。「愛」と「権力」の戦いを取り扱った『指環』四部作の壮大な物語は,ここから展開し始めるのである。

第2場 ライン河畔の山上の空き地

場面はライン河畔の山上の空き地,神々の世界に変わる。夜明けとともに背後に輝かしいワルハラの城が見える。神々の長ヴォータンはこの城を巨人族の兄弟ファゾルトとファフナーに建ててもらったが,その代償として妻フリッカの妹フライアを要求されて困っている。神々はこのフライアの栽培する黄金のりんごのおかげで永遠の若さを保つことができるのであり,このフライアが連れ去られるとなると,神々は萎(しお)れていくばかりである。この場面で巨人族兄弟が登場するときの音楽がとてもおもしろく,ワーグナーの音楽の幅広さに魅せられてしまう。

こうして神々がフライアを要求されてしまっているところへ,老獪(ろうかい)な火の神ローゲが登場し,彼は巨人族兄弟への報酬にはアルベリヒがラインの河底から奪い取った黄金――それから指環を作れば,限りない権力と財宝を新たに生み出すことができるという――が最適だと進言する。ヴォータンはその黄金を奪い取るべく,ローゲとともに地下の国ニーベルハイムに降りて行く。

第3場 地下の国ニーベルハイム

場面は変わって地下の国ニーベルハイムである。侏儒ニーベルンゲン族のアルベリヒはすでにラインの黄金から指環を作り,今や弟ミーメをせかせて,隠れ頭巾を作らせている。それを身に着けると,姿が見えなくなるばかりか,何にでも変身できるという不思議な力を備えた頭巾である。それがやっと出来上がったのである。

そこへやって来たヴォータンとローゲは,頭巾の魔力を信じるアルベリヒをそそのかして,その頭巾の効力のほどを見せてほしいと頼む。アルベリヒが大きな蛇に変身すると,ローゲはわざと怖がるふりをして,次には小さいものに変身するようにとけしかける。アルベリヒは得意気に小さいヒキガエルに変身した瞬間,ローゲに捕らえられて,隠れ頭巾を奪い取られてしまう。ワーグナーによって語呂合わせで「リューゲ」(Luge嘘つき)とも呼ばれているローゲ(Loge)の知恵の勝利である。この場面でアルベリヒがどんな大蛇に変身し,どんなヒキガエルに変身するかが見どころの一つである。もとの姿に戻ったアルベリヒは,縛られ,囚われの身となって,地下の世界から上の神々の世界へと連れ去られる。

第4場 ライン河畔の山上の空き地

場面は再びライン河畔の山上の空き地,神々の世界である。捕らえられたアルベリヒは,自由になるためには身代金を支払わなければならない。アルベリヒはニーベルンゲン族に地下の国から黄金を運ばせるが,この場面の音楽もゾクゾクさせるほど魅力にあふれている。黄金がすべて運ばれると,アルベリヒは縛めを解くように要求するが,その前に隠れ頭巾のみならず,指に嵌めていた指環までもヴォータンに奪い取られてしまう。やっと縛めを解かれたアルベリヒは,指環を奪い取られた恨みから,「その指環を持つ者には,/死がもたらされよ」という呪いをかける。しかも「それを所有する者は,/心配に苦しめられ,/それを持たぬ者は,/嫉妬に苦しめられるのだ!」というひどく怖ろしい呪いである。この呪いをアルベリヒがいかに歌い上げるかが,この場面の聴きどころ・見どころであろう。このような呪いをかけてから,アルベリヒはその場を立ち去るが,『指環』四部作の以下における物語はまさにこのアルベリヒ(ニーベルング)の指環の「呪い」の物語である。

その場に人質フライアを連れて来て,約束の黄金を要求する巨人族兄弟のうち兄ファゾルトが,やがてその呪いの最初の犠牲者となる。すなわち,巨人族兄弟によって要求された黄金は,フライアの姿を隠すまで積み上げられるが,最後にまだフライアの髪の毛が光って見える隙間(すきま)がある。巨人族のファフナーはその隙間を塞ぐために隠れ頭巾を要求する。それでもフライアの眼がまだ星のように輝いているのが見えるので,ファフナーはそれを指環で塞ぐように要求する。ヴォータンは断固拒否するが,そのとき地の底から知恵の女神エルダが現れて,「指環の獲得は/救いのない/暗い破滅にあなたを陥れる」とヴォータンに警告してから,再び地の底に降りて行く。このエルダの警告の場面が『ラインの黄金』の中でも最も興味深い聴きどころであろう。エルダの出番はこの一箇所だけであるが,それだけに彼女の果たす役割は大きい。このエルダの出来によって,全体の評価が決まると言っても過言ではあるまい。

このエルダの警告を聞いたヴォータンは,深く物思いに沈んだのち,我に返ると,その警告に従って,ついに指環を巨人族兄弟に渡してしまう。すると巨人族兄弟の方ではその指環をめぐってさっそく兄弟喧嘩が始まり,弟ファフナーが兄ファゾルトを撲殺して,指環を一人占めにして,そこを立ち去る。指環の呪いによる兄弟喧嘩の結末である。

ヴォータンはこれを見て動転するが,フライアを取り戻すことができ,神々にとってはひとまず安心である。雷神ドンナーが雷雨を呼び,幸いの神フローが虹の橋をかけて,ヴォータンは遠大な構想を抱きつつ,新築のワルハラの城に向かって神々とともに虹の橋を渡って行く。その虹の橋の下では三人の水の乙女たちがラインの河底から黄金と光が失われたことを嘆くとともに,上の世界は偽りと欺きに満ちていることを警告する。

ワルハラの城に入る前にヴォータンが抱いた遠大な構想とは,アルベリヒが指環を奪い返すと,神々の覇権が脅かされるので,その前に人間族を作って,その人間族の英雄によって指環を取り戻すという考えのことをほめかしており,『ラインの黄金』の終わりはまさに新しい人間族が加わっての物語の始まりを意味している。物語はまだこれからである。


以上のように見てくると,ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』四部作は,人間族の登場する前の太古の世界,しかもその「世界の誕生,創造」から始まっており,スケールの大きい物語であることが容易に理解されよう。物語の背景には,自然をないがしろにしたために,神々の世界は滅びていかなければならないという考えが織り込まれていて,奥行きの深い作品である。また素材にはドイツ中世英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』や北欧神話が使用されている背後では,ギリシア神話の影響も認められて,ますます興味をそそられていく作品である。この機会に是非,楽劇『ニーベルングの指環』四部作を通してご鑑賞いただければ幸いである。

なお,本学附属図書館本館1階の視聴覚コーナーには1991年のバイロイト音楽祭(ダニエル・バレンボイム指揮)のDVD(小学館発売)を備えている。DVDでは原語のドイツ語のみならず,日本語はもちろん,英語の字幕でも鑑賞することができる。DVD一つでいろいろな楽しみ方も可能である。オペラ鑑賞が本当に楽しくなってくる。是非,ご利用いただきたい。


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